●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
29、「沈黙」見たかったですが、時間がなく残念。学生の頃は、歴史が好きでなく、大人になってから知りたいと思うようになりました。自国の加害の歴史をもっと若い人にも知ってほしい。特に従軍慰安婦問題に興味があります。同じ女性としても怒りで震えてくる。
(女性、30歳、不明、ウェブ、ツイッター)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
雑報16巻3号【1932(昭和7)年】
◎細谷省吾、島崎正雄、菅野征の諸氏充員召集さる
上海事変の拡大に伴い、2月末前記の諸氏充員召集され、所員一同の熱誠溢る万歳の声に送られ、それぞれ部署に就かる。
◎出征軍人留守宅慰問会生る
本研究所職員中出征せらる方々の留守宅慰問その他後援を目的とする慰問会は春秋会主催のもとに城井技師を委員長とし外若干名の委員を以て組織され、毎月出征者の留守宅を訪問し、慰安、後援その他に就き機宜の処置を講ぜられることとなる。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第1 原告らの求めた裁判
(1)被告は、第1事件原告ら各自に対し、別紙2記載の「謝罪文」を交付し、かつ、同謝罪文を官報に掲載せよ。
(2)被告は、第1事件原告ら各自に対し、各金1000万円及びこれに対する1997(平成9)年11月5日(訴状送達の日の翌日)から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3)訴訟費用は被告の負担とする。
(4)仮執行宣言
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月一九日
日本謀殺と書いたあけすけの題名には一驚するも 無知に近き支那人のみを祖国愛に立脚して 排日を企てる人が一人でもあれば実に恐るべき結果を生むことは言を待たないであろう。私は決して永遠に満州を日本の物にすることを希望するのではない。只之によって起こる幾多の事件の生み出されることを恐れる為にこんなことを書いたのではない。
実際自分の国にして恐れながら暮らす支那人を可愛そうでならない。巡察兵が通る時小さい支那の小供たちは此の満鉄の踏切さえ通らず、巡察兵の通り過ぎるのを待って逃げるように通る所を見る時いかにそれが国こそ違うとは言え 人類愛から言うならば涙なくは見られぬ情景である。私その署長に対して一言感謝―を (切りがないやめよう)
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅵ ひとりの正統的な人間
20年来、広島に固着している状況は、たとえ100人の正統的な人間群が、それに対抗するにしても十分とは言えない苛酷な状況であった。しかし、それでもなお、全く勝算のない、最悪の状況に立ち向かい得る存在とは、やはり、このように正統的な人間よりほかにはない。僕は、重藤文夫博士に、その正統的な人間の一典型をみるものである。
中国の核実験にあたって、それを、革命後、自力更生の歩みを続けてきた中国の発展の頂点とみなし、核爆弾を、新しい誇りに満ちた中国人のナショナリズムのシンボルとみなす考え方が行なわれている。僕もその観察と理論づけに組する。しかし、同時に、それはヒロシマを生き延び続けてきている我々日本人の名において、中国を含む、現在と将来の核兵器保有国全てに、否定的シンボルとしての、広島の原爆を提示する態度、即ち原爆後20年の新しい日本人のナショナリズムの態度の確立を、緊急に必要とさせるものであろう。したがって広島の圧倒的な人間は、そのまま僕にとって、日本の新しいナショナリズムの積極的シンボルのイメージを表わすものなのである。(64年12月)
原爆初動調査 隠された真実
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
“特移扱”で中国人を731へ送った
憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった
三尾豊
憲兵
解説ー大連事件(西野留美子)
1940年3月、中共地下組織からソ連に派遣されて莫斯科(モスカ)で勉強した沈得龍は、ソ連赤軍参謀部情報部の派遣で天津市に帰ってきた。その後沈得龍と王耀軒は大連市黒石礁に潜入、秘密裏に国際反日地下情報拠点を作り沈得龍を長兼諜報員とし、王耀軒を情報員とした。同年の10月3日には李忠善、呉宝珍、王学年を情報員として拡大発展した。彼ら3人は大連市の近江街に住んでいたが、李は奉天市の、呉は大連市の情報を、王は天津方面のそれぞれ情報収集を受け持っていた。この後さらに、楊学礼、李振声、王東昇、劉万会を情報員として吸収発展した。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
小林喜一自筆供述書(1954年6月10日)
1935年11月中旬、私は赤峰憲兵分隊長として捕縛者に対して厳しい処分を決定する時、電話で森沢部隊長にその内の1名の拘留犯をどうするかを尋ねた。森沢は既に渡辺軍医に犯人を盲腸手術の練習に使用する事を同意しており、その後我々が引き取りに行く事になっている、と述べた。私が医務室に行った時、渡辺軍医はちょうど手術中であった。しかし、20分経った後も盲腸は切り取られず、再び縫い合わされた。その時森沢部隊長もその場にいた。その後鈴木曹長、渡辺軍曹、米本軍曹、榎本軍曹は、その拘留犯を他の3名と共に赤峰北1㎞の小河畔で斬殺した。
1936年9月上旬、私が赤峰憲兵分隊長の任にあった時、満鉄赤峰病院山崎院長が死刑犯1名を解剖に使用させてほしいと要求してきた。劇薬を注射すれば即刻死亡すると言い、私は承知した、川崎(ママ)院長が分隊に来ると、年は30歳位の男子(淋病患者)1名を彼に与えた。その病気を治療するという名目で、小田曹長と渡辺軍曹が車で病院まで送ると、山座院長ほか1名の日本人医師が劇薬を注射し、殺害後解剖して、死体は病院の庭に埋めた。
(1)119-2、44、1、第4号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用
華中での使用
このように、細菌戦については明快に反対した沢田将軍は、くしゃみ性・嘔吐性ガスの使用については反対せず、その使用を命令している。これは、日本軍高級将校の意識として、糜爛性ガスなどの使用は問題だが、くしゃみ性・嘔吐性ガスの使用は効果があるし、使用してもそれ程大きな問題にならないのではないかと判断していたことを示していると言える。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
しかし防御の方法を研究するのに自分の軍隊を使うとしたら、代価は高くつく。理想的な方法は、平時にいつでも利用可能な実験対象を求められることだが、このような特別希少な人体実験対象がうまい具合に731部隊に大量に存在した。そして731部隊は人体に対して各種各様の細菌実験を行い、同時に毒ガス実験を行っても、それは人体を十分利用するに過ぎない。問題はこのように簡単に解決した。2つの悪魔部隊は緊密に協力し合っていたのである。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
少佐
「どうだ、明白(わかる)か、両個人(2人)でやるんだ」と、そばで見ていた農民の袖を荒々しく引っ張り、詰めかけの袋のところに突き飛ばすと、
「両個人で快々的でやれ」と怒鳴った。
農民は憎悪に燃える眼で睨みつけながら、しぶしぶと2人で詰め込みに取り掛かった。
私は「10時までに荷造りを終ってしまえ」と現場を監督して回った。
監視兵は「快々的」とわめき立て、犬か豚を追い回すように小突きまわして、40㎏詰めの袋を300個作るために追い立てた。10時30分に荷造りを終えたが、まだ200袋分位高粱の残りがあると聞いた私は、
「1袋50㎏まで追加しろ」と命じた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
複雑な内部規範
年間3万件前後が作成され、総点数70万を超える自衛隊の秘密(MSA協定による防衛秘密をのぞく)の実体は、どうなっているのか。この「庁秘」が 、「機密」「極秘」「秘」の3段階に区分され、その基準が庁秘訓令の第5条に示されていることについては既に述べた。だが、訓令に記された基準は、全く抽象的で、基準の名に値しないものにすぎない。国家機密はその範囲や区分基準を具体的に明確に示すことができない。ここから、無限に拡張解釈され、乱用されることになるわけである。とはいえ、官僚がすべて「大体の感じ」だけで機密区分を指定しているのではない。最も厳重に秘匿すべきものが放置されたりしないためにも、また、公務員に対して「秘密を守る義務」を強制するためにも、それなりに厳しい規範を示す必要があるわけである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
1 自衛隊の基本戦略
生物・化学兵器の自衛隊における位置
それに比較すれば、自衛隊の生物・化学兵器の研究開発はお粗末だというのが防衛当局の説明のようである。確かに戦力としての生物・化学兵器の保有は、軍事的に見た場合取るに足らぬ存在に違いない。しかし、自衛隊が既に各種生物・化学兵器の研究を行っていることは厳粛な事実である。ここで重要なことは、その量と質の比較検討ではなくて、自衛隊が生物・化学兵器を抑止力として保有しようとする戦略なり思想を基本としていることである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
彼に言わせれば、天皇は「実情を見ておらず」、その視察は日を追って、彼を日常的に大衆の目にさらすことを主眼とした「政治宣伝」のかたちになっている。最悪なのは、巡幸が君主制の民主化をではなく、「伝統的天皇制の権力と影響力」を強化していることだった。
ケントは、この遺憾な状態によって天皇自身を非難してはいないが、彼をこう描写している。
〔天皇は〕体が悪そうに見えることに神経質で、しぐさや動作はぎこちない。話したり動いたりする前にためらうことが多い。完全な自意識過剰でないとすれば、おそらく彼は不安なのである。・・・ほとんどいつも顔には表情がない。こどもたちに話しかけたり、万歳が大きくなったりしたとき以外は、まずにっこりすることもない。彼の身なりはまったくよくない。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歴史上重要な核実験
歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。
表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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