●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
(以下、パネル展の内容)
ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために
ビキニ諸島での事件を日本は認めました。しかし、それまでにすでに漁師たちの多くは傷つき亡くなっていました。ご存命の方々は未だに闘病生活で苦しんでいます。
また、原子力の平和利用という名の下で、日本は原子力を国内へ取り入れてきました。その結果、ビキニ事件で持ち込まれた原子力発電所は、地震国日本の海岸を一周するかのように原発が建設され、そして2011年3月11日を迎えました。そして、、、「原子力緊急事態宣言」はまだ発令中で解除されていないのです。
最後に岡村さんは「核と人間は共存できないことを認識すべき。歴史から学び、想像する力、権力による嘘を見破ること、そして自分にできることを意識的にやっていくことが大事」と力強く訴えかけました。そして「核兵器禁止条約が発効されれば、ビキニ水爆実験によるマグロ漁船員だけでなく、周辺国、オーストラリアや世界の核実験による被災者の救済の道が開かれます。」と言って会場の人々を励ましました。
翌日、講演を聞いた参加者たちによるワークショップを行いました。小グループに分かれて、気付いたことや感じた内容を共有し、それを行動として起こすためには何をすべきか話し合う時間を持ちました。「市民の意識を高めるために周りに知らせる」、「勉強会のような集まりに参加する」など、各自ができることを考えてみるよい機会となりました。
また、岡村さんの制作した学習資料DVDを使用して伝えようとする方も沢山いました。
文・写真:ピースボート 鄭銀貞(シルビー)
編集:ピースボート 渡辺里香
宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたよ
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
14巻1号 1930(昭和5)年
実験医学雑誌第14巻雑報
1月中職員異動調
月日 異動事項 官職 氏名
1.24 任東京帝国大学教授
助教授 三田村篤志郎
” 叙高等官三等 同
” 補伝染病研究所所員教授 同
1.24 任伝染病研究所助教授 細谷省吾
” 叙高等官六等 同
補伝染病研究所所員助教授 同
” 伝染病研究所ワイル氏病
研究業務嘱託を解く 同
1.30 昭和5年1月29日付願
研究生退学の件許可す 外田麟造
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
4章 中国各地の研究者、支援者から
歴史と戦争責任を正しく認識せよ
辛培林
(中国黒龍江省社会科学院研究員)
2002年8月27日、東京地方裁判所は、1997年から5年間に渡って審理した日本軍731部隊細菌戦中国被害者国家賠償請求訴訟に対して、一審判決を下しました。私は、この訴訟の証人として、判決の不当な結果について強く抗議したいと思います。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
五月一日
五月一日も平凡に終わった満期兵はあと三十日で 懐かしの故郷に帰るんだ うらやましい次第なり。
最もこれから入ってくる人もあるんだから そんなに悲観したものでもないが四月の日記は本当に出鱈目になった。その日その日の事を書いてあるのは半分もない。
何分花の陽気の故 やむを得ないとするか 狂った四月に花の咲く咲き待つ木の不幸な木たちよという自分は決して狂っているわけでもない 唯 何となく分けわからない字を並べてみたかったばかりさ
Ⅳ 人間の威厳について
僕は1963年の夏、原爆病院の前で平和行進を迎える演説をする宮本定男氏を見た時、自分の手帳に、≪花束をかかえてぐったりと肩を落とし、しかし紛れもない満足感と威厳と共に彼は引き下がる≫と書いた。その夏まだ僕は、この小柄な中年男の事を何一つ知りはしなかった。ただ、夏の日盛りの広場に苦し気に立ち蚊の鳴くような声で、第9回世界大会の成功を信じます、と挨拶した患者代表という事だけが、僕の知識だった。それでも、僕には彼が間違いようのない威厳に満ちていることが感じられたのだった。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
終生の重荷
脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相
千田英男(ちだ ひでお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1917年生まれ
1942年 731部隊入隊
教育部付き衛生兵教育
吉村班、植村班、教育部庶務を歴任
■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの
怨みを込めた睨むような目、哀願しているような顔、放心したような虚ろな表情の人。私は背筋に冷や汗が走るような想いだった。
「何番・・・何番・・・何番・・・」
この人達にとっては、地獄からの招きにも似た呼び声と共に、分厚い鉄製の扉が開けられたくぐり戸から、1人また1人と腰をかがめて出てくる、チョコチョコと小幅にしか歩けないほどの短い鉄鎖の音が、廊下にもの悲しく響く。両足にガッシリとはめられた足かせが痛々しい。私にはこの光景が、勝者と敗者の両極に分けた悲劇の標本みたいなものに思えるのであった。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
1 関東軍第100部隊
安達誠太郎自筆供述書(1954年7月27日)
馬疫研究処の研究結果を細菌戦研究に提供した問題に関して。
1934年、関東軍、関東軍獣医部長田崎武八郎の指示により長春に畜産獣医学会が創立された。その目的は、馬疫研究処、馬政局、日本軍部及び「満洲国」軍などに毎年、調査・研究した馬疫の情況と防疫工作の成果を発表させ、討論を行い、学術水準を高めるというものだった。そして毎年2回(4月と10月)、馬疫研究処(馬疫研究処設立以前は馬政局)で畜産獣医学会が開催された。参加者は馬政局、畜産司、関東局、関東軍の諸部隊及び長春、「満洲国」軍の畜産獣医専門委員で、私は毎年幹事の資格で会議を主催した。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
4 欧米列強の毒ガス準備
『帝国及び列国の陸軍』にみる欧米諸国の毒ガス戦備
今回は、日中戦争が持久戦段階に入り、また、ソ連との国境紛争(1938年7月の張鼓峰事件など)も起きた後の1939年度版(同年1月8日刊行)を用いる。
⑥イタリア軍
イタリアでは、「将来に残されたる唯一の戦法は毒瓦斯に在りとの議論熾烈にして、熱心に研究を行って居る」。陸軍大臣の下に化学戦部があり、陸海空3軍の化学戦勤務を統一的に担当し、中央軍用化学研究所で化学戦の研究を行っている。教育機関として化学戦学校・ガス教導隊が同研究所に付属している。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
曽根の印象
だが、現在この訓練場はほとんど使われていない。いつもは彼1人が当直として勤務しているだけで、訓練のある時は小倉の隊本部から人が来るそうだ。彼は当直室の黒板に書いてある訓練の日程表を指しながら説明したが、実際、訓練は何回もなかった。私たちが意外に思ったのはこの部屋の造りや設備の古臭さ、まるで何十年か前のままのようであったことだ。塗料のはげかかった3つ引き出しのある机が1つあるだけで、机には鍵がついており、机の上にはこれも古くて黒い電話が置いてある。壁に貼ってある地図は墨と絵の具で簡単に描かれている。目の前にあるこれらの様子は、何年か前に訪問した事のある、遅れた農村を思い出させた。当直の人はさらに続ける。ここは確かにいつも使っているわけではないが、やはり自衛隊に所属しているので対外的に開放していないし、特に外国人の参観は許されないと念を押した。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
戦争に正義はない
森村誠一
侵略戦争における人間にもあるまじき非道は、軍が面白半分に行ったと言っても差し支えない。つまり、“娯楽の為の非道”なのである。明日に希望のない兵士たちによる荒んだ娯楽である。この非人道を動物的と形容することがあるが、動物には娯楽の為の戦いは決してない。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)
藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制
占領ではじまり安保で強化
1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効にともない、新たな機密保護立法が日程にのぼった。はやくも同年5月6日には、日米行政協定に伴う刑事特別法が成立し、合衆国軍隊の機密は10年以下の懲役という苛酷な刑罰で保護されることになった。これにつづいて治安立法が強力に推進され、同年7月には破壊活動1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効にともない、新たな機密保護立法が日程にのぼった。はやくも同年5月6日には、日米行政協定に伴う刑事特別法が成立し、合衆国軍隊の機密は10年以下の懲役という苛酷な刑罰で保護されることになった。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
もとより、2人の保菌者は隔離して治療しているが、この実験が成功するために集団の中に赤痢患者発生するというのが必須の条件である。(最初の検便によって2人の保菌者を発見したということが、偶然によるものであるということは、全くこの研究計画とは無関係である。)その証拠に、「薬剤服用1か月及び2か月を経て総員の検便を行なったところ、真正剤服用者群及びプラセボ服用者群の双方において、全て陰性であったので、両服用者群の効果比較はできないことになった」と書いていることでもわかる。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅵ
政治支配層は彼らが履行義務を負う憲法の起草者ではなかった。天皇と同様、彼らもまた、とくに非武装国家という概念や政教分離原則を含む憲法の多くの理想に信を置いていなかった。
日本国憲法はまた、日本の国家アイデンティティにおける象徴君主制の位置づけの問題を未解決のまま残した。君主制と民主主義という本質的には相容れない原理は、いかにして両立されることになったのか。日本の国民は、いまや単なる「象徴」ではあるが依然として皇位に留まり、しかも過去の行為についてけっして責任をとらなかったかつての現人神天皇を、どのように見ていたのだろうか。彼らは、何も矛盾がないものと考えることができたのだろうか。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2017年09月20日より各国で批准が行われ、2020年10月24日に発効に必要な50か国に達した。
·2017年9月20日にガイアナ、タイ王国、バチカン市国が批准。
·2018年1月16日にはメキシコが、2018年9月28日までにキューバ、パレスチナ国、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、クック諸島、ガンビア、サモア、サンマリノ、バヌアツを含む合計19か国が、この条約に批准した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!