夏空の灰(ダイジェスト版)
長崎「被爆体験者」原告団全員の勝訴に向け、あなたの署名による応援をお願いします。
「核兵器の悲惨さ非情さを伝えるのは被爆国の役目」NPT派遣の被爆者「9の日」座り込みで訴え
イラン攻撃巡り米大統領に抗議、評価避ける高市首相も批判 新宿で重低音響かせ「NO WAR」
●核実験
全世界が放射能で汚染され、今でも汚染されている!!
放射線を浴びたX年後III サイレントフォールアウト 乳歯が語る
サイレント フォールアウト予告編
サイレント フォールアウト予告編
ビキニデーin高知2024
ビキニデーin高知2024 全体集会
マーシャルの報告(ビキニ被災訴訟原告団長 下本節子さん)
軍事研究としてのフォールアウト研究
ビキニ被ばく船員訴訟について
シンポジウム質疑応答
太平洋核被災支援センターの活動ー調査・研究・被災者支援
「日本政府に核兵器禁止条約への参加・署名・批准を求める意見書」採択
ビキニデーin高知2024閉会行事
ビキニ事件は終わっていない
太平洋核被災支援センタ―ビキニ核被災検証会事務局 山下正寿
1、核実験被災船を追跡する高校生たち
高知県西南部・幡多(はた)郡に、1983年の夏、公立学校9校を結ぶ自主的サークル「幡多高校生ゼミナール」(幡多ゼミ) が結成され、地域の現代史調査に取り組んだ。1985年、高校生たちは、ビキニ事件の社会的背景、水爆実験と放射能など「知りたいから学ぶ」本物の学習を積み重ねて、後輩へと引き継いでいった。
広島・長崎に次ぐビキニの悲劇。私たち「幡多高校生ゼミナール」の調査をビキニ事件の真相解明へと導いてくれたのが、藤井馬さんと息子の節弥さんだった。馬さんは2人の子どもと共に長崎で被爆した。そのうち次男の節弥さんはマグロ船員となり、太平洋の核実験に遭遇した。1960年8月2日、彼は神奈川県久里浜病院を抜け出し入水し、27歳の命を絶った。
高校生たちは、第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉さんの奥さんのすずさんに会うことができた。焼津も第五福竜丸だけが被災船にではなかったのだ。この船だけにスポットが当てられたことが不幸であった。他の被災船員からねたみが起こる原因を作ってしまった。第五福竜丸の船員が語りたがらないのもそのためだ。しかし、彼らには、「被爆者手帳」さえ支給されておらず、久保山愛吉さんは「水爆実験の最初の犠牲者」であった。
すずさんは、愛吉さんの形見でもあるバラを、丹精込めて咲かせ続け、挿し木にして、翌年、焼津の3.1ビキニデーに参加したゼミ顧問に手渡してくれた。
1989年8月、高校生たちは、長崎で開かれた第16回全国高校生平和集会への参加と、二重被ばく者・藤井節弥さんの母校である淵中学校訪問の後、沖縄に渡って、初めての沖縄ビキニ事件調査を開始した。
沖縄のマグロ漁船・銀嶺丸と大鵬丸は、1954年、那覇港でアメリカ軍の放射能検査を受けたが、結果は知らされなかった。銀嶺丸と大鵬丸の乗組員68人が確認され、そのうちの17人が40歳代半ばから50歳代で死亡していた。死因は、ガンが最も多くて11人であった。
また、水爆実験当時、本土では5月中旬から下旬にかけて、記録的に高い放射能雨が検知されたが、沖縄は米民政府下であり、6月8日になってから放射能雨の測定を始めている。当時の沖縄では80%の人が雨水を飲み水とにし、放射能雨を飲んだ疑いもある。
2004年8月、釜山(ぷさん)でのビキニ被災船調査は、韓国では初めての調査であり、新たな発見があった。ビキニ事件で日本のマグロ漁船はマーシャル諸島の危険な海域を避け、ビキニ環境の南に位置しているサモア諸島周辺のマグロ船団から離れたため、マグロの水揚げも減少した。その穴埋めをするかのように、韓国のマグロ漁船がサモアでの操業に乗り出している。韓国漁船のサモアでの操業開始は、1958年。アメリカがビキニ・エニウェトク・ジョンストン環礁で「ハード・タック作戦」(34回)を行った、最も核実験が集中した年だった。
「学び、調査し、表現する」活動は、幡多地域から室戸、東京(第五福竜丸)、焼津、広島、長崎、沖縄、韓国へと「平和の旅」を軸に広がり、歌・紙芝居・合唱構成詩・本・VTR、そしてドキュメンタリー映画「ビキニの海は忘れない」など、社会に向けて溌剌(はつらつ)とした意見表明を続け、2011年に第2回「焼津平和賞」を受賞した。
その後も福島原発事故の被災に向き合い、福島の高校生との交流を続けてきたか 、学校多忙化で一時期、停滞した。
しかし、核兵器禁止条約の国際的な活動に応じて、活動を再開し、再びビキニ事件の調査が始まった。
横山さんは14歳で長崎三菱の工場で被爆、生き地獄と経験し、広島を通って土佐清水に帰った。戦後はビキニで被ばくしたいわば二重被爆者である。
8月には全国高校生平和集会に参加し、ビキニ核被災を報告した後、セミパラチィンスクの留学生と懇談
し、幡多ゼミが高知に招待し交流した。それらのシーンは録画され、学校教材「核被災と核兵器禁止条約」として、DVD 編集(英・韓・露語訳)された。
日本の高校生・青年の選挙投票率の低さは、政治・社会的停滞の原因となるほど、極めて深刻である。日本の青年運動も、管理的・対策的傾向が強く、教育的・主体的支援が課題となっている。「地域から世界とつながる」活動が、青年の革新的成長のためにも希求されている。
2 水爆実験とマグロ漁業―消された船員の被災
1954年当時日本のマグロ漁船数は、専業船とカツオの兼業船を合わせて約1200隻であった。事件当時に政府は、塩釜・東京・三浦三崎・焼津・清水を指定5港とし、大阪・高知・鹿児島などの放射能検査を行い、延べ992隻が汚染マグロを廃棄している。
東京都衛生局の報告には、3月~5月に集中している船体と魚類の両方から放射能が検知された漁船と、魚類に検知された漁船とか記録されている。特にビキニ環礁東側に位置していた漁船が、第五福竜丸と同じように、多量の死の灰を浴びたと思われる。これらの漁船は、第五福竜丸ほどビキニ 接近していなかったため、 核実験に気づかず、その後も20日間前後の操業を続けて帰港している。大気・海水の汚染は実験回数が増すたびに深刻化していくので、体内被ばくの危険性が極めて高い。
3月に被災した第五福竜丸と第十三光栄丸のマグロからは、5000カウント以上の放射能が検知された。この2隻の場合は、死の灰を直接浴びたものの、4月以降は、海水に混じった死の灰がプランクトンや小魚に吸収され、それをマグロが食べたという食物連鎖によるものである。
3000カウント以上の汚染魚が水揚げされたのは、指定5港に多い。12月になっても汚染度が下がらず500カウント以上が指定5港で41.4% 、指定港外でも39.9%もある。東京の場合でも、12月18日に入港した第清寿丸のように、船体から16000 カウント、マグロからは2000 カウントの放射能が検知された船もある。このような船は、12月だけでも5隻に上る。
日本政府は、この間に海洋調査船を派遣した。調査団を乗せた俊鶻丸は、1954年5月15日に東京湾を出港し、25日にウェーク島に到着。28日から51日間にわたって、魚類・プランクトン・海水・大気の調査、気流と海流の測定など本格的な調査を実施した。調査海域は東京からビキニ島周辺とその南方に至る約1700km だった。
ビキニ環礁付近から流れ出した放射能は、深さ100m、幅は数10kmから数百kmくらいのベルト状になって、その大部分は西の方にゆっくりと流れていた。海水は、各海流の密度の違いで簡単には混じり合わないことがわかった。また、プランクトンの汚染がひどく、このプランクトンを食べる小魚やカツオも汚染し、特にその内臓には放射能が濃縮されていた。7月7日、俊鶻丸は東京湾に戻った。
この調査は水爆実験による被災を裏付け、アメリカ側に水産業界の補償要求に応じる責任があることを立証した。しかも、この調査結果は、海の汚染だけでなく、放射能の人体に対する影響にも強い警告を発する内容であった。しかし、被ばく漁船員の健康調査・対策には生かされなかった。
核実験場は日本から離れたマーシャル諸島であり、しかも放射能は見えないという被災事実を立証するには極めて困難な「事件」であった。その上に、マグロ漁業界の縦割り構造があり、「騒ぐほどマグロの値段が下がる」と被災船員自身が「告発」を自主規制してきたという特別な理由も加わっていた。
「3.1 ビキニ 水爆実験―第五福竜丸被災―久保山愛吉さん死亡」という構図は、「第五福竜丸事件」に矮小化する日本政府の情報コントロールによるものである。アメリカは、この水爆実験の影響で、多くのマグロ漁船が被災し、内部被ばくなどの晩発性障害により、水爆実験の犠牲者が引き続き出ていることを最も恐れた。
アメリカの水爆実験は、第五福竜丸被災が世界的に知られた直後も、5月まで計6回行われ、その後も継続され、マーシャル諸島で 延べ67回の大気圏内核実験を行った。事件は検証されず、多くの被実験被災者が棄民化されたままであり、「ビキニ事件はまだ終わっていない」。
3 原爆症調査研究協議会と731部隊
コロナ対策の遅れで問題になっている国立感染症研究所(元国立予防衛生研究所)が1989年に建築されたとき、「第731部隊による生体実験の犠牲者ではないか」と思われる多数の人骨が発見された。
1954年3月16日のビキニ事件発覚で慌てた日本政府は原爆症調査研究協議会に対応させることにした。原爆症調査研究協議会は、前年の11月にアメリカの原爆調査に協力するため設置された厚生省所管組織で、広島・長崎にあるアメリカの原爆傷害調査委員会(ABCC)の支所に置かれ、事務局は国立予防衛生研究所(予研)が担った。予研は、1947年5月、ABCCの要請に応えて日本政府が設立したもので、初代所長に小林六造氏(戦前=慶大教授・陸軍軍医学校防疫研究室嘱託)、副所長に小島三郎氏(戦前=南京栄1644部隊)ら元 731部隊関係者が就いている。
1954年3月24日午前11時半から、外務省で日米双方の最高医学陣に外務、厚生省などが参加した会議が開かれた。会議では、ビキニ被災者の治療問題について日米双方の医療対策が協議された。この会議は非公開で、米国側からABCC所長のモートン博士のほか、アイゼンバット博士(米原子力委員会保健部長)、米極東軍陸軍大佐、海軍大佐も参加し、日本の厚生省からは小林六造氏(予研所長)、小島三郎氏(予研副所長)らが参加している。
会議終了後、外務省が会議の模様を発表し、患者の治療に関して、今後は「原爆症調査研究協議会」(委員長=小林六造氏)のメンバーを中心として研究を続けることを表明した。そして翌日の3月25日に開催した原爆症調査研究協議会について、米国との今後の関係について「米国側との学習的接触を今後 如何にするかについて、原爆症調査研究協議会に関する業務には、同協議会委員長を通じて行うものとし、個々に接触することは避けることとした」と記録されている(昭和28年度国立予防衛生研究所『年報』)。
この記録は、ビキニ事件でアメリカと接触する窓口として、ABCCの要請で設立した予研所長を意図的に位置づけていたことを証明している。
原爆症調査研究協議会の小林六造委員長に対して、アメリカの原子力委員会ニューヨーク事業管理事務所 衛生安全研究所長アイゼンバッド氏が、調査協力を直接要請していたことも明らかになっている。
「日本での福竜丸調査に関して私の帰国前の予備報告」の中で、1954年4月6日付で小林博士に第五福竜丸乗組員について「たった2名の患者の尿だけしか提供してもらえず、分析のため米国に輸送するのに間に合わなかった。ごく最近になって、追加の5名のサンプルが東大病院から送られてきたが、第一病院入院中の16名の患者のサンプルはまだ受け取っていない」と高圧的に資料を要請した内容が記録されている。
事件の直後から日本漁船の被災状況(人・魚・船)は、日本の外務省からアメリカ大使館を通じて、アメリカ国務省に渡されていたことを裏付けるものである。
アメリカの核戦略を支持し、ビキニ水爆実験の機密保持に協力する日本政府は、広島・長崎の原爆被爆者調査に全面的に協力した元731部隊関係者を利用した。日本のマグロ漁船乗組員の内部被ばくを否定するために厚生省の記録から船員の被災記録を削除し、健康管理や治療、対策はしなかった。
宮川正 (731部隊レントゲン班。放射線の致死量の研究で人体実験)は1954年10月15日、「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」環境衛生部会委員に任命される。宮川は、1956年3月16日、衆議院外務委員会に参考人として参加し、第五福竜丸以外の日本人の被災について、「これと言って目立った放射線障害というものはおそらく無かっただろうと思います」と推論を展開している。
その1週間後の3月23日に、急性骨髄性白血病で苦しんでいた第8順光丸の乗組員・高木和一さんは死亡した。高木さんの遺族は、入院していた日本医科大学病院から執拗な解剖依頼を受けていた。当時の日本医科大学の塩田広重学長は、宮川正氏が所属していた「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」の総括部会長であった。
塩田広重・・・都築は、塩田の後継者だった。都築正男:東京大学口腔外科教室教授、塩田外科の後継者
4 機密文書―マグロ検査の中止
第五福竜丸の時はマグロの表面だけが放射能に侵されていたが、4月には内臓とエラ、8月になると肉や骨からも放射能が検知されるようになった。時間が経つにつれ、食物連鎖の影響が深刻に現れてきたのだ。汚染マグロの実態は、政府調査船「俊コツ丸 」の調査でも証明された。つまり、核実験の4、5カ月後、半減期の短いものは消え、半減期の長い放射性物質が魚類の体内に残ったということである。実際、国立衛生研究所は8月、「ストロンチウム、セシウムが放射能の主力となり、危険が増大している」と述べていた。太平洋での核実験が回を重ねるごとに、半減期の長い放射性物質は海に蓄積されていった。
こうした状況の中で、原子力発電の導入のための日米協力体制のもとに、「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」が1954年11月15日~19日に開催された(この間の日米関係の背景については、高橋博子著『封印されたヒロシマ・ナガサキ』より引用)。
第1日目の共同発表でワルター・クラウスは、「ある基準に従って操作される検出器によって、魚から10cm 離れたところからガンマ計数管で毎分500カウント以下の放射能がある場合は、食料として十分安全である」という声明を出した。
これによって、日本政府は1954年12月31日をもってマグロの調査と廃棄処分を取りやめたのである。その表向きの理由として、放射能が多いのは内臓であり、食用の肉質の部分は安全だとし、放射能の中心が亜鉛で毒性が低いことを挙げた。
1955年1月5日、マグロ調査協会(Tuna Reseach Foundation)東京支部のウィリアム・ノヴィルは米原子力委員会生物医学部のウィリアム・R・ボス宛に次のような書簡を送った。
「親愛なる ボブ 12月17日付けの手紙と同封書類をありがとうございます。放射線に関する最初の国際会議 (「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」11月15日~19日開催)は明らかに政府(厚生省)に、漁獲マグロの放射線の被ばく検査を中止するよう影響を与えました。12月28日、内閣は厚生省のマグロ検査中止の勧告を承認しました。マグロ検査中止は1955年1月1日に実行されます。このことを実現するために寄与したあなたとあなたの仲間に、お祝いの言葉をお贈りします。」
「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」で、ボス博士は水産生物の汚染と米国における研究成果について報告したか、同書簡には、ボス博士たちの原子力委員会の科学者がマグロ検査中止を「実現するために寄与した」と、科学者たちの報告が厚生省のマグロ調査打ち切りに積極的な役割を果たしたことに対する祝いの言葉が述べられていた。
したがって、マグロ調査の打ち切りは、日本政府独自の判断ではなく、米原子力委員会の見解を反映した会議の影響を受けたことにことは明らかである。調査の打ち切りによって、日本人科学者の間では批判が強かったにもかかわらず、被ばくしたマグロは再び市場に出回った。1954年も通じて日本人の間で広がった「マグロ・パニック」は収拾したが、その代わり、被ばくマグロが消費されることによって再び潜在的被ばく者が生み出されていったのである。
被災船検査中止で安心したマグロ漁船員は、核実験期間中であっても、ビキニ・エニウェトク環礁近くの危険区域に進入して操業をし始めた。無論、汚染マグロは日本の港に水揚げされたが、船体・魚類の放射能検査はもうない。ガイガーカウンターを向けられることのなくなった汚染マグロは、市場に出ることになった。もっと深刻なのは、海水風呂に入り、雨水を使い、マグロの内臓を食べるマグロを漁船員たちである。厚生省(当時)がとった検査中止措置がいかに政治的責任を問われるものであったかは、漁船員の体を通して少しずつ証明されていくことになった。
1954年12月に入って吉田内閣が倒れ、鳩山内閣となり、「事件処理」が加速され、約1か月で政治決着した。被ばくマグロ検査中止は、そのためのステップであった。
12月4日付の下田条約局長の記録にも、「米側としては自由諸国全体の安全のために行っているテストのために不幸にして万一将来再び類似のケースが発生した場合、今回の補償支払いが法律的先例となってはたまらないから、この点は是非に文中に明記し置くことが必要である」と記している。つまりアメリカ側は第五福竜丸 以外の被災は今後補償の対象としない立場を強調しており、必然的にその他の被災船を認めようとしない政府の姿勢を作り出すことになった。
5 「幕引き」―日米の政治決着のねらい
ビキニ事件があった1954年12月、吉田内閣が倒れ、鳩山内閣が誕生した。鳩山一郎首相、重光葵外相、岸信介日本民主党幹事長、いずれも「戦犯容疑者」が政権を握った。その直後からわずか1ヶ月余の間に、「日米科学者会議」「マグロ検査の打ち切り」「日米交換文書」と政治決着による幕引きが強引に進められた。
この背景について、2017年2月6日に配信された「yahooニュース」より引用(抜粋)する。
明治学院大学国際平和研究所の高橋博子研究員は、「日米交渉の裏側を解明する機密文書(当時の駐日米大使が送った電報)開示請求で機密が解除され、『SECRET』に線が引かれた。文書によると、6項目の最初が『ビキニ補償問題の解決』で、最後が『大規模な戦犯の解放と仮出所』だった。特に戦犯釈放については『日本人に好意的な態度を取らせることにつながる』などと述べたという。
同じ席で「放射能まぐろ」の補償金に関する交渉も行われた。会談の日は「第五福竜丸」の被ばくから約10ヶ月後だった。世は冷戦時代。米国は、拡大する反核運動が「反米」になることを警戒。各地で水揚げされた放射能マグロへの補償金を一括で支払い、ビキニの早い解決を望んでいたという。機密文書を分析した高橋氏は、「ビキニの早期解決と戦犯釈放がセットになったのではないか」と疑っている。「直接の交換条件とは言い切れないけれど、外交交渉では常に複数の項目をテーブルに載せます。何かを差し出す代わりに別の案件で良い条件を引き出す。日本政府は、ビキニ問題の早期決着に応じることが(当時はまだ巣鴨プリズンに収容されていた)戦犯への追及を解除させ、釈放させることに有効だと考えたのではないでしょうか。」
重光葵の日記にもこの会談の記録があり、「発足は良好」と記されている。実際、会談の翌日には、日本政府がマグロ検査の年内打ち切りを決め、1週間後には日米政府交換文書を交わし、巣鴨プリズンにいた戦犯は1958年までに全員が釈放された。1955年1月4日、日米両政府は次のような交換文書(要点)を交わしている。
アメリカ合衆国特命全権大使 ジョンソン・M・アリソン閣下宛 重光外務大臣発
ビキニ被災事件の補償に関する件(略)
本使は、アメリカ合衆国政府が、マーシャル群島における1954年の原子核実験の結果生じた傷害又は損害に対する補償のため、200万ドルの金額を、法律上の責任の問題と関係なく、慰謝料として、日本政府に対して提供することを閣下に通報します。(略)
アメリカ合衆国政府は、日本国政府が、前記の200万ドルの金額を受諾する時は、日本国並びにその国民及び法人が前記の原子核実験から生じた身体又は財産上のすべての傷害、損失又は損害についてアメリカ合衆国又はその機関、国民若しくは法人に対して有するすべての請求に対する完全な解決として、受託するものと了承します。
昭和30年1月4日 外務大臣 重光葵
交換文書では「慰謝料」と翻訳されているが、米議会承認が必要でない米FAO(対外工作局)の秘密資金であった。アメリカの責任を問わず、ビキニ事件を第五福竜丸事件として、沈静化するための「対日工作資金」であった。
鳩山内閣は1月12日、「ビキニ被災問題妥結は、日本政府による日本の反米感情を一掃するための具体策 だ」と、ダレス国務長官に書簡を送っている。直接の被災者であるマグロ漁船員は、第五福竜丸乗組員以外は救済の対象から外され、日本政府は核実験加害国アメリカへの損害賠償請求権を被災船員の了承も得ず勝手に放棄してしまった。
操業の自由がある公海での一方的な核実験は、国際法違反に問われ、かつ核実験の危険性は日本政府から各漁船に周知されず、5月中旬まで6回の核実験中にマーシャル諸島海域で操業が続けられ、98隻の放射能船体汚染が記録されている。3月~12月までの10ヶ月間に、海水汚染は太平洋全域に広がり、食物連鎖で汚染マグロが検出された漁船は、延べ992隻(実数約550隻)、約1万人を超える被災船員が、棄民化された。
アメリカ政府に対し「全ての請求に対する完全な解決」の約束を守るために、被災船員の追跡調査はされず、今も拒否されている。1954年の6回の核実験だけでも広島原爆の3320倍、広島原爆が8年9ヶ月半、毎日爆発し続けた核威力であった。第五福竜丸は被災線全体の頂点に位置し、久保山愛吉さんは最初の犠牲者であった。この大量の被ばく者を放置し続ける日本政府を被爆国日本の国民は許してはならない。
6 アメリカの「慰謝料」は「対日工作資金」から
第五福竜丸が、異常な状態で焼津港に入港したのは1954年3月14日であり、3月16日に「読売新聞」がスクープした。当初、アメリカのジョン・バストア議員は、3月23日に「報告は誇張だ」といい、原子力委員会コール委員長は、第五福竜丸は「漁業以外で実験区域に入ってきていたことも考えられる」とスパイの容疑さえかけている。
アメリカから調査チームが日本に来て、調査の中で事の重大さを感じてくる。4月9日には、アリソン駐日大使は「米国政府は被災者ととその家族に対して補償」すると発言している。この時点ではアメリカ自身が、その法的な責任を認識し、補償すると言っている。
この事件は日本の外務省アジア局が担当していたが、アジア局の見解を批判して、4月15日に外務省欧米局から「万が一日本側から訴訟を起こされることにでもなれば、日米関係がこじれないとも限らないとの懸念の下、米政府が保証金を支払い、日本政府が分担する方式が進言された」(坂元一哉氏論文―米国務省電文引用)。これを受けて、6月17日にアリソン大使は、アメリカの原子力委員会で「法的訴訟手続きによらない形で、できる限り早急に解決すべきだ。我々は、将来前例とならないような、一括払いでの慰謝料(エクス・グラティア)による解決を提供すべきである」と発言している。
1955年1月4日には、アメリカは、議会で報告・審議の必要のない「対日工作資金」から200万ドルの「見舞金」での完全解決を提示し、日本はそれを了承した。
アメリカは「見舞金」を示して、法的な責任を逃れようとしているが、国際的な法解釈からすると「無過失責任」論が適応されることである。そもそも違法性のある水爆実験を公海で実施し、損害(被害)が生じており、その違法性は明らかである。
日本は損害賠償請求権があることを認識していた
1991年10月に日米外交文書の一部が開示された。昭和29年3月17日、アジア局長は「2.損害補償請求権について 請求権の有無―①船が危険区域外にあった場合、米国の不法行為(過失に基づく)に対して請求できる、②危険区域内にあった場合、(イ)米側が、実効的な警告処置をとっていなかった場合には、同様請求できる・・・請求権行使の方法―①論理的には、政府が介入せずとも、被害者が米側に訴を提起すれば良い、②外交的抗議を行い、損害補償を要求する」と書かれている。
また、11月10日参議院水産委員会での加藤一郎氏は―ビキニ事件をめぐって、アメリカ側が出している200万ドルは、「賠償金」か「見舞金」かということは、「法的な責任」があるのかないのかという大きな違いがある。故意過失で、法的な責任がある場合は、賠償額は法的な損害賠償の範囲となる。故意過失はない場合は見舞金など「好意」のレベルになり、金額は、当事者が適当に縮めることが出来る―と証言している(水産委員会議事録)。
結果的に、日本政府は米政府への損害補償請求権を放棄するという「政治決着」をしたために、30億円を超える漁業損害の1/3以下の見舞金に止まり、交渉は 打ち切られ、被災船員の救済は除外され、以降の責任は問わない「完全解決」とされた。
「見舞金」は、ビキニ事件鎮静化のために使われた
アメリカは「見舞金」という位置づけであるが、1つはその「見舞金」を国の責任で配分せずに日本鰹鮪(かつおまぐろ)漁業協同組合連合会に丸投げしているという点である。2つは、第五福竜丸 に対しては船員の医療も対象にしているのにも関わらず、第五福竜丸以外の船に対しては、魚を廃棄した漁獲損失補償としていることである。3つは、船員1人ひとりに対する金額は船主任せで、もらった覚えのない船員が多く、もらっても1000円から1万円というものである(50日の操業で給与5~6万円)。神奈川県の組合加入船員を除き、中小マグロ船の給与は「大仲制」と言われ、水揚げに対して配分されるものであり、マグロが廃棄され、値下がりして給与補償がないという状況である。
さらに「見舞金」の目的外利用の疑いが組合から指摘された。補償金獲得運動の経費、連合会の役員に対する賞与、月1万円ほどの契約に4~500万円の弁護士費用支出(領収書なしの関係機関への謝礼品含む)。そして、国会でも論議され、証人喚問もあり、「関係官庁さらに民間関係者(学者、団体、報道関係者など)に盆暮れの品も届けていた」ことがほぼ確認された(国会議事録/衆議院予算委員会・議員運営委員会、1956年6月1~3日)。
政治決着に対して日本政府に損失補償などを求めることはもちろん、アメリカに対しても水爆実験による環境や人命への加害責任を追及すべきである。「ビキニ事件」を核実験被災事件として、核兵器禁止条約第6条の適用を求め、世界の核実験被害者の救済を核実験国に迫るべきである。
7 ビキニ被災船資料の開示
60年ぶりの「ビキニ核実験被災船」公文書開示
2013年、NHKドキュメンタリー作成中、アメリカ国務省公文書館で「ビキニ被災船記録」を発見。日本の外務省からアメリカ大使館経由で送られているため、NHKから外務省に情報開示請求をした。11月、外務省より海上保安庁・厚生省のビキニ被災船資料が開示された。
検査結果の記載は、19隻分(魚14隻、船体13隻、人4隻)―初めて人の被災記録が判明する。船体の基準値(5000 カウント)を超えた船が5隻(図南丸、第2幸成丸、第五明賀丸、第七明神丸、第十一高知丸)あった。
事件から60年を経過しているにもかかわらず、「情報公開文書」中「黒塗り」の非公開部分がある。被災船員の健康診断についての医師の見解とみられる個所や血・尿検査記録を非公開にすることは、被災の人体への影響を分析し、本人の損害賠償権にも関わる人権上の問題である。
厚労省の情報開示にも隠蔽・矮小化の姿勢
2014年7月に厚労省に開示要請を行い、漸く9月に開示された。しかし、調査に当たった課長補佐が直前に異動し、新たな課長補佐が対応する異例の状態となった。厚労省が公文書の存在を認めて開示したこと自体には意義があり、文書ファイル15冊分には、「第五福竜丸船員の臨床結果、漁船の検査実施通知・検査結果報告」など貴重な文書が含まれていた。しかし、先に外務省から入手した文書中に黒塗りにしていた被災船員の血液検査や医師の所見については、被災船の文書そのものをが外されていた。
厚労省の黒塗り部分の資料開示については、紙智子議員が、厚労省課長補佐などをヒアリングで追及した。また、福島みずほ議員は、厚労委員会で、外務省の開示資料(黒塗り)を示し、「それは60年前に公開すべきだと思いますが、これを今更、60年たってまだ隠すというのはあり得ないので、情報公開して出してください」と追及した。
その後、福島・紙議員に、黒塗りの部分を含む公文書が追加文書として届けられた。追加文書には4月2日から23日まで3回に及ぶ 第13光栄丸乗組員の血液検査データが13 ページにわたって記載されていた。この中に、原告船員・谷脇寿和さんと松下長次さんの検査記録があった。そして、2人が自分の検査記録を開示請求して、事件から60年以上経って初めて自分の検査記録を見ることができた。
第13光栄丸は、事件当時第5福竜丸に次ぐ被災船として注目されて検査を受けた数少ないまぐろ船である。 当然船員には赤血球・白血球異常が顕著に見られており、医師から船員1人1人にデータ結果を伝え、入院や健康管理のための注意が与えられるべきだが、放置された。谷脇寿和さんは、血液検査データを分析した聞間医師から「あなたは、造血機能障害とみなされるデータだが、当時しんどくなかったですか」と問われ、谷脇さんは「そういえば座っておれないくらいしんどくてやっぱり寝ていました」と答えている。
谷脇寿和さん・松下長次さんは若くして肝機能障害で苦しみ、谷脇さんは、肝臓がん、胃がんの手術をした。本来、事件当時に知らせるべき検査結果を60年後に開示請求されても黒塗りにして見えなくし、国会議員に追及されて初めて開示したが、被災者を棄民化する行為である。
農水省の資料はほとんど非公開のまま
農水委員会(2016年10月16日)で紙智子議員から質問され、西川農水大臣は「当時多くの漁業者に迷惑をかけたと、これは誠に遺憾であると、こう考えております」と答弁した上で「(ビキニ事件に関する資料は)水産庁が再度調査することを約束する」と答弁した。
その後開示請求したら、重要な文献の多くは、移転時に行方不明になったというあり得ない理由で不開示となった。農水省から提出された資料には、1954年当時のものはほとんどなく、クリスマス島核実験時のもので、しかも船名まで黒塗りで何もわからない資料であった。大臣答弁から開示までに大きな圧力がかけられた結果と判断し、農水省への正式な公文書開示請求を開始した。中央水産研究所のリストにあるビキニ事件の以下の重要な文献が、目録にはあるが現物がないという考えられない報告であった。
10 指定港における水揚げ魚類放射能検知成績
11 近海マグロ漁場の放射能汚染に関する調査(案)
12 ビキニ水爆実験の漁業等に及ぼす影響に関する調査要綱(俊鶻丸)
13 ビキニ海域水爆影響調査現況経過
中央水産研究所に現物がないのであれば、まず文書を探して欲しいと水産庁に公開請求すると、「探したが見つからない」という不開示の通知を受けた。総務省・情報公開・個人情報保護審査会に異議申し立てをしたら、見つからない理由の説明もなく時効だと答申し、探せば他の研究機関にあるのに探そうともしなかった。
60年以上の資料を今の官僚の手で黒塗りし、隠そうとすることは、国際的にも通用しない。漁業被災者を守るべき水産庁、公文書管理の総務省の姿勢が問われている。
8 ビキニ事件と科学的知見
「科学的知見」とは何か
「黒い雨」広島地裁判決に控訴した政府の言う「科学的知見」とは何か、ビキニ事件の裁判を通じて明らかになりました。
核実験国アメリカのデータを使い、しかも6回の核実験なのに最初の1回だけ分析し、800万円の予算をつぎ込み作成した「厚生労働省(厚労省)研究班」報告書は、厚労省自身が使い物にならないことを認めました。
ほぼ同じメンバーの船員保険「有識者会議」は、6回の実験データでやり直し、またも同じアメリカ関係資料を使って、被災漁船被ばく線量を低く出しましたが、同じ計算ですると第5福竜丸はほとんど被ばくしていない結果となりました。こうした「科学的知見」は、裁判でも政府側は1人の証人も出せず、論破されてきています。
聞間元医師の報告
ビキニ労災訴訟を支援する会共同代表聞間元医師は、コロナ対策で中止となった3.1ビキニで集会への報告文書で、次のように述べています。
昨年の9月30日、1954年の水爆実験で汚染されたビキニ海域でマグロ漁に従事し、その後がんなどの病気にかかった高知と宮城の元マグロ漁船員とその遺族11名の船員労災保険の申請を社会保険審査委員会が却下しました。
これら元船員が船員労災保険を申請したのは、当時のビキニ海域での被ばくがマグロ漁の最中に生じた被ばくであったこと、つまり業務中の被ばくであるということ、そしてその後元漁船員の身の上に起こった健康上の異変、がんにかかったり心臓病にかかったりしたことが放射線被ばくの影響を受けていたのではないかという科学的根拠があったからです。
私はこれまで原爆被爆者の原爆症認定訴訟を支援する医師団の一員として長年関わってきました。またこの間に第5福竜丸元乗組員の肝臓病の労災保険申請にも関わってきました。この問題では、社会保険審査会で労災支給を認めるという、逆転勝利採決を得ています。
また、こうした活動の縁で旧ソ連の核実験場であったカザフスタンや、ビキニ環礁のあるマーシャル諸島の住民の健康調査にも参加させていただきました。そこで核実験後の被ばくによる住民の健康被害や生活被害の状況を知ることができました。
こうした経験から、元漁船員がかかった病気がビキニ水爆実験からの放射線被ばくによって影響を受けていたという科学的な根拠があると考え、労災申請に全面的に協力してきました。
今回元漁船員の労災申請が却下された理由は、その裏には船員保険の所轄官庁である厚労省の意向があると思われるのですが、ビキニで業務上の被ばくをしたという事実を認めながら、元漁船員の受けた被ばくは数ミリシーベルトというわずかな線量なので健康上の傷害をもたらすことはない、ということに尽きます。
そしてその被ばく線量の推定根拠となったのは、当時の水爆実験の当事者である米国原子力委員会の調査報告です。
この調査は、当時の米軍が実験直後のビキニの周辺海域を調査して推定したというものではなく、ビキニ核実験の放射能調査のために事前に設置していた北太平洋の中のわずか10カ所の島々のモニタリングポストに置かれたガムテープに、大気から降下し吸着した放射能を測定したというものです。なんとその報告書自体が、この測定はガムテープが激しいスコールを浴びていて過小評価になっている欠陥があると書いているほどなのです。
漁船員には空からの雨や降下物による被ばくがあったのはもちろんですが、汚染された海水のしぶきや漁獲されたマグロ類による船内被ばくも大きく関与していますが、このことは全く無視されています。何よりも核実験後の放射能雲が帯状に流れ、ホットスポットを作って船上を通過する可能性もあり、第五福竜丸はその典型例です。マーシャル諸島の島の土壌調査でもホットスポットがあることが確認されています。
私たちは広島大学の専門家グループの協力を得て、元船員に協力していただいて染色体や抜けた歯の放射線量の測定を行い、染色体では平均90ミリシーベルト、歯では何と300ミリシーベルト前後の被ばく線量があることが証明されました。
9 ビキニ事件国家賠償
被災船員・遺族の証言
2016年5月9日、高知地方裁判所(地裁)へ原告45人が提訴した。7月1日、高知地裁で開かれた国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論で、私は、陳述で「新生丸は吉村義見さんは、脳腫瘍により45歳で死亡、松村正義さんは喉頭がんで家の窓から大量の血を吐き、61歳で死亡。吉村勲さんは 肝臓がんで 58歳で死亡・・・。」元船員ら13人の名前と死因を読み上げた。口頭審理での証人尋問の一部を要約して紹介したい。
〇桑野浩さん―第2港幸成丸に乗船し、3月27日、第2回の核実験に遭遇、連日黒い雪が降り、朝起きたらデッキに1cm も積もっていた。事件後に貨物船に転船したが、医者から白血球の数値が高いと言われたり、大量の鼻血が出たり、激しいめまいがしたりするため、55歳で退職した。その後、内臓疾患で長期入院をしたあげく、胃がんで大手術を受けた。広島大学の、血液検査では100ミリシーベルト、歯の検査では600ミリシーベルトの高い数値で、被ばくしているとの報告を受けた。同乗仲間の消息を調べたところ、寺尾君は、大腸がんで2人の子どもと妻を残して42歳で死亡。田中君は、病気知らずで元気な体でしたが、骨髄炎となり、入院して1ヶ月後に52歳で死亡。崎山船長は、心臓発作で63歳で死亡するなど、現在生存しているのは同僚26人中わずか4人となった。私はこれらの同僚やその家族の無念を晴らすためにも、この訴訟の原告となった。
〇下本節子さん―父親が室戸の第7大丸で無無線士として働いていた時ビキニで被ばく、父は14年前胆管癌で78歳で死亡した。船長はハワイに連れて行かれて検査され、「誰にも言うな」と口止めされた。船員は、全員下痢で自覚もなく垂れ流し状態だった。父が生きている時に話を聞いておきたかったと後悔した。第7大丸で父と一緒に働いていた南さんは、被ばくして13年後46歳の時、癌で亡くなったが、息子さんもビキニのことは全く知らなかった。
〇増本和馬さん―ひめ丸でビキニ環礁の西方に出漁し、水爆実験での危険区域は全く知らず、無防備のまま 操業した。帰港したところ、白衣姿の人たちが現れ、手持ちのガイガーによるマグロの検査で、ガーガー という音と共に、計量器の針が振れていた。しかし、その計った数値は全く知らされなかった。その後の体調は40歳頃から健診で白血球が多いと言われ、45歳頃から 呼吸困難となり、診察の結果慢性気管支炎と言われ、度々下船を考えるようなしんどさが現れた。平成12年に前立腺がん、平成19年には狭心症で入院するなど、現在も通院治療中である。
今回、ビキニ被災資料が開示され、詳しく事情を聞くと、私たちは国民扱いされていない、見殺しにされたのだと知り、強い怒りを覚えている。同乗船員の消息を調べたら、道脇登さんは、平成5年に首のリンパ腺が腫れ、検査入院し、白血病と診断され、必死の治療に努めたが、10ヶ月後に死亡した。久保秀昭さんは平成12年頃大腸ポリープができ、癌となり手術し、現在は人工肛門造設となっている。
増本さんは、高松高裁の結審まで全ての法廷に参加したが、判決の1週間前に、胆管癌で死亡した。裁判開始から、原告のうち5人の船員と1人の遺族が死亡した。
示された被災者員救済の必要
ビキニ事件を意図的に隠し続けてきた「国の継続的不法行為」を糺(ただ)し、核実験による被災漁船員の救済の道を拓くことを目的にして、訴訟を起こした。訴訟では、証拠書類、証言、傍聴ともに被告の政府側を圧倒した。国が60年余闇に葬り続けてきたビキニ事件の真相について、初めて司法の場で明らかにしたことは、歴史的な成果であった。
7月20日の高知地裁の判決は、20年の除斥期間を経過し、損害賠償請求権は消滅しているとして、原告の請求を棄却する不当判決であった。しかし、裁判長は判決文の最後で、
「個々の漁船員が被ばくしたこと、被曝と健康状態の悪化との因果関係を立証することが困難を伴うことが否定できない。そうすると、長年にわたって顧みられることが少なかった漁船員の救済の必要性について改めて検討されるべきであるとも考えられる」
「広島と長崎の原爆被爆者に適用されている被爆者援護法 から国賠法に基づく損害賠償請求によって司法的救済を図ることは困難であり、立法府及び行政府の一層の検討に期待するほかない」と、漁船員が被災したことを認めた上で、政府に被災漁船員への救済の道を求めた。
高松高裁判決でも救済の必要性について立法府と行政府に検討を求めたことは、全国に存命する被災漁船員の救済に道を拓く可能性を示した。
10 新たな「ビキニ労災訴訟」提訴へ
私たちは、ビギニ国賠訴訟判決内容を踏まえ、原処分を行った全国健康保険部に対して処分取り消しを求める行政訴訟(「ビキニ労災訴訟」)を起こすこととしました。
この新たな訴訟は、船員保険法の適用で元船員の医療保障と健康の回復、名誉回復を求めるものです。
同時に、日米政治決着により元船員の損害賠償請求権を行使できなくなったことに対し、憲法29条3項に基づき国に損失補償を求め高知地方裁判所(地裁)に提訴しました。
ビキニ労災訴訟の第1回 公判(口頭弁論)が、7月31日に高知地裁で行われました。7月29日には広島地裁で国の定めた援護区域外で、しかし「黒い雨」を浴びた原告84人を被爆者と認める判決を出たこともあり、この裁判にも期待がかかり、多くの報道陣も詰めかけていました。
今回は、第1回の口頭弁論ということでもあり、原告側からは2人の遺族増本美保さんと下本節子さんが意見陳述を行いました。増本美保さんの意見陳述を紹介します。
私は、ビキニ国賠訴訟で、原告として闘ってまいりました増本和馬の妻です。主人は、1954年、「ひめ丸」というマグロ漁船に機関士見習いとして乗船した時にビキニ沖で被災しました。当時、主人は17歳で、初めての航海だったと聞いています。主人はもともと被災をしたことを公にはしていませんでしたが、高知新聞の「ビキニ被災国賠訴訟」を提訴することになったという記事を見て、自分も被災していることを名乗り出ることにしたようです。
そして、支援者の方の協力を得て、「ひめ丸」の船員だった方たちから聞き取り調査を行いました。聞き取りをする中で、主人は、自分を可愛がってくれて、大変お世話になっていた人が、白血病や癌になっていたこと、苦しい闘病生活の末に亡くなった人もいたことを初めて知りました。当時、主人もたくさんの病気を抱えていましたが、他の方は高齢で自分よりも体調が悪い方ばかりであり、自分が動かなければならないと感じたようです。「ひめ丸」のみんなのために、船員を代表して、その無念な思いや、国からどのような扱いを受けたのかを訴え、国の責任を認めさせて相応の対応をさせなければならないと強く決意しておりました。
しかし、主人は、昨年12月5日、肝門部胆管癌のため、志半ばにして死亡いたしました。ビキニ被災国賠訴訟の控訴審判決のちょうど1週間前のことでした。亡くなる1週間ぐらい前までは「判決の日には車椅子に乗ってでも、この目で見届ける」と言っていました。亡くなる直前まで意識ははっきりしており、「お前が代わりに見届けてくれ」と言ったのが最後でした。
主人は、被災した後からたくさんの病気と闘ってきました。被災した当時は、体が非常にだるく、仕事を辞めたいと思った時期があったそうです。30代の頃からは、原因不明の肝臓肥大が続き、医者が首をかしげていました。白血球も異常に増加しておりましたし、前立腺がんもありました。2007年からは、狭心症のため入退院の繰り返しでした。そして、令和元年8月には、肝門部胆管癌と告知を受けました。
私は、18歳の時から看護師として 医療現場に従事してきました。病気に対しては、昔も今も、早期発見、早期治療につきます。そして、そのためには、病気の原因・誘因をきちんと知ることが重要となります。しかし、主人の記録を見ると、船員に対し、1年に1回義務付けられている健康診断の内容は、当初は「身体測定、視力検査、聴力検査、ツベルクリン反応、胸部レントゲン」のみでした。平成8年の船員手帳から、やっと血液検査が加わりました。主人も、被災当時、第五福竜丸の乗組員のように健康チェックを受け、その後もきちんと追跡調査をしていてくれればこのような訴えを起こさなくても、被災による疾病と認定されたのではなかったのかと思っています。
私や、私の家族が主人の被災を知ったのは、主人が国賠訴訟の新聞記事を見て、自分も名乗り出ることを決めてからでした。父親であり、祖父である主人が被災していることを知って、子どもや孫たちも自分や自分の子どもたちへ 影響が気がかりになりだしています。
私の長男は、2018年3月に「基底細胞癌」の診断を受け、孫の1人は2013年5月に脳腫瘍を患いました。いずれも治療し、経過良好となっておりますが、放射能による影響は、どのような形で現れるのか分かりません。恐ろしいものなのです。私の孫は、今20代ですが、子どもに放射能の影響が出るのではないかととても心配しています。
私は、主人が「ひめ丸」の被害を調査し、国賠訴訟を闘うのを隣でずっと支えてきました。ビキニ 水爆実験の被害者である主人の無念は我がことのように感じています。志半ばで亡くなり、さぞかし悔しかったことと思います。私は、主人の意思を引き継ぎ、この訴訟を闘っていきたいと思います。
被告の全国健康保険部は、審理を東京地裁に移送するよう申し立てており、高知の8名の弁護団が反論し、「支援する会」は高知地裁で審理を行えるよう全国的な署名を呼びかけています。
11 核兵器禁止条約と核実験被害者救済
1954年のマーシャル諸島のビキニ環礁で米国は行った水爆実験で、約1万人の被災船員がいると推定されます。被災船員の方々は入退院を繰り返し、若くして癌などで病死しています。放射線被曝は、長期にわたる健康被害を人体に与え、広島・長崎の原爆被害追跡調査のような公的な対応が求められます。
日本政府は1955年1月、アメリカに「損害賠償」を求めず「見舞金」として200万ドルを受け取り、これで最終解決する政治決着をしました。アメリカが公海で一方的に行った核実験は国際法違反であり、マグロ漁をしていた日本漁船に責任はありません。
アメリカはその後も大気圏核実験を繰り返し、太平洋で105回もの核実験を実施しました。アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、中国などの核保有国の大気圏核実験は合計488回に及び、地球の放射能汚染、放出される放射線の影響は地球全体に広がりました。
「部分的核実験停止条約」により1963年8月、主な大気圏内核実験は中止されましたが、しかし、核実験を行った核保有国は、いずれも被害の実相を明らかにせず、その後も地下核実験を続け、1998年までに合計2000回以上の核実験を行いました。核実験実施国は、これまで核実験場周辺の住民やマグロ漁船などの被ばく者の救済に背を向けてきました。
「核兵器禁止条約」は2017年7月7日、国連で圧倒的多数の賛同(賛成 122、反対1、棄権1)により採択され、2020年10月24日、ホンジュラスが50番目の批准書を寄託し、同条約は2021年1月22日に発効することが確定しました。
同条約第6条「被害者支援と環境改善」に次のように記されています。
1、締約各国は、核兵器の使用や実験に伴って悪影響を受けた管轄下の個人に関し、国際人道・人権法に従って、医療ケアやリハビリ、心理的な支援を含め、年齢や性別に適した支援を十分に提供する。社会的、経済的に面についても同様である。
2、締約国は管理・支配下の地域が核兵器の実験や使用に関連する活動の結果、汚染された場合、汚染地域のの環境改善に向け必要かつ適切な措置を取る。
※この文章は2020年に書かれています。
広島・長崎への原爆投下から75年、ビキニ水爆実験から66年も経て、核兵器が違法化される時代の幕開けを記念して、太平洋核被災支援センターは、次のように声明で呼びかけました。
日本政府は、4度の核被災を体験した国として、核問題を総合的に検証し特に核保有国に核実験による被災は地球規模に広がっていながら、核保有国の国民は核被災の実態を核実験参加兵士の問題として過小に伝えられています。核兵器禁止条約が核保有国の参加を得る為にも、世界が共同して、核兵器の使用と核実験、原発事故がもたらした地球規模の環境汚染と人類の生命への長期的な脅威を示すべきです。
1、被ばく者・被災者の皆さんと共に核兵器完全廃絶を目指す世論を高め、核の傘の下にある日本政府に条約の批准と締約国会合への参加を求める運動を発展させましょう。そして、北朝鮮、韓国、日本など北東アジア非核地帯化を目指しましょう。
2、核汚染から地球を守るために「条約」を分かりやすく教材化し、世界各地で市民レベルの学習・討議を進め、特に青年・子どもたちの参加・交流を広めましょう。太平洋核被災支援センターもDVD「核被災と核兵器禁止条約」(日本語・英語・韓国語・ロシア語版)を作成し活用を呼びかけています。
3、世界の核被災地域で核保有国の核使用・核実験の実相を科学的に検証し、核被災ネットワークを形成し、被ばく者・被災者に対する補償制度の確立を進めましょう。日本弁護士連合会は、核実験被災船員の救済を国際的人権問題として意見書を提出しています。そのためにも、世界の核実験被災救済の取り組み中である 高知県に、国際的な視察団が来られるよう要望します。
最初の国賠訴訟から原告の被災船員6名・遺族1名が病死し、無念の思いをしました。高齢で闘病生活を強いられている被災船員の方、夫や父親を亡くして厳しい生活に立ち向かっている遺族の方など、全く何の救済も受けずに棄民化されたままです。
「ビキニ事件はまだ終わっていません。」
最後に、2021年3月5日(金)~3月14日(日)ビキニデーin高知のご参加を呼びかけます(ホームページ参照)。
因みに今年のビキニデーin高知は
ビキニデーin高知2026
2026年5月9日(土)~10日(日)・高知城ホール
(2)核兵器禁止条約の批准で、ビキニ核被災船員救済の道を求めて
太平洋核被災支援センター副代表 橋元陽一
はじめに
2021年1月22日午前0時、核兵器禁止条約が批准した52か国で発効した。地球上で最も非人道的な兵器「核兵器」の製造・使用・実験・威嚇などを禁止する国際規範がようやく作られた。国内では同条約の発効を1日千秋の思いで待ち望んでいる人たちがいる。1954年アメリカのマーシャル諸島での水爆実験中に被災した高知の元マグロ漁船員と遺族たちだ。
当時、捕獲された汚染マグロはガイガーカウンターで検査され処理されたが、漁船員たちは検査されることもなく、被ばくした事実すら知らされることをなく、操業中に被災したことによる健康影響調査など救済措置は何も受けることなく、日本政府から放置されてきた。元漁船員たちの中で若くして歯が抜けたり、癌や心筋梗塞、血を吐くなどして亡くなる仲間が相次いで、遺族も苦しんできた。元漁船員と遺族は、国連で同条約が採択される1年前に、国に救済を求めて立ち上がった。
1、ビキニ水爆実験被ばく事件の真相
アメリカは1954年3月1日から5月14日までに、マーシャル諸島ビキニ・エニウェトク環礁で6回の水爆実験を行った。このキャッスル作戦の総核力は約48.2Mt で、広島型原爆の3220倍、8年9ヶ月半投下し続ける核威力に相当する。6回の水爆実験による「死の灰」は、マーシャル諸島海域、そしてアメリカ中西部からフィリピンや日本などに地球的規模で降り注ぎ、海も空も人も魚も汚染した。当時南太平洋海域でマグロ漁業で操業していたのは第五福竜丸だけではない。被ばくした日本の船は、マグロ漁船や貨物線など延べ 992隻を超えた。その中に、高知船籍のマグロ漁船第十三光栄丸、第二幸成丸、第5明賀丸、第7大丸、第五海福丸、ひめ丸など延べ270隻が占めていた。
日本政府は軍事機密を最優先したアメリカの立場を容認し、被災船は第五福竜丸 だけだとして、1955年1月に見舞金200万ドルで政治決着でビキニ事件の幕引き図った。以後65 年間 第五福竜丸以外のマグロ漁船・ 貨物船及び船員の被ばくの真相を隠し続け、被ばく船員の健康調査や救済措置など何もしてこなかった。その背景には占領下でヒロシマ・ナガサキの原爆調査を進めたアメリカの原爆傷害調査委員会(ABCC)の下に組織された厚生省所管の原爆症調査研究会議、その事務局長を国立予防衛生研究所(予研)に担わせ、初代所長に小林六造氏(戦前=陸軍軍医学校防疫研究室)、副所長に小島三郎氏(戦前=南京栄1644部隊)ら、元 731部隊関係者を就けたことにつながると推測しているが、ビキニ事件の幕引きの真相は本稿では割愛する。
ビキニ被ばくを矮小化した731部隊員
・宮川正 (731部隊レントゲン班。放射線の致死量の研究で人体実験)は1954年10月15日、「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」環境衛生部会委員に任命される。宮川は、1956年3月16日、衆議院外務委員会に参考人として参加し、第五福竜丸以外の日本人の被災について、「これと言って目立った放射線障害というものはおそらく無かっただろうと思います」と推論を展開している。
・「原子爆弾影響研究」に関わった731部隊員
小林六造、小島三郎、北岡正見、小宮義孝、柳澤 謙、福見秀雄、遠山裕三、中村敬三、安東 清、梅澤濱夫、田島嘉雄
被災した全国のマグロ漁船の1/3を占める高知では、1985年から幡多高校生でゼミナールの高校生たちが山下正寿氏など顧問団とともに、地元の漁港を訪ね歩いて元漁船員から当時の聞き取りを始めた。高校生たちは、県内だけでなく長崎や沖縄など全国に及び、さらに韓国にまで聞き取り活動を広げて、被災の事実解明をに取り組んできた。山下氏は僕らの活動を書籍『ビキニの海は忘れない―核実験被災船を追う高校生たち』『もう1つのビキニ事件―1000隻をこえる被災船を追う』『核の海の証言―ビキニ事件は終わらない』などにまとめて発刊してきた。また幡多高校生ゼミナールの活動は、1990年にドキュメンタリー映画「ビキニの海は忘れない」(DVD化:森康行監督:ナレーター吉永小百合62分)に収録されている。
一方、NHK広島や研究者がアメリカ公文書館に保管されている当時の政府調査資料を発見した。これを機に厚労省に開示請求をして2014年9月に延べ550隻の調査資料を入手した。同資料の分析により、30数年に及ぶ幡多高校生ゼミのマグロ漁船員の被ばくや健康調査の内容が実証されたのである。
2、ビキニ核被災の科学的解明
マグロ漁船員の操業中の被ばくは、放射性物質に汚染されたスコールを浴びたり、魚を食べたりすることによる内部被ばくである。60年前の操業中の内部被ばくの科学的解明が始まった。
2013年4月、漁船員の歯のESR検査や血中リンパ球の染色体異常率から核被災を解明する科学者グループによるビキニ検証会が結成された。メンバーは広島大学原爆放射線医科学研究所星正治名誉教授をリーダーに大瀧慈同大教授(放射線影響評価研究:統計)、田中公夫博士(環境科学技術研究所元研究部長:臨床細胞遺伝学・血液分析)、豊田新岡山理科大学教授(応用物理学:歯の分析)、高橋博子講師(広島平和研究所:米公文書分析)、山下正寿(太平洋核被災支援センター)である。
さらに聞間元(浜松市生協きたはま診療所所長)を共同代表として、弁護士や社会保険労務士などの参加で、科学グループの協力を得てビキニ核被災検証会が組織された。
同検証会は30年余の聞き取り調査とと公開資料をもとに研究者・医師・弁護士らが専門分野からマグロ漁船の核被災の医科学的解明に取り組んだ。同グループは、第五福竜丸については記録されている被ばく線量1600~7000mSvとの実測値から、局地性放射性降下物によるフォールアウトの直撃を受けたと判断している。その上で、当時のマグロ漁船の操業記録と船員の被ばく線量を評価する当時の水爆実験後の局地放射性降下物によるフォールアウトを推定して、最新の科学的知見による歯のESR検査や染色体異常率を調べた。
歯のESR検査では高知船籍の第五明賀丸元船員の場合、自然放射線・歯のレントゲンなどの影響を差し引いた被ばく線量数値は319mSvで、広島原爆爆心地から1.6kmでの被爆線量に相当すると分析している。
血中リンパ球の染色体異常(安定型異常と二動原体異常)の頻度は、被災船員19名(76~89歳)の平均が3.34%で、対照群の一般男性9名(75~84歳)の2.45%よりも0.85ポイント高い。最大値は5.17%で明らかに有意差があり、推定被ばく線量は90mSv以上になると分析している。リンパ球の染色体異常率の研究論文は国際相互比較の検証を経て、2016年3月にドイツの科学雑誌「Radiation and Environmental Biophysics」 電子版に掲載された。
さらに研究者グループは広島・長崎の被爆者の被ばくデータやセミパラチンスクでの核実験による局地性放射性降下物によるフォールアウトによる被曝線量を実証する調査研究と重ねながら、ビキニ水爆実験による海上での内部被ばくによる被ばく線量評価に取り組んでいる。
NHK広島が研究者グループの一連の研究調査活動を取材し「水爆実験60年目の真~“ヒロシマが迫る埋もれた被ばく”」と題したドキュメント番組で報道した。また全国紙や高知新聞などの記者が元漁船員・遺族を丁寧に取材を進め、その声を特集記事で報道し続けた。ビキニ核実験の実相究明の一翼を担うマスコミの力は大きい。
3、内部被ばくを過小評価する政府機関
厚労省は2015年1月に研究班を設置し、ビキニ周辺海域で操業していた漁船員の被ばく状況を評価した。研究班は、ビキニ検証会の科学者グループ、被災船員・遺族への追跡調査などを一切行わず、2016年5月に、ビキニ水爆関係資料の線量評価に関する研究「平成26・27年度総括・分担研究報告書」を発表した。明石真言研究代表者(放射線医学総合研究所理事)は報告書で、漁船の位置や実験後の放射線量から「外部被ばく線量は最大1.22mSvだ。健康影響が出る被ばく量は確認できなかった」と結論づけた。研究班は当時の米軍の対流圏放射性降下物の粗雑なデータで推定した外部被ばく線量をもとに、内部被ばくを評価したのである。しかも6回の水爆実験中1回に限定し10隻ほどの船に絞り込んだデータ分析を行い、また第五福竜丸の実測値にも触れていない。
「報告書」は、第1次政府調査船俊鶻(しゅんこつ)丸の研究者たちがまとめた大気・海水・魚類などの総合調査資料の見解をも無視している。また被災した貨物船弥彦丸の船員6名が入院した岡山大学医学部内科学教室の研究報告書「我々の取り扱かったビキニ水爆症の血液並びに骨髄所見について」も無視している。
さらに山下氏らの請求で開示された外務省・海上保安庁・厚生省・運輸省の資料が「報告書」は反映されていない。開示資料には海上保安庁警備部・救難部から外務省アジア局に宛てた人・船体・魚のいずれかで放射能が検出された163隻の航海図もある。
また運輸省海運局から宛てた商船・大型船・指定5港以外の漁船など400隻分の方の放射能検査を記録した文書「南部太平洋方面就航船舶の放射能検査の結果について」もある。この文書の中で、貨物船神通川丸の49人の乗組員に対する大阪や岩手での精密検査の結果について、当時の船員保険大阪病院長野晋一医師が署名入りで、「検査において白血球数が著しく減少しているものが10名あったので、大阪病院でさらに血液像検査を実施したところ5名が相対性リンパ球増多病として診断された」「被ばく後2ヶ月以上経てからの諸検査成績、その当時またはもっと近い日時においてはさらに大なる変化があったかもしれない」と記載している。
ビキニ検証会科学者グループは、研究班と同じ方法で第五福竜丸の被ばく線量を評価すると、0.078mSvで実測値の10万分の1になり、当時の米軍のデータによる被ばく線量の評価は科学を冒とくするものだと指弾した。「報告書」の問題点について、2016年6月30日付で、10項目と3点の付記をつけて文書見解を求めたが、研究班からの回答は届かなかった。
4、国の責任を求めて【ビキニ核被災国家賠償請求訴訟】
国が60年余ビキニ核被災調査資料を意図的に公表してこなかったこと(連続的不法行為)、当時の被災船員に対して健康調査など何もしてこなかった国の責任(作為義務違反)を求めて、元漁民員や遺族は国家賠償請求訴訟に立ち上がった。
2016年5月9日にはマグロ船21隻、元乗組員23名、遺族20名と支援団体を代表して山下正寿、和田忠明(元高知県原水協事務局長)が加わって45名の原告団を結成して、高知地裁に提訴した。梶原守光弁護士が原告代理人として弁護を引き受け、山下氏の30年余に及ぶ調査資料や研究グループの研究資料、マスコミ関係者の調査資料などを甲1~85号証にまとめ証拠として提出した。
梶原弁護士は「除斥期間20年」の法曹界の常識を超える論立てとして、60年余過ぎたビキニ事件の提訴に「継続的不法行為」論で理論構成した。その内容は第7準備書面でまとめ、2017年1月13日地裁に提出した。(第7準備書面と、提出証拠は甲69号証までを書証一覧表にして「ビキニ核被災ノート」に掲載)。
第7準備書面での理論立ては、60年余に及ぶ国家ぐるみの人権侵害事件として位置付けて、国の不法行為を2つに分けて構成された。1つは「被災船員の被ばくの事実、それを裏付ける比較関係資料を隠す行為」(以下 A型不法行為)、もう1つは「被ばくの事実を隠ぺいするために、故意に原告らの被ばくの追跡調査や支援策を全くしなかった不作行為」(以下 B 型不法行為)である。
A型不法行為の証拠として
①1955年1月4日、200万ドルの見舞金で日米両政府間が政治決着を図った行為
②1955年1月1日からの被災調査を打ち切った行為
③1986年の3月7日の衆議院予算委員会での山原健二郎議員の質問に対して、ビキニ事件関係の資料は残っていないと答弁し、資料の提出を拒否した行為
④2004年3月5日の高知県議会で質問を受けた橋本大二郎知事が被ばく資料の開示を要請したことに対して、厚生省がビキニ事件は解決済み、それを扱う窓口もないとして開示を拒否した行為などをあげた。
B不法行為は、
①1955年1月4日に日米政治決着し、被災調査を打ち切った後、2014年10月29日の被ばく資料開示まで、原告らの被ばく者に対する健康の追跡調査や援助などの行為を全くせず放置したこと。
②水爆実験での深刻な被ばくの事実に基づき、憲法15条2項、国家公務員法96条1項等での公務員の国民に対する奉仕義務を放棄した行為であるとした。
そして国による不法行為の特性について、
①被災の事実や資料を隠すという行為の連続性であり、作為義務があるのに、敢えて何もしない行為が連続する、典型的な継続的不法行為である。
②被災資料を隠す行為、徹底して何もしない行為は被災調査を打ち切った1955年1月1日から公文書開示の2014年10月29日まで続き、原告らは被告の不法行為の存在も自らの損害の発生も知らず、損害賠償請求権の行使は全く不能であった。故に文書開示まで損害賠償請求権の消滅時効及び除斥期間は進行していない。
③しかも、損害賠償請求権の行使を妨害した国が、原告に対して時効による権利の消滅を主張することは法的正義と公正に反する恥ずべき行為である。したがって時効や除斥期間の援用行為は、公序良俗に反し無効であり、信義則に反し、権利の乱用であって認められない、と主張した。
これに対して被告の国は、
①国賠訴訟を求める法的根拠はない、
②A型不法行為については、水爆実験による被災状況に関する資料が発見された後、原告らからの情報公開法に基づく行政文書を速やかに開示している、
③B型不法行為については、船員保険法に基づく要件を満たした場合、保険給付を受けることは可能であった。その旨を自治体に通知している、
④除斥期間がすでに経過している、などと主張した。
2017年12月14日の第8回口頭弁論で、元船員3名、遺族2名、山下正寿氏、他研究者3名の9名を申請したが、研究者3名は文書陳述となり、6名が証人尋問を終えた。翌年7月20日に地裁判決が出た。主文で、原告らの請求はいずれも棄却した。「継続的不法行為して一体的に捉えることはできない」「日米合意、被ばく調査中止、本件国会答弁及び本件資料等の隠蔽・不開示の違法行為、調査・支援等施策不実施の不作為に基づく損害については除斥期間を経過している」と。
すぐに原告団29名を再編成して高松高裁に控訴したが、2019年12月20日の判決で原告の請求は棄却された。
しかし、地裁と高裁は判決文の中で、原告らの被ばくの事実を認めた上で、最後に救済の道を示唆したのである。地裁判決文は以下のように述べている。
「(前略)確かに、本件被ばく者については、米国による核兵器の爆発によって被害を受けたという共通性があり、本件核実験に使用された水爆の方が、原子爆弾よりはるかに強力で広範囲に放射性降下物を撒き散らしたことが判明しているのであるから、これによる健康被害を等閑視することなく、その救済が同様に図られるべきという主張は理解できないものではない。・・・
(中略)船員保険法による救済についても、本件被ばく直後の時期に血液検査等の健康調査が十分に行われなかったこと、被ばくした場所が海上であり、その痕跡が残りにくかったこと、本件核実験による放射性降下物の飛散状況をなどに関する情報は米国が保有し、自主的開示まで相当年月を要したこと、晩発性障害はその性質上原因を特定することが容易でないことなどを考慮すると、個々の船員が、本件核実験によって被ばくしたことに加え、申請時点における健康状態の悪化が被ばくによる結果出ることを立証するのは、困難を伴うものであることは否定できない」「そうすると、長年にわたって顧みられることが少なかった漁船員の救済の必要性については改めて検討されるべきとも考えられる。(中略)救済の必要性があるとしても、被爆者援護法から作為義務に違反した不作為の違法を導き出し、国賠法に基づく損害賠償請求によって司法的救済を図ることは困難であり、立法府及び行政府による一層の検討に期待する他ない」。
司法がビキニ核被災で第五福竜丸以外の漁船員などの被ばくを認め、救済の道を示唆するが判決内容は、国によって70年近く見捨てられてきたビキニ核被災船員と遺族の救済措置を切り拓く一縷の希望を提示したと捉えている。国の責任を法理論で糺すことは否定されたが、「60年余ビキニ事件での被災船は第五福竜丸以外にはない」としてきた国の見解を覆す内容であり歴史的な判決であると捉えている。引き続き、国賠訴訟で国の法的責任根拠を追及するにはさらに時間を要することから、判決内容を活かし、1日も早い救済の道を拓くために上告を断念し、労災訴訟に切り替えることになった。
5、被災船員の救済を求めて【ビキニ核被災の労災訴訟】
高知の元マグロ漁船員・遺族10‐名は、開示された資料や研究者グループの被ばく線量評価の科学的知見をもとに、2016年2月27日に全国健康保険協会船員保険部に労災申請した。
労災申請は、その後追加申請を含めてマグロ漁船11隻の元船員9名と遺族10名と貨物船1隻の元船医の遺族1名と合わせて20名が手続きをして、聞間医師が18名の元船員の所見を添えた。
全国健康保険協会船員保険部は、委嘱した有識者会議が提出した「ビキニ環礁水爆実験による元被保の被ばく線量評価に関する報告書」(2017年12月25日)に基づいて、病気・死亡原因との操業中の被ばくとの因果関係は確認できないとして、申請者全員の労災申請を不承認とした。
これを不服として申請者は代理人とともに厚労省社会保険審査会に再審査請求をした。2019年5月に審査会は2部に別れて開催され、それぞれ3人の審査員と8人の参与の同席のもとで公開審理が行われた。代理人でもある聞間元医師が有識者会議の「報告書」に基づく判断の問題性、申請者の症状・診断書に基づいて被ばくとの関係を医学的見地から陳述した。また1人の申請者の他に弁護士や山下正寿氏代理人などが操業中や帰港した時の状況を訴えた。参与の多くから
①水爆実験による被害は労働災害ではなく第三者の行為による損害賠償の対象であり、アメリカに損害賠償を請求するべきだ。
②被ばくしたことは事実であり、線量の多寡でなく、被ばくしたことが問題であるから、支給は妥当だ。
など労災を許可せよとの発言が出た。また労災申請の基本的な審査手続きである本人からの聞き取りも実施していないことも指摘した。しかし2つの部会の審査員は参与の意見をも受け入れず、裁決書の撤回を認めなかった。この背景には厚労省研究班及び船員保険部有識者会議(両代表は明石真言氏が兼任)が両報告書で一貫して水爆実験での被ばくを過小評価していることがあることは明白である。
元船員と遺族は、核被災を過小評価する政府の姿勢を打開するために、新たに司法の場で闘うことを決めた。この決意に応えて高知在住の8人の若き弁護団が弁護を引き受けることを表明し支援に入った。
2020年3月30日、元船員と遺族、弁護士、医師、研究者、支援者が集まり、ビキニ労災訴訟を支援する会を立ち上げて、原告14名はその日に高知地裁に提訴した。
全国健康保険協会を被告にして「処分結果」取り消しを請求する訴訟と、国を被告にして損失補償を請求する訴訟とを同時に提訴することにした。原告側は6月4日付の上申書で、2つの請求は「事件に関する争点が相当程度共通し、かつ、各請求の基礎となる社会的事実が同一ないし密接に関連する」として、相互に関連請求の関係にある主張を行った。これに対して、被告国側は、7月27日に提出した反論書で、請求の基礎となる社会的事実は、処分取り消し請求はビキニ環礁水爆実験であり、損失補償請求は日米合意で、基礎となる社会的事実が異なり、関連請求の関係にないと主張してきた。
また被告健康保険協会側は7月17日付の移送申立書で、「取り消し請求を審理する管轄は被告協会本部が所在する東京地方裁判所へ移送すること」「本件損失補償と取り消し請求の管轄を併合することとは認められない」と主張してきた。
原告全員が高齢で病弱であり、東京地裁に出廷できる状況ではないことから高知地裁で審理を求めている。2021年2月12日に原告側は最終反論書を提出して、高知地裁の判断に委ねる段階を迎えている。
労災訴訟では、当時の操業中の被ばくとの因果関係を科学的知見で立証することが求められる。
研究者グループの内部被ばくの研究実績による科学的知見が司法の場で評価されると確信している。
司法の場で、被告健康保険協会が被ばく線量評価を判断する基準にした厚労省研究班と有識者会議の両報告書の線量評価の非科学性が検証されることになる。また国賠訴訟での1審、2審判決が示唆した「救済の必要があるとしたら、改めて立法府および行政府の検討に期待する」救済の道が拓かれると確信している。70年前に日米両政府の政治決着で、被ばくした元船員たちの救済を求める権利を奪った国家的犯罪を検証していくことになる。
ビキニ労災訴訟は、国から見捨てられたビキニ核被災の元船員・遺族の人権を取り戻す闘いである。闘いを支援する力強い輪が広がっている。この闘いは、今後、ビキニ事件での局地放射性降下物のフォールアウトによる内部被ばくと様々な病状との因果関係を疫約的に明らかにしていくことは、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ、世界各地の核実験の被ばくを解明する道に繋がっていく。ビキニ事件の真相を世界に広げていく取り組みを続けていく。
6、核兵器禁止条約発効でヒバクシャ救済を
2017年3月『ビキニ核被災ノート―隠された60年の真実を追う』を発行した。第1章で隠されたビキニ事件の歴史的背景を、第2章で18隻のマグロ船の元乗組員・遺族32名の証言を、第3章で因果関係立証の扉を開く取り組みをまとめ、取材調査を続けてきた5人の記者のコメントも掲載した。また写真家の岡村啓佐氏の21隻51名の元漁船員・遺族の取材活動でまとめた写真集『NO NUKES』英語併記版を、国内の152か国の大使館、県内の全ての中高校、マグロ漁船籍のある市町村の小学校に届けた。2つの書籍が高知県民文化賞を、また写真集は日本自費出版文化賞大賞、全国新聞社出版協議会出版大賞を受賞したことで、ビキニ核被災の真相と被災船員・遺族の声が広く受け止められ、救済の道につながると確信した。
2017年7月、国連で核兵器禁止条約が選択され、21世紀を核のない平和の世紀にする世界の流れが作り出された。第6条に核実験被災者救済を求める条項が明記され、世界のヒバクシャを救済する道が拓ける希望が生まれた。
2018年3月には県やマグロ漁業と関係する自治体やマスコミの後援で「核兵器禁止条約の批准と核被災者の救済を求める高知のつどい」を開催した。川崎哲ICAN・核兵器廃絶日本NGO連絡会共同代表、田中熙巳日本原水爆被害者団体協議会代表委員、聞間元ビキニ核被災検証会共同代表(医師)でシンポジウムを開催し、山下正寿氏が「核兵器禁止条約とビキニ核被災事件」と題して基調報告をした。この時、川崎氏は高知県知事との懇談する中、国連軍縮総会の高知開催を提起した。
ビキニ事件を次世代に伝えていく学習教材作りも進めている。DVD『核被災と核兵器禁止条約』は英語や韓国語、ロシア語に翻訳し、普及を進めている。1部でビキニ事件の真実を伝え、2部では核なき世界に向けて、広島・長崎・ビキニ・福島・マーシャル・セミパラチンスクの学生たちが交流し学び合う姿を追う35分の資料付きの学習教材である。
小中学生向けの学習教材として紙芝居『ビキニの海のねがい』を制作し、 DVD でも上映できるようにしている。
2020年7月20日、日弁連が初めてビキニ事件に関して統一見解をまとめ、「太平洋・ビキニ環礁における水爆実験で被爆した元漁船員らの健康被害に対する救済措置を求める意見書」を政府に提出した。そして10月開催予定のジュネーブでの国連人権規約委員会に提出する日弁連の報告書に加えられた。
さらに7月29日広島地裁は、「黒い雨」訴訟で84名の原告全員の被爆を認め、被爆者手帳を交付せよとの判決を下した。ビキニ核被災の漁船員と同じ、フォールアウトによる放射性微粒子による内部被ばくを司法が認めた。国は控訴し、頑なに内部被ばくを認めようとしない姿勢を変えようとしない。広島地裁判決は、先述したビキニ国賠訴訟で1審、2審の判決が「立法府、行政府に救済の道を検討する」ことを求めたこととつながったと捉えている。
いま核兵器禁止条約を批准した国は52カ国だが、署名している国が86カ国あり、批准国が一気に拡大していく。またNATO20カ国と韓国、日本の元首相ら56名が書簡で、核兵器禁止条約に批准していない自国の代表に、批准への参加を求めた。こうした動きは21世紀を核のない平和の世紀にしていく世界の主流になると確信する。(「平和運動」日本平和委員会発行2021年4月号より)
※この文章は2020年に書かれています。
※現在「核兵器禁止条約」の署名:100か国・地域、批准:75か国・地域(発効・加入を含む)(ICAN)日本も核兵器禁止条約を率先して批准すべし!!
ビキニデーで核廃絶訴え、高知で集会開かれる…「第五福竜丸」の保存活動に参加した高校生らを題材にした劇も披露
「第四の被曝」知ってますか? 米国の水爆実験に遭遇 神奈川で遺族ら活動 「核を考えるきっかけに」
1958年7月に南太平洋で海上保安庁の船が米国の水爆実験に遭遇し、後に乗員1人が死亡した「第四の被曝(ひばく)」について、遺族が住む平塚市や茅ケ崎市で核の恐ろしさなどを伝える活動が活発化している。遺族は「核に関して考えるきっかけにしてほしい」と思いを語る。
AIによる書き起こし(間違う事もあります!!)
左上のパネル(ピンク+写真)
ピンク色の解説文:
第五福竜丸は、焼津港から約5,000km離れたビキニ環礁近くで操業中に、アメリカの水爆実験「ブラボー」による「死の灰」を浴びました。乗組員23名全員が被ばくしました。
右側: 航海ルートマップおよび第五福竜丸の写真
福島の仮設住宅無償提供3月終了 原発避難者にのしかかる家賃負担
●戦争反対!!
核軍拡反対!!






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