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731部隊を引き継ぐ自衛隊の細菌戦・化学戦部隊 2025年/9/20
731部隊を引き継ぐ自衛隊の細菌戦・化学戦部隊 2025年/9/20
大内 要三 (日本ジャーナリスト会議会員)
今回の展示を見ますと、731部隊等がどのような悪いことをしてきたか、戦後彼らが何の罪にも問われずのうのうと暮らし、どのような仕事に関わってきたか、などがかなり詳しく説明されています。しかし旧軍で生物戦や化学戦をやってきた伝統が今の自衛隊にどのように受け継がれているか、ということについてはあまり知られていないと思います。自衛隊も生物戦や化学戦をするのか。実はその準備を着々と進めているという実態がありますので、今日はそのあたりをお話ししたいと思います。
安倍首相が「731」と機体番号が書かれたジェット機に乗って喜んでいる写真があります。この飛行機は自衛隊の松島基地、ブルーインパルスという曲芸飛行をする部隊のものです。東北大震災の時、津波に破壊されて修理し、松島に戻って来たお祝いの席に安部がやって来て、「731」と書いてある飛行機に乗ってみた。中国の人々がこの写真を見てどう思うか、分からなかったのでしょうか。なんとも愚かな話です。
はじめに―
特殊兵器、CBRなどという呼び方について
最初に言葉使いについて説明します。生物兵器・化学兵器を旧軍では特殊兵器と呼んでいました。また米軍では化学兵器(chemical weapons)、生物兵器(biological weapons)、核兵器(atomic weapons, radiological weapons, nuclear weapons)の総称を頭文字を取ってCBR、あるいはABC、NBCとも呼んでいますが、現在の米軍では主にCBRN(シーバーン)と言います。これに随い自衛隊でもCBRNと呼び、あるいは旧軍を継承して特殊兵器と呼んでいます。
1,日本軍の細菌戦・化学戦
一昨日中国で「731」という映画が封切りされました。これは劇映画であって実録ではありませんが、かなり残虐な場面が出てくるそうです。中国大陸まで行かないと見ることが出来ませんね。最初7月31日に封切りされる予定でしたが延期されて、9月18日になったということです。9月18日は歴史を勉強されている方はすぐにピンとくると思いますが、日中戦争が始まった日です。「柳条湖事件」と言います。その日にこの映画を公開するというのはかなり意図的な事だと思いますが、チケット販売は日本円にしてすでに50億円を超えているそうです。中国ではぜひ見たい映画になっているわけですね。それにつけても、日本の人たちはどれほど731のことを認識しているかが大変気になります。
●旧日本軍が中国大陸で行った細菌戦・化学戦の実態と被害は隠蔽により長く知られてこなかった
現在では中国、日本の市民運動・研究者によってかなり詳しく731部隊等が何処で何をやったかが分かってきていますが、実は長い間隠されてきました。戦後日本を占領した米軍との取引によって、731部隊の中心人物たちは東京裁判では裁かれなかったからです。当事者たちは米軍によって保護され、その代わり資料はすべて持っていった。米軍が持って行った人体実験の資料等は米国の研究所で使われていましたが、すでに日本に返却したと言っています。ですから戻った731部隊等の資料は、防衛省・自衛隊が持っているはずなのですが、絶対に公開しません。
一部の731部隊関係者はソ連に抑留されて、ハバロフスクで裁判にかかりました。731部隊他の12名が裁かれ『ハバロフスク裁判記録』として出版され、日本語を含む6か国語に翻訳されています。私も古書店で買って持っていますが、なんと厚さ5㎝もある本です。ここに当事者の証言がすべて書かれています。しかしこのハバロフスク裁判の記録がなぜ日本で広まらなかったかというと、裁判長も判事もソ連の人なので公正ではないのではないか、信憑性が薄いとされたためでした。
日本で731部隊のことがよく知られるようになったのは、森村誠一さんと下里正樹さんによる『悪魔の飽食』3部作(1981-83年)によってです。つまり1945年に終わった旧軍の悪行は1980年代までほとんど知られてこなかったということです。中国での調査も革命で中断し、日本の研究者も確たる資料を発掘するのが難しかったということがありました。
731部隊等が何をやったかという事は今日のパネル展示でかなり詳しく展示されていますので、私が説明するまでもありませんが、簡単におさらいしてみます。
●731部隊等(関東軍防疫給水部)は
ハルビン市南東約20キロの平房を本拠にして、細菌戦に使用する生物兵器の開発のため、チフス、コレラ、結核、赤痢、天然痘、凍傷、ウィルス等を研究していました。とりわけペスト菌に感染したノミを撒布する実戦使用を、寧波、常徳、衢州、農安などで行っています。ですからペストの流行による犠牲者は膨大と思われます。
問題は人体実験を行っていたという事です。細菌を接種して発病した人の確率を調べたり、手足を凍傷にかからせる実験や、生きたまま解剖することまでしていました。施設内で「マルタ」と呼ばれて人体実験の犠牲者となった人は3000人以上に達すると言われています。陸軍軍医学校の石井四郎の指導のもと、軍人・軍属3600人を超える人々がここで働いていました。
石井の統括していた部隊は平房の731部隊だけではなく、北京の1855部隊、南京の1644部隊、広東の8604部隊、そしてシンガポールの9420部隊があります。
またペスト菌を培養する為のペストノミ増殖のためのネズミは埼玉県の農村で飼っていて、地元の高校生が研究して本も出しています。
現在ハルビンの731部隊跡は撤退の際に破壊されましたが、一部は保存され、ここには立派な「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」があるそうですが、残念ながら私は未だ訪れたことがありません。
●化学兵器を開発した六研
では化学戦についてはどうか。新宿区百人町にあった第六陸軍技術研究所では毒ガス(化学兵器)の研究をしていました。ここで開発されたのは、ちゃ(血液中毒剤)、あか(くしゃみ剤ジアニルアリアルシン)、あを(窒息剤ホスゲン)、みどり(催涙剤)、きい(びらん剤イベリット)などがあります。
六研が開発した毒ガスは瀬戸内海の大久野島の陸軍造兵廠で製造され、福岡県曽根で砲弾に充填されて大陸に送られました。大久野島では実験用にウサギが飼われていましたが、現在もウサギに触れられる島として観光地になり、毒ガス資料館も公開されています。
● 化学戦部隊を養成した習志野学校
1933年に千葉県の習志野に設立されたのは化学兵を養成する学校ですが、教育内容を秘匿するため単に「陸軍習志野学校」と名付けられ、学校見学も制限されていました。1940年には1357名規模になったということです。
化学兵器の研究は百人町の六研、製造は大久野島の造兵廠、化学戦部隊の養成は習志野学校。ここで養成された化学兵が中国大陸に行って化学戦を行うという、かなり大規模なシステムがあったことになります。
戦後、銚子沖で漁網にかかり被害を出した化学兵器は、習志野学校が投棄したものと疑われています。学校跡は現在、国有地「習志野の森」として公開されています。
●中野学校でも特殊兵器の教育
陸軍中野学校はスパイ養成学校として悪名の高いところです。1938年設立の陸軍防諜研究所が1940年に陸軍中野学校となり、徹底した秘密主義でしたが、ここでも特殊兵器の研究、教育をやっていました。謀略・防諜など秘密戦を担う人材を育成していましたが、軍事学・外国語・武術などの教育のほか、細菌学・薬物学・法医学の科目もありました。資料収集をしていた研究部では、防疫給水部・六研・登戸研究所などからの情報も得ていたようです。
以上、戦前の日本軍では化学兵器・生物兵器が研究開発され、大規模に実戦に使用されていました。CBRのうち核兵器については研究段階で止まっていました。
●大事なことは
731部隊等の悪行を見るうえでは、大事なことがいくつかあります。
第1は旧軍の細菌戦や化学戦は731部隊のような特殊な一部の部隊の暴走ではなかったということです。旧陸軍全体の方針であって、日本が占領してでっち上げた「満洲」だからこそ可能でした。
第2に、第1次世界大戦では大規模な化学戦が展開され、最初に使ったのはドイツでしたがイギリス、フランスも使っています。とりわけ塹壕戦では膨大な犠牲者を出しました。ところが第2次世界大戦で欧米では細菌兵器も化学兵器も作っていたが使わなかった。細菌兵器・化学兵器を実戦使用したのは日本だけでした。
そして戦中・戦後を通じて各国で生物・化学兵器に加え核兵器の開発が進み、日本も例外でなかった。このなかで戦中の悪行について日本政府は一切認めていないし反省も補償もしていないのも大事なことです。
2. 再軍備と旧軍の継承
●戦犯追及を逃れた生物戦・化学戦の遂行者たち
731部隊の中心人物たちは資料を米軍に提供することで戦犯となることを免れ大学や研究所に戻り、戦中の生体実験の成果を元にした論文で博士号を得た者が何人もいます。 北野政次、内藤良一、二木秀雄らは戦後、血液銀行である日本ブラッドバンクを創業、のちにミドリ十字と社名変更し薬害エイズにも関係しました。日本ブラッドバンクを作った1人の二木秀雄は、731部隊では「技師」として参加していました。戦後、二木を中心に731戦友会である「精魂会」を組織、600人くらい参加したようで、名簿もあります。また多磨霊園に「精魂塔」を建立しています。731戦友会の碑であって、犠牲者の碑ではありません。
私ども大内家の墓も多磨霊園にあるため、墓参りにはこの前を通るのですが、精魂塔には一度も花が供えられているのを見たことがありません。戦友会からも忘れられているのでしょうか。人の背丈よりも高い立派なものですが、重ねられた5つの石に天地火風水の梵字が彫られているだけで墓名碑もなく、説明がなければ何物か分からないようになっています。
●当初、再軍備に旧軍幹部は排除された
占領下、朝鮮戦争下で再軍備が始まりました。憲法の制約から軍隊とは言えず、1950年8月に警察予備隊が、米軍の武器供与・教育のもとで編成されました。公職追放されていた旧軍幹部は募集に応じることができませんでした。しかし軍の経験者でないと統制がとれないというので、10月からは旧陸軍士官学校・海軍兵学校卒業者を対象に幹部を募集し、以後旧軍幹部の入隊が続きました。1952年の保安庁法にはもう旧軍人の欠格条項はありません。こうして旧軍の生物戦部隊・化学戦部隊の幹部も、保安隊・自衛隊に入隊できるようになりました。
● 陸上自衛隊衛生学校の誕生
戦後の継承の話で大事なのはまず「衛生学校」です。軍隊には衛生兵が必ず必要です。1951年に久里浜の旧海軍通信学校跡地に警察予備隊総隊学校が創立され、第4部で衛生教育を行い、衛生科隊員を養成しました。米軍顧間団が駐在し教育に当たっています。警察予備隊が保安隊に、また自衛隊になっていく過程では、1952年には横須賀に保安隊衛生学校が創設され、1955年に東京都世田谷区三宿の現在地に移転し、陸上自衛隊衛生学校となり現在にいたりました。
初期の教範(教科書)は米軍の教範を翻訳して使用しましたが、次第に日本独自の研究、つまり旧軍から引き継いだ研究成果も使いながら、教育を行っていました。また初期の衛生学校には実動部隊も存在し、災害派遣なども行っています。伊勢湾台風の時に災害派遣をした例があります。当時のトイレは皆、汲み取りでしたから、台風の水害があると赤痢が集団発生するので、自衛隊から衛生部隊が出動しました。
●金原節三校長による細菌戦研究・細菌戦部隊復活の野望
衛生学校第4代校長である金原は元陸軍医務局医事課長で、軍医の高官でした。戦後に『大東亜戦争陸軍衛生史』全9巻を編纂するなど、旧軍の細菌戦についての知識も豊富に持っていた金原が衛生学校校長になると、月刊誌『衛生学校記事』を創刊します。この『衛生学校記事』に731関係の記事が掲載されているのではないかと、和田さん達が公開を要求したわけです。その裁判に私も助っ人として関わって、意見書を提出しました。
『衛生学校記事』には表紙の右上と左下、さらにすべての頁に「部外秘」と書いてあります。つまり外部には見せない記事を載せているわけです。書店では売らず部隊を通じてしか手に入らないので、読者は管理されていました。それくらい秘密の雑誌です。防衛省はすでに内容が古くなったので「廃棄した、存在しない」と言っていますが、発行所が1冊残らず捨てるわけはない。隠蔽と思われます。
ところが、ひょんなことから私はこの月刊誌『衛生学校記事』、号外を含めて全20冊を古書店で入手しました。読者が亡くなった後、遺族は部外秘のものとは知らずに古本屋に売ってしまった。それが偶然私の手に入ったということだと思います。そこには実際に元731部隊員の証言なども掲載されていました。いくつか例を紹介します。
●『衛生学校記事』に掲載された「細菌戦回顧」
731部隊に参加していた軍医の1人である北条円了が、戦後に衛生学校で講演を行っています。「細菌戦回顧」というタイトルでの講演録が『衛生学校記事』第3号に掲載されています。「細菌戦は実施できるものかどうか。できるとすればどんな病原体が適当か、この病原体の撒布方法はいかにするか、またその撒布目標は何か等が具体的に決まったとしても、果して流行させることができるかというような色々の問題があります。」「感染力の試験は実際にやってみなければ分からないことであります。そこで実際に実験をやろうということで満州へ」。日本ではできない人体実験を含む細菌戦の研究を「満州 」で行ったわけですね。
「野鼠を捕らえてその野鼠にペスト菌を植え付け、蚤を寄生させペスト菌にかかった蚤を人間にくっつけて血液を吸わす」これは実際に行っていたから話せるわけです。空中から撒くのにどのような方法が良いかということで、陶器製の爆弾が地面に落ちて壊れてノミをバラまくから良いというような話までしています。
しかも「細菌戦といったようなものは禁止兵器の一つですから、自然流行だろうと言い訳のできるようにするためにも、その地方の流行菌を使うということが必要だと思います」とも話しています。「満洲」では実際にペストや赤痢が部分的に自然流行した地域があります。そこにバラ撒いたら人間がやったことだと分からないだろう、誤魔化せる、そのような事を私はやってきましたと、わざわざ衛生学校で話をしたようなものです。
日本政府は未だに公式には細菌戦実施の事実を認めていません。このような『衛生学校記事』が表に出てはまずいのではないでしょうか。だから、公開せず廃棄したことにしているのだと思います。
●生物戦は人道的?
もう一つ紹介しますと、生物戦は悪いことではないと主張しています。『衛生学校記事』第1号掲載の「軍用生物学及び生物剤」という木村正義の論文を見ますと、「生物戦はいかなる場合でも都市、工場、家屋及び他の構築物は破壊されることはない。従って復興は爆弾によるものよりは容易である」。つまり住民は死んでも復興は楽だと。
「疾病に因る苦痛は機関銃や砲弾の破片による恐ろしい多種多様の傷害には比較すべくもないし、また伝染病疾患による患者の完全回復の機会はいわゆる一般の戦争による傷者に較べればすこぶる大である」。つまりこちらの方が治る可能性が高い、だから人道的な兵器であると言うのです。
●アジアの核戦争に自衛隊を動員しようとした米軍
戦争中、日本は核兵器の開発も研究していましたが、実用には至らなかった。しかし戦後の自衛隊は米軍と共に核戦争を戦う研究を50年代からすでに始めています。そのことも『衛生学校記事』を読むと分かります。
1950年代の米軍はすべての戦争に核兵器を使う準備をしていました。ニュールック戦略、あるいは大量報復戦略といいます。核弾頭を搭載したミサイルだけではなく、小型で3人の兵隊で運ぶことが出来るような原子砲(デイビー・クロケット)や、核地雷も開発しました。自衛隊がそのような米軍と一緒に戦うためには、たくさんの被爆兵が出た時のことを想定する必要があります。そのときは再び兵隊として使える人間を優先して治療する。そういう核戦争対応の記事が1950年代の『衛生学校記事』と、あとで述べる『化学学校記事』には多数掲載されています。
『衛生学校記事』には米軍のペントミック師団、つまり核武装した部隊の戦い方を紹介する連載記事が掲載されていますが、そのなかで第10号に掲載された「攻撃における不断の流動」という図を見ると、キノコ雲の方向へ兵隊が進んでいます。つまり爆心地に向かって進軍し、そこを占領する。実際にそういう想定で米軍はネバダ砂漠で核実験を行い、訓練を行っていました。ネバダの隣がハリウッドですから、俳優たちがたくさん癌で亡くなっているのは核実験の影響だろうというので、広瀬隆さんが『ジョン・ウエインはなぜ死んだか』という本を書いています。演習に参加した兵たちにも多大な影響が出ているはずです。
自衛隊はそのような核戦争で米軍の手助けをするための研究をしていたのです。
●陸上自衛隊化学学校の誕生と創設時の
新聞報道
化学学校は衛生学校に少し遅れて1953年に始まります。京都府宇治駐屯地に臨時化学教育隊を創設。同地に駐留軍化学科部隊が駐在しており、化学兵器対応の指導を受けたのち正式に化学教育隊となり富士駐屯地に移動、1957年 に埼玉県大宮駐屯地に移転して化学学校となり現在にいたっています。
化学学校創設時の1957年 10月 14日付『中国新聞』の記事があります。中国新聞社は広島に本社がある新聞社です。「同校は近代戦に不可欠なCBR(毒ガス・細菌・放射能)防御対策を研究するとともに、化学戦に必要な自衛隊幹部の教育、訓練を行う機関で、その新設は自衛隊原子戦体制の一歩前進として注目される」「教官は約50名、その4割は旧陸軍の毒ガス、細菌戦専門家で残り6割は戦後一般大学の理工科を卒業、米軍化学学校に留学、訓練を受けた技術幹部」。化学学校でも旧軍の化学戦経験者が教官になっていたということです。初代校長の外山秀夫は元陸軍中野学校研究部長でした。
化学学校は1959 年から雑誌『化学学校記事』を発行し、ここに核兵器を含む特殊兵器についての論文・記事を掲載しています。この雑誌も隠蔽されており、国会図書館にも1冊も保存されていません。研究者が何冊か手に入れてその内容を研究していますが、全容を知ることができず、公開を求める訴訟が行われています。
●日米共同作戦計画は核戦争も想定していた
1953年から日米共同作戦の研究が毎年行われていました。米国はニュールック戦略を採用していましたので、自衛隊と米軍は共に核戦争を戦う体制にあったと言えます。
昭和38年度統合防衛図上研究(通称三矢作戦研究)中の「日本直接防衛のための日米共同の作戦」というところに次の記述があります。「敵の核使用に対してはあらゆる手段をつくしてその意志を封殺するとともに、万一攻撃を受けた場合は我が方も使用せざるを得ない。」敵の上陸攻撃を受けた場合についての記述なので、日本領土内での核使用です。汚染された地域へ進軍することも想定した教育・訓練が必要になります。なお1972年の第4次防衛力整備計画関連文書には「核の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存するものとする」とあり、三矢作戦計画が暴露されて以後は公式に「核の傘」を前提とした防衛計画になっています。自衛隊は核兵器に触らせてはもらえないわけですが、核戦争では自衛隊の化学科が米軍を助ける体制がとられてきたわけです。
3. 国際的な生物・化学兵器の規制
●1925年、毒ガス等使用禁止に関する
ジュネーブ議定書
1915年から19年までの第1次大戦中にドイツは塩素ガス、ホスゲン、マスタード等を兵器として使用しました。とりわけ塹壕にこもった兵に対しては効果的だったということです。この技術はすぐに各国に広まり、大戦中の化学兵器の犠牲者は100万超といわれています。
1919年のヴェルサイユ条約にはドイツの化学兵器保有禁止が盛り込まれました。ドイツがいちばん多く使ったからですが、これを国際的に広げたのが1925年のジュネーブ議定書で、日本も署名しましたが批准はしていません。ただしこの条約で制限されたのは使用のみで、開発・生産・保有は禁止されず、米国・西欧各国・ソ連は開発を進め、ドイツではより強力なタブン、サリン、ソマン等の神経剤も開発していました。
●戦後も続いた生物・化学兵器開発
第2次大戦になると生物・化学兵器を使用したのは日本だけで、他国は使わなかったのですが、ソ連、米国、英国、カナダ、フランス、イラク、南アフリカ、朝鮮等では戦後も生物・化学兵器の開発・生産を続けています。
アメリカではフォート・デトリック研究所に日本の731部隊の人体実験の研究結果が移管されて研究が進んだと言われています。ソ連ではスヴェルドロフスク研究所が有名ですが、ここでは管理が甘く、炭疽菌が外に漏れ出て多くの人々が犠牲になった事件もありました。
●生物兵器禁止条約の成立
生物兵器禁止条約(BWC)が発効したのは1975年です。生物・毒素兵器の開発、生産、貯蔵、取得、保有のすべてを禁止し、保有分の廃棄義務を負う事になりました。182国が加盟していますが、シリア他3国は未批准。イスラエル他7国は未署名です。
日本は1972年 4月 10日 に署名、1982年 6月 8日 に批准しました。締約国による運用検討会議が5年ごとに行われています。
問題は検証制度がないということで、こっそり持つことが出来てしまいます。しかし信頼助成措置として、締約国は研究施設、生物防護計画、疾病発生状況などについて
毎年、国連軍縮委員会に提出することになっており、97国が提出しています。
●現在は遺伝子操作技術の生物兵器開発への応用が懸念されている
生物兵器と言っても今ではノミを培養してなどということは流行らず、遺伝子操作によって自然界にはない菌やウィルスが作られるようになりました。沢山の人を効率的に殺すことができます。
2004年に米国科学アカデミーが発表した報告書によれば、遺伝子操作技術により次のことが可能になります。①ワクチンの無効化 ②抗生物質への耐性獲得 ③毒性強化 ④伝染性強化 ⑤宿主変更 ⑥検知抵抗性 ⑦兵器化。合成生物学によりポリオウィルスや天然痘ウィルスも人工的につくることが可能といいます。新型コロナウィルスが人工であるとの噂もありましたね。
●化学兵器禁止条約の成立
1997年に化学兵器禁止条約(CWC)が発効しました。化学兵器の生産、取得、保有、移譲、使用を禁止し、保有分は10年以内に廃棄する事が決められました。しかし戦争目的以外の毒性化学物質の開発・生産は認められ、申告により検証措置が行われます。また批准していない国を規制することはできないし、国家でない団体を規制することもできないので、テロリストが使う事も予想されます。イラクはイランとの戦争中にマスタードやタブン、サリンなどを使用、クルド人に対する弾圧にも化学兵器を使いました。
締約国は193で、イスラエルは未批准、朝鮮、エジプト、南スーダンが未署名です。日本は1993年 1月 に署名、1995年 9月 に批准しましたので、95年以降、遺棄化学兵器の処分を行っています。旧軍の化学戦部隊が敗戦時に中国に遺棄してきた化学兵器を日本政府の責任で処理しなければならないので、中国との協力による処理プロジェクトが進められています。
ハーグに化学兵器禁止機関(OPCW)が設置され、各国が保管している毒ガス・化学兵器の査察を行い、国際会議も行っています。2013年ノーベル平和賞を受賞しました。
●自衛隊は条約の許容範囲内の量で化学兵器を生産・使用している
自衛隊は現在でも毒ガスを作っています。テロリスト等による攻撃を想定して、その被害を防ぎ無毒化するための研究用として、少量を毎年作って持っています。OPCWの査察も受けています。
2013年8月5日付の塩川鉄也議員の質問主意書「陸上自衛隊化学学校における化学兵器の生産、使用について」に対する8月 13日付政府答弁書によれば、タブン、サリン、ソマン、VX、マスタード、窒素マスタード、ルイサイト、メチルホスホニルジフルオリドを化学学校研究棟で合成し、防護目的で使用しました。無毒化するための研究だと回答しています。しかし製造技術の継承があれば兵器化も可能でしょう。
国会で問題化したのは『週刊金曜日』のスクープがあったからです。元化学学校校長が、米軍など外国からの支援なしに独自に作ることができたと証言しています。
だからこそ、松本サリン事件や地下鉄サリン事件の時に、自衛隊はいち早くこれはサリンであると分かったわけです。自分でも持っていて無毒化法も知っているのですから。
4. CBR戦の顕在化
●米国では9.11事件を契機に中東対テロ
戦争を最重要戦略とした
米国で2001年9月11日に起こった同時多発テロ事件と同時に、炭疽菌が郵便物に封入されて届き22名が死傷する事件がありました。米国はその報復として証拠もなくイラク戦争を起こしました。「大量破壊兵器」が存在しないことは後で証明されたのですが。
米軍の戦略は、それまで大規模な戦争に勝つことを想定したものでした。旧ソ連や朝鮮、中国と戦争して勝つ準備をしてきたわけですが、9・11事件後に米国の戦略は中東テロ対策を中心とするものに大きく変わりました。自衛隊もこれに随って「ゲリコマ作戦」、ゲリラやコマンドに対応する戦いの訓練を強化するようになりました。
米国では第 2次大戦中から生物兵器の生産を開始し、戦後、冷戦中には攻撃的生物兵器も開発していました。研究開発の中心はフォート・デトリックで、ここでは接収した731関係文書の分析も行い、1960年代にはジョンストン環礁で空中に生物剤を撒布する大規模な実験を実施しました。ベトナム戦争では枯葉剤を大量に使用しました。
以後は生物・化学兵器は効率的ではないとして、1969年にニクソン大統領により生物・化学戦研究を中止し、研究施設を閉鎖して核兵器に特化することを決めました。しかし2001年 の9.11同時多発テロとそれに続く炭疸菌事件により、米国では生物・化学戦対応の研究を再び拡大しました。
ところが日本の衛生学校、化学学校では休むことなく戦前からの伝統を引き継いで化学戦・生物戦の研究を行ってきた実態があります。
●自衛隊は中断することなく独自に生物・化学兵器を研究
『軍事研究』1984年 9月号掲載の藤井久による化学学校訪問記によれば、「創設当初、旧軍育ちが主流を占めていた頃は、ソ連軍の影を意識してか、化学防護に非常に熱心だったという」「そして最近、アフガン、イ・イ戦争(イラン・イラク戦争)でクローズアップされた。化学学校副校長・金田満州夫1陸佐は、『米軍のように断絶なく化学学校が続いてきたことは嬉しいことです』と語った。」米国は途中でやめたが我々は止めなかった、だから今でも化学戦も生物戦も出来る、と誇りに思っていたわけです。
●地下鉄サリン事件では自衛隊化学戦部隊が初の実動派遣された
1995年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件では、自衛隊の特殊部隊が出動しました。警察や東京消防庁の化学機動中隊では対応しきれず、陸上自衛隊第一師団司令部付化学防護小隊(現特殊武器防護隊)や、大宮の第101化学防護隊(現中央特殊武器防護隊)、化学学校教官らが出動し、除染作業を行いました。この事件では死者14人、負傷者6300人に達しました。
●防衛庁を中心にNBCテロ対策会議を創設
国内での化学兵器による大規模なテロ事件の発生を受けて、政府は2000年にNBCテロ対策会議を創設し、専門家を集めて「生物兵器への対処に関する懇談会」を設置、2001年に報告書が提出されました。生物兵器だけでなく化学兵器や核物質への対応も含みます。この報告書をもとに2002年 1月、防衛庁(省昇格は2007年)から「生物兵器対処に係る基本的考え方について」が発表されました。以後、自衛隊を中心にNBC攻撃に対応する事が国策となり、『防衛白書』に記載されるようになります。
白書の記述を読みますと、防衛出動時はもちろん治安出動時、災害派遣の際にも自衛隊は生物・化学・核テロに対する能力を備えることが強調されています。周辺事態(現存立危機事態)対処では当然米兵負傷者の治療も担当します。
●消防・警察・海保のCBR対策も自衛隊が指導
地下鉄サリン事件を契機に1996年、警察庁・消防庁・海上保安庁の省庁間協力の形で、化学学校が救急従事者のためのCBR防護の受託教育(RQC)を行うことになりました。現在では民間警備会社等からも受け入れ、泊まり込みで教育を受けます。防護服を着て、使われた毒物がどのようなものであるか判定し、適当な解毒剤で対処する。自衛隊普通科のCBR防護資格のための教育課程に準じた教育を行っています。核物質による攻撃も想定してセシウム137等も実際に使います。
5. 現在の自衛隊生物・化学戦部隊
● 生物戦対応部隊
生物戦対応部隊の中心は東京都世田谷区、三宿駐屯地の対特殊武器衛生隊です。三宿には自衛隊中央病院があります。
対特殊武器衛生隊は衛生学校の隣にあり、衛生学校は衛生隊員を養成する為の学校です。
対特殊武器衛生隊は13万の陸上自衛隊のすべてを管轄する陸上総隊(朝霞)の直轄部隊です。その下に二つの特殊武器治療隊と水陸機動団(佐世保)の衛生中隊があります。5つの方面隊には野外病院隊と救急車隊が、13の師団・旅団には衛生隊がありますが、そのすべてに特殊武器対応部隊が配置されています。全国どこにでも生物戦に対応できる自衛隊員がいるということです。
なお特殊部隊員でなくても、陸上自衛隊では新入隊員教育ですでに全員が防毒マスクの着脱訓練を催涙ガスを充満させたテント内で行っています。
● 核・化学戦対応部隊
中心は埼玉県大宮駐屯地の中央特殊武器防護隊です。これも陸上総隊司令官の指揮下にあります。全国に13か所ある師団・旅団すべてに特殊武器防護隊、化学防護隊があります。
核・化学・生物戦争を戦うことを想定した訓練をするためには、敵の役割をする部隊がいなければなりません。毒物の除染訓練をするには、偽薬であってもともかくまず毒物を撒布する必要があります。敵の役割をする部隊のことを「対抗部隊」と言います。
●除染訓練には散布の部隊も必要
対抗部隊が偽薬を撒布するにあたっては、効果的な方法をとる必要があります。風向きや風の強さはどうか、雨は降るか、どのような地形のところに撒布するのが良いか。それらを心得た部隊ですから、実際の生物戦・化学戦にも役立ちます。
「特殊武器防護訓練の参考」という、化学学校で作った教科書があります。5年に一度改訂し、古いものは公開するので私の手元にもありますが、肝心なところは黒塗りになっています。黒塗りの所はタイトルだけ読めますが、「化学武器使用の用法」「化学武器投射手段」「攻撃における化学部隊の使用」などの項目があります。また「対処部隊ハンドブック」という小さな本も私の手元にあります。
●要するに自衛隊は生物戦・化学戦の能力を保持している
自衛隊に戦前の731部隊あるいは化学部隊の人間が衛生学校、化学学校の教官として入り込んで、戦前行ってきたことを隊員に教え、自衛隊は生物・化学戦の研究を積み重ねてきたということをお話ししました。対処だけでなく、生物兵器・化学兵器の製造もできる、実戦的訓練もしている。ですから自衛隊は化学戦・生物戦、さらに核戦争にまで対応できる部隊になっています。
ただし自衛隊は単独で戦うことはできません。1978年に「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)が日米間で調印されてから、それに基づいて日米共同作戦計画が秘密裏につくられ、日米共同演習を経て改訂を繰り返しています。この中で日米共同で戦う計画文書が作られました。そして日米が共に戦うことを日本で法制化したのが2015年の安保法制でした。
実は昨日、9月19日がその安保法制10周年でした。2015年には10万を超すたくさんの人々が国会を取り巻き、抗議行動を行いましたが、昨夜の国会前集会の参加者は2300人にとどまりました。
1963年に秘密裏に作成された三矢作戦計画(昭和三十八年度総合防衛図上研究)文書が翌年に国会で暴露されて大問題になりました。そこで以後はガイドラインで公式に共同作戦文書の作成を決めたわけです。1978年の第1次ガイドラインにより日本有事共同作戦計画が、1997年の第2次ガイドラインにより朝鮮有事ガイドラインが、そして2015年の第3次ガイドラインにより台湾有事ガイドラインが作成されました。
生物・化学兵器の使用は条約で禁止されていますが、朝鮮も米国もロシアも持っています。自衛隊と米軍が共に戦う時、相手が使うかもしれないしこちらも使うかもしれない。だから生物・化学兵器そして核兵器に対処できる部隊が自衛隊に作られてきたのです。
●日米共同訓練にも生物戦・化学戦部隊が参加
生物・化学兵器使用を想定した攻撃訓練が実際に行われたことがあります。2019年 1月、米海兵隊と陸上自衛隊の共同実動訓練フォレスト・ライトの一環として、滋賀県饗場野で核・化学戦を想定した対処訓練が行われました。2020年の日米共同訓練オリエント・シールドには大宮の中央特殊武器防護隊が参加、「日米部隊が共同で除染訓練を行い大量傷病者の対処にも当たった」と自衛隊の准機関紙『朝雲』が報道しています。
2024年の日米共同演習キーン・ソード25は自衛隊33.000、米軍12,000が参加するという大規模な演習でした。演習の現場は南西諸島と九州が中心で東京から離れていましたから注目されませんでしたが、ここにも特殊部隊が行っています。
●731部隊の亡霊は生きている
まとめます。このようにして自衛隊は旧軍の細菌戦・化学戦部隊の関係者から直接指導を受け、米軍の協力も得ながらCBR戦の準備を続けています。731とは、決して昔話ではありません。
米軍は一時、核以外の特殊兵器研究を中断しましたが日本の自衛隊は中断せず独自に研究・開発・訓練を続けていました。朝鮮有事・台湾有事の日米共同作戦計画の中には、CBR戦対応も当然含まれており、朝鮮有事・台湾有事があるとすれば共同作戦計画に従って自衛隊も出動することになるだろうと思います。自衛隊の基地は米軍も使用し、出撃基地になり、当然攻撃を受ける対象になります。
●核戦争準備、生物・化学戦準備は中止されるべき
このようなことがあって良いのかを考えるべきです。生物戦、化学戦そして核戦争では兵だけでなく膨大な民間人が犠牲になることを分かっているわけですから、また繰り返してはなりません。そのためにはまず、旧軍が中国で行ったことをすべてを明らかにさせることが絶対に必要です。そして犠牲者にきちんと謝罪して補償をすることが必要です。
外国でも未だに生物戦・化学戦の準備をしているという実態があります。韓国の子どもたちは朝鮮戦争が再開された時に化学戦・生物戦があるだろうと想定して、防護マスクを着けた訓練を受けています。子どもたちにこのような訓練をさせないことが、私たち大人の責任ではないでしょうか。
すでに生物兵器禁止条約、化学兵器禁止条約に続いて、核兵器禁止条約が発効しています。世界の流れに従い、自衛隊はCBR戦準備を中止すべきです。(了)
多磨霊園の精魂塔(せいこんとう・・2026年9月23日撮影)731部隊の顕彰碑?
この塔は、「マルタ」と呼んだ人体実験の犠牲者を供養する塔ではなく、731部隊がよく頑張ったことを顕彰するための塔だ!!
オウム真理教の幹部を死刑にして、本当に事件は解決したのか?自衛隊のサリン製造は事件に関係していなかったのか?日本の過去を反省しない面々!!
地下鉄サリン事件から31年を前に 遺族が国に要望書提出
地下鉄サリン事件の被害者26%が今もPTSD訴え…「電車に乗れない」「頭痛薬を常飲」心身の不調続く実態
自衛隊で核戦争を想定した訓練とは何事だ!!
唯一の戦争被爆国、日本は世界に向けて核廃絶を訴える立場ではないのか!!
化学学校記事 第1巻 第1号
米軍の特殊武器戦術について
3等陸佐 中 島 誠 生
(3) 防禦における化学剤支援
(a) 毒ガス
2 持久ガスは障害組織及び地雷原の増強のため、又占領中或いは予想する 結地,接近経路を汚毒するため使用する。これによる一般的な効果としては傷害者の発生,他の兵器に対する敵の脆弱性の増加があげられる。すなわち集結地の汚毒は,敵にこの地域外に退避することを強制し,敵の選定した地形の利及び準備した努力等を放棄させて弱点を暴露させる。もし敵が敢えて止まるならば,持久ガスによる傷害の危険を受けねばならなくなる。 持久ガスを地雷源及び障害組織に使用する目的は,敵の前進を遅滞させ,集中させて良好な原子目標を作ることと,敵の撃滅に有利な地域に誘致導入することである。
※戦争になると如何に人を殺すことが出来るかに重点が置かれてしまう。人権意識など皆無になってしまう。
『化学学校記事』の情報をお持ちの方は
nobu.goi@gmail.comまでご連絡ください!!
『化学学校記事』を公開せよ!!
2026年3月19日『化学学校記事』控訴審 判決文
不当判決!!
『化学学校記事』を作っておいて、保管していないなど、あり得ないではないか!!
情報公開裁判『化学学校記事』控訴審!!
戸山人骨調査の現状と課題
731部隊を引き継いだ自衛隊衛生学校 大内要三
(週刊金曜日 2025.3.14(1512号)~
731部隊を引き継ぐ自衛隊細菌戦・化学戦部隊
近隣諸国から非難を浴びた一枚(安倍晋三の歴史認識を問う!!)






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