(会場の拍手)
伊藤と言います。 えっと、会場、もうちょっと明るく、電気してもらえませんか? 会場の照明を、もうちょっと明るくしていただけませんか? あの、照明をですね。
あと、これをあげて……。 (会場から声、笑い) そうだよな、邪魔だよな。
いや、会場の照明、皆さんのところの照明を明るくしていただきたいということです。 (会場:ありがとうございます) できればこれは明るくない方がいいのかな? これを消して会場を明るくすると。 (会場の笑い)
はい、とりあえず始めちゃいましょう。 あの、こちらを……客席の方を明るくしていただきたいということです。 (会場アナウンス:ステージの照明は消してください) はい。はい。 (会場アナウンス:ステージの照明を消してください) ここの、これを消していただければということです。
はい。
えーっと、「市民が動けば政治は変わる」というお話を今日させていただきます。 この2月に選挙があって、もう高市さん万歳という人達が自民党の勢力、衆議院の3分の2を占めた。 そして維新を含めると4分の3になっちゃった。 「これでもう何でもできる、何をされてもしょうがないんだ」と、こういうムードが広がりましたけども、そんなことないですよ。 今時、政治ってのは選挙で変わるわけではない、市民運動で変えていきます。 この市民運動でどう変えていけるのか、ということを今日お話ししたいと思いますね。
例えば、今年、米軍のベネズエラ侵攻ということで幕を開けました。 米軍がですね、南米のベネズエラに軍隊を派遣して、そして100人以上を殺して、さらに大統領夫妻をアメリカに連れて帰る、拉致すると。こういうことが起きましたです。 よくこんなことやると思いません? いきなり余所の国に侵略して100人殺す、強盗じゃないですか。強盗殺人ですよ。 それを国がやる。で、しかも大統領夫妻を連れて行く。
例えばですね、日本に米軍がやってきて、やってこなくても既にいますけども、 高市首相をアメリカに拉致して帰る。 どうぞ拉致して帰ってほしい。(会場の笑い) そんなことやったら大問題ですよね。 こんなことを平気でやるのが今のアメリカなわけですよ。 もうなんか、国際法なんか関係ないと。自分は、トランプは何をしても許されるんだと、こんなこと思ってるわけですよ。
そのトランプに抱きついたのがこの人ですね。(会場の笑い、声:恥ずかしい) 3月に訪米して、いきなりトランプに抱きつくということをやりました。 普通、外交、余所の国の首脳がやってきてですね、いきなりそこの首脳に抱きつくってのは、今までの外交の歴史上まったくありませんですね。 実に珍しいことをやりました。
そうやってトランプに気に入られたかと思ったら、この9月、つい先日、訪米したら、手を振っても誰もいない。(会場の笑い) 中国の習近平が行くとトランプが迎えて赤い絨毯の上を一緒に歩いたのに、この高市さんが行くとシーンとして誰もいない。こういう扱い受けるの当たり前ですよ。 要するに馬鹿にされてるわけですよ。 日本というのは、トランプが何か言えば全部何でも言うこと聞くんだと、高市という奴はそういう奴なんだ、というふうに思われてるわけですよ。 高市さんだけならいいけども、我々日本人すべてがアメリカの奴隷だと思われている。そういうことをうちの国の首相はアメリカでやってるわけですよ。
そこで高市さんが3月に言ったのは、「世界の平和に貢献できるのはドナルドだけ」。 世界を平和にするどころか世界を壊してるわけですよ。 そういう指摘をしないで、「あなたが平和を作るんだ」と。 なんかこう、本当に日本っていう国はもう、アメリカが一言言えば何でも「はいはい」って言うんだというふうに思われちゃうんでしょうね。
その高市さん、トランプから言われたのはですね、3月に言われたのは、「今イランで戦争をやってると。そこに自衛隊を派遣してくれ」と。こういうこと言われたんですね。 それに対して高市さんは、「うちには、日本には9条というものがある。だから自衛隊は派遣できません」と言いました。 これ正しいんですけど、別に高市さんが正しいわけじゃない。歴代日本の首相はそういうことを言ってきました。
これまでベトナム戦争、イラク戦争、そういったアメリカが戦争を世界のあちこちで起こす、それに対して当時の日本の首相はすべて「自衛隊は派遣できません。なぜなら日本には憲法9条というものがあるからです」ということを言って、きちっと反対してきたんですね。拒否してきました。 高市さんも今回同じようにした。
でも今回高市さんが違うのは、「その9条を私が無くしてみせます」みたいなことを言ってみたそうですね。
だって、日本に帰ってきて急速に軍事化が進んでますね。 この3月から今に至るまでの半年間、日本大きく変わりました。 高市さんは4月に「時は来た」と言った。何の時か。「憲法を変える時が来た」と。 これは自民党が結党以来、自民党ができて以来の宿願、願いだった。 それを安倍さんもできなかった。でも私はやる、私がやってみせる、ちゅうようなこと言ってるわけです。 そして本当に軍事化の道をこの半年進んできました。
例えば長射程ミサイル。長射程ミサイルって何やと、要するに遠くまで届くミサイルってことですよ。 これまで自衛隊が持ってるミサイルは射程距離200キロ、400キロ、まあそのへん、ちょっとしか届かなかった。 それを900キロ、1500キロ、中国大陸まで届くようなミサイルを日本が配備する。つまり実戦配備して、中国との戦争がいつ起きてもこちらからミサイルを中国に撃ち込むことができるようにする、という態勢に今どんどん成ってるわけですね。
日本が始めた軍拡競争、ということなわけですよ。中国から見てみると、「おい、日本って中国に向けてミサイルを本当に配備してる。ということは、中国側も日本に対してミサイルを配備しなきゃいかん」と、こういう発想に持ち込まれますよね。 要するに今回の今、この半年間で高市さんがやってるのは、日本と中国の臨戦態勢ですよ。
それだけじゃない。国内でも法整備をやってます。どういう法整備か。 国民が高市政権に反発しないように、政府に反発する人はすぐに捕まえてしまうと。 戦前に治安維持法というのがありましたけども、それと似たような法律を作って、スパイ防止法。 さらに国旗損壊罪、この前作られましたですね。 こういった法律をどんどん作って国民を反政府ということを表立って言わせないようにしようと、そういうことを今どんどんやってきてるわけですね。
わかりやすいのが九州の南の南西諸島という島々です。 九州の南、鹿児島県のですね、馬毛島、奄美大島、そして沖縄県に入って沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島。 こういった島々がすべてミサイル基地に変わってしまいました。コロナの間に。 コロナの間、僕これすべて回ってきたんですよ。すべての島回りました。
一番上、奄美大島。もう見渡す限り180度、もう自衛隊の基地、壮大な基地があります。 真ん中、宮古島。あのトラックみたいなのがミサイルの発射塔なんです。あそこからミサイルがポンポン飛んでいくわけです。 で、右側の山みたいになってるところ、斜面になってるところ、あれがミサイルの格納庫なんですね。 一番下、与那国島。もう見るからに、新しい基地ができてますけど。
分かりやすいのがこの台湾に近い石垣島なんですね。 石垣島、ここに行ったのが、僕行ったのが5年前、2021年の暮れ、ちょうどコロナの真っ最中でした。 山の上から撮った写真が左上、ミサイル基地を作っておりました。 この場所って、自民党の石垣市議会議員が持ってたゴルフ場なんですよ、元。 で、真ん中にちょっと赤い屋根が向こう側に見えますけども、あれ幸福実現党が持ってたレストランですよ。 それを防衛省が高い金を出して買い上げちゃって、ミサイル基地を作っておりました。 僕が行ったのは2021年の12月28日、年の暮れですよ。年の暮れにもかかわらず急ピッチで作ってました。あっという間に完成しました。 それがこの右側のこの写真。リゾートみたいですよね。手前にあの3つ山みたいのあります、あれがミサイルの格納庫です。 で、すでに自衛隊員600人以上がここに赴任しております。 いつでもこっから中国にミサイルが飛んでいける、こういう態勢になってるわけですね。
飛んでいったら飛び返されますよね。 何もここが元ゴルフ場だったからといって、この中にホールインワンするわけじゃないですよね。(会場の笑い) 周りに落ちますよね。向こう側見てください、もう民家があります。 民家にも当然ミサイルが落ちる。 つまり、この石垣島がウクライナみたいな状況になるわけですよ。 当然、島の人達は不安に思います。 「いざとなったら私たちはどうなるんですか?」と自衛隊に聞きに行ったと。ここに聞きに行ったそうですよ。 どういう答えが返ってきたか。 「それは我々自衛隊には関係ありません」と。 こういう答えですよ。(会場:えーっ)
「え、自衛隊って私たちを守るために来てるんじゃないんですか?」 「違います」ちゅうんですよ。 「じゃ自衛隊の役割って何なんですか?」って聞いたら、 「それは自衛隊法第3条で決まっております。自衛隊の役割、それは日本の平和と独立を守るんです」と。 「日本の平和と独立を守る」であって、「国民を守る」という言葉はないのですよ。 別に自衛隊が悪いんじゃない、そういうふうに自衛隊法で決まってるんですよ。 日本の平和と独立、その「日本」という中に国民は含まれてない。 いざ戦争となったらとにかく自衛隊の役割はもう戦争をすること、そこで国民がうろうろしてたら「お前ら邪魔だ」と、こういう発想になりますよね、そりゃ自衛隊からすると。 そういうわけで、いざとなった時に自衛隊は国民を守るものではないのですよ。
ということを、この石垣島の人々は初めて知って、びっくりするわけですよ。 「今の今まで自衛隊は私たちを守るために来てくれたんだと思ってた。違うんですか?」 「違うんです」 「じゃ、いざという時に誰が私たちを守ってくれるんですか?」と聞いたら、 「あ、それも法律で決まっております」と。 2004年に国民保護法というのができました。それによると、いざという時に皆さんを守るのは「自治体です」ということになってます。 自治体。つまり、ここで言うと石垣市役所ですよ。市役所のレベルでどうでもなる話じゃない。沖縄県庁、県庁でもどうにもならない。だから政府に行く。
で、政府が、「ま、しょうがないな。じゃあシェルター作ります。防空壕を作ります。そこに食料を置いておきますから大丈夫です。安心してください」ってこう言ったのが2年前です。 「食料ってどのくらい置いとくんですか?」って聞いたら、「2ヶ月分置いときます」。 「2ヶ月って、ウクライナの戦争4年以上続いてますよ。2ヶ月で終わるわけないじゃないですか」ということを言ったら、 「ま、しょうがないな。じゃあ戦争になりそうな気配があったその直前に皆さんを飛行機で本土、九州・山口県に飛行機で送りますから安心してください」というふうに言ったんですね。
ところが、当時NGOが計算してみました。沖縄の島々の人々を九州・山口に送るために飛行機が何機必要かと。 今、日本全国にある飛行機全部足しても足りないっちゅうんですよ。 つまり、政府が作る国民対策っちゅうのは、本当に紙に書いただけ、現実には機能しないもんだ、国民のことちゃんと考えてないってことですよ。 それがこの石垣島で明らかになりました。
では、なんでそんなに政府が一生懸命ミサイル基地を作ったり、ミサイルを高性能のを配備したり、そういうことをやってるんでしょうか。 それは「抑止論」という考え方に立つからなんですね。 戦争を防ぐ、相手から攻められないようにするためにはどうしたらいいか。 「それは簡単だ。相手よりも日本が強くなればいい。そうすると相手は恐れて攻めてこないだろう。日本の戦力を増やせばいいんだ」と、こういう発想に立ってるわけです。
で、日本の戦力どうだろうかと、思ったら「ちょっと足りないんじゃないか。どう足りないかわかんないけど、とりあえず防衛費を増やしちゃおう」というんで、これまでずっと5兆4000億円、年間5兆4000億円で来てたのを、2倍の11兆円規模にしようと言って、今その道にあるわけですね。 今現在で9兆円ぐらいですよ。こういうところになってる。
じゃあ11兆円になれば、もうそれで安心なのかと。 全然安心じゃないんですよ。 だって、政府が敵国、仮想敵国と見てるのは中国ですよ。 中国の防衛費、向こう軍事費と言いますけど、軍事費いくらか。43兆円ですよ。 中国は43兆円。で、日本が今増やしていって目標で11兆円。 目標に届いたとしても、まだ4倍以上の開きがあるじゃないですか。 だから高市さん言うでしょうね。 「ごめん、計算間違いしてた。(会場の笑い)11兆円じゃ全然足りないことが分かった。だからもう2倍にします」と言って、実はもうすでに、もうさらに2倍にして21兆円にするというのを高市さんもずっと言ってますよね。21兆円にする。
で、21兆円で大丈夫なのかと思ったら、21兆円にしたらまた言うでしょ。「あ、ごめん、計算間違いしてた。もう2倍にしなきゃいけない」というんで、もうすでに43兆円という数字が出てますよ。 これまで5兆4000億円だった防衛費を43兆円にする。 8倍ですよ。という道に今あるわけですよ。
じゃあ43兆円にしたら、もうそれで万々歳なのかと。滅相もないんですよ。 だって、中国は中国でどんどん軍事費を上げていってるんですね。 どこまであげるか、「アメリカに追いつくまでだ」ということを習近平という人は言っています。 なんと2030年までに、つまりあと4年後にアメリカの経済力、軍事力に中国は追いつくんだ、ということを言ってる。 じゃあそのアメリカの軍事費っていくらか。今現在で150兆円ですよ。 これに中国が追いつくっていうわけですよ。 ま、150兆円までいかなくても100兆円規模になるでしょうね。
そうすると、日本も防衛費を100兆円規模にしないと、この考え方は成り立たないのですよ。 100兆円にできるかと。できるわけないですよ。 だって日本の年間予算が100兆円規模ですよ。 年間予算すべて防衛費。こんなことになったら生活費がないじゃないですか。教育とか福祉とか医療とするどころじゃない、生活が成り立ちませんよ。 戦争する前にこの国は滅びてしまいますよ。生きていけなくなる。 こういう国を今どんどん作っていってるんですよ、高市さんは。
そういう中で、軍事費だけが突出してどんどん増えて、他のものはどんどん減っていってるじゃないですか。 これがこのままいったらどうなるか。 皆さん、年金なんかない。もう諦めてくださいね。 年金がないどころか、もう90歳、100歳になっても働いて税金を払えと、いうことにならないとこれ達成できないんですよ。
そういうことを、先のこと考えずに高市さんはどんどん目先のことしか考えない。 こうやって税金を上げて、すべて上げた分は防衛費、軍事費に注ぎ込むと、いうことやってるわけです。 今でさえ物価がどんどん上がって、年金は下がる、給料は……教育費も上がる。 でも収入は増えないという、いびつなのが今の日本じゃないですか。 これがどんどん進んでいくわけです。
「そんなこと言ったって、やっぱり中国が憎い」とか、そんなことを言う人もおりますよ。 「中国と戦争するんだ、あいつらを懲らしめてやるんだ」という元気な人がおりますけども、こういう人は本当に中国と戦争したらどうなるかってのをいっぺんでもちゃんと考えたことがあるのかと。
これ左側の図を見てください。日本と中国の兵力比較です。 陸上兵力、中国は陸上部隊、陸軍が96万人あります。それに海兵隊の4万人足して全部でちょうど100万人なんですね。 日本の陸上兵力はいくらか。13万人。陸上自衛隊13万人。 100万対13万ですよ。1割ですよ。勝てるわけないじゃないですか。
「いや、日本には海上自衛隊、航空自衛隊がある」と言うけども、全部足しても23万人ですよ、日本は。 中国だって海軍も空軍も、あとはロケット部隊だってある。これ全部足したら中国は200万人なんですよ。 中国は200万人、日本は23万人。やっぱり1割じゃないですか。 これで対等にぶつかって勝てるわけないじゃないですか。
「いや、日本には大和魂がある」(会場の笑い) そういうことを言ってコテンパンになったのが81年前の戦争じゃないですか。 その時の戦力比較が右側ですよ。日本とアメリカの戦力比較。 1941年、戦争が開始した時、日本の陸軍の兵士の数は210万人おりました。これですね、210万人。 アメリカの陸軍の兵隊の数は152万人だったんですよ。日本の方が多かったんですよ。 だからちょっと勘違いして、「もしかして勝てるかな」と思ってた人がいたでしょうね。
ところがどっこい、国の大きさが違うじゃないですか、国力ってのは違う。 戦争が始まって2年後、1943年、日本の兵隊の数、陸軍の兵隊の数290万人に増えました。 でもアメリカはドドドドーっと699万人ですよ。規模が違うの。 こうなるって分かってましたね、最初から分かってました。 最初から分かってたとおり負けちゃったんですよね。そして焼け野原になっちゃった。
それを81年前にやったばかりですよ。 にもかかわらず、今度は向こうが10倍ぐらいあるわけですよ。正確に言うと8倍ですけど。 勝てるわけないじゃないですか。
それでも「いや、大和魂」って。大和魂は本当に好きなんでしょうかね。 大和魂で日本人全体を滅ぼしたい、滅亡させたいと言うのが今の元気な人の言うことですけど、そうすると日本は本当に酷いことになります。 またあの81年前を繰り返す。
「じゃあ、攻められたらどうする?」と言う人がおります。 「攻められたらどうする?」 スタンディングをやってる時にですね、こういうことを言われて、「ああ、ちょっとどうしようかな、そうだよね」と思った人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。(会場の笑い) あのウクライナの戦争が始まった4年前、こういう言葉がもうしょっちゅう出てきました。 で、これに対してどう答えていいか分からないというので黙ってしまう、ということがよくあったんですよね。
この質問は実は誘導尋問なんですよ。 これを言われた時にこう言えばいい。「あんた、それは誘導尋問だよ」と。 「暴力を煽り立てる誘導尋問だよ」と。 「攻められたらどうする?」と言われたら、我々は今のウクライナみたいな状況を頭に思い浮かべます。 日本にどんどんミサイルが飛んでくる。 「あ、そうなる前に日本、もうちょっと用意しなきゃいけない。軍備拡張しましょう、ミサイルをたくさん持ちましょう」と、こういったところに結論を持っていく、それが「攻められたらどうする?」という誘導尋問ですよ。そこに持っていく。
人々に軍事化に賛成させる、そういう意識操作なんですね。これナチスがプロパガンダで使いました。 しかしですよ、今、現実には攻められていないんですよ。 で、攻められる理由もありませんよ。
「ウクライナだって、突然ロシアが攻めて行ったじゃないか」と言いますけども、あれは突然じゃないんですよ。 ウクライナとロシアの紛争、もうずっと長い間続いておりました。 しかも実際に、もう戦争になるかもしれないという状況が2014年から始まってた。 つまり2014年から2022年の間、8年間に戦争を回避するような話し合いがちゃんとやられていたら、戦争にはならなかったんですよ。 そうはしなかった。両方とも軍備拡張、軍備拡張、戦争の用意をした。 戦争の用意をしたらどうなるか、戦争が起きるんですよ。
今、戦争をしてるわけではない。そういう時に何ができるか。 1つは軍備の増強。これをやると戦争になる。 大体、軍備の拡張をやって競争をやっていくと、8割方は戦争になる、こういう学者の数字が出ています。 必ず戦争になるんですよ、80%の確率で。
もう1つは、今、戦争をやってないんですから、今のうちに平和を作り上げるということをやればいいじゃないか。 こっちの方がよっぽどまともですよね。 我々もちゃんと生きていきたい、平和に生きていきたいと思ってます。 中国人だって同じですよ。「私たちだって平和に生きていきたい」と思ってる。 だったら、両方とも平和に生きられるようなそういう方法を探ればいいじゃないですか。
「いや、しかし明日にでも中国が攻めてくるかもしれない」という人もいる。 皆さん、考えてみてください。 中国が最後に日本を攻めてきたのはいつですか? 日本から中国に攻めて行ったことはいっぱいありますけどね。 中国が日本に最後に攻めてきたのはいつでしょう? (会場:元寇) 元寇。元寇ってありましたね。(会場の笑い) 元寇の時に生きていた方はいらっしゃらない。(会場の笑い)
鎌倉時代ですよ。鎌倉時代にモンゴルが中国に攻めて行って「元」という国を作って、その元が攻めてきた、日本を攻めてきたのが元寇。 それ以来700年以上、中国が国として日本を攻めてきたことはないですよ。 日本から攻めて行ったことはいっぱいある。 700年以上もないのに、「明日にでも中国が攻めてくる」、妄想ですよね。 妄想を持っちゃって、「もうそうなるんだ、だからもう準備しなきゃ」と、こういう発想になってくる。 人間パニックになるとですね、何かとんでもないこと思いつく。
4年前にウクライナの戦争が始まった時に、僕、講演した時にですね、質問に立った人はこう言ったんですよ。 「銀河の彼方から、突然日本を目がけて攻めてくる奴が、何とか星人がいるかもしれない。だから今のうちに日本も原爆を開発するべきだ」 こういうこと言った人がありましたよ。 こう、なんか「えーっ」と思いますよね。(会場の笑い) でも周り、当時みんな周りが「そうだ、そうだ」って顔してるんです。 パニックに陥ると人間は妄想を持っちゃうんですね。 今でこそそんなことなくて、みんな笑っちゃいますけども、あのウクライナの戦争が始まった時、パニックになった時って人間は妄想を持っちゃう。 その妄想を抱いてる人が、「中国との戦争に備えて」という話になる。中国が今にも攻めてくるんだ、妄想ですよ。 で、そういうこととか、「攻められたらどうする?」という誘導尋問でもって、こっちの方、戦争しよう、戦争しよう、そういう方向にどんどん日本人の頭が洗脳されていく。 それをうまく利用してるのが今の高市さんですよ。
しかし、世界はそうじゃない。 戦争する方向じゃなくて、戦争を否定する方向にこの100年、世界は動いてきました。 昔は力が正義でした。強いものが弱いものを侵略して領土を奪う、当たり前だった。 ところがこの100年、変わってきました。 きっかけは1928年、パリ不戦条約という条約。フランスのパリで条約が結ばれました。 「これからは戦争してはならない。戦争は違法とする」と、こういう条約が人類の歴史で初めて作られたんですよ。 こっから変わってきました。
大きな節目は1945年、第二次大戦が終わって国連ができた時。 国連憲章でこう立っている。 「加盟国は武力による威嚇、または武力の行使を控えなければならない」 どっかで聞いた文句じゃないですか。 これが日本の憲法9条の源なんですよ。 日本の9条はホッと出のものではありません。背景に国連憲章がある。 国連憲章の背景には、この世界から戦争を無くしたいという人類100年の夢がある。 人類の夢が文章として、憲法として成立したのが、人類で初めて成立したのが日本国憲法9条ですよ。誇るべきもんですよ。
その後も、生物兵器とか対人地雷、国連核兵器禁止条約、こういった条約が着々と作られてきました。 「条約が作られても破る奴がいるじゃないか」と言いますけども、破る奴がいるからといって条約全部が駄目なわけじゃないですよ。 条約をこうやって人類が作ってきて、世界を戦争しない態勢にする、こういう流れがこの100年続いているんですよ。
この最後の国連核兵器禁止条約、これを提案したのはどこの国か。 コスタリカという国です。中南米の小さな国。 日本に次いで世界で2番目に平和憲法を持った国です。 1949年、この国は憲法で「軍隊を廃止する」と決めました。 で、本当に軍隊無くしちゃった。 日本は「軍隊を廃止する」と言いながら自衛隊という軍隊持ってます。 このコスタリカは軍隊を本当に無くしちゃった。軍艦も戦車も何もないですよ。 そういう国を作っちゃった。その国が国連核兵器禁止条約というのを提案しました。 2017年に採択された。
この条約を話し合う国連総会の議長になったのが、この黄色い服を着た人。 この人はコスタリカの国連代表のホワイトさんという人です。コスタリカの国連代表、女性です。 なぜコスタリカの人が議長をやったのか、提案したのがコスタリカだったからですね。
その時、この条約を話し合う時の日本政府はどうしたか。 これが日本政府の席です。「Japan」と書いてあります。 この席に誰も人はいませんでした。 日本政府はこの条約の審議をボイコットしちゃったんですよ。 話し合いしません、私は参加しません、参加しなかった。
その席の上に置いてあったのが、白い折り鶴1羽。 その鶴の羽のところに「I WISH YOU WERE HERE」。 高校英文法の例題みたいなやつですね。(会場の笑い) 仮定法ってありましたよね、思い出せば。 「あなたにここにいてほしい、でもいない」これが書いてあった。 本当なら被爆国の日本がこういう条約を提案すべきじゃないですか。 ところが日本は提案どころか参加すらしない。話し合いをボイコットしちゃう。 「あんたら本当に被爆国なのか」と言いたいのですよう。
このコスタリカ、さらに世界に平和を広めるということをやってます。 この人、1987年当時のコスタリカの大統領、アリアスさんという人。 この人は当時戦争をやった中南米の3つの国を回って、3つとも戦争を終わらせてしまいました。 その功績で1987年、ノーベル平和賞をもらった。
僕、当時朝日新聞の中南米特派員やってたんですよ。 で、彼に会って聞きました。 「なんで余所の国まで行って戦争を終わらせたんですか?」って聞いたら、彼は言いました。 「うちの国は平和憲法を持ってる。平和憲法を持ってる国は自分とこだけが平和で満足していていいんじゃないんだ。世界を平和にする、それが平和憲法国家の役割だ」 高市に聞かせてやりたいじゃないですか。(会場の拍手) 高市さんだって、ウクライナとロシア回って戦争終わらせたらノーベル平和賞ですよ。 そんなことしないんですよ、あの人は。
こういうことをこのコスタリカという国はやってる。 さらにすごいのはですね、軍隊無くしたら軍事費いらなくなりますよね。 そのいらなくなった軍事費の分、すべてを教育費に回しちゃった。 この時のスローガンが「兵士の数だけ教師を作ろう」。 いいスローガンじゃないですか。 これ本当にやっちゃったんですね。
その結果どんな国ができたか。 この国、義務教育は幼稚園から高校まで13年間、完全無償ですよ。 義務教育9、10、13年間。拍手したくなりますよね。(会場の拍手) 13年間、完全無償。 日本は小中学校9年間だけじゃないですか。しかも色々金かかりますよね。 どこが教育大国かと言いたくなる。
この国は幼稚園から高校まで。ものすごい豊かな国なのか、そんなことないですよ。貧しい農業国ですよ。 農業と言っても高く売れるようなお米とか小麦、そんなもんできません。 バナナ、パイナップル、コーヒー、このくらいですよ。あんまり高く売れない。量も少ない。 貧しい農業国。 なのにそれがどうしてできたのか。 それは軍事費を無くして教育費に回したからです。
日本だって軍事費を削って教育費に回したら、大学ただになりますよ。 ところが今日本がやってるのは、教育費を削って軍事費に回してる。 世界に逆行してるんですよ。
で、ここでですね、高校まで義務教育と聞いたもんで、「大学生どうなんですか?」って聞いたら、 「大学生の70%には奨学金出してますね」と。 奨学金というと日本にも悪名高い奨学金あるじゃないですか。あれ金貸しですよね。 貧しい家庭で大学に行くような、その授業料払えないという、そういう人は国からお金を借りる。 でも大学を出て就職したら、もうその時から返さなきゃいけない。その額というのは1人あたり300万円以上ですよ。 だから今の日本の若者、ピーピー言ってるわけですよ。 300万円以上、いきなり高い給料出るわけじゃない、しかも300万返さなきゃいけない。 だから日本の若い者、若者は大変なんですよ。
ということを僕、コスタリカの人に話しまして、「お宅の奨学金はどうなんですか?」って聞いたら、 「奨学金は奨学返金です」って言われました。 「返す必要ない」っちゅうんですよ。当たり前じゃないですか。 だから奨学金っていう。奨学金と言いながら金貸ししてるって、この国ってなんかおかしいんじゃないかと、思いません?(会場:おかしい)
で、「じゃあ残り30%はどうなんですか?」って聞いたら、 「残り30%の家庭はそれなりにお金持ってるから、授業料を払ってもらってます」と。 「じゃ、国立大学の授業料って年間いくらですか?」って聞いたら、日本円にして「年間3万円」。 この国は幼稚園から大学までほぼ無料で行けるわけですよ。 なんでそんなことができるのか。 だから軍事費を無くして教育費に回したらそうなるんですよ。うちだってできるんですよ。
いや、すごいな、全然違うなと思って。 今私たちは日本が酷いな酷いなと思ってるけども、どう酷いかっていうのは余所の国と比較するとよく見えます。 そして今必要なのは、日本をどういう国、どういう社会にするかということを思って考えた方がいい。 余所の国はもっとまともですよ。 まともなことをやれば、ちゃんとみんなが生きていけて、誰もが勉強したいと思ったら勉強できる、病気になったらお医者さんにかかれるという国を作ってる。
もう一つ、まともな国があります。ニュージーランドという国。 赤道を挟んで南の方、南半球にある島国です。 この国、日本とちょうど反対にありますけども、世界で初めての非核国家なんですね。 非核国家っていうのは核兵器は作らない、持ち込ませない、さらに原発も作らない、これが非核国家。 それを世界で初めて法制化したのがこの国。
1982年に大都市が次々に非核都市を宣言しました。 86年、南太平洋全域を非核地帯にするという条約に加盟しました。 87年、国会で非核地帯軍縮軍備管理法というのを制定した。これで非核国家になった。 その内容は、核兵器の製造、取得、保有、管理を禁止する。つまり核兵器を持たない。 そして核を、核兵器を積むことができる船や飛行機の入国は拒否する。 こういうことを法律で決めちゃったんです。
その後も96年、国際司法裁判所、オランダにありますけども、ここにですね、提訴して「核兵器は違法である」こういう勧告を勝ち取りました。 こんなことをこのニュージーランドという国はやってる。 すごい平和に積極的な国ですよ。 そしてすごいのはですね、これら一連のことをすべて、たった1人の女性から始めたっていうんです。
この人です。ケイト・デュースさん。 非核国家は彼女の家のキッチンから始まった、というふうに言われてます。 キッチン、台所。彼女の家はですね、キッチン、向こうは台所と応接間とか繋がってるもんで結構広いんですね。日本間にしていま12畳あります。 そこで毎週1回か2回、お友達仲間を集めて、何でもおしゃべりをする会というのを開いて。 そういう中で、「私たちが住んでる街を非核都市にしよう。この国を非核国家にしよう。オランダの国際司法裁判所に提訴しよう」こういったことが決まっていった。 すべては彼女の家から始まったということです。
すごいなと思って、で、この2月、ニュージーランドに行って彼女に会ってきました。 これがその時の写真ですね。 で、聞いたんですよ。「いや、なんかあなたはどう、どんな人なんですか?」(会場の笑い) 聞いたら、「あ、私は普通の人です」。 「どう普通の人なんですか?」って言ったら、女子高校の音楽の教師だったんです、元々。 22歳で大学出て教師になりますよね。で、翌年、まだ新米教師の時、23歳の時に音楽の授業でポーランド人の作曲家が作った『広島の犠牲者に捧げる哀歌』という曲がある。 これをたまたまレコードで聴いた。それを聴いてボロボロ涙を流した。 聴いたことあります?僕なかった。 で、その場でですね、スマホにこの『広島の犠牲者に捧げる哀歌』とこれを入れて、YouTubeでサーッと流れてきました。今時便利ですね、これ。 皆さんもこれ入れたらすぐ出てきますよ。で、聴いてみると、確かに悲しい曲なんですよ。
で、彼女はそれを聴いてですね、「なんでこんなに泣けてくるんだろう。被爆者ってそもそも何なんだろう。どんな人たちなんだろう」と思って、すぐ行動したんですよ。 それは広島の被爆者が描いた絵を取り寄せて、学校で展示会を開いた。 そのうちの1枚に、被爆直後、服がボロボロになった女性が道端にうずくまっている、こういう絵があったんですね。 それを見て彼女はですね、決心した。「自分の生涯を核兵器のない世界を作るために捧げよう」と。 たった1枚の絵を見て決心して、本当にやっちゃったんですよ。 ここがすごいっていうか、我々も結構絵を見てますよね。僕なんか広島長崎の絵、結構見てますけども、ここまで決心はしてません。(会場の笑い) すごいなと思って。
本当決心して、最初にやったのが、アメリカの核兵器を積んだ船が港に入ってきた、そこにボートで体当たりした。これが最初。 その次にやったのが、自分が住んでいるクライストチャーチというその街を非核都市にする、そういう運動だった。 さらにオランダに訴える、こういうことを次々に提案して本当に実現した。 彼女の家からすべてが始まったわけですよ。
いや、しかしすごいなと思って、ちょっと手取り足取り、あ、手取り足取り聞いてみたんです。 「具体的にどうやったんですか?例えば、自分が住んでいる街を非核都市にするという場合、例えばこちらで日本ではどうするかというと、例えば市長さんにお願いする、市議会に請願するとか、こういうやり方取りますよね。トップダウン。お上にお願いしてそうしていただく、これが日本のやり方、江戸時代から続いてるやつ。(会場の笑い) 彼女がやったら違う。周りから広げていく。まずお隣さんに当たった。 『あなたの家を非核の家にしませんか?あなたが飼ってる犬を非核犬にしませんか?』」(会場の笑い) 実に具体的で、もう周りから始めて市民運動を作るんですよ。
これがどうして日本、どういう違いが出てくるかというと、日本で例えば市長さんにお願いして市議会にお願いして非核都市になったとしますよ。でも市役所の前に「非核都市」って看板が立つだけで、市民は別にそれをちゃんと自覚するわけじゃないじゃない。 この市民運動で周りから広げていくと、市民の方からそういう意識になって、みんながそういうつもりになる。看板を立てようが立てまいが、「私たちは非核都市を作っていくんだ」と、こういう意識の改革になるわけですよ。 この違いが。
で、さらに聞いてみました。「話すときに具体的にどうやったんですか?」 彼女は自分で紅茶を入れて、ニンジンケーキを焼いてそれを食べながらやった。「ここだ!」と。(会場の笑い) 我々話し合いやるときに、まあお茶一杯とかコーヒー一杯だけじゃないですか。 飲みながらだったらついでに言葉も飲み込んでしまう。(会場の笑い) パクパクとケーキを食べると口が動く。ついでに何か発言しようという気持ちになる。 皆さんもこれから話し合うときに、お茶一杯じゃない、ケーキも食べながら。そうするとなんか口が弾んでいく。いいと思います。
さて、このニュージーランド、非核地帯ということですけども、これ実は世界に非核地帯がこんなに広がっていってます。 今、世界の国、116カ国が非核地帯なんですよ。国連加盟国って193あります。その半分以上が非核地帯。 この上に地図があります、青いところが非核地帯ですよ。南半球なんかほぼ全て非核地帯ですよね。 アジアだって東南アジア、そして中央アジア、モンゴル、これが非核地帯ですよ。 こうやって非核地帯というのが世界に広がっていっている。
その非核地帯の真ん中にあるこの南太平洋、これがニュージーランド入ってるとこですね。 でも非核地帯の最初は何処か、南極なんですよ。 南極条約というので世界で初めて非核地帯が、そっから広がってきてるわけですけど。 この南極条約って一体どんなものかというとですね、これですね。 大きく4つの柱があります。 1番目、南極は平和利用する、軍事的な利用は禁止する。 4番目、核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止、つまり非核地帯にする。 これが南極条約ですけど。
この条約を話し合った時、実はすごい揉めたんですよ。 これ1959年に話し合ったんですけども、当時アメリカとソ連の東西対決というのが始まった時期ですね。 もうどこの国も南極にも自分の領土を持ちたい、軍事基地を持ちたい、こういうことをガンガン言ったんですよ。 もうアメリカ、ソ連だけじゃない、南極に近い南アフリカとか南米のアルゼンチン、チリとか、こういった国がどんどん軍事基地もしたいとこういうこと言ってきました。
これに対して、「いや、南極だけは平和利用しよう。どこの国の物でもない、誰の物でもない、みんなの物にしよう。そしてここに軍事基地、あるいは核兵器、そんなもの一切置かない。そういうものにしよう」ということを提案した国があります。 どこだと思います?どうですか? (会場から声) お、なんかちらっと声が出ましたね。 なんと我が日本ですよ。(会場:へえー、本当?) すごいっしょ?(会場の笑い) ちょっと考えられない。
どこの国もみんな領土が欲しいって言った時に、「ちょっと待て、そういう利害を絡むのはやめようじゃないか。南極だけはどこの国の物でもない、誰の物でもない、みんなの物にしよう、そして平和利用しよう」と言って、日本の代表が、なんと日本の憲法と、憲法の前文と憲法9条を英語に訳したものを各国の代表に配りました。 それを見て各国の代表は目を見張った。「これは素晴らしい」と。 平和を愛する諸国民とか、正義と秩序を基調とするとか、そういうことを初めて読むわけですよ。 「日本の憲法なんて素晴らしいんだ。そうだ、これからの世界はそういう世界にしていこう。だったらこの日本の憲法の精神を、まずこの南極に取り入れよう」ということで、南極条約があっという間にまとまっちゃったんですよ。
日本の憲法は、できて間もない時に世界を具体的に平和にする、その第一歩を実現したんですよ。 それが今どんどん広がっていって、世界の半分以上の国が非核地帯になっている。 その最初を作ったのが日本の憲法でした。憲法9条でした。そして前文でした。 「日本の憲法なんてあってしょうがないから変えちゃおう」とうちの首相は言ってますけども、その憲法、できて間もない時から世界の平和を作り上げてきたんですよ。誇るべきもんですよ。
「そんなこと言ったって、アメリカの押し付けじゃないか」ということを言う人もおります。 違いますよ。 日本の憲法9条、そのアイデアを思いついたのは紛れもない日本人、この人ですよ。 幣原喜重郎。戦後の日本の首相です。 この人は戦前、平和外交をやった外務大臣だった。でも平和平和と言いすぎたためにですね、当時の軍部から睨まれて失脚しちゃった人。 この人が戦争が終わった後、総理大臣に返り咲いたんですね。 この人が憲法9条のアイデアを考えていた。
どこにそんな証拠があるのか。国立国会図書館に文書として残っております。 これがずーっと隠されてきた、日の目を見なかったんですよ。 戦後、自民党政府が憲法がどうやって作られたのか、9条はどうやって作られたのかということをちゃんと文書で残しておこうつって、憲法調査会というのを作りました。 その調査会の文書、この幣原さんがどうして9条を考えついたかという文書が国会図書館に残っております。 彼がこう考えた。 「原子爆弾ができた以上、世界の事情は根本的に変わってしまった。戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。軍縮を可能にする方法は一つ、世界が一斉に一切の軍備を廃止することである。ここまで考えを進めてきた時に第9条というものが思い浮かんだ。今こそ平和のために立つときではないか、僕は天命を授かったような気がした。 憲法で軍隊を無くす、つまり非武装宣言をするということは、従来の観念からすればまったく狂気の沙汰である。だが、正気の沙汰とは何か。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だ。 世界は今一人の狂人を必要としている。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」 かっこいいじゃないですか。(会場の笑い)
そのあとで押し付けに触れてるんですよ。 「憲法は押し付けられたという形をとったんです」と。 「形をとったわけであるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際にできることではなかった」 そのあとにいろいろ理由が説明してあります。要するにこういうことですね。 当時、この幣原さんは「新しい憲法で軍隊を無くしたい」ということを考えついた。 でも、彼だけですよ、そういうこと考えるのは。そらそうでしょう、今から80年前ですよ。 普通の政治家、そんなこと考えませんよね。だって今の政治家でさえそうなんだから。 80年前、まだ戦争が終わった時、ほとんどの政治家の頭の中は「軍隊というものは必要だ」ということで一致しておりました、幣原さん以外は。 そういう人達に「軍隊を無くそう、そういう憲法を作ろう」と言ったら「馬鹿か」と言われて、結局自分が考えたこのせっかくのアイデアが実現しないと思ったんですね。
でも彼はせっかくのアイデアをどうしても実現したいと思った。 どうすれば実現するんでしょうか。 あの頭ごちごちの分からず屋たちに、どうしたらこの憲法で軍隊を廃止するということを認めさせることができるのか。 自分が言ってもあいつらは認めない、でもこういう人達っていうのはアメリカが言ったら「はいはい」ちゅうわけで、今でもそうじゃないですか。(会場の笑い) 「僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心した」 幣原がマッカーサーに行って、「これあんたが命令してくれ」と。「そしたらあいつらは『はいはい』して聞くから。俺が言っても全然そんなこと『はいはい』とは言わない、でもあんたが言ったという形にしたらあいつら認めるだろう。ぜひ協力してほしい」っていうふうに言ったわけですよ。
「一歩誤れば国賊の汚名を覚悟しなければならぬ。僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった」 これ1946年の1月24日のことです。 幣原は東京のGHQ、GHQ占領軍の本部に行って、マッカーサーを3時間説得した。 その3時間の説得に対して、マッカーサーはどういう反応を示したのか。 「第9条の永久的な規定ということには、彼マッカーサーも驚いていた。僕としても軍人である彼がすぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常によく理解して感激した面持ちで、僕に握手したほどであった」 3時間後にマッカーサーは説得されてるんですよ。
しかし、最後にためらっちゃったんですね。 そりゃそうでしょう、だってマッカーサー、軍人ですよ。軍人の頭から軍隊を無くすという発想は生まれません。 だからマッカーサーとしては、幣原がそういうことを提案して、「まああんたはそういうふうに考えるのは、まあそりゃまあそうわかるけども、ま、しかし軍隊を廃止するちゅうのはちょっとどうかな」と、最後ためらったんですね。 ためらったマッカーサーに、幣原は最後、脅し文句を吐いてます。これです。
「好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向かって進むほかはない。軍縮を可能にする突破口は、自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ない。日本は今その役割を果たし得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えた。あなたさえ賛成するなら、日本の戦争放棄は承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用する時である。日本を自律的に行動さ……世界を救い、アメリカをも救う、ただ一つの道ではないか」
世界が平和になるためにはどうしたらいいか。 それはすべての国が軍隊を無くすことだ。でもいきなりみんなで無くしましょうって難しい。 だったら、まずどこかの国が勇気を出して憲法で軍隊を無くすということを明記して、本当にやることです。 それを見た他の国が、「じゃあ私も」「うちも」という形でどんどん平和憲法が広がっていって、すべての国が軍隊を無くした時に、初めて世界は平和になるんです。 そうではなかったら、これから軍拡競争がどっと広がっていって、あなたや、アメリカやソ連や中国以外、他の国もみんな原爆を持つでしょう。 戦争になったらどうなるか。あなたの国、アメリカも滅びるんですよ。 そうならないために、まず日本が手を挙げて「軍隊を廃止する」、そういう憲法を作りましょう。自発的戦争放棄国になりましょう。 それがあなたの国アメリカを救うんです、世界を救うんです。こういう発想ですよ。
これにマッカーサーが同じことを証言しております。 これ1951年5月、マッカーサーの証言。アメリカの議会、上院での証言ですね。 「日本国民は世界中のいかなる国民にも増して、原始戦争がどんなものであるかを理解している。これらは彼ら自身の思いで戦争を禁止する旨の規定を憲法に書き込んだ」 彼ら自身、つまり日本人自身が書いた。「私ではありませんよ」っていうこと。 「日本の幣原首相が私のところにやってきて、『この問題を解決する道はただ一つ、戦争を無くすことだ。私は現在起草している憲法の中にこのような規定を入れたい』と言った」と。 ちゃんとマッカーサーが証言しております。 マッカーサーの証言と幣原の証言と、ピタリと一致するんですよ。
つまり真相は、幣原喜重郎という人が憲法9条のアイデアを思いついた。 しかし彼がそれを日本の政治家の憲法基礎委員会に言ったら、結局実現しない、採択されないと思って、 「じゃあどうやったら採択されるか。マッカーサーの命令という形だけでもそうすればいい。そうしたらあいつらは言うこと聞くだろう」 もう幣原の戦略勝ちって感じですよ。 幣原がマッカーサーに押し付けて、マッカーサーが日本に押し付ける、こういう形ですよ。 これで日本の9条というものができたと。
じゃあ、どうしてこれが「アメリカの押し付け」ということになってるのか。それ理由があるんですよ。 これ1951年の5月ですよね。この年の3月に幣原は病気で亡くなっちゃったんですね。 だから3月以降、1951年以降の幣原の肉性の証言が取れないんですよ。 残ってるのはこの文書だけ。で、その文書がずっと国会図書館に眠っておりました。 それをいいことに、っていうか、ずっと眠らせたままですね、自民党政府は1951年以来、今日に至るまで「押し付けだ、押し付けだ」こういう言葉ばっかり国民に吹き込んできた。 だから我々国民の頭にはもう日本の憲法も、9条も、そして憲法全部がアメリカの押し付けだと、こういう風に洗脳されちゃってるってことです。
でも、こういう文書がほんの数年前に出てきたんですよ。 憲法9条、その壮大な平和という理想の思想、それを考えついたのは紛れもない日本の政治家と。 日本の政治家ってあんまりロクな人おりませんけども、(会場の笑い) 一番大事な時にすごいロクな人が出てきたわけですよ。(会場の笑い) 誇っていい。
じゃあその憲法9条が世界でどう評価されてるのか、これを見れば明らかです。 アフリカ沖、スペインの島、カナリア諸島という島があります。 そこに日本の憲法9条の記念碑がある、と聞いたのは今からちょうど20年前でした。 僕は何を冗談言うのかと思って。 八王子にもないものが、(会場の笑い)アフリカ沖の島にあるわけがないじゃないかとと思って、でも行ってみたんですよ。 この島の空港からバスに乗ってですね、目指したのがこのテルデという街。 このテルデという街のどっかに日本の憲法9条の記念碑がある、それだけの情報で行ったんですよ。 バスが終点についたもんで、街の人に聞きました。 「なんかここに日本の憲法の記念碑があるともうそれだけ聞いて、はるばるやってきたんですけども、知りませんか?」って聞いたら、 「あそこに広場がある、その広場の中にある」というんで、テクテク歩いていきました。
この広場、たどり着いてみると、その入り口に広場の名前が書いてあります。 この広場の名前は「ヒロシマ・ナガサキ広場」っていうんですよ。(会場:へえー) アフリカ沖の島にヒロシマ・ナガサキ広場がある、へえと思いながら入っていきました。 そしたら、一番奥、中央正面にあったのがこれですよ。 白いタイルを敷き詰めて、ここに、そこに青い絵の具で文字が焼き付けてあります。 文字というのが、スペイン語に訳した憲法9条ですよ。 「ほんまにあるわい」と思って。
「じゃあ誰が何でこんなもん作ったんですか?」って聞いたら、 僕がバスに乗ってやってきたこのバス道路を作った時に、このテルデ市の真ん中にちょっと空き地ができちゃったんですね。 スペイン人ですから設計ミス当たり前なんですけど。(会場の笑い) この設計ミスによる空き地をどうするかというのを、当時のテルデ市のサンチャゴさんという市長さんが考えました。 「街の真ん中の空き地ならば市民の広場にしよう。広場たくさんあるんですよ。だったら、この広場は市民が平和を考えるための広場にしよう」 こういうところがすごいじゃないですか。八王子の市長さんもすごいでしょうけど、(会場の笑い)テルデ市の市長さんはさらにすごかった。 そして、「平和を考えるための広場の名は、名前はヒロシマ・ナガサキ広場にしよう」 こう考えたのが彼ですよ。偉いじゃないですか。
さらに偉かった。「名前をヒロシマ・ナガサキ広場としただけで、ただっぴろいだけだったら平和考えにくいじゃないですか。平和を考えるなんか、なんかきっかけになるようなものを置きたい」と思って、「何を置けばいいんだろうか?」 思いついたのが、日本の憲法9条の碑ですよ。 憲法9条、素晴らしいもんだ。世界のすべての国が軍隊無くしたら、そりゃ世界平和になる。 そんなこと分かってるのに、どこの国もできなかった。 それを日本という国が人類の歴史で初めてやったんだ、それができたんだ。 「だったらその憲法9条というのをここにバーンと出して、みんなでそれを見ながらこれからも世界の平和を考えよう」ということを彼は考えていたんですね。
これ市議会に提案しました。 「私はこの空き地をヒロシマ・ナガサキ広場という平和の広場にして、そこに憲法9条、日本の9条の記念碑を置きたい。ついてはお金を出してちょうだいね」と提案したんですよ。 市議会で話し合いました。 採決をした結果、最後の採決で与党野党こぞって満場一致で賛成ですよ。(会場:おおー、拍手) 拍手したくなりますよね。
で、これができちゃった。 除幕式が行われたの1996年4月26日。 この日、この広場に市長さんと市議会議員全員と島の人1000人が集まった。 スルスルと幕が上がるとこれが出てくるわけですよ。 この島って実は沖縄と緯度が同じです。後でおうちに帰って世界地図こう広げてみてください。 沖縄を指差してその指をずっと左側、西の方に行って、アフリカを通り越したところにこの島があります。 太陽が燦燦と照りつけるってことですよね。 幕が上がるとこれが出てきて、お日様の光がこの白いタイルに反射する。青い文字が浮き上がって見えます。えらい綺麗ですよ。
その後何をしたか。集まった全員で一緒に歌を歌いました。 歌というのが、ベートーベンの『第九』、「歓喜の歌」。(会場:へえー) いいじゃないですか。
というのを聞いた上で、改めて碑の前に立ったのが20年前の私ですね。 髪が黒々としておりましたけども。(会場の笑い) 不思議な気持ちがしました。 だってここはスペインの島、アフリカ沖の島ですよ。 そこに日本の憲法9条の記念碑があるんですよ。
2006年、当時からも「憲法なんか無くしてしまえ」と、こういう動きありました。 「日本では無くしちゃえというその憲法を、スペイン人が素晴らしいもんだと考えて記念碑まで作っちゃった。すごいな、日本の憲法9条って外国の人からこんなに尊敬されてんだ」と改めて感動したんですね。 でもそれを考えるにつけ、「日本にそんなものはないよな」というふうに思っておりました。
で、日本に帰ってみたら、あったんですよ。 これ沖縄、読谷村という村の憲法9条の碑です。 読谷村、あの沖縄戦の時に村人の半分が亡くなっちゃった、激戦の地だったんですね。 そこの役場に行ってですね、沖縄戦のこと調べようと思って行ったんですよ。 そしたら役場の前にこういうコンクリートの3メートルの柱があって、真ん中に憲法9条が刻んであった。 「これは憲法9条の碑じゃないか」と思って、そのまま役場に走っていった。 役場の人に聞いたんです。「あれ憲法9条の碑ですか?」 「そうです」 「なんでそんなもん作ったんですか?」って聞いたら、 「沖縄戦が終わって50周年の時、つまり1945年の6月23日から50年経った1995年6月に、『二度と戦争をしない、させない』そういう決意を込めて、当時の村長さんと村会議員全員、自民党も含めて全員の一致した決議でもって村のお金で作りました」ちゅうんですよね。
すごいなと思って、「なんか詳しい資料ないですか?」って聞いたら、なぜこれを作ったのかという「趣意書」というのを出してきてくれました。 それにこう書いてあった。 「すべての命が当たり前にその一生を終えることができる社会、平和のうちに命を次へと繋ぐことのできる社会こそ私たちの願い。その社会の実現を信じよう、我々自身の力を信じよう、世界中が9条の精神で満ちることを信じよう」 立派な文句じゃないですか。 「沖縄の小さな村が」って言ったら、「うちの村、小さくありません!」(会場の笑い) ま、小さい大きいかはともかく、沖縄の村が、沖縄県どころか日本全国どころか、世界に向けて平和を発信してんですよ。 すごいなと思ったんですよね。
で、こういうのを見て、さらに日本全国あちこち歩くと、いっぱいあったんですよ。 これは左側、広島の9条の碑。お墓にありました。 誰のお墓か。「原爆詩人」と呼ばれた栗原貞子さんのお墓ですよ。 『生ましめんかな』という原爆詩があります。 原爆が落とされた時に、もう酷い傷を負った人が防空壕の中に逃げてきた。 防空壕の中は呻き声だらけですよ。 そういう中で、若いお母さんが声を上げました。 「赤ん坊が生まれそうです」ショックでもれそうになっちゃったんですね。 おばあさんが声を上げました。「私は産婆です、私がその子を取り上げましょう」って。 おばあさん自身、瀕死の重傷を負ってる、にもかかわらずおばあさんは自分の命よりも新しい赤ん坊の命を生み出そうと頑張ったんですよ。
原爆が落とされたのは朝でした。昼になっても、夜になっても生まれなかった。 おばあさん頑張った。翌朝、ようやく生まれました。 産湯をどうするか、産湯なんかないですよ。 ちょっと元気な人が外に出て行って、トタン屋根に溜まった水を持ってくる、これが産湯ですよ、手を尽くして。 もうこれで赤ん坊は生き長らえると確信できた時に、おばあさんは息を引き取ります。 『生ましめんかな』、己が命捨つとも、自分の命を捨てても新しい命を生み出そうと。 これが『生ましめんかな』という原爆詩。 それを作ったのが栗原貞子さん、その人のお墓ですよ。 お墓に行ったら、そのそばに憲法9条の碑があったんですね。
「これ誰が作ったんですか?」って聞いたら、一人娘のマリコさんという人だった。 このマリコさんは、お母さんの原爆詩の活動、反戦運動、それをたった一人で支えた。 そのためにマリコさんは結婚もできなかったんですね。 自分の生涯を全部お母さんの運動に捧げた。 お母さんは言ったんですよ。「マリコ、ありがとう。私がこれだけ活動できたのも、詩を書けたのも、みんなあんたが陰で頑張ってくれたおかげだった。あんたがいなかったら私の活動はできなかった。でもそのためにあんたは結婚もできなかった、申し訳ない。ここに残すお金があるから、これでせめて指輪を買ってほしい」とお母さんは言ったんですよ。 それに対してマリコさんは、「私は指輪なんかいらない。そのお金でお母さんが願っていた憲法9条の碑を、お母さんのお墓のそばに立てる」と言って本当に立ったのがこれですよ。
右側、僕のそばに立ってる白髪のおばあさん、対馬丸の生き残りの方なんですね。 沖縄戦が間もなく始まるという時に、沖縄の子供達を九州に疎開させようと言って乗せた船の名前が対馬丸。 その船が夜、アメリカの潜水艦に撃沈されます。 乗ってた1500人以上がいきなり夜の海に放り出されて、大半はそこで溺れ死んでしまった。1500人ですよ。 その中で20人ちょっとが助かったんですね。 この人がその一人です。平良啓子さん。 彼女は沖縄の海を6日6晩漂流して助かった人ですよ。 その人が数年前、言い出しました。「憲法9条の碑を立ちたい」 僕、彼女に会いに行ったんですよ。 彼女が住んでるのは、沖縄の本島の一番北、やんばる地方というところの大宜味村という村でした。 彼女に会ってみると、こう言った。
「また今、戦争しようという世の中に日本がなってきている。なんでそうなるのか。あの沖縄戦の酷さがちゃんと知られてないからだ。憲法9条の大切さも認識されてないからだ。なぜ認識されないのか。憲法9条、今時知らない若者もいると。学校でちゃんと教えてない。こういうものがあるというものを教えても、それをきちんと考えたことがない、その意義を考えたことがない。だったら、この9条を目に見える形にして、みんなが通るところにテキとして(碑として)作ろう」 という運動を始めて、本当に作ったのがこれなんですね。 白い鳩が9羽舞ってて、真ん中に金色で「命(ぬち)どぅ宝」、「命こそ宝」と書いてあります。 この平良さん、2年前に亡くなりました。 彼女の人生の最後の仕事が、憲法9条の碑を作ることだった。
僕、こういうのを見てみてですね、「うわ、すごいな。もう日本のあちこちに憲法9条の碑がもっとあるんじゃないか。探してみよう」と思って、ずっと探していったんですね。 それをまとめたのが、『不戦の誓い』という本ですけども。 これが1985年から21年までにできた9条の碑ですよ。主に沖縄にあったんですね。 で、これが沖縄で、日本で初めて作られた9条の碑。沖縄県那覇市が作った9条の碑。 こっからずーっと9条の碑が作られていく。 でも最初はこんだけしかなかったんですよ。 僕は「この時に、これから9条の碑が作られたら全部見て回る」と宣言したんですね。
そしたら東京にできました。東京の9条の碑は2022年。 他は大体石造りで、しかも四角いじゃないですか。東京はステンレスで丸いんですよ。 「何で丸いんですか?」って聞いたら、「9条ですから、球状です」と。(会場の笑い) この辺が都会的なユーモアというか。
こちらは茨城県航空自衛隊の基地のど真ん中に作られた9条の碑ですよ。 自衛隊基地の中に9条の碑、「何を冗談言うのか」と思って行ってみたら、本当に真ん中だったんです。 戦後航空自衛隊が作られた時に、「戦争のために土地は売らない」と言った農民の土地が、今だに自衛隊の基地のど真ん中にあるんですよ。 だから滑走路がこうやってクニャーッと曲がっていくの。ここが市民の土地なんです。 そこにあの9条の碑が作られた。
この写真見てください。今、戦闘機が発進しようとしています。 その向こうに「自衛隊は憲法違反」とか、これ一つの文字が畳2枚分あります。 あの丘全部を地元の9条の会が買い占めちゃった。で、この看板作ったんですね。 戦闘機のパイロットは発進する時、右目でこれを見ながら行くわけですよ。(会場の笑い) 今度は左目のところにこれが作られちゃったんですね。(会場の笑い)
そういうのをこう色々見て回りました。 実はその後、どんだけ9条の碑が作られたか。 2021年からこの5年間でこんだけできますよ。 今現在、国内に92、海外に4、全部で96。 さらに、この11月3日には4つできます、1日だけで。(会場:おおー) そして11月さらに2つ、12月に、もう1つ。 日本国内の9条の碑は年内に99になる。 もしかして見落としがあるかもしれないから、もしかして100になるかもしれない。 こういう勢いでこんだけ増えて、これ全部回ってきましたよ。
これはこの赤字の奈良県東吉野村。高市首相の地元ですよ。(会場から声) そこに9条の碑が作られました。 こういった急ピッチで9条の碑が作られている。 政府が平和を壊そうとするなら、市民の力で9条を守ろう、いや9条を広めようっていうのが9条の碑の運動ですよ。 何で碑なんか作るのか、普通の記念碑っていうのは過去を忘れないため、9条の碑は違う。 現代の社会を変えて、素晴らしい将来に平和の世界を作るんだ、これが9条の碑の意味なんですね。
「そんなこと言っても、今9条が無くされようとしている、何をしても駄目なんじゃないか」と言いますけども、最初に言ったように、実は今の世界、政治を変えるのは選挙ではありません。選挙よりも市民運動です。 分かりやすいのお隣の韓国ですよ。 2年前に大統領が戒厳令を布告した、と市民が街中に出て行って、この人なんか兵隊の銃をもぎ取っている。 こういうことをやった結果、大統領が失脚しちゃったんですよ。今、裁判にかけられてますよ。
同じことが10年前にありました。2016年、民衆総決起。 当時の朴槿恵という女性の大統領が酷いというので、市民が座り込みやった、デモをやった。 最初の土曜日、10月29日3万人、翌週の土曜日30万人、その翌週は100万人。もうどんどん増えていって、1ヶ月半後、6回目は170万人。 こうなった時に議会が動いたんです。 韓国の議会、もちろん当然半分は政府を支えてました、与党でした。 その与党の議員が、「このままだったら次の選挙で俺たちは落ちる」と思っちゃったんですね。 だからこの大統領を弾劾して、失脚させちゃったんですよ。 議員っていうのは自分の身が危うくなると、パッと変わる。(会場の笑い) これが議員ってものですよ。
この時にですね、すごいじゃないですか、100万人って。 この民衆総決起というのを組織したリーダーに聞いたんですよ。 「どうしたら100万人も人々を集めることができたんですか?」 理由を5つ6つ挙げられました。 そのうちの最初に挙げられたのが、「この1年前に日本から伝わったニュースがあった」っちゅうんですね。 「何ですか、それは?」って聞いたら、2016年の1年前、2015年にこれがあったじゃないですか。 国会前を12万人が包囲した。 これがニュースとして韓国に伝わっていった。 「あの羊のように大人しい日本人が、国会を包囲した。我々は何をしてるんだ」というのが大きなインパクトになって、それがその後1年間に色々大統領が酷いことをするもんで、ワーッと募っていったって言うんですよ。
この時、もしかして国会前に参加した方、この中にいらっしゃいます? (会場で手が挙がる) おおー、すごい。この今、手を挙げてる方が韓国の政権を倒したんです。(会場の笑い、拍手)
今、グローバリズムという時代はそういう時代ですよ。 どっかの国で市民が動く、それが余所の国に影響していくということなんですよ。 だったら今度、我々日本がこの韓国から学べばいいじゃないですか。実際学んでる。 韓国ってキャンドルデモっていうのはずっとありました、2008年。 最初はね、昼間は人が見えるけど夜は見えない、だったらローソクを掲げようじゃないかということで始まるわけですよ。 最初ローソク1本持ってました。ロウが垂れて熱いというので紙コップを持つようになった、これですね。 そのうちに風が吹いたら火が消えるというのでペンライトになった。 そのペンライトが、今年に入って日本に輸入されました。 それを輸入したのは、この八王子の石山尚子さんですよ。(会場の拍手) 八王子すごい、石山さんすごい。
こうやって日本に入ってきた、この春ですよ。 そしてそれが瞬く間に広がっていった。 なぜ広がっていったのか、「デモカレンダー」ってやつです。 ネットで「デモカレンダー」っていうのを入れると、何月何日何時何分、日本のどこそこの何丁目何番地でスタンディングをやってるとか、集会やってるとか、こういうのがパッと出てくる。 で、近くに行ったら、いたら、「あ、じゃあ私もそれに参加してみよう」っていうことになっちゃうわけですよ。
この前、この前っていうか先月ですけども、横浜で講演やった時に、その集会にやってきた20代の若者5人はデモカレンダーを見て入ってきた人だったんですね。 そのうちの1人、一番後ろの隅に座ってた20代の女の子が手を挙げました。 「私、講演会に来たのは人生で初めてです。(会場の笑い)質問したのも初めてです。でも、こういう会、行ってみたい、ていうか何か知らなきゃいけないとずっと思ってた。それデモカレンダー見たらたまたま近くでやってた、ていうので来たんです」 こういう人がいるわけですよ。デモカレンダー、すごい効果あります。 これを作ったのは福岡県の30代の女性ですよ。 あの石山さんも30代の女性ですよ。30代の女性、すごい。頑張ってる。
こうやって今、日本がどんどん変わっていってます。 同じように世界が変わっていってる。 これアイスランド、北欧の島国ですね。 この国は北欧の中で一番男女平等度が遅れていってました。 それを1975年、女性の9割が参加するストライキ、「女性の休日」という名前のストライキをやった。 そこで歌われた歌が『進め、女性たち』。 「自由は今、目の前にある。私は本当にある、できる、必ずやる。いつか子供たちは言うだろう、『母さんが間違いを正してくれた。これこそ私が求める世界』と。進め、女性たち、街頭に民意がある、政治を正そう」 こういう歌を歌いながらやった結果、このアイスランドという国、ジェンダー平等指数世界一、これ16年連続でやった。 つい先日も今年の分も出ました。今年も1位ですよ。 つまり17年連続ジェンダー平等世界一ですよ。 さらに世界平和度指数1位、これも17年連続ですよ。 すごい国を作っちゃった。 選挙で作ったんじゃないですよ、市民運動で作ったんですよ。
さらにアジアでフィリピン、40年前、「ピープルパワー」という100万人が街頭に出て行って、当時のマルコス独裁政権を倒しました。 こちらお隣の台湾、2013年、「原発監視マモ連盟」、若いお母さん方がベビーカーを押しながら5万人でデモした。 その結果、台湾は去年、アジアで初めての脱原発国家になったんですね。
市民運動というと僕の一番思い出の頃のこれですね。ベルリンの壁の崩壊、1989年の11月。 この写真、皆さん見たことあると思います、教科書にも載ってます。 僕、ここにいたんですよ。 ベルリンの壁の崩壊を現場で取材してました。当時に現役の記者でした。 30年後にもう一回行ったのがこの写真なんですね。2019年にもう一回行きました。 僕が跨いでるとこ、ここ石が二列並んでます、ここに壁があったんですよ。 で、何でもう一回行ったかというと、なぜベルリンの壁を壊すような動きになったのか、というのを調べに行ったんですね。 そこで分かったことがあります。 ドイツのライプツィヒという街に古い教会がある、聖ニコライ教会。 この教会で若者5人がプラカードを掲げた、これがすべての始まりだった。
このプラカードを見た大人たちが立ち上がった。 若者は勇気を奮ってプラカードを掲げた。 それまでの東ドイツは物が言えない社会、政府に反対するって言ったら捕まって強制収容所に入れられる、そういう社会だからみんな黙ってたんですよ。 でも若者が勇気を振り起こした、だったら大人が立ち上がろうっつって、こっからデモが始まった。 そのデモがだんだん膨らんでいって、1年後7万人のデモになっちゃったんですね。 これが首都ベルリンに伝わっていって、50万人以上のデモになった。 これでもうベルリンの壁はもう通っていいということになっちゃったんですよ。 ということはつまり、ベルリンの壁を崩壊させたのはたった5人の若者ですよ。 5人で年表を変えるようなことができる。
もうさらに僕、調べてみました。 なんで7万人になったら世の中変わっていったんだろう。 当時、このライプツィヒという街で色々資料を調べると、当時の秘密警察とか軍隊は、軍隊の目には市民みんながここに出ているように見えたと。だから弾圧しなかった、出動しなかったって言うんですね。 でもみんなじゃないんですよ、7万人なんですよ。 当時のライプツィヒの人口60万人でした。 60万人の人口の1割ちょっと、7万人が集会すれば、市民みんながやってるように見える。 これで軍隊も出て行けない、もう政府が諦める。 1割ちょっとでいいんですよ。1割ちょっとで世の中を変えることができる。
同じことを僕、アメリカで体験したんですよ。 9.11のテロがありましたね、2001年の9月11日。 その10日前、2001年の9月1日付けで僕、朝日新聞のアメリカ特派員になったんですよ。 だからテロが起きた時、アメリカにおりました。赴任してまだ10日目だったんですね。 この日を期してアメリカはガラッと変わっちゃった。どう変わったか、愛国社会に変わりました。 どこ見ても国旗だらけ、もう街の建物を国旗だらけ、街を走る車も国旗つけてる、もう本当にどこ見ても国旗。これでガラッと雰囲気が変わったんですよ。
その時にテレビのアナウンサーは、「今、アメリカ中の車が国旗をつけて走ってます」って言ってました。 僕の目にもそう見えた。 でも数えたんですよ。 僕、当時朝日新聞のロサンゼルスの支局長でした。 ロサンゼルスの街中の中心部の交差点に立って、前を走る車を30分数えた。 今度は場所を変えて、さらに時間帯を変えて30分数えた。 どこで数えても数字はピタリと一致してました。 街を走る車の中で国旗をつけてるのは、11%から13%の間だったんですよ。 1割ちょっとです。 1割ちょっとが一斉に同じような行動をやってると、みんながやってるように見える。 それが雰囲気をガラリと変えるんです。
そうか、1割ちょっとでいいんだと。 だったら、15%が立ち上がれば社会を変えることができるぞと。 ここで勝手に「15%の法則」。(会場の笑い) 選挙まで待つ必要はない、選挙で過半数を取る必要もない、15%でいいんですよ。 と思えば気が楽じゃないですか。 選挙っていつあるかわかんない、その2年後の参議院選挙、2年後まで待ちます? 選挙の1週間、2週間だけでガラッと変わるわけないですよ。 それまでも大きな積み重ね、それが社会を変えていく、選挙での票となって現れるわけです。 市民運動を早く始める、今すぐにでも始まる、始める。 それがどんだけの大きなうねりになるか。15%になった時、選挙を待つ必要はない。 社会は変わります、政治は変わります。アメリカとドイツの例がそれを示している。
「そんなこと言ったって、アメリカとドイツじゃないですか」って。 まだ大丈夫ですよ。(会場の笑い) あと5分?はい。
「日本はそんなこと無理でしょう」っていう、滅相もないですよ。 日本の市民運動、馬鹿にしちゃいかん。 これ、2年前の正月の能登半島の、大地震ですね。 このバツ印のとこですね、地震が起きた、震源地です。 これ左側見てください、黄色い丸印。ここに原発が作られる予定だったんですよ。 原発が作られていたら、もう直下型地震ですよ。 今頃、能登半島は復興どころか立ち入り禁止ですよ。 そうならなかったのは、原発反対運動が起きたからですよ。 誰が起こしたのか。 能登半島って石川県の中でも一番保守的なところです。 市長さんも市会議員17人、全員の原発誘致派だったんですよ。 そういう中で市民が立ち上がりました。そして市役所の中で42時間座り込んだ。 立ち上がって座り込んだ。(会場の笑い)
そういうことをやった結果、それを23年間色々やった結果、電力会社が諦めちゃったんですよね。 こういうことやった、このやり方っちゅうのがすごいんですよ。これ参考になりますよ。 最初、4項目を決めた。 第1番目、原発推進派の悪口は言わない。 普通ね、「この馬鹿野郎、お前らは街を壊すのか」とかそういうこと言い勝ちじゃないですか。 そうすると自分達から街を分断する、敵を作るってことになりますよ。 敵を作るのは良くない、相手だって街のことを考えてるんだと冷静に考えて、非難はやるまいと。 お互いにデータで論議、議論しようじゃないかと。人間関係は壊さない。 と、本当に冷静に考え合おう、こういう姿勢がよかったんですね。
2番目、おばあさんが駐車場で「婆を轢いていけ」。これ何かというと、 駐車場からですね、電力会社の車が出ようとする時に、おばあさんがその前にパッと身を横たえて、「婆を轢いていけ」。(会場の笑い) もう本当にこの身を挺してやるっていうね、本気でやるわけですよ。 さらに雑貨屋の女将さん、雑貨屋というと原発反対派も推進派も買いに来ます。 そうすると「うちは中立です」って大体言いたくなるじゃないですか、両方に買ってもらうために。 「そんなことしたら原発が立ってしまう」つって、店が無くなってもいいつって闘ったんですよ。 こういうことを色々やった結果、原発が、電力会社が諦めちゃった。
実はですね、日本で原発を受け入れた自治体は25ありますけども、拒否した自治体はその倍の50あるんですよ。 日本の自治体、捨てたもんじゃないですよ。すごいですよ。
最後にちょっとこれだけ言いたいと思います。 今年は熊本の水俣病公式確認から70周年ですね。 その水俣病公式確認から50周年の時、つまり今からちょうど20年前、僕、水俣に取材に行ったんですね。 水俣がえらい綺麗になっておりました。もう沖縄みたいな綺麗な海になってました。 で、どうやってこう変わったのかと色々調べてみると、一番まあもちろん色んな人が努力したんですけども、その中でも「へえ」と思ったのこの人ですよね。 市役所の職員、吉本哲郎さん。 この人が若い時に市役所の受験をした、で、通っちゃった。 市の職員になった時に、最初に上司から言われたのはこういうことです。 「今、市が真っ二つに分かれている。公害を起こしたチッソという企業と公害の患者、二つに分かれている。で、市役所は中立だから何もしない」って彼は言われた。 「中立だから何もしない」って、いかにもお役所じゃないですか。
彼は反発したんです。 「なぜ僕が水俣の市役所、職員になろうと思ったのか。市の職員になってのうのうと何もしないで暮らしたいと思ったんじゃないんです。そうじゃなく、自分が住んでるこの水俣が日本で最低の公害都市と言われてる、その街を自分の力で少しでもいい街にしたいと思って、だから市の職員に応募して、応募したんです。それを何もしないって、おかしいじゃないか」と彼は上司に食ってかかりました。市長にも食ってかかりました。 そこから市役所が変わっていったんですよ。
同じ時に水俣の街の人が変わりました。 水俣の中学生が関西に修学旅行に行った、お土産買いました。 「君どこから来たの?」と聞かれて、「熊本県の水俣です」と言ったら、「汚い」って言われたって言うんですね。 当時そういうイメージがありました。 「汚い」と言われた子供は傷つくわけですよ。 水俣に帰ってお母さんにお菓子を出す。「僕これ買った時に汚いって言われた」と。 お母さんはそこで初めてグサッとくるわけですね。 自分が住んでるこの街が日本で最低の街と言われて、余所の県の人から「汚い」って言われている。 その街に国も県も何もしてくれない、この街を変えるのは私たち市民しかいないんだと初めて気がついた。 そっから市民運動が盛り上がるんですよ。 お母さんが他のお母さん方と連絡する、「うちの子もそう言われたんだよ。私たちが変えていこう、私たちしかいないんだ」。 ここから市民運動が始まりました。
日本最低の公害都市を、日本最高の環境都市に変えていこう。 その事務局になったのが生まれ変わった市役所ですよ。 これ成功しちゃったんです。 2005年、水俣は日本一の環境都市に認定されたんですよ。 当時、日本の環境団体が集まって日本一を決める、日本一を決めるいろんな指標があります。 例えば、ゴミを何通りに分別収集するかと。 こちらでは何通りぐらいですか? (会場から声) こう指で数えてますよね。水俣は両手両足使ってもまだ足りない。 一般家庭の段階で22通りですよ。 まあ今そうしてるかどうか知りません、当時そうしたんです。 22通りに分けるって普通しませんよね、面倒で。 それをやったから日本一になったんですよ。 日本最低が日本最高になる、それをやったのが市民ですよ。 市長さんとか市議会じゃない、一般市民ですよ。若い市職員、市職員ですよ。
はじめに
戦争のない世界なんて、夢物語でしょうか。
いいえ、戦争は、人が作り出すものです。
だから、人は、戦争のない世界を作り出すこともできるのです。
世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界を作るために、考え、行動してきました。戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことは繰り返してはならないと考えたのです。
日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊は持たない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条を選び始めています。
それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとって損失だからです。
世界中の国が憲法9条を持ったらどんな世界になるでしょう。この本では、そのことを想像してみてください。
メッセージ
環境が豊かで、平和な公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。
人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、 1歩ずつ、1つずつ、実現してきました。
後戻りせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
全ての国が憲法9条を持つ世界へ。
ワンガリー・マー タイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)
想像してごらん、
世界から戦争もなくなった
平和な世界を。
Imagine、
A peaceful world without war.
でも、どうやったらそんな世界がやってくるのかな?
一つひとつ考えてみよう。
But、how can such a world be made?
Let's think about it.
01

想像してごらん、
軍隊のお金をみんなの
暮らしに使う世界を。
Imagine、
A world that spends money
not on armies、
but on people'slives。
アメリカでは、イラク戦争に年間をおよそ1兆円も税金をつぎ込んでいます。それなのに、ハリケーンから自国民を守ることさえできませんでした。
日本が9条をなくして大きな軍隊を持てば、きっと税金は戦争の用意に回され、日本の人々は生活は苦しくなるでしょう。
そして、貧困に苦しむアフリカの人々への支援も減らされてしまうのではないでしょうか。
(ケニア/男性)
02

想像してごらん、
武器をつくたっり
売ったりしない世界を。
Imagine、
A world that doesn't
make or sell weapons.
戦争が続くアフリカでは、子そも達まで武器を持ち、命を落としています。その武器はヨーロッパやアメリカから売り付けられます。アフリカの私たちは、殺し合う必要もないのに買わされているのです。だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)
03

想像してごらん、
お互いに戦争しないと
約束した世界を。
Imagine、
A world that promises
not to fight wars with each other.
戦争をして平和を取り戻すんだという意見があります。でも、イラクを見てください。ブッシュ大統領はサダムフセインを倒すと言って実行しましたが、平和にすることはできませんでした。戦争が起きると、もっと多くの人が犠牲になるだけなのです。暴力や武力では平和は作れないことを、今のイラクは証明しています。
(ケニア/男性)
04

想像してごらん、
武器を使わせない世界を。
Imagine、
A world that doesn't
let weapons be used.
憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力を持っています。なぜなら、核兵器は決して平和をもたらさないからです。それはこれまでの歴史が証明しています。核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、世界はまだ暴力と戦争だらけです。
(アメリカ/男性)
05

想像してごらん、
基地なくして緑と海を
取り戻していく世界を。
Imagine、
A world that gets rid of
military bases and reclaims
the forests and oceans.
森に抱かれ、海に育(はぐく)まれ、 人と共に生きる北限のジュゴン。乱獲があり、戦争があり、今はわずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、また新しく米軍基地が作られようとしています。
おばぁは言います。「この海があったから、子供ども養い、孫を大学までやることができた。この海は命の海。この海を壊して、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)
06

想像してごらん、
女性たちが
平和を作る世界を。
Imagine
A world where
women create peace.
戦争は、子どもや夫が闘いに行くことを女性が認めない限り起りません。女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、地球とそこに生きる全ての者たちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たすことができます。
(アメリカ/先住民女性)
07

想像してごらん、
戦争に備えるより
戦争を防ぐ世界を。
Imagine、
A world that instead of
preparing for war、 prevents war.
コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が、国際的に大きな強みを発揮することがあります。なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きた時、武力ではなく交渉や対話によって解決できるということを、1人ひとりが子どもの頃からしっかり学んでいます。
(コスタリカ/男性)
08

想像してごらん、
ひとりひとりの安全を
大事にする世界を。
Imagine
A world that values the safety of
each and every human.
政府と政府の間にではなく、人と人との間に平和を作ることが大切だと思います。人と人との間には、文化があり文明があります。政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に平和を作りたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)
09

想像してごらん、
9条が行き渡った世界を。
Imagine
A world filled with Article 9.
憲法9条は、日本という「国』のものではありません。日本に住んでいる「人々」、つまり皆さん自身のものです。そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。
(アメリカ/男性)
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
「戦争をしない、 軍隊をもたない」 という日本国憲法9条がどうしてできたのか知つていますか。それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。 日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本で300万人が戦争で亡くなったのです。
第2次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人びとに対する「2度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人びとが平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。
中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。軍隊の廃上によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
ところが2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクヘの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ !」
裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法は単に守ればよいものではありません。平和憲法は人びとのもの。人びとが使うためにあるのです」
ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で、軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたってぃます。
こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくることができます。「イマジン9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、みなさんと考えたいと思います。
01
軍隊のお金を
みんなの暮らしのために使う世界
1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、またはその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
世界の軍事費は、今世紀に入ってからとくに増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人びとが増えています。ハリケーンがアメリカを襲ったとき、これらの貧しい人びとがもっとも大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。
世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人びとは1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、べつの5分の1が住む国々では、人びとは1日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP、2005年)というのが、世界の格差の現実です。
世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに、次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をな くす (1日1 ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人びとの暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
国連憲章には、「世界各国は軍事に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条をいまこそ実行し「軍事を減らして人びとの発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人びとの中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。
02
武器をつくったり売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。
アフリカの私たちは戦う必要も、殺し合う必要もないのです。だから憲法9条は、 アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器をもってこさせないようにすることができます」
これは、2007年1月にナイロビで開催された 「世界社会フォーラム」で、ケニア人の青年が語った言葉です。アフリカは、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、 オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、 世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「1分で1人」という計算になります (「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。
世界ではいま、 武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
しかし一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まってぃます。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。
03
おたがいに戦争をしないと約束した世界
「相手が攻めてくるから、 準備しなければならない」
軍隊は、いつもそう言つて大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしてぃきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどんと増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めないという約束を結ぶことができます。とくに、地域のなかでこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ連合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちのあいだでは 「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。日本や韓国、北朝鮮は核兵器をもたないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアのあいだで争いになっている 「北方領土」 周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。
地球規模では、世界各国が軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つことが重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人びとは国境を越えて行き来し、経済や社会はつながり合っています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
04
武器を使わせない世界
世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、2つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
例えば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
また「クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたリー帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。
広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たったいまも、放射能によって健康をむしばまれています。
このような核兵器が、世界には26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」 を理由に戦争を始めました。
いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』と言つているようなもの」 (エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けているかぎり、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。
核兵器を全面禁止する事こそ必要です。世界のNGOは、「核兵器禁止条約」 をつくることを提案しており、国連で交渉を始めることを呼びかけています。
生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人びとが出てくる可能性はあります。そのときには国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。
ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もち込ませない」という「非核三原則」をもっています。
原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみをだれにも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。
05
基地をなくして緑と海を取りもどしていく世界
戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質をたれ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、 実際の戦争だけではありません。
世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700カ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。
日本にもたくさんの基地があります。
基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件がひんぱんに起きています。ひどい騒音もあります。
基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料がたれ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は、汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人びとの暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。
軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押しつける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人びとの精神や心理さえもむしばまれてきました。
基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人びとにとっての本当の「平和」ではないでしょうか。それは、人びとが 「平和に生きる権利」を確保することでもあります。
フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしていることに対して、人びとは反対運動を続けています。
沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点と して使われることに黙っていられないと、世界の人びとは立ち上がっているのです。
かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたつています。
「ミクロネシアの歴史は、人びとがイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」
06
女性たちが平和をつくる世界
戦争でいちばん苦しむのは、いつも女たちです。戦争で女たちは、強姦され、殺され、難民となってきました。それだけでなく女たちは、男たちが戦場に行くことを支えることを強いられ、さらに男たちがいなくなった後の家族の生活も支えなければなりません。戦場では軍隊の「慰安婦」として、女たちは強制的に男たちの相手をさせられてきました。これは「性の奴隷制」であると世界の人びとは気づき、このような制度を告発しています。
男が働き、戦う。女はそれを支える。昔から、このような考え方が正しいものだとされてきました。最近では日本の大臣が「女は子を産む機械だ」と発言して問題になりました。その背景には「女は子を産む機械だ。男は働き戦う機械だ」という考え方があったのではないでしょうか。第2次世界大戦下、日本の政府は、こういう考え方をほめたたえ、人びとを戦争に駆り立ててきました。このような男女の役割の考え方と、軍国主義はつながっているのです。
「男は強く女は弱い」という偏見に基づいた、いわゆる「強さ」「勇敢さ」といった意識が、世界の武力を支えています。外からの脅威に対して、武力で対抗すれば「男らしく勇ましい」とほめられる一方、話し合おうとすれば「軟弱で女々しい」 と非難されます。しかし、平和を追求することこそ、本当の勇気ではないでしょうか。私たちが、国々や人びとどうしが共に生きる世界を望むのならば、こうした「男らしさ女らしさ」の価値観を疑ってかかり、「強さ」という考え方を転換する必要があります。
ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会 「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会をめざす取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」
この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズさん、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバディさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)。
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。
07
戦争にそなえるより戦争をふせぐ世界
「反応ではなく予防を」。これは、2005年にニューヨークの国連本部で開かれた国連NGO会議(GPPAC世界会議)で掲げられた合言葉です。紛争が起きてから反応してそれに対処するよりも、紛争が起こらないようにあらかじめ防ぐこと(紛争予防)に力を注いだ方が、人びとの被害は少なくてすみ、経済的な費用も安くおさえられるのです。
紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題がもち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処することが必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいといえます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手に負えなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、 紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。
2005年、 国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくることが大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。
また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人びとが主人公になるべきであり、人びとが自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利をもつことが重要です。貧しい国に 「援助をしてあげる」 のではなく、人びとの権利を保障していくことが、平和の基盤をつくるのです。
いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、 かえって増えていっています。「テロリスト」という言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせることができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、 結果的に暴力を拡大させ、人びとの命を奪い、人びとを大きな不安のなかにおとしぃれます。どうすれば人びとが暴力に走ることを予防できるのか考えることが大事です。そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。
08
ひとりひとりの安全を大事にする世界
これまで多くの人びとは、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようということが、世界的に言われ始めました。
緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となつた国際専門家委員会が、2003年に「いまこそ″人間の安全保障″を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人びとを中心とした安全保障の考え方がいまこそ必要である」ということが述べられています。
武力紛争下の人びと、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といつた問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかし深刻な「人間の安全」に関わる問題です。
2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界のなかで広めていく必要があるでしょう。
また、地球上の人びとの生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、 という考え方も広がりつつあります。たとえば、国のなかで紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人びとの生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。それは前文の次の言葉です。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
世界には、戦争に行くことは正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人びともいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。
09

9条がゆきわたった世界
みなさんは学校で、どんな歴史を学んできましたか?
国内で行われた戦国時代の戦い以外に、日本がほかの国々と行った戦争について、どのように教わってきましたか?
多くの国々では、自分の国がいかに正しく、立派であり、誇らしいものであるかを繰り返し強調してきました。その影で、自分の国がほかの国の人びとに被害を与えたことについては、忘れられることが多かったのです。
「国のためではなく人びとのために歴史を教えたい」 そう願う日本、韓国、中国の市民や研究者たちは、いっしょになって一つの歴史教材をつくりました (日中韓3国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史』、高文研、2006年)。傷つけた側、傷を受けた側が、共通の歴史をとらえ直そうとしているのです。
イスラエルは、60年にわたリパレスチナの土地を占領しています。それが理由となって、中東地域全体で暴力の連鎖が続いています。そんな中にあっても、イスラエルの若者とパレスチナの若者が出会い交流を進めています。
インドとパキスタンは、国境のカシミール地方の領有権をめぐる対立を60年間にわたって続けています。国境では衝突が絶えず、両国は核兵器をもちミサイル開発を続けながらにらみ合っています。それでも、平和を求める市民は、国境を越えた交流を進めています。
南アフリカでは、人種隔離政策 (アパルトヘイト)の中で白人が黒人を抑圧してきました。アパルトヘイトは終わり、「真実と和解委員会」がつくられ、過去をみつめて和解を進めました。それぞれの問題において、一人ひとりの「対話」で少しずつ、ゆっくりと解決をしようと努力が続けられています。
「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、 民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人びとが、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。

世界は、9条をえらび始めた。
憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。
―中国、40代・男性
9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。
―モンゴル、60代・男性
9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成はできません。
―韓国、60代・女性
9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。
―中国、40代・男性
すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。
―イギリス、20代・男性
平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願っています。
―オーストラリア、20代・女性
このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアの国々との関係に誠意をもって向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!
―韓国、30代・男性
憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。
―ベルギー、50代・男性
日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って、私たちに必要なことは平和への挑戦です。
―コスタリカ、20代・女性
日本国憲法第9条の改定に反対です。
―ロシア、20代・男性
ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
―イギリス、30代・男性
第2次世界大戦の悪夢を経験したひとりとして、私は力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるベきだと思います。
―フィリピン、60代・男性
僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは、根本的に反省しなかったんです。こういう国にしたがって日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
―アメリカ、50代・男性
武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、とくに軍事力を増強していくことは、私たちにとってまったく無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用したほうがよっぽど有効だと思います。
―フィリピン、60代・男性
私は第2次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきではないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。
―ロシア、60代・男性
平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
―アメリカ、40代・女性
日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私たちはとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。
―ベルギー、40代・男性
日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケーララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
―インド、50代・女性
私の地域では、絶え間ない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。
―レバノン、20代・女性
武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器を持たない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常にすばらしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
―コスタリカ、60代・男性
「グローバル9条キャンペーンに寄せられた世界からの声」
あなたにできること
1.戦争について知ろう
戦争は、人びとに何をもたらすのだろう?―広島・長崎の原爆、沖縄戦、東京大空襲などについて調べ話を聞いてみよう。各地の平和博物館を訪ねてみよう。中国や韓国、東南アジアで日本はかつて何をしたのか。世界各地の紛争で傷ついている人たちや難民となった人たちの声も聞いてみよう。
2.自分の目でニュースをみよう
世界には、どんな問題があるのだろう?―ニュースや新聞をみて、世界の紛争や貧困や環境問題について知ろう。テレビや新聞がまちがうこともあるし、大事なことを伝えないときもある。おかしいと感じたら自分で調べよう。インターネットや本で、現場の情報やべつの見方をえることもできる。
3. いろいろな国の見方を知ろう
日本は、周りの国からどうみられているのだろう?―近隣の国の教科書では、かつて日本がした戦争についてどう書かれているか。日本政府の今の政策を、周りの国の新聞はどう伝えているか。海外に出るもよし、日本に住むいろいろな国の人と友だちになるもよし。「日本以外の見方」をたくさん知ろう。
4. 戦争はなぜ起きるのか、考えよう
どうして戦争は起きるのだろう?―戦争はいろいろな理由で起きる。資源や国境をめぐる争い、民族や宗教をめぐる差別、他国を支配しようとする大国の欲望。いまイラク、アフガン、アフリカなどで続いている戦争はなぜ起きたのか。そして、どうすれば起こさずにすんだかを考えてみよう。
5.憲法を読んでみよう
憲法ってそもそも何だろう?―憲法を変えるべきかを議論する前に、まず日本の憲法に何が書いてあるかを知ろう。9条はもちろん、前文もしっかりと読もう。ほかにも男女平等や健康に生活する権利など、人びとの権利に関する大事な定めがたくさんある。ほかの国の憲法も調べ比べてみよう。
6.日本の国が何をしているのかを知ろう
日本は、世界のなかで何をしているのだろう?―私たちが好むかどうかにかかわらず、日本の政府や企業の行動を世界の人たちは「日本の行動」とみる。政府はどんな政策をとっているのか。自衛隊の実態は。日本企業は海外で迷惑をかけていないか。自国を知ることが、地球人としての一歩だ。
7.自分の意見をもとう。周りの人たちと話し、行動しよう
戦争や暴力や不正義にあふれたこの世界は、「それでしかたない」という言い訳にあふれている。でも 「ほんとかな?」と感じたら、自分で調べて、現場を訪ねて人の話を聞き、考えよう。家族や友だちと話してみよう。政府がおかしいことをしていたら、電話や手紙で意見を伝えよう。NGOの活動に参加することもできる。大人になつたら、投票しよう。自分の意見をもつことは、少し勇気がいるけど、大切だ。
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
「日本の憲法9条をあたりまえのものだとはどうか思わないでください。それは、 ある日突然なくなってしまうかもしれません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人びとが救われています。9条がなければ、みなさんはアメ リカが第2次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです」
これは、アメリカの元海兵隊員で、いまでは世界的に平和活動を行つているアレン・ネルソンさんの言葉です。
日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。だれが、何のためにそう言つているのか、考えてみましょう。
2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタ ンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「いっしょに戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこでじゃまになるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。
また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとってじゃまになるのは、「武器を売つてはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメ リカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人びとはどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そしてみなさんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。
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