2026年10月10日土曜日

中国人強制連行・強制労働

  

●9月6日(日)(於)北海道美唄市
中国人強制連行犠牲者追悼式

中国人強制連行・強制労働犠牲者のお名前



碑文

碑 文
第二次世界大戦中、日本国政府の閣議決定「華人労務者内地移入に関する件」に基づき、約 39,000 人の中国人労働者が日本に強制連行されました。その一部である3,765人の中国人労働者は、三菱マテリアル株式会社の前身である三菱鉱業株式会社及びその下請け会社がその事業所に受け入れ、劣悪な条件下で労働を強いられました。この間、722 人という多くの中国人労働者が亡くなりました。
北海道には 1,637 人の中国人労働者が(三菱美唄炭砿704 人、三菱大夕張炭砿680人、雄別炭砿253人)配属されましたが、357人の中国人労働者が亡くなられました(三菱美唄炭砿 119 人、三菱大夕張炭砿 233 人、雄別炭砿5 人)。2016年6月1日、三菱マテリアル株式会社は、中国人元労働者の人権が侵害された歴史的事実及び歴史的責任を率直かつ誠実に認め、痛切なる反省と深甚なる謝罪、哀悼の意を表明し、中国人元労働者との間で、「歴史・人権・平和」基金の創設を約する和解が成立しました。
『過去のことを忘れずに、将来の戒めとする』 。
私たちは、未来永劫日本と中国の友好関係が発展していくことを願い、二度と過去の過ちを繰り返さないよう、「歴史・人権・平和」基金の事業の下、ここに「日中友好平和不戦の碑」を建立し、この事実を次の世代に伝えていくこととします。
2024年9月
「歴史・人権・平和」基金
「日中友好平和不戦の碑」建立北海道委員会



『三菱マテリアル 中国人強制連行労働 訴訟と和解、追悼の記録』
私たち弁護団は、この31年余の活動を通して
日中友好の確立と促進の基礎となる歴史認識の確立のため、
多くの日中両国の歴史研究者との協働を追究してきた。……
本件「三菱マテリアル和解」とその後今日も続く全国各地の
「慰霊追悼事業」は、小さな一歩ではあるが、私は、
「日中の国民の合作」による歴史的快挙と受け止めている。

小野寺利孝・中国人戦争被害賠償請求事件弁護団団長
日本評論社



中国人強制連行犠牲者追悼慰霊祭(ダイジェスト版)

法話
NO 3 慰霊碑にて 2026、9、6(令和8年)
 皆さまご苦労様です。 私は 三菱美唄炭鉱で働いていた皆さん方と 生活を共にしてまいりました 常光寺の前住職 杉田英明(96歳)です。
 1945年 終戦の年は、 私15才の年でしたが、 この折の過酷な 思い出の1ツを 今日はお話させていただきたいと思います。
 天候の良い よく晴れた日でした。 息せき切った1人の青年が、脱兎のごとく玄関に飛び込んで来た。 正面の 部屋を突き切り 山側の窓を開けてそのまま外に出、 裏山の崖をよじ登り よじ登りして 消え去った。 裏には未だ沢山の雪があった。 青年の服装は、はだけたワイシャツ姿にフンドシ1ツ 素足だった。 今では 一瞬の出来事の様に 思い出されます。
 暫くして、 それぞれに 2m近い棒をもった叔父さんが 2人来て言った。
“今タコが逃げて来なかったか”と。 “さあ 来ませんでしたけど 解りませんでした”等と 嘘の言葉で応対している母の姿と 首を傾げながら不審そうに帰る 来訪者の残像が 亦思い出されます。
 この事件は、 その後何度も 私の心に出没しました。 何かが 私を落ち着かせなかったのです。 然しこの度のご縁で、 少しは学ぶ所等も有りやっと 納得することが出来ました。
 今は 唯 ホッとしたこの心の安らぎに 出会えた事を省みて、 皆様方に 深く感謝申し上げたい 思いでおります。
 青年の名は 馬三文36才。 この方は、終戦の前年・1944年9月、中国から徴用工として連れて来られ、三菱美唄鉱・旭台大和寮に 収容された方々の中の お1人でしたが、 翌1945年の晩秋、故人となり帰国されました。
 記録には、 出身地 河北省 臨楡県石門、 死亡日は 5月5日、 原因は 飢餓 疲労に因る衰弱死・同年5月3日の脱走で死亡と 記されて有りました。
 注記には、「5月1日頃より 腹具合の悪さを指導員に申し出ありしところ、5月3日午後6時頃 二番方入坑の時 脱走、 其のまま山中を彷徨し、地理不案内の上 飢餓 疲労のため死亡・・」と有り 亦、死体発見の場所等については、 収容所があった 旭台・大和寮の すぐ近くの 坂道の途中。 未だ残っていた雪の ヒサシの中で うずくまったまま手には小さな マントウを1ツ握り・・と、その 様子が記されて有りました。
 青年の消去った 常光寺の裏山を登れば、 平坦な畑地となり 真っ直ぐ見通せば、手前に国設スキー場・その向こうに旭台 大和寮の灯火が見える筈です。
 大和寮の葬儀は、寮長がお寺の檀家でもあった為か 私の父が行いましたので、 私は 過去帳を調べてみました。 1945年11月1日付の 特別過去帳でした。 青年の名前も確認できました。
 過去帳の末尾には、 大和寮に収容されている方々が、 この度急に 全員帰国することになったので、 亡くなられた方々も 一緒に帰国できる様にと、急速 法要を勤め、 お預かりしていたご遺骨の 全部を、 同年11月24日の日に 大和寮係員・引率者 立合いのもと 帰国の方々に渡した旨が記されて有りました。
 私は 寮長 沼友三郎さんの この日の緊張したあの顔と、 引率者各自・1人1人が ご遺骨を首から胸に抱いて 常光寺を去った時の 白布の白さが忘れられません。
 終戦の前年 1944年の晩秋に、 三菱美唄炭鉱 旭台・大和寮に収容された1人の青年が、故人となって、 翌1945年11月24日の晩秋に、この地を去り、中国へ帰られたと言う 痛ましくも亦 過酷な話でした。
 終わります。ご清聴有難うございました。


なぜ、三菱マテリアルは和解に応じたのに、三井は応じない??
中国人強制連行(美唄の場合)――人数はかなり正確に分かっています

美唄市自身が2025年2月号の広報で、外務省管理局の資料に基づく数字を紹介しています。1944年7月以降、美唄に割り当てられた中国人は次の3事業場に分かれていました。

事業場 中国からの人数 死亡者数の資料値 主な収容場所
三菱鉱業美唄鉱業所 289人 29人 旭台「大和寮」
鉄道工業美唄出張所 415人 90~91人 盤の沢「興亜建設隊寮」
三井鉱山美唄鉱業所 597人 163人 奥の谷間「明華寮」
合計 1,301人 282~283人 ―

ここは数字に一つ注意があります。日本中国友好協会北海道支部連合会の集計では、三菱29人、鉄道工業91人、三井163人で、合計すると283人になります。一方、美唄市広報は「乗船中を含め282人が死亡」としています。したがって展示などでは、無理に一方へ統一せず、**「外務省関係資料では282~283人。集計方法に1人の差がある」**と注記するのが最も安全です。

さらに重要なのは、1,301人全員が美唄に到着したわけではないことです。美唄市によれば、中国の港を出る時点で1,301人でしたが、航海・移送中の死亡や逃亡などにより美唄到着時には約1,250人まで減少していました。戦後に帰国できたのは約1,015人とされています。北海道教育大学系の研究では帰国者を1,008人としており、ここにも若干の資料差があります。

とりわけ死亡率が高かった三井美唄
三井美唄は突出しています。

597人が乗船し、そのうち46人が事業場到着前に死亡、実際に三井美唄に到着できたのは551人でした。裁判記録にもこの数字が認定事実として現れています。その後を含め死亡者は163人、死亡率は資料上**27.3%**です。
つまり、ほぼ4人に1人以上が死亡したことになります。

北海道慰霊追悼式 森田弁護士挨拶 2026・9・6
 本日、北海道で強制労働させられました中国の方の強制連行・強制労働の被害者を慰霊・追悼する事業が無事に行われました。 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団の一員として、ご挨拶をさせていただきます。
先のアジア太平洋戦争の時期に、日本は中国に侵略し、数々の犯罪を犯しました。 南京事件、慰安婦事件をはじめ、この強制連行・強制労働事件もその一つでした。
その事実を明らかにし、この強制、日本政府と企業の責任を求めて、中国人から強制連行された元労働者の被害者の方たちが来日して、1995年以降、日本各地で裁判を行いました。 そして、2016年の6月の一日、北京で被害者のうち生存している労働、3名の方が代表となって、三菱マテリアルと歴史的な和解を結びました。 それ以降、中国の人権発展基金会が受け皿となり、中国国内で調査活動が進められ、その結果、3,765名の被害者のうち、1,914人の被害者の遺族が見つかって、謝罪の証としての基金を受け取ることができました。
 その和解の一環として、強制労働をさせられた各事業所において記念碑を建立して、和解事業を行うことになりました。 和解事業の調査活動は2024年10月で一応終了しましたけども、さらに5年間、三菱マテリアルが遺族の方の訪日費用を出して、この慰霊・追悼事業のが、現在も継続して進められています。
 この三菱和解の記念碑は、全国で6ヶ所、今、建立されました。 北海道には美唄、大夕張、夕別炭鉱に1,637人の中国の方が強制連行されましたけども、その中で357人もの多くの方が死亡されました。 三菱マテリアルは、この人権が侵害された事実を認めて、そして、その歴史的責任に対して真摯かつ誠実に謝罪の意を表明しました。
 現在、日中関係は高市首相の台湾有事の発言を理由に、政治も経済も、その他文化でも多くの交流が中止されています。 こうした時期に今回、43名の被害者遺族の方がこの慰霊祭に参加していただきました。 本当に大きな意味を持っています。心から歓迎をしたいというふうに思います。
 この記念碑と慰霊・追悼の事業は、私たちのような民間と民間の事業として取り組まれていますが、過去の事実を忘れずに、今後の日中両国の友好関係を築きあげていくための友好の架け橋というふうになります。 中国の皆さんにはぜひ日本に来て、このような取り組みが多くの市民によって今もずーっと行われているということをぜひ知っていただいて、中国の方にも伝えていただければというふうに思います。
 そして最後になりますけれども、今後とも末長く、日中の市民が手を携えて、この事業をぜひとも継続させて、友好と平和を築いていくように、心からお祈りして、挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
(拍手)

※朝鮮人強制動員――中国人よりさらに規模が大きい!!

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