2020年11月27日金曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


ユーザーレビュー

この作品に高評価つけてる人ってあまり映画見た事ない人かな?黒沢清監督、コレで賞もらって嬉しいのかな.....アニメしかヒットしない国だからこの程度で評価が高いのかな。。


黒井秋夫講演会





パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

◎原爆報告書

封印された原爆報告書

●石川太刀雄

(当時)

  731部隊第1部石川班で病理研究 

  金沢大学医学部病理学教授 

  アメリカのヒル&ヴィクタ-調査報告書によれば 「・・・・岡本耕造博士によれば、金沢大学にあった病理データは1943年に石川博士によってハルビンから持ち帰られたのである。それはおよそ500人の標本からなっていた」と書かれています。

   1943年石川は金沢大学医学部教授となる。

   特に流行性出血熱(孫呉熱)の研究で有名。 

  北野政次の「防疫秘話」の記述では「・・・・流行性出血熱の研究では・・・・

   昭和11年11月初旬、トゲダニを朝比奈技師が集め、金沢博士が11月6日実験し、笠原博士が引継ぎ、11月14日石川博士の病理報告で実験成功を知り、その後笠原博士の努力で病原体がウイルスである事が決定・・・・病理研究は所博士が引継いだ」とあります。

  また同調査に対して「ペストは自然の流行の際に集められたものばかりでなく、

  人工的にペストに感染させ解剖した人から採った標本の数として、総数は180」と答えています。 論文「炎症(殊にペスト)に関する研究」では満州国農安地区ペスト流行に際して、 ペスト屍57体解剖を行った。之は体数に於いて世界記録であると自慢しています。 


 (戦後)

1949年 日本細胞化学会を創設             

1954年 オランダの国際細胞学会に日本代表              

1962年 第6期日本学術会議第7部会員に選ばれる              

1967年 金大医学部付属神経情報研究施設長              

1968年 金大がん研究所長







隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎


 


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


       

                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!




 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)





 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

 公衆衛生学講習開始

 山田衛生局長は大いに之に賛意を表せられ衛生行政に関しては局長もその一部を担任講義せらるる筈である。詳細は近日中の本誌に広告せらるる筈だがその概要を述べれば左の如きものである。

講習科目 伝染病学(細菌学、免疫学、原虫学、寄生虫学に関する講義並び実習、臨床講義)等、栄養学、小児衛生、体育衛生、衛生統計学、産業衛生、衛生工学、衛生行政。

 講師 伝染病研究所所員技師は勿論、衛生局、社会局、統計局の各専門家

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

2章 細菌戦被害調査委員会から

 

日本は真の民主国家ではない

 

 王培根(浙江省細菌戦被害調査委員会、崇山村)

 

 私は浙江省義烏市崇山村から来ました。8月25日に家を出て、上海経由で東京に来ました。今日の午後までずっと判決を待っていました。実を言うと崇山村では、今日2200人の村民が集まって、判決結果を待っていました。私は事前に心の準備をしていましたから、このような理不尽な判決が下されても、取り乱すことはありませんでした。日本の裁判所が中国の被害者に公正な判決を与えるとは、最初から思っていなかったからです。その理由とは、日本政府はまだ真の民主国家とは言えないからです。もし真の民主国家なら首相は靖国神社に行かないでしょうし、歴史教科書の改竄もなかったでしょう。今日の判決は私に新たな決意をもたらしました。 


 

 


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月八日

 キングを借り来て読めど 思うようならず。然し夜は思い切り読むことができる。都合の良い親子電気を利用して 多少違えども家庭生活トントンのような気分で本を読みふける。胸の痛みは大したことなし。中島の奴夜の夜中まで暴れて困った。折角とった床も寝る前からくちゃくちゃだ。

眠りについたのは午後十時半床の中の1日がかくして暮れた。明日も何もないと思ふがいかが。


    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

  この1年間の死者たちのうちには、彼らの内、恐らく最も痛ましい志を抱いて死んだ被爆者の一人である筈の、宮本定男氏が含まれている。1年前の真昼、陽にさらされた原爆病院の前庭に、平和行進を迎えるため入院患者を代表して、3人の患者がゆっくり歩み出た。その3人の中央にいたのが、頭を真っすぐにもたげた、ひどく蒼ざめている中年の患者だった。彼の脇の、バラ色の花模様のネグリジェの少女よりももっと背の低い、小柄な彼は、緊張しきったか細い声で、しかも何となく軍隊調で、≪第9回世界大会の成功を信じます≫と演説した。そして花束を受け取るとぐったり肩を落とし、原爆病院の内玄関へ引き下がって行った・・・


 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


生体解剖をやらされた

意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・

 

鎌田信雄(かまたのぶお)

731部隊・少年隊

(経歴)

1923年生まれ

1938年 731部隊入隊

1940年 新京の防疫でペスト感染

1943年 病気療養の為帰国

■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。

特攻隊

片道燃料だけを積み込んで敵地に体当たりする特攻隊員は、出撃する前に天皇から頂いた“恩賜の酒”を飲んだと言いますが、731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っているが、それは731部隊で開発したものだ」と聞きました。後になって考えてみますと、覚醒剤の力で恐怖心を抑え興奮させて、それで体当たり攻撃が出来たのではないでしょうか。それを731部隊でも作っていたのかもしれませんが、本当のところはよくわかりません。


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳



 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集


興農部次長嶋崎庸一より龍江省次長宛ての書簡

(1945年5月17日、12興林政第8号の15)

 本年度の軍需実験用畑栗鼠収集の件につきましては、閣下のご尽力により、既に所期の成果を収めることが出来ました。引渡し促進のため学童に鉛筆を特配するよていでありましたが、様々な事情により、収集期限が至りましても、鉛筆の製造が間に合わず、代用品を特配せざるを得ません。

 買付数量に応じて、貴省における特配品分配の枠内で、適切に分配していただければ幸甚に存じます。

この特配品は、既に貴省合作社支部宛て発給してあります。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

4 毒ガス戦の訓練や教育はどのように行われたか

危険な「実物体験主義」教育

 さらに、これは極端な例かも知れないが、毒ガスの猛毒性を証明するために次のような行為が行われていたことが被災者を目撃した元学生の回想から確認することができる。

 

 びらん性の液体ガス、イペリットの実物講義で、こんな黄色の液がそんなに効果があるものかとの一部の意見に、何を言うかと米島教官がそそのかされて、それではと言うので十数名の編上靴の上からきい剤を注いだために、皮革を浸透した猛毒にどちらかの足の甲をやられて歩行不能、びっこを引き引きの医務室通いとのこと。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

 1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご


陸軍第6技術研究所

 1926年、第3部の科学研究に従事する人間は100人前後に増員された。生産のフロアを10室に、実験室に増やし、イペリットガスの日産量は100キロとなった。

 1928年になると、第3部の規模はさらに拡大され、施設も拡充されて研究のための建物も2棟となり、研究室と実験室は合計40室、研究生産のフロアは20余りにもなって、毎年の研究経費は35万円、総人員は237人に増加した。

 1931年7月、陸軍科学研究所は改められ、第2部は解体されて第3部が第2部となり、久村は部長に就任し、その後所長となった。

 







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

毒ガス実験

―8名の農民を生体実験に

 

三上忠夫

軍曹

〈略歴〉

本籍地     千葉県銚子市

出身階級    漁民(小資産)

学歴      尋常小学校6年中途退学

卒業後の職業  漁師

最終部隊    旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊

捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校

年齢      37歳

 

真正面の土堤の上に立った教官富山少尉が片手に軍刀を持ったまま、この様子をじいっと見ていたが、「ガス無し面取れ」と言うが早いか、もう小銃を両足の股に挟んだ兵隊たちは、素早く面を顔からもぎ取るように脱いでいた。汗でぐっしょり濡れた顔に4本の締め紐の跡が真っ白くついている。みなホッとしたような、緊張したような顔つきで立っている。「午前の演習終わり、午後は兵器被服の手入れ、解散」・・・先任の篠原軍曹の指揮で敬礼が終わった。「分かれ」「ご苦労さん」・・・・「ご苦労さんです」と一斉に内務班に入った。

 

 




2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

4 私達の情報公開裁判闘争の目的

 その後2018年に「中央即応集団」は「陸上総隊」に改変され、現在の自衛隊には、陸上自衛隊三宿駐屯地に所在する「陸上総隊」隷下には衛生科部隊として「対特殊武器衛生隊」が設けられています。

 同組織は、かつて1950年代後半に当時の自衛隊が構想した新たな生物戦部隊・化学戦部隊を含むものに他なりません。

『衛生学校記事』第1号には、米国医学会雑誌及び米軍教範から翻訳した形式をとって、元731部隊員の園口忠男氏が「生物戦に対する医学的防御の問題点」を発表しています。



 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」




 

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

 

沖縄基地の毒ガス事件

 彼はさらに、「約6時間以内に全員が退院し、正常な業務に復した」と述べたが、原水爆禁止沖縄県協議会からの情報に依ればヘンキン国防次官補の弁明にもかかわらず、毒ガスを吸引して入院した中毒患者はまだ退院しておらず、極秘に隔離されているもようである。

 米紙の報道を受ける形で、沖縄現地の新聞はもとより、本土の新聞も一斉に、「核ばかりか毒ガスもか」という風にこの問題を取り上げたが、『ウォール・ストリート・ジャーナル』にこの記事が掲載された日、岐阜県に米空軍機プルバックミサイルを投下するという事件もおき、アポロ11号と対蹠的な問題として、世論を喚起することとなったのである。


 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 新しい日本は科学を育成し、国家目標に向かって組織力を高め、過去は終わたと考えるべきだというのである。指導者層は、当初から「大東亜戦争」の敗戦の責任に目を奪われていた。彼らの分析は真珠湾以前の、天皇も支持した満州における支配の拡大や、天皇に鼓舞されて近衛内閣が総力戦へとエスカレートさせた1937年の「北支事変」、そして敗戦の一因となったアジア・ナショナリズムの役割については無視していた。1931年の中国に対する攻撃や194112月の米英への攻撃に対する責任は、国家に多くの恥辱と惨めさをもたらした最終的な敗北に対する責任にすり替えられた。いうまでもなく、天皇は、この結末に対する自分自身と宮中グループの責任をいかなるかたちであれ負うことはなかったのである。

 


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 火力発電所と原子力発電所のエネルギー効率の違い

 これらのガス火力発電所を10年以上前に見学したが、中型の発電機をたくさん並べて巨大原発に匹敵する発電能力を持ち、消費電力の変化に対応できるばかりか、全くクリーンな発電プラントであることに、ここまで進歩したかと感嘆した。マンモスのように複雑怪奇な原発ばかり見て来た私は、発電所と言うものは、これほど簡素なプラントで良いのだと驚いた。東北電力の東新潟火力発電所でも、コンバインドサイクルが使われ、熱効率55%を達成していた。

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

歴史

1996年4月、「モデル核兵器禁止条約」(Model Nuclear Weapons Covention, Model NWCmNWC)という名の条約草案が、核兵器の廃絶を求める法律家科学者軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する以下の3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草された。目的は、核軍縮の可能性を「法的、技術的、政治的要件に沿って検証する」ことであった。

1. International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation、INESAP(拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク)

2. International Association of Lawyers Against Nuclear Arms、IALANA国際反核法律家協会

3. International Physicians for the Prevention of Nuclear War、IPPNW核戦争防止国際医師会議



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!























 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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