●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
黒井秋夫講演会
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
◎ハンセン病
間違いだった国の隔離政策
患者の隔離政策に基づいて、1909年(明治42年)4月には、全国に開設されたハンセン病の公立療養所の一つとして、九州七県連合立「九州癩(らい)療養所」が開設されました。現在の「菊池恵楓園(けいふうえん)」です。
恵楓園はかつてはハンセン病患者の救護あるいは隔離・収容の役目を担い、全国最大の収容施設として、病床が2200床もあった時期もありました。
1931年(昭和6年)の癩予防法の制定以降、国はハンセン病患者を国立施設などに隔離する政策を強化しました。患者は強制的な隔離によって家族から引き離され、塀の中だけで暮らす生活を強いられたのです。
恵楓園でも監禁室に閉じ込められて罰を受けたり、弁護士のいない「特別法廷」で裁かれたりといった行為があったといいます。戦後には治療薬プロミンによる治療も始まったのですが、1953年(昭和28年)に制定された「らい予防法」でも、患者を排除し隔離する政策の基本は変わりませんでした。
1996年(平成8年)にらい予防法はようやく廃止され、2001年(平成13年)には熊本地裁が「1960年(昭和35年)以降、ハンセン病は治療可能な病気になっていた」として、らい予防法による隔離政策に違憲判決を出し、この判決が確定しました。
特別法廷についても、最高裁判所が設置が正しかったのかどうかについて再検証を進めています。
・関わった元731部隊員・・・小林六造(戦時中は、731部隊の嘱託。戦後国立予防衛生研究所長、国立癩(らい)研究所長を歴任
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第2部
第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意
第1章 原告団から
日本は道徳を持ち謝罪と賠償を
周 洪根(原告、浙江省義烏市塔下洲)
日本政府には正義というものが無いのでしょうか。私は裁判で証言する前に真実しか述べないということを宣誓しました。私たちははるばる中国からやって来て、語り切れない被害について訴えました。嘘などつくはずがありません。
この訴訟の原告は180人いますが、この5年でそのうち25人が亡くなりました。当時は年齢を問わずに全員が細菌戦の被害を受けました。被害は軽い人も重い人もいました。
中国には、信頼がないと人間関係が成り立たず、国には道徳がないと成リ立たない、という言葉があります。人間は信頼されなければ孤立したままこの世を去るしかありません。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
三月一日
衛兵所では怒られるし榊原は足下も危ない位に酔っぱらって始末に負えない。帰る早々武田は寝るし益郎はあばれるし本当に男なんてつまらんものだ 僕の体は酒に強いのか弱いのかわからない 呑めば呑むほど頭はさえてくる。後期兵の○○が事故を起こし 日曜の楽しい奥さんの膝を離れて西持さんやってくる。前期兵に注意的希望ある 矢張り酒は慎むべきなり
1 広島への最初の旅
森滝代表理事は疲労している。彼は最後の力をふり絞る、統一と団結が強調されて基調報告が結ばれる。拍手は弱弱しく短い。老哲学者はこの時はまだ、総評、社会党系の代表たちがこの大会を見捨ててしまっていることを知らない。彼はやがてそれを知り裏切られたと感じるだろう。そしてまた、閉会にあたって、彼の基調報告が全く踏みにじられてしまうとき、その時既に彼と広島原水協は大会を、≪もし条件が揃えば…≫という伊藤事務局長の約束とは逆の最悪の状態で返上しているのだが、もう一度裏切られたと感じることだろう。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
陸軍軍医学校では厳しいテストが行われ、50人いた中から6,7人が選別されたのです。オヤジ(石井四郎)はヨーロッパの視察旅行から帰って軍医学校に防疫研究室を作ったそうで、当時中佐だったオヤジは軍医学校の教官でした。
私は関東軍防疫給水部隊に軍属として配属され、10月末頃に新潟港から船に乗り、羅津(北朝鮮)経由でハルピンに行ったのです。今もその時に作ってもらった名刺を持っていますが、その時の住所は〔満州国濱江省ハルピン市吉林街5号〕です。ハルピンに着くと当時大佐だった松井石根(いわね)隊長の特務機関の建物に連れて行かれました。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
四 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集
康徳12年度興濃部・文教部・協和会中央本部軍用畑栗鼠(はたりす)収集要領(1945年2月24日)
第3 措置
畑栗鼠の捕獲、飼育、検収方法などを指導並びに研究する為、収集開始の前に、部隊及び興農部から要員を派遣する。
この捕獲業務に関しては、協和青少年団も協力しなければならない。
(1)149,1
*訳注:協和会ー1932年7月、関東軍の指導のもと、満洲青年連盟の山口重次、小沢開作らが「五族協和」をスローガンに設立。当初は関東軍の治安活動に同行して情報収集や宣撫工作にあたったが、地方行政機関との間に対立が生じたため、34~5年に改組され、満洲国の施策を民衆に徹底するための宣伝・動員組織となっていった。(前掲『満洲国史』各論、76~156頁)。
**訳注:畑栗鼠ー原書では、野鼠を意味する中国語「田鼠」と翻訳されているが、xi所掲の写真にあるように、当時の日本側公文書では「畑栗鼠」(ハタリス)が用いられていた。
***訳注:興農合作社ー満洲国の農業協同組合。1940年に、それまでの金融合作社(信用事業を担当)と、農事合作社(農作物の販売生産を統制・管理)を統合して成立した(波形昭一「旧植民地における産業(金融)組合の発展と基本文献」、『各県産業組合史集成』不二出帆、1990年、16~17頁)。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育
3 民間企業は毒ガスの製造にどのように関与したか
民間企業で毒ガスとその原料を製造
表9 陸軍の毒ガス兵器関係の軍需品を納入した民間企業(1934年)
民間企業名 陸軍軍需品納入内容
8、日本化工株(東京府) 特種軍用資材、化学戦資材
9、藤倉工業株(東京府) 化学戦資材、航空器材
10、三田土ゴム製造株(東京府) 特種被服、化学戦資材
11、株大和護膜製作所本田工場(東京府) 特種被服、化学戦資材
12、保土谷曹達株(神奈川県) 主要原材料、化学戦資材
13、日本曹達株二本木工場(新潟県) 主要原材料、化学戦資材
14、北海道曹達株伏木工場(富山県) 主要原材料、化学戦資材
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
化学兵器の研究
1919年、第1次世界大戦の終結に伴い、「臨時毒ガス委員会」の組織も撤廃された。朽木と安達の両人も毒ガスの実験中に受けた傷害で入院した。しかし、これによって日本の毒ガスに対して関心が決して低くなったわけではなかった。反対に、かえってこの戦争が日本の化学戦能力を増強する欲望を掻き立てたのだ。ドイツは敗戦国とはなったが、高度の発達した軍事化学技術の掌握が戦争を発動し、同時にまた多くの状況下において主導権を握る重要な条件であることを、証明することにもなった。世界大戦が終わってから、平和に対する要求が高まり、軍縮はもはや押し止めることができない世界の潮流となったが、日本はこの戦争によって財政的に豊かになり、軍隊は言うに及ばず、政府さえも軍隊を縮小しようと思わなくなった。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ
原田左中(はらださちゅう)
憲兵軍曹
〈旧部隊名〉
元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊
「畜生ッ」今度はどんな苦しめ方をするか?私は五寸釘を持ち出すと、今朝突き立てた真っ赤な肉が口を開き膨れ上がっている太ももの穴にぷつりと突き立てた。男の足が宙でバタバタする。そのたびにギシギシと梁がきしる。
「しぶとい野郎だ!」もう1本突き立てた。血が流れ出す。「これでもか」棍棒の先で釘の頭を小突き回す。男は体中をくねらせ、苦痛をこらえ、吊るされた体がきりきり舞いをする。
中隊長は人斬り包丁を杖にしながら、苦しみもだえる男の姿をニヤリニヤリと満足そうに眺めていたが、「強情な野郎だ」と言うが早いか、怪しげな足取りで近づくと、ぐっと軍刀の鞘で男のあごを下から上にしゃくりあげた瞬間、男は顔を横にそむけた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点
金原資料2028点の中には『衛生学校記事』89冊が含まれていますが、これは行方不明の中にあると言うのです。しかし、金原資料を破棄した事実もありませんから、防衛研究所から衛生学校に戻って来てからの資料保管の経過を厳密に調査すれば、出てくるはずなのです。
現在、私達は、裁判で1995年から1996年の金原資料の移管事務を担当した複数の担当者の陳述書を要求しており、近く被告から提出される予定ですし、防衛省の説明責任が求められています。
DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
12月16日(水)11:00~になりました。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
枯葉作戦とその被害
「人間に対しては、150ポンドの体重に7gである」(『サイエンス&シチズン』1967、8・9月号)
また、カリフォルニア大学の学者アルデン・S ・クラフトは、「砒素系農薬は“米”に対して枯死効果が高い。24Dや245Tは雑穀類、米類にはあまり効果がなく、広葉樹林を枯らす為には非常に大きな効果をもたらすものである」そして、「非常に重要な問題は、砒素系薬剤が果物に大量にかかった場合、人間に対しても多大な害を与えるものである」と言っている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第13章 遅すぎた降伏
V
玉音放送が終わると、和田信賢アナウンサーが普通の語調で詔書の全文を改めて「奉読」した。そして、内閣告論がこれに続き、アメリカによる原爆投下が国際法に違反するとして非難され、ソ連の対日参戦もまた非難された。詔書は難解で格式のある文体で書かれていたので、これをわかりやすく正確に伝えるために、和田信賢アナウンサーにより御前会議の様子やそこでの天皇の発言についての紹介や解説が行われた。和田は次のような解説をした。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
誰が電力問題を起こしている最大消費者か
そこで、電力会社と地元の政治家が手を組んで、莫大な投資を必要とする原子力発電所の建設に熱中してきた。中でもひどいのは、全国で「危険物」として嫌われる原発を強引に建設しようと、発電所に入る金を周辺の市町村に補助金として配り、地元民を黙らせるため、1974年に田中角栄内閣が施行した電源開発促進税法である。電力会社が納税する形をとっているが、現在でも、数千億円という巨大な実質「消費税」が読者を含めてすべての消費者から電気料金として徴収されている。この大金が電力消費者→電力会社→国(原発官僚差配)→地方自治体(原発現地)へと電源三法交付金として流れている。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカ合衆国
ニューメキシコ州での核実験
2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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