2020年11月30日月曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


ユーザーレビュー

緊迫感と仕掛けと!

久しぶりに邦画を見ました。
元々、黒沢清監督は好きな監督の一人で、賞を獲られたこともあり映画館へ観に行きました。

監督が撮られたNHKのドラマを映画化されたもので、NHKつながりでセットは大河ドラマ『いだてん』を使わせてもらったとのことでしたが、当時の街並みや小道具、衣装など細かいところまでその時代を再現されていて、言葉使いと共にとても良かった。

主人公の夫(高橋一生)の趣味である映画作りを伏線としてうまく使っているので、話の破綻がなく納得感がある。

黒沢清監督らしいと思ったのは、直接的ではない拷問シーンの演出と東出さんが高橋一生さんの手の平に剥いだ爪を載せるシーンです。
恐怖心の煽り方がうまい!

残念なのは、予算の都合なのか過去の作品の『クリーピー』や『散歩する侵略者』と同様に病院での空襲シーンとラストがアッサリかつ唐突感があったところです。


黒井秋夫講演会






パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

◎ビキニ水爆実験

水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!









ブラボー実験(ブラボーじっけん、英語Castle Bravo)は、キャッスル作戦として1954年3月1日アメリカ合衆国によりビキニ環礁で実施された、高出力熱核爆弾を用いた最初の核実験である。実験当時としてはアメリカの最大出力の、また世界初の水素化リチウムを用いた核爆弾であった。リチウム7の核反応が想定よりも多かったことが原因で、ブラボー実験での出力はTNT換算15Mtと、事前に見積もられていた6.0Mtの2.5倍となった。これにより、ビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染が発生した。

この実験による放射性降下物ロンゲラップ環礁ウチリック環礁を中心に降り注ぎ、住民は避難が3日後となったために放射線障害に苦しむこととなった。また、日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員23名も放射性降下物に汚染され、急性放射線症候群を訴えた。ブラボー実験を契機として、世界的に大気圏内での核実験に対する反対運動が盛り上がりを見せた。

1954年5月までに6回の核実験が行われたキャッスル作戦の一環であり、同作戦のうち最も有名である。これには2つの理由がある。

ブラボー実験の成功が、爆撃機に搭載可能な、実用兵器としての水爆の出現を意味した。

アメリカの不十分な危険水域設定により、第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船が被曝したうえ、ロンゲラップ環礁などにも死の灰の降灰があり、2万人以上が被曝した。これはアメリカが核実験で引き起こした最悪の被曝事故である。

実験を行なった島は消え去り、深さ120m、直径1.8kmのクレーターが生じた。

 





2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎



森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


       

                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!




 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

7月中職員異動調

昭和4年8月1日伝染病研究所

日    異動事項           官職

7.10 昭和4年7月10日付願

   研究生入学の件許可す                藤田 猛

7.12 北海道へ出張を命ず           教授    河本禎助

7.12 昭和4年7月12日付願

   研究生継続の件許可す                三浦 学

7.23 昭和4年7月23日付願

   研究生入学の件許可す                高田 真

7.25 帰朝                  技手    井上善十郎

7.25 任北海道帝国大学教授          技手    井上善十郎

   叙高等官6等

7.27 叙勲6等授瑞宝章             教授       田宮猛雄

7.31 昭和4年7月30日付願

   研究生退学の件許可す                  久木田五郎

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

2章 細菌戦被害調査委員会から

 

日本は真の民主国家ではない

 

 王培根(浙江省細菌戦被害調査委員会、崇山村)

今回原告は全部で180名です。今、全国、全世界が我々に注目しています。

アメリカ、イギリス、香港などのメディアが医者たちも、調査を行う為中国にやってきました。我々は不公正で、良知のない判決に接して、全国の被害者を集めてさらに大きな戦いにしようと決心しました。

8.27記者会見) 


 

 


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月十日

 

陸軍記念日第弐拾六周年目なり 一大奉天戦を形どった市街戦あり 参加部隊 守備隊 在郷軍人青年訓練所 中学生徒 小学生徒 非常に盛会にして意義深し 市街戦における我重機隊の進路図のごとしー此の日晴 風強し

陸軍戦勝第弐拾六周年記念日也。奉天会戦の模擬戦挙行の為に重機編成ー午前九時半 沙河対陣の状況の元に行く為にゴルフ山の向こう斜面に陣取って戦機を待つ 

第一軍中学生軍 第二軍在郷軍人及び青訓軍 第三軍守備軍 第四軍小学生軍編成にて、敵は奉天城(駅前御大戦記念午砲サイレンの公園式広場)門端に陣を作り我を待つ




    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 この小柄な中年の死者は≪第9回世界大会の成功を信じます≫と一言述べるために日盛りの前庭に現れ、自分自身の衰弱死への道を、確実に短くした。その切実極まる代償において、彼は志を述べ(それが平和行進の先導車のスピーカーの声にかき消されて、行進団の人々の耳に、ほとんど達しなかったにしても)そして志を述べた人間の、威厳と満足感と共に引き下がった。しかし、その夕暮から始まった第9回世界大会は決して成功したわけではなかった。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


生体解剖をやらされた

意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・

 

鎌田信雄(かまたのぶお)

731部隊・少年隊

(経歴)

1923年生まれ

1938年 731部隊入隊

1940年 新京の防疫でペスト感染

1943年 病気療養の為帰国

■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。

ペスト流行

 

 実はこの頃、私はペストに感染してしまいました。高熱が出て倒れました。倒れた後、ハルピンに移送されたそうです。陸軍病院に送られ、ワクチンを投与されました。陸gン病院と言っても、他の患者から隔離された離れ小屋みたいなところです。誰も立ち入ることができず、入って治療に当たることが出来たのは731部隊の先生ばかりでした。

 何とか良くなった頃、今度は「結核の療養」と言う名目で、旅順に送られました。1943年になって広島の江波病院に移り、その後盛岡にある江波分院の観武カ原(かんむがはら)の衛生(えいじょう)病院〔盛岡陸軍病院〕で療養し、ようやく退院になったわけです。 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳



 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集


榊原秀夫供述書(1955年517日)

問:部下をどのように指揮して大量の鼠捕獲とノミの繁殖を行い、731部隊に細菌兵器大量生産の原料を供給するという任務を果たしたのか。

答:1945年4月、私は731部隊本部で開かれた支隊長会同に出席した。石井四郎部隊長が各支隊に対し部下を大いに動員して補鼠活動を行うよう命令した。会同後、私は林口に帰り、支隊の幹部会議を招集して、林口に間所少尉を責任者とする25名の常設捕鼠班を設け、専門に捕鼠活動にあたらせることを決めた。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

4 毒ガス戦の訓練や教育はどのように行われたか

危険な「実物体験主義」教育

 また、別の元学生は「『瓦斯室』での訓練のあと2時間位、野原に倒れて休息し回復したこと、イペリットを撒布した演習場内での戦闘訓練で足をやられ入院の後、退校したした者があったことなど思い出します」と回想している。退校せざるを得ないような相当な傷害を受けていた兵士もいたのである。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

 1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご


陸軍第6技術研究所


 ここで特に指摘せねばならないことは、日本の軍隊の中で、海軍もこれとは独立して化学兵器の研究と製造を行っていたことである。すでに、1922年には海軍の中に化学兵器委員会が成立し、陸軍とは密接に連携を保っていた。1923年には海軍技術研究所の中に化学兵器研究室を設立し、金子忠吉大尉が室長を務めた。1934年には、神奈川県平塚市で、海軍から独立して科学研究部が設立された。1943年には相模海軍工廠が設立され、化学兵器を生産した。

 







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

毒ガス実験

―8名の農民を生体実験に

 

三上忠夫

軍曹

〈略歴〉

本籍地     千葉県銚子市

出身階級    漁民(小資産)

学歴      尋常小学校6年中途退学

卒業後の職業  漁師

最終部隊    旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊

捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校

年齢      37歳

 

泰安から西方11㎞、岩流店を富山小隊の50数名包囲したのは、それから3,4時間後であった。「おかしいな、確かに50人ばかりの八路が入ったという情報だったんだが・・・・」村外れの畑の中の一本木の側で、連絡係の村木上等兵の顔をジロジロ見ながら忌々し気な顔つきで、小隊長の富山少尉がじりじりしている。「ようし、八路に逃げられたら仕方がねえ、村の中を徹底的に掃討だ。各分隊に伝達しろ」・・・「ハッ」側にいた伝令の尾崎1等兵が村の方へ駆け出した。






2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

5 最近の『留守名簿』公開の意義

ここ1~2年731部隊関連資料の発掘・公開が進んでいます。2018年には3607人の「関東軍防疫給水部満洲第659部隊留守名簿」(731部隊)が公開されました。

 「留守名簿」とは『悪魔の飽食』に表紙写真が掲載されその後、細菌戦裁判弁護団と支援者が厚労省と交渉して一部黒塗りの名簿が公開(2003年)されていましたが、15年後にやっと全面公開になりました。

 また今年2月には西山勝男氏(滋賀医科大学名誉教授)によって、敗戦時、復員局が帰国した731部隊員から聞き取り調査をした撤退経路等の詳細を記した公文書「関東軍防疫給水部行動経過概況図」が発見され公開されました。

 最近の731部隊関連資料の発見・公開は731部隊の真相研究にとって重要なものであり、現在の私達の『衛生学校記事』『化学学校記事』情報公開裁判は励まされました。




 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」




 

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

 

秘密の中のBC兵器

2兵站部隊には、毒ガス防護服の修理工場、知花貯蔵地域の奥には大掛かりな化学兵器貯蔵庫と訓練施設がある。ウサギが異常な死に方をしているので、68年立法院で問題となったのは知花に近い多幸山の弾薬処理場付近のことである。海兵隊にも対CBN(CBR=化学、生物、放射能兵器と同じ)訓練施設があり、陸軍と同様に、その内容は外部には全く公表されていない。

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

昭和天皇は軍部の強硬派との同盟関係に終止符を打ち、宮中グループを再統合しながら、一時的な武装解除と外国による占領というひとつの時代に適合しようとしていた。8月15日の終戦詔書に基づき、君主制維持のための「精神的動員」と、そのメッセージを〔国民に〕納得させる、新たなキャンペーンが、いまこそ明らかに必要であった。次期総理は、当惑し、混乱し、打ちのめされた国民に対して、いったい何が起こったのか、また、なぜ忠良な臣民たちが皆、いまから思考を変えなければならないのか、なぜ丁重に敵を受け入れなければならないのかを説明し、国民自身が身をもって体験している恐ろしい苦境をもたらした責任を詮索しないように説く必要があった。次期内閣の焦眉の課題は、アメリカ軍を主体とする占領軍を平和裡に受け入れるための準備をし、過去との連続性を印象づけながら国民を鼓舞することにあった。そして次期内閣の長に据えられた皇室の親族の一員だけが、これらの使命を達成することができたのである。 


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 火力発電所と原子力発電所のエネルギー効率の違い

 先進国における原発ルネッサンスなどという言葉は大嘘なのだ。大統領がブッシュであるかオバマであるかは問題ではない。アメリカのエネルギー省の計画では、西暦2030年までの電力の増加分は、8割近くを天然ガスと自然エネルギーでまかなう、残り2割近くは石炭でまかなう、としてきた。エネルギー省によれば、原発は全体の5%で、しかもそれはオプション(選択肢)に過ぎないと断っている。前述のように、原子炉製造技術が絶滅危惧種となってきたので、延命を図っているだけだ。

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

2017年07月07日に国連本部で開催中の核兵器禁止条約交渉会議にて賛成122票、反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)の賛成多数により採択された

· 核兵器保有国(NTP上のアメリカ合衆国中華人民共和国イギリスフランスロシア、およびインドパキスタン朝鮮民主主義人民共和国)は不参加[20]。なお北朝鮮は前年の決議からこの条約の採択の間に不参加に転換した。

· アメリカ軍核の傘にある、カナダドイツなどNATO加盟国(オランダのみ参加し反対票)や、アメリカ合衆国との軍事同盟を結ぶ日本・オーストラリア大韓民国なども不参加

· MNNA諸国の多く、東南アジア諸国連合(棄権のシンガポール以外)、ヨーロッパではNATO非加盟のスウェーデンスイスオーストリアアイルランドなどは賛成した

2017年09月20日より各国で批准が行われ、2020年10月24日に発効に必要な50ヵ国に達した。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!


 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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