2021年8月5日木曜日

細菌戦の系譜!!






























『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

・SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
・ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!




第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

80、本日はありがとうございました。

高校生の頃、アメリカが日本に与えた被害については教科書に詳しく書かれている一方で日本がアジア諸国にしたことはあまり書かれていない(書いてあったとしても明記されていない)ことに対して、不満を持ちました。受験が終わったら日本がとった残虐行為について詳しく知りたいと思っていたので,このようなことを知れる機会を得たことを嬉しく思います。

君が代が天皇を中心とする大日本帝国の象徴だとはあまり考えたことはなく、1993年で君が代を学校で歌うことが義務化されたことやそれの何がいけないのかについても知らなかったので、今回お話が聞けてよかったです。

日本政府が従軍慰安婦という言葉を使用しないという閣議決定を出したこと、アメリカが将来戦争で毒ガスを使うかもしれないという理由で中国人の日本への抗議に真正面から向き合おうとしなかったこと、中国は愛国教育の一環で日本軍による被害を大々的に取り上げることなどを聞き、各国が自国に有利なことばかりしていては物事の本質は見えてこないのではないかと思いました。

また、日中戦争中の平頂山事件や、東南アジア侵略における日本軍の具体的な残虐行為も今回初めて知りましたが、やはりこれらのことはより多くの日本人が知っておかなければならないことだと感じました。

アイヌ民族のことには高校の頃から少し興味があったので、今回のお話を聞いて、アイヌの文化や明治政府との関わりについても学ぼうと思いました。

貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。

(女性、10代あるいは20代)





















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―


ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために

太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿 

操業中止、回避指示をしなかった政府の不作為行為 

高知地裁で、被告側は「海上保安庁は昭和28年10月10日、官報で、ビキニ環礁付近の海域への立ち入り禁止を告示したと主張し、また昭和29年3月27日にも官報でビキニ海域は、兵器の実験のため非常に危険であるとの告示をする等、本件核実験が行われる以前から 漁船等に周知していた」と主張した。しかし、官報の告示を見る船員は稀であり、船員に周知させるためには、マグロ漁船の拠点基地の関係機関に直接核実験の危険性を説明し、無線を通じで漁船に徹底することが不可欠だ。しかも、3月27日の官報告示日は、2回目の核実験の当日であり、「核実験のため」と記載せず「兵器の実験のため」となっている。これでは、遠洋まぐろ漁船に危険性が伝わらず、しかも周辺海域で操業していた漁船が核実験の影響を回避することは不可能である。 3月16日に、第5 福竜丸の被ばくが明らかになってから、5月まで船体放射能汚染船が98隻と記録されている。全く、船員への避難周知になっていない。事実、マグロ漁船の代表的基地三崎港での、船員への情報通知のための日刊「三崎港報」にすら、前記の官報の危険は掲載されていない。これは、第5福竜丸帰港によって、水爆実験の危険を知りながら、 海域の操業中止、回避指示をしなかった政府の不作為行為そのものであり、漁船員の被災を放置した政治責任は逃れない。 




隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
実験医学雑誌第15巻雑報

15巻第4号 【昭和6(1931)年】

◎学友会への寄付金

金110円61銭也  池田清君

◎3月中職員異動調

月日     異動事項             官職                 氏名

3.19  依願免本官                       教授                横手千代之介
3.25 京都府下へ出張を命ず      教授                   宮川米次
〃  同               教授                  三田村篤志郎
〃  同               教授                  田宮猛雄
〃  同               技手                  江島真平
〃  同               技手                 羽里彦左衛門
〃  同               嘱託                 一宮勝三郎
〃  京都府及島根の
1府1県下へ出張を命ず                   嘱託                 浅田順一
3.25 依願東京帝国大学
評議員を免す                               教授                 長與又郎
3.31 昭和6年3月30日付願
 研究生退学の件許可す                                            村松楠雄
〃 依願伝染病研究所仁川出張所
土地建物管理嘱託を解く                                     布施野寛 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


2章 日本の支援者から

731不当判決について


増田文雄(フォトジャーナリスト)

細菌戦戦は裁判が起こされたということではなく、国が率先して反省、謝罪、賠償を行なうべきである。他の戦争犯罪である、強制連行、強制労働、慰安婦問題、虐殺事件等についても同様である。そうでなければ真の友好として、アジアの一員としてなりえない。

 該当する法律が無いから・無かったから国の責任は無いとは無責任の極みである。初めより結論ありきである。単なる盗み、暴力事件を裁いているのではない。日本国としての、組織としての、軍隊が行なった残虐なる細菌戦等は歴史的に見て裁かれなければならないし、裁かれるべき事案と考えるのが相当である。


  

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月九日

陸軍省医務局長巡視(午前十時より)午後二時巡察出発  列車遅れる事一時間  今朝の炭抗分遺隊の温度零下三二度  鞍山二八度  日直下士に怒られる  寝るのがマンマ  朝から晴

陸軍省医務局長陸軍軍医総監・・・と云ふ恐ろしい長い何とか云ふ中将の舎内巡視ありー掃除するのが嫌だが致し方なし 姿だけはしなければテイサイ悪し―軍隊は嫌だね。一寸通るのみで 大掃除・整頓・営内靴の手入れ・タンツボの手入れ トウショウの学科感冒の教育など等々「気ヲツ付ケ 総員二拾五名 事故六名  事故は分遺三入室一工場二」というような具合で御迎へをするんだ・・・・




軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


 今堀誠二氏の『原水爆時代』は、被爆の年の冬、原爆による死者たち、病者達の数が減少して≪さしもの原爆症も、これで何とか片がつくのではないかという見透しが一般的になった≫一時期の事を伝えている。ペストやコレラの記録や小説にも、度々、疫病の蔓延が、凪(なぎ)のような状態に入って中だるみする、そういう段階の記述がある。現実の広島に於ても様子は同じだったわけである。疫病の最初のショックが市民たちを打ちのめす。それから凪が訪れて、希望のわずかな芽生えを促す。そして第2のショックが、より徹底的に市民の心を蹂躙し尽くす・・・


  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

 


“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった


三尾豊

憲兵


〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

“特移扱”について

ご承知のように、“満州国”は傀儡政権で、“満州国”皇帝は関東軍司令官の指導の下に動いていたわけでありますから、そこにいる、勤務している中国の人は日本軍の支配に満足するはずはありません。

 さらにそこに浮浪者と書いてありますが、浮浪者が一体なぜこのような対象になったのか。当時毒ガスを盛んに研究していたんです。731部隊で毒ガスを研究して、そして広島の大久野島で毒ガスの生産をしていました。毒ガスを空輸して、そして安達あるいはその先の孫呉、またハイラル、チチハルなどで毒ガス実験を盛んにやっておりました。1回の毒ガス実験で少なくとも30~40名の実験要員が必要です。




●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

原著編集説明

1、本巻は、主に日本帝国主義が国際法と人道主義に背いてわが国で残酷な生物化学戦を行ない、広範な中国軍民を惨殺した事に関する歴史文書資料を選出編集した。内容は3つの部分に分かれている。

 第1部は日本の細菌部隊ーたとえば、第731部隊(即ち関東軍防疫給水部)、第1855部隊(即ち北支派遣軍防疫給水部)、栄1644部隊(即ち中支派遣軍防疫給水部)などが細菌工場を設立し、細菌を研究製造して細菌戦を行って中国の軍民に被害を与えた罪悪活動の情況についてである。日本軍の行なった細菌戦と細菌撒布は、ノモンハン、湖南常徳、浙江鄞県(寧波)、衢県、金華、内蒙古臨河、五原、山東衛河流域など、いくつかの典型的事件に重点的に反映されている。




 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開



糜爛性ガスの使用実験の指示
4、激烈な毒ガス戦の展開へ

華中での糜爛性ガスの大規模使用

 支那派遣軍化学戦教育隊が1941年11月に作成した「応用材料に依る爆撒要領」というテキストにはその作り方が図入りで非常に詳しく記されており、少数の兵力で広い範囲の警備を担当する部隊が要点を封鎖する為に考案したとしている(前掲『毒ガス戦教育関係資料Ⅱ』所収)。このような防御的使用方法がテキストで配布されていることから、中国戦線で幅広く行なわれた可能性も考えられるが、詳しい実態の解明は今後の課題である。 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


重要な実験場


 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記


(注)

今村均(1886~1966)

戦後(以下ウキペディアより)

1945年(昭和20年)8月15日、日本が降伏し第二次世界大戦は終結。今村は戦争指導者(戦犯)として軍法会議にかけられる。第8方面軍司令官の責任を問われたオーストラリア軍による裁判では、一度は死刑にされかけたが、現地住民などの証言などもあり禁錮10年で判決が確定した。 その後の第16軍司令官時代の責任を問うためのオランダ軍による裁判では、無罪とされた。

その後、今村はオーストラリア軍の禁錮10年の判決により、1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所に送られた。だが今村は「(未だに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちの事を考えると)自分だけ東京にいることはできない」として、1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所への入所を希望した。妻を通してGHQ司令官マッカーサーに直訴したといわれている。その態度にマッカーサーは、「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命じた」と言ったという。

その後、刑期満了で日本に帰国してからは、東京の自宅の一隅に建てた謹慎小屋に自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、軍人恩給だけの質素な生活を続ける傍ら回顧録を出版し、その印税はすべて戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に用いられた。元部下に対して今村は出来る限りの援助を施し、それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であったといわれる。その行動につけこんで元部下を名乗って無心をする者もいたが、それに対しても今村は騙されていると承知しても敢えて拒みはしなかったという。

国立国会図書館憲政資料室に、今村の肉声を伝える「回想談話録音」が残されている。

1968年(昭和43年)10月4日、死去。享年82。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く


新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。


庭の真ん中迄来ると、20m位先に、隣の家と家を結んでいる倒れかけた高粱殻の垣根があり、向こうは見えなくなっていた。1m位の入口だけが開けっ放しにされ、柳の木を通して畑がちらっと見える。男が垣根迄着くと、女はぴたりと足を止めた。瞬間、私は片膝をつくと後ろから銃を構え、女を狙った。男はもう垣根を通り過ぎようとしている。

「早く歩け!!」

私は銃を構えたまま吠えまくった。女は何事もなかったように、1歩2歩と静かに歩き出した。つつと私が立ち上がった瞬間、鋭い声が空を衝いた。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?





●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  11月  10日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

3 外交機密の生態

底知れぬ外交機密

 外務省の秘密文書は、71年度に新たに指定された分だけでも10万件を超え、累積されてきたものの総計は150万件に達する。各省庁のなかでも群を抜き、防衛庁の2倍近くもあるのである。中枢部分は、主として安保体制の秘密にかかわるものであろう。71年度分の内訳は、

機密?                電信 66、881

   極秘  40、673           公信 27、362         

   秘    59、915           調書  6、345

計    100、588件


と発表されている。だが、詳細はいっさい秘密の扉の中に隠されている。沖縄密約問題を契機に衆参両院で何回となく、この問題が取り上げられたが、まったくラチがあかなかった。参院法務委員会は秘密理事会まで開いたが、この席においても外務省は、 「機密保全に関する規則」についてすら説明しなかった。 「この間の秘密会でも外務省は、この文書取扱い規則といえども、ムニャムニャムニャムニャということでございます」(参院法務委72・6・6、野々山一三議員の発言) といった調子で逃げてしまった。わずかに行なわれた答弁でさえ、以下にみるように矛盾に満ちたもので、とうていまともに受けとるわけにはいかないのである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

血液ガス

これは、一般に経口吸収されると、呼吸の変調、全身痙攣をおこす。

a、AC(青酸)・・・・・・HCN

b、CK(塩化シアン)・・・CN・Cl

c、SA(アルシン)・・・・AsH₃



くしゃみガス

これは、鼻、咽喉、眼を刺激する。

(1)DM(アダムサイト)

(2)DA(ジフェニル・クロル・アルシン)

(3)DC(ジフェニル・シアン・アルシン)





 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 ジャーナリストのマーク・ゲインは46年3月26日、群馬県高崎市の戦傷者病院で巡幸中の天皇を目撃した。天皇は「人間化」したばかりであり、巡幸の実施を望んでから日も浅かった。ゲインは次のような印象的な記述を残している。

 ちょうどそのとき、私は天皇を(われわれは彼のことを「チャーリイ」と呼んでいた)よく見ることができた。彼は小柄で背は5フィート2インチばかりもあろうか、この日は灰色の縞の下手くそな仕立ての背広を着、ズボンは2インチほども短かかった。顔面にはおりおリハッキリした痙攣(けいれん)が現われ、ひっきりなしに右肩をぐいと引く癖があった。歩くときは、右足を少し外側へ踏み出すが、その足はまるで自分の意のままにならないかのようだった。彼は明らかに興奮し、平静を欠いていた。そして、自分の手や足を持ち扱いかねているようだった。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。


内容


第1条 禁止 - 締約国による核兵器や核起爆装置の開発・実験・生産・製造・取得・専有・貯蔵の禁止

第2条 申告 - 締約国から国連事務総長への過去・現在の状況の申告義務、申告内容の事務総から全締約国への送付

第3条 保障措置 - 国際原子力機関との保障処置協定の締結

第4条 核兵器の全面的な廃絶に向けて - 核兵器廃止国の廃止検証など

第5条 国内の実施 - 締約国の義務履行処置

第6条 被害者に対する援助および環境の修復 - 核兵器被害者への適切な援助、汚染地域の修復

第7条 国際的な協力及び援助 - 他の締約国との協力と相互援助

第8条 締約国の会合 - 効力発生後1年以内、以後は原則2年ごと

第9条 費用 - 締約国およびオブザーバー国の費用分担

第10条 改正 - 締約国による改正提案、改正手続き

第11条 紛争解決 - 条約の解釈・運用に関する締約国間の紛争の解決手順

第12条 普遍性 - 締約国から非締約国への当条約への参加の推奨

第13条 署名 - 当条約は2017年9月20日より著名可能

第14条 批准、受諾、承認、加盟 - 署名国による批准・受諾・承認の必要性

第15条 効力発生 - 50番目の批准後に90日で発効

第16条 留保 - 各条項への留保禁止

第17条 有効期間と脱退 - 有効期間は無期限、脱退は通告後12ヵ月

第18条 別の合意との関係 - 当条約と両立する限り、既存の国際協定に影響しない

第19条 寄託者 - 寄託者は国連事務総長

第20条 正文 - 6カ国語ひとしく正文


 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した













           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!










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