2021年5月16日日曜日

細菌戦の系譜!!

 
















『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月2日(日)

5、毎年展示内容も新しくなり、勉強になります。今年は特にパネル内容の一部を資料で頂けたのも良かったです。ビデオも良かった。

(男性、80代以上、市内、メール)



731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 


 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

1948 年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1)

栗原 敦

知られざる戦後薬害第1号事件 

生存被害者との出会い 

記録との出会いから10年余り後、03年3月にMMR訴訟大阪地裁判決(二家族勝訴)がで た翌04年1月に、田井中克人著『69人目の犠牲者』(ウィンかもがわ2003刊)を知り強い衝 撃を覚えました。1948年京都市で1歳にして生死の境をさまよいつつ生きのびた田井中さん が、お父さんの没後、書き残されたものからはじめて被害の事実を知り、困難をおして遺族訪 問・聞き取りを中心にまとめたものです。いたたまれずにその3月に田井中さん宅を訪問する ことになりました。それを契機にお二人の生存被害者、安田さん(京都市)、和気さん(つくば市)とであい、私自身のつながりであった土屋さん(宇治市)が死亡児のご姉弟で、お母さんもご存命であることが判明しました。 田井中さんの著作は 05 年に改訂され『京都ジフテリア予防接種禍事件69人目の犠牲者』 (新風舎文庫)、事件の原因や責任に関する見解が深まりました。 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

志賀赤痢菌毒素及び抗毒素の研究

第1報   細谷省吾

        岸野茂樹

         寺尾秀三

第2報   細谷省吾

        寺尾秀三


志賀菌の発生する毒素の関する文献を総合すれば

(1)家兎において定型的麻痺を起こし時に大腸特に盲腸に出血性炎症を起こすもの即所謂家兎毒と

(2)海猽(モルモット)に於てMarasmus(栄養失調)を起こすもの即ち所謂海猽毒とに2大別せられ前者は易熱性なるに反し後者は耐熱性にして菌体内毒素なりと称せらる。更に家兎毒二元説を主張するもの(Olitzky等)あれども一元説有力なり又麻痺毒と嬴痩毒(海猽毒)とを全く別個の毒素なりとするもの(渡邊)又はこれに賛せざるものあり。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


2章 日本の支援者から


医師として自らに問う


松井英介(岐阜・2001年の会代表、医師)

皇軍(旧日本軍)「731部隊」の細菌戦は、日本の医師・医学研究者が直接手を下した国家犯罪でした。この犯罪に関わった何千人もの医師や医学研究者は、1945年8月ほとんど無傷で帰国しました。彼らは東京極東裁判でもその罪を問われる事なく、その多くは、戦後、日本の医学界や大学医学部の指導的地位につきました。医科大学の学長になった者もあります。日本政府の保健衛生行政の中枢機関である「国立予防衛生研究所」(現「国立感染症研究所」)の歴代所長は、「731部隊」の指導的地位にあった者たちが占めました。



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二二日


集会所下番 晴風あり 教育専門学校生徒退営する 午後一時十分煙台中隊に行く

轉隊者五名発表さる。丸山 酒井 村田 中村 松本

今日一日で下番だ 明日は炭坑上番ときている 腹が立って仕様がない どーしてこんなに遊ばしてくれないのか 不思議でしようがない。 なんでもいいや後百八拾日だもん これから入営する初年兵が入ってくるんだもの 愈々煙台中隊に轉隊する気の毒な兵隊が決まった。丸山守之(同期兵)

酒井林 林田武一 中村宗平(以上後期兵) 松本時男(前期初年兵)

僕は今までずいぶん心配したがこれでよかった。


 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について


Ⅴ 屈伏しない人々


それは、連合軍と日本軍とをひっくるめて、攻撃被攻撃の方向をプラス、マイナスに拘わらす戦争というものの悪の絶対値をそのまま、体現するものとなった。しかし、その間にも、徹底的な潰滅の後の荒野には、善の意志が働き始めていたのであった。人間の善の意志、再生、回復への意志を体現する者たちの活動。それは、あるいは傷ついた被爆者たち、彼ら自身の、生命への意志であり、あるいは彼らを救護すべき全くのゼロの体験から出発した医師たちの努力だった。



 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった


大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの


解説―731部隊教育部

(越田稜)

ソ連参戦後は、教育部配属の“現役兵”は戦時編成移行を命じられ、証拠隠滅の作業に従事した。本部本館内部の特設監獄に収容されていた被実験者(“マルタ”)の遺体処理、監獄(ロ号棟)内部の破壊、機械器具の破壊、衛生濾水機や野戦消毒車の破壊焼却、秘密文書の焼却、標本類の処置、そして部隊破壊作業中の部隊窓外周警備、さらに研究班軍属とその家族の為の荷物梱包積載の作業が彼らの任務であった。また安達野外実験場の設備破壊工作も彼らの業務であった。




 

 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


3 731部隊に関する戦争犯罪裁判


 アメリカ側の人体実験の調査は、1947年初めにソ連が石井四郎、菊池斉(第1部細菌研究部長)、太田澄(第2部実戦研究部長)の3名の尋問を要請したことに端を発する、この尋問許可を要請した「覚え書」が送付され、1月15日、東京の旧陸軍省でアメリカとソ連からの計7名の会合が持たれた。その席でソ連のスミルノフが、ソ連に拘留中んの川島清と柄沢十三夫の2人から得た情報として、平房で大規模な細菌実験が行なわれて2000名が死んだこと、また、安達に野外人体実験場があり、平房で監禁されていた人間がそこに護送され、「杭に縛られ、主に飛行機から爆弾と噴霧によって、野外で散布された細菌に様々な方法でさらされた。犠牲者は観察するために平房に戻された」ことを明らかにした。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


南京戦での毒ガス戦計画と昭和天皇


 一方、第10軍司令部は、11月30日に南京の攻略計画を作成して陸軍省に提出しているが、そこでは、中国軍の防衛体制が整う前に南京を急襲するという案(第1案)が失敗した場合には、南京を包囲して「『イペリット』及び焼夷弾を以ってする爆撃を約1週間連続的に実行し、南京市街を廃墟たらしむ」る案(第2案)を採用すべきだとして、毒ガスの使用を躊躇して上海線の様な多大な犠牲を出すのは忍びないと述べている。(第10軍司令部「南京攻略に」『資料集Ⅱ』資料40)。ここから、現地司令部はイペリットという猛毒ガスの使用に抵抗感をなくしていたこと、そしてこれ以上犠牲を増やさないために毒ガス戦に踏み切ろうとしていたことがわかる。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


残酷な軍事演習


 この状況の下、実戦状況下で毒剤の効果を実験することが日程に上ったのである。習志野学校設立後間もなく、ほとんど毎月1回本物の毒ガスを使って演習を行った。この演習の第1回目は1933年11~12月、宮城県の王城寺原の実験場で行われたが、これは本物の毒ガス弾を使用し、本物の軍人が参加した大規模な演習だった。3月にはまた富士の裾野で毒ガスを使用した大規模演習を行った。しかし、戦争に対して特別な感情を持っている日本の軍人たちはこのような演習ではまだ満足できなかった。当時学校の幹部だった今村均の回想録にはこう書かれている。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に


江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。


●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉

当局は、このようにして私達に自己を見つめる事を教えてくれた。その時期に書いたのがこの手記である。それが、どのような内容であったか、はっきり記憶していないのは、まだまだ血を吐く思いで認罪をしていなかったのか、と自らを恥じているが、当時はそれなりに、必死で自己改革に取り組んでいた事は間違いない。


 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

2  シビリアン・コントロールの欺瞞

ツンボ桟敷の国権の府

 答弁し(なかっ)た江崎長官は、皮肉にもかつて防衛庁の秘密主義にたいして警告を発したことが

る。55年7月26日の衆院内閣委員会においてであった。

『時局の性質上、すでに防衛庁においても、秘密主義に流れておる傾向が、審議をめぐりまして強く現われております。かようなことでは再び軍閥独裁の過去の姿に帰らぬとは保証しがたいものがあるのであります。こういう秘密主義と同時に防衛庁及び国防会議のあり方につきまして、総理はどういうふうにお考えでございますか」。

 これにたいし、ときの総理大臣鳩山一郎は、「なるべく秘密主義というようなそしりを受けないようにしたい」と答えている。秘密主義と軍閥独裁の相互関係を正しく突いたはずの当人が、16年めにみずから軍国主義の生き証人として登場することになったのである。体制内、ハト派の末路が典型的にしめされているといえよう。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

5 生物・化学戦における被害想定

化学剤死傷見積り


フィリピンは戦争を通じて100万人を超える非戦闘員を失う甚大な損害を蒙った。多くのフィリピン人は、天皇に責任があると考えていた。フィリピン政府は東京裁判の裁判官にバターン「死の行進」の体験者であるテルフィン・ハラニーリャ判事を指名し、ペドロ・ロペスを参与検察官に任命した。ロペスは公判でのフィリピン関係の立証において、日本軍がフィリピンの非戦闘員と米比軍捕虜に対して行った残虐行為に関する144件の証拠を紹介し、将来の賠償請求の根拠にしようとした。ロペスはアメリカ政府に雇用されており、天皇が被告人リストから除外されたことを〔公式には〕問題にしなかった。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

このことは、蒋の軍隊の参謀総長〔陸軍総司令も兼務〕である何応欽将軍が、なぜ粛清作戦の立案者である岡村寧次大将と部下の将校たちを「南京やその周辺で・・・敗北した敵ではなく、大切な賓客のごとく遇」したか、という問題についての説明にもなるだろう。1948年7月、中国軍事法廷が戦犯容疑で岡村を起訴した際、蒋はまず岡村を仮釈放のうえ上海の病院に送って肺結核を治療させ、日本への安全な送還を許可するなど彼を保護した。1年後、GHQの黙認のもとで、国民政府軍の上層部は、東京の駐日代表団を通じて、台湾に赴いて同軍の再建を支援する軍事顧間団に参加する日本の高級将校を募集する際に、ひそかに岡村の部下を徴募したのである。 



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子



イギリス初の核実験を伝える西オーストラリア新聞
モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁(オーストラリア)での核実験。
1952年10月3日 初の原爆実験。コードネームハリケーン。
エミュー(オーストラリア)での核実験
1953年実施
マラリンガでの核実験
1957年にアントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。
クリスマス島での核実験
1957年5月15日 初の水爆実験。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中