2021年5月13日木曜日

細菌戦の系譜!!

 










『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月2日(日)

2.戦争のことで発言や詩など沢山当たってきました。平頂山の事は細かく発言できます。NHKテレビで発表されたこともありますので・・・。子どもの頃、10歳から15歳まで、釜山にいました。その頃の人種差別を昨年発表させてもらいましたが、朝鮮人の苦しみ、人種差別、教育問題、その当時の戦前のいろいろ内地の事(内地とはその頃の日本の家庭生活)。

 長い時間立って展示物の見学をしていましたので、疲れて文字が乱れます。私は戦争毎日何か発表しなくてはなりませんね。この様な内容(日本の罪)を常にどこかで、若い人に知ってもらいたいものです。もう年で動けませんが、資料をいくらでも欲しい。大勢の人に語りたい。

(女性、80代以上、市内、息子から)




731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 


 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

1948 年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1)

栗原 敦

知 ら れ ざ る 戦 後 薬 害 第 1 号 事 件

1948 年 11 月に京都市および島根県東部で実施されたジフテリア予防接種において,84 名の 乳幼児死亡を含んで 1,000 人規模の被害を生み,世界の予防接種史上最大の事件となった。製造企業が予防接種液の製造過程で無毒化とロットの取扱いを誤り,品質管理=安全性確保において最後の砦である国家検定の試験品抜取りに重大な誤りがあり,それこそが大惨事の原因だったと考えられる。しかし刑事訴訟ではメーカーである財団法人大阪日赤医薬学研究所の所長以下3名が有罪,試験品抜取り担当者である大阪府職員は無罪となり,国など行政が強圧的に 解決を図ったため民事訴訟は提起されず,国家検定に関する国の責任は問われなかった。その 結果 70 年代に京都府・市の議会や国会で補償問題が再燃したが「和解済み」を理由に実ることなく風化の一途をたどってきた。事件から半世紀余りを経て,生存被害者らによる遺族訪問 調査,国会会議録,厚生労働省・京都府・島根県・京都市などの行政文書と GHQ/SCAP 文書,その他の文献に関する総合的な調査が行われ,真相解明なく忘れ去られようとしていた戦後薬害第1号事件の実相が見え始めてきた。


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

ジフテリア毒素の精製法について

大山酉一


(3)Rohtoxin(生毒素)の毒性に変化を与えずにPO₄塩を全部除去すると(これにはNH₄Cl+NH₄OH+Mgacetatを用ふ)並びに生ずる新しい毒素は最早ZnCl₂により沈殿しない性質を有しこれに燐酸塩の適当追加あるに恩で毒素は沈殿し来る。この際落ちる毒素はBinret反応弱きものである。


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

良心と勇気


西里扶甬子(ジャーナリスト)


私はテレビ・ジャーナリズムの世界で仕事をする中で、「731部隊」に出会い、80年代の初めから20年も追いかける破目になった。今年5月にはこれまでの、証言や調査の取材を本にまとめて「生物戦部隊731」(草の根出会)として出版した。731部隊細菌戦訴訟に関わる中で、様々な中国人との出会いを果たした。訴訟準備の当初は、細菌戦被害者たちは日本から手弁当で聞き取りにやってくる弁護団や学者の一団に、希望の光を見ながら、一方では「日本鬼子」の子孫たちへの警戒心も消し難くという複雑さもあった。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二十日


随分でたらめになったものだ。軍隊生活の者だが地方生活者だかわからなくなった。酒保に行ってあそんでいたら生徒が来ていた。その前にはへっぴり腰で衛剣術をやっていたが終わったと見えて安い安いと感心しながら酒保で飲んでいた。暖かくなったら色々と気合をやり始めた。此の頃の剣術のやり方は出鱈目と云ってよい位気合がかかっていた。丁度キチガイの如しだ。毎日毎日朝から晩まで朝鮮烏イアンだ。初年兵も助からないね。


 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について


『ひろしまの河』の婦人たち、原水爆被災白書のプランを推し進める人達、重藤博士を初めとする原爆病院の医師たち、そしてそれがどのように控えめな小さな声に於てであれ、自分の苛酷な体験を、自らの内なる広島を語ったことのある、全ての被爆者たち。広島のそれらの人々に、紛れもない人間的な威厳が備わっていることは、今不思議でない。この様にしてのみ、威厳ある人々は我々の世界にやってくるのだ。


 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった


大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの


解説―731部隊教育部

(越田稜)

二期にあたる後の6か月は、広く衛生部門に関する教育が徹底的に行なわれた。防疫給水部衛生兵教典にあるように、防疫給水部衛生兵の本分は、軍陣における伝染病の防御と前線においての無菌無毒の浄水補給ということであった。一般的な衛生兵教程による基礎教育、即ち包帯術、三角巾使用方、担架術、ガス検知などに加え、防疫と検水の技術の習得が要求された。石井式濾水機の操作、分解、組み立てなどである。



 

 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


3 731部隊に関する戦争犯罪裁判


 判決の結果は、山田、梶塚、高橋、川島が矯正労働収容所収監(禁固刑)25年、柄沢、佐藤が同じく20年、以下2年まで各被告ごとに異なる刑が課された。12名全員がシベリア鉄道でモスクワ北東200㎞のイワノボ収容所に送られ、そこに着いたのは1950年3月だった。死去した2名(高橋と柄沢)を除いて、1956年12月までには全員帰国している。ハバロフスク裁判記録は日本語に訳され『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書類』(以下、『ハバロフスク公判書類』と略す)(外国語図書出版所、モスクワ)として、1950年に刊行されている。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


南京攻略戦で毒ガス戦に傾く


折しも、野戦化学実験部から新たな調査報告書が陸軍中央に届き始めるが、そこでは毒ガスの使用について踏み込んだ見解が示されていた。11月8日付の報告では、中国軍による毒ガス使用は小規模に過ぎないだろうと推定し、中国軍の防毒装備に欠陥があり毒ガスを恐れていることから「あか剤及きい剤の使用は極めて有効なり」とし、1ヘクタールの地域に1分間に何発の「あか弾」を使用すれば効果的かまで提示している(第1野戦化学実験部「支那軍化学戦備の概況並びに対応策(要報6号)『資料集Ⅱ』資料30)。又、11月16日付けの報告では、中国軍のくしゃみ性・嘔吐性ガスと糜爛性ガスに対する防護装備の不備を指摘し、中国軍はこれまで毒ガスを使った形跡はなく、今後使ったとしても小規模・分散的なものに過ぎないだろうと判断している(第1野戦化学実験部「支那軍化学戦に関する観察(要報7号)」同前資料31)。



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


秘密の軍事学校



 彼の性格について、「虐待狂の性質を持った冷酷な人」と、日本人が皆言っている。このような人が、残虐と死を共にする学校の校長を担任したことは、おそらく釣り合った選択だったろう。この学校の教官はすべて各部隊から選抜された優れた軍人だった。戦争の後期になると彼らのなかの半分は皆将官の位を授けられた。習志野学校の内部機構は他の軍事学校と同じで、学校本部の下に、教育部、研究部を設け、士官は全部で23人、他に170~180人からなる練習隊があった。(図1参照)

 この練習隊は全日本軍隊の各師団がら選抜され、その人数は日本軍隊の1個中隊に相当し、隊長の位は中佐だった。ただしこの練習隊は、日本軍隊の化学戦の重要な目的に向けて設立されたので、特殊な意義を持っていた。はじめは、練習隊の下には、迫撃砲隊1、車撤中隊と呼ばれる撒毒車中隊1、手撒き中隊と呼ばれる撒毒器中隊1を設け、1個中隊は普通120人だった。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に


江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。


●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉

私達は撫順戦犯管理所で、自分の罪行を認める間において供述書なるものを書いた。

ー昭和19年8月頃と思います。私が二徒坡(にとは)陣地の警備をしている時、電話線を切られました。早速現場に行き、丁度雨降りの後だったので、足跡をたよりに村に行き、ある家で電話線の切れ端を見つけたので、その家の若者を犯人と思い、捕まえて帰り、取り調べたところ、本人が切ったと白状したので殺しましたー

この中に一片でも反省があるだろうか。なるほど、形の上では、いとも丁寧に罪を認めたように見えるが、明らかに反抗である。


 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

2  シビリアン・コントロールの欺瞞

ツンボ桟敷の国権の府

 文民統制を保障する手段は国会である。だが国会は、作戦用兵面について全く知らされていないだけでなく、防衛力整備面についても、 重要な意味をもつ5ヵ年計画は付議されず、わずかに年度の予算と法律をコマ切れに審議しているですぎない。年間3万件前後におよぶ防衛庁の秘密文書のうち、国会に提出されるものはただの1件もないのである。国民や国会にたいしてだけではない。  『自衛隊』(朝日新聞社編)は指摘する。隊内には「“国会で突つかれるとまずい”からという、いわば“対国会秘”があり、また“局長にも報告していないから”という“対内局秘”もあった。たとえば、日米双方の現地部隊幕僚間の非公式な計画研究が、それだった。(同書74ページ)  


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

5 生物・化学戦における被害想定

生物・化学剤と兵器体系

 これらの生物・化学剤の性状と効果の概要は、他の章と重複する面もあるが作戦想定の為の条件でもあるので引用すると、第5、6表の通りである。(以下の図表は『化学学校記事』第11号より)

これらの生物・化学剤は、

点源散布方式ー1弾着点から放出する方式の弾薬

複合点源散布方式ー多数弾着点から放出するが、1弾のみでは効果が上がらない方式

線源散布方式ー空中又は地上に線状に放出する方式の資材又は弾薬

の3種類の3方式に分けられるが、この線源散布方式は、前に述べた瀬戸内海沿岸における公害調査を名目として自衛隊が行なったエア・トレーサーの方式である。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 このような蒋の優先順位については、東京に派遣された法律スタッフが小規模だったことにも反映されていよう。すなわち、裁判官(梅汝璈)1名、検察官(向哲璿)1名のほかはふたりの秘書だけだった。のちに蒋はより多くの人員を派遣し、戦争犯罪に関する証拠も収集したが、中国人スタッフが裁判の主導権を握れるほど十分なものではなかった。1946年夏に行われた検察側の中国に関する立証において、日本人による犯罪的行為を告発する捜査活動を主導したのはアメリカ検察陣であり、向検察官はその補助役を務めたに過ぎない。その一方で、向検察官は南京での残虐行為や中国の多くの都市部における一般市民、および武装解除された兵士の殺害に関する捜査を精力的に進めた。彼はまた、当時まだ人道に対する罪として扱われていなかった強姦罪についての証拠も提出した。 



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

アメリカ合衆国

アムチトカ島での核実験

1965年から1971年までにアラスカのアムチトカ島で3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイル「LIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






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