2021年3月20日土曜日

細菌戦の系譜!!

            











『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





「731部隊被害者遺族を訪ねて」



日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。


曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ビキニ水爆での被災船 延1000隻



ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために

ビキニを忘れない ~岡村啓佐さん~



東京空襲で生き残った伯父さんは、その後広島に軍属として配属され広島駅の北にある二葉山に壕を掘りました。この壕に原爆投下後逃げ込み、壕に逃げ込んだ143名の名簿を作成し残していました。伯父さんは、戦争に反対し、核兵器廃絶と原爆被爆者の支援に生涯取り組んだのでした。岡村さんは、伯父さんと一緒に訪問し、支援の手伝いをしているうちに原爆に対する思いが高まり、のちにビキニ被爆者の写真集を自費出版するまで至りました。



宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    


      





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)









 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 




14巻1号 1930(昭和5)年

実験医学雑誌第14巻雑報

 

◎新年式及び祝賀会挙行

1月4日、午前10時所長室に於て新年式が挙行せられた。丁度長與所長は昨年の12月より支那に出張しておられたので二木教授代わって式辞並びに訓示を述べられた。

例によって先生独特な面白味のあるもので我が国が元来大和の国と称する所以はいやまどかなる国即ち漢字を当てて大和の義であって上下一致、君臣和合、愈々以って一家団らんの態を為すという訳であるからかかる国に生まれ合わせた我々所員も互いに融和し協同して事に当たらねばならなぬという様な意味の事であった。

それが終わってから食堂で祝賀会を行ったが緊縮の折柄字義通りの粗酒粗肴で甚だ簡単ではあったが縁起の良い干支に互いに幸先を祝し合って正午近くに散会した。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


4章 中国各地の研究者、支援者から

 

不正義の戦争に対する反省を

 

管健強(上海、華東政法学院教員・国際法)

 

1972年の中日共同声明の中で、中国政府が放棄したのは政府間の賠償であり、民間の賠償ではありまえん。これについて、我々の指導者は次のような見解を何度も述べています。即ち、たとえ「賠償放棄」をしたとしても、日本が中国人民に損失をもらたしたことに対して反省することが前提だという事です。

 果たしてあの戦争は正義に基づいてなされたものだったのでしょうか。あの戦争が非正義であることが明らかになれば、当然日本政府は反省し、中国人民に謝罪しなければなりません。そして、この反省の態度について、まず吟味しなければなりません。この前提を日本の裁判官は忘れています。

8.27判決報告集会で発言)


 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 四月三〇日

 

午前十時久し振りにて号令かけて体操に又銃剣術をやる 非常に暖かい日 何年ぶりかで自ら土を掘って畑を作る 昔が 在学時代が懐かしく思い出される 土に親しみ兄の手伝いをした小さい時分が一番良いように感じた。

三月が終わっては書き 四月が終わっては又同じようなことを書き出した でも仕様がない。軍隊生活の最後の四月だもの。再び迎えることの出来ない月でもあり日でもある。やはり同じような事でも書かずにいられないね。土に親しむでもないが分遣の庭に一生懸命に畑を作った。

 




大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 









挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

それこそが、僕の広島で発見した、最も根本的な思想だし、今僕が自分の支えにしたいものは、それにこそ他ならないからである。広島で発見した、と言っても、僕にとって人間の威厳という思想は、的確に説明できるものではないかもしれない。むしろそれは、そういう言葉でなぞることの出来るもの、それ以上のものだ。そしてそれは僕が子供の時分からそう感じてきたところでもある。

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


終生の重荷

脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相

 

千田英男(ちだ ひでお)

731部隊・教育部

 

〈略歴〉

1917年生まれ

1942年 731部隊入隊

教育部付き衛生兵教育

吉村班、植村班、教育部庶務を歴任

■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの

 

 階級がものをいう軍隊である。事の如何を問わず、上官の命令には絶対に服従しなければならない。そんな組織の中で、命じられた仕事が嫌いだからと言ってこれを拒むことなど許されるはずはない。思案に窮した私は、ひとまず仮病を装って寝ることにし、次の手段を考えることにした。どこも痛くも痒くもないのに寝て暮らすのはまことに苦痛そのものだった。独りベッドに身を横たえていると、夢うつつに次から次へと、ここ2年間ほどの忌まわしい思い出が蘇って来て、払っても払っても私に絡みついてくる。日が経つにつれてその苦悩はかえって深まるばかりである。仮病が本物の精神病に取りつかれたようなものだった。

 


 


 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

安達誠太郎供述書(1954年710日)

問:これら毒力の強い菌株はどのようにして研究に成功したのか。

答:研究の方法は、まず細菌を小動物に注射し、その小動物が死んでから解剖し、細菌を取り出して培養する。細菌は孵卵器と培養器に分けて入れ、どちらで培養された菌が強いか観察する、このように動物の体を通すと、菌そのものの毒素は強化されるのた。その他に温度処理を加える実験もある。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

4 欧米列強の毒ガス準備

『帝国及び列国の陸軍』にみる欧米諸国の毒ガス戦備

今回は、日中戦争が持久戦段階に入り、また、ソ連との国境紛争(1938年7月の張鼓峰事件など)も起きた後の1939年度版(同年1月8日刊行)を用いる。

②アメリカ軍

陸軍は、将来の戦争では毒ガスは最も経済的かつ有効な戦闘法であるとして、その充実に官民を挙げて努力しており、当局者は戦争に勝利する為には「毒瓦斯制限に関する条約の如きは一顧だにも値せざることを公言」していることから意気込みがうかがえる。陸軍省内に科学戦局があり、その隷下にエッジウッド毒ガス工場・ガス第2連隊・ガス第2大隊・ガス中隊・化学戦学校がある。参謀本部には化学戦部将校が配属され、陸軍大学校・参謀学校・歩兵学校などでも化学戦教育が行われており、軍団・師団でも幹部以下に化学戦教育の徹底が図られている。将来の戦争では民間を動員して大規模な化学戦を行えるように準備を進めている。


 

(お知らせ)

1、[NHKEテレ1・東京] 2021年03月20日 午後11:00 ~ 午前0:00 (60分)
日本軍の毒ガス戦をになった関東軍化学部。その部隊名簿が初めて公開された。対ソ戦、そして本土決戦に備え、日本軍が準備していた毒ガス兵器。それはなぜ隠されたのか―
 戦後75年、毒ガス戦の実態が明らかになろうとしている。日本軍は中国では毒ガスを使用したが、英米軍に対しては使用を禁じたとされていた。しかし、本土決戦に備えて大量の毒ガスを製造備蓄し、密かに訓練を行っていたことが、当時の少年兵たちの証言から浮かび上がってきた。敗戦後、毒ガスは日米両軍により海中などに投棄されたが、日本各地や中国東北部で遺棄された毒ガスの被害が続出している。新資料と証言で真相に迫る。

 

 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

 ほどなく、約束通り私達に状況の説明をしてくださる岡田さんが来られた。彼の住まいはこの近くにあり、以前はこの工場の労働者であったそうだ。彼は今年84歳になられるそうだが、歩き方や話の様子などには全く年を感じさせず、とてもお元気だ。名刺を交換して初めて、彼はこの工場の被害者の組織である障害者協会の委員長である事を知った。岡田老人は庭の中の最も近い建物を指して、左右に分かれているのはA1工室とA2工室で、中間にあるのは排気塔だと説明された。この2つの工室は糜爛性の毒ガスを装填するもので、A1は直径100ミリ以下の砲弾に、A2は直径100ミリ以上の砲弾に填実した。この2つの工室の有毒の気体は中間にある排気塔から空気中に放出される。岡田老人はまた遠くにある1列の建物を指して、あれは、ホスゲンとあか筒の填実を行う工室で、他には砲弾に各種の標識を塗る工室もあり、それらの部屋の間にはやはり排気塔があったと話された。老人は感慨深げに、「あれらの排気塔は真っ黒になっているが、いったいどの位の毒ガスを空気中に放出した事か。今これを見ても何となく嫌な感じがする」と、語られた。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

戦争に正義はない

           森村誠一

侵略軍によって犯される非道は、明らかに自衛のためのものではない。敵をやらなければ自分がやられるという性格ではない。勝者の余裕と傲りにの上に立って、戦略、戦術上ほとんど意味のない非道の鉾を振るう。鉾先にかけられるのは、他国の戦闘員のみならず非戦闘員、無辜の市民たちである。戦争による最も大きな犠牲者は、戦争には直接関係のない市民たちなのである。彼らは抵抗する術を持たず、燎原の火の如き侵略のローラーに思うがままに蹂躙される。

侵略洗脳の目的は、他国の富や資源を武力によって強奪し自国の版図を拡大することにある。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

はしがき

今年(1972年)317日、反戦自衛官小西三曹にたいする刑事裁判(新潟地裁)で、弁護団が54件にのぼる自衛隊関係文書について裁判所にたいし証拠物提出命令の発動を申し立てたさい、私は特別弁護人の一人としてその理由を陳述した。この準備過程で、国家機密・軍事機密の総体について分析したリポートをまとめる必要性を痛感したところから生まれたのが本書である。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

自衛隊の赤痢菌検査の疑惑

 

(1)服用1か月後、2か月後に総員の検便を行ったところ、ポリラクトン服用者群及び非服用者群のいずれのからも赤痢菌はは検出されなかった。すなわち、これらの総員検便によっては赤痢の予防効果を確かめることができなかった。
(3)ポリラクトン投与ほぼ4週間後に、たまたま、28名の者が集団として赤痢感染の機会に曝露し、非服用者群の5名中1名の患者と2名の保菌者の発生を見たが、ポリラクトン服用者群23名からは患者も保菌者も出なかった。本剤の赤痢感染、発病予防効果について多少の期待をもたらすものと思われた。(以下略)」

 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

  日本国憲法は天皇からすべての政治権力を剥奪し、権力機構から排除するとともに、彼を「平和国家」の観念に結びつける役割を果たした。そのことにより、君主制をめぐる国民の論議が実際に始まる前に、その余地をふさいでしまったのである。同時に新憲法は、天皇を絶対的価値から相対的価値のひとつへ、「神聖不可侵の」神から法のもとにあるひとりの人間へと変えた。以後、日本国民の至高の理想と念願、そして目標を表現するのは天皇ではなく、憲法となった。しかも、天皇が憲法を制定したのではなく、国会が天皇を規定したのである。少なくとも理論上は、彼はイギリスの君主が有するような大権をいっさい持たず、他の公的な国家機関と同じように批判されることさえ、あり得るのだった。憲法に即していえば、日本は 「立憲君主政体」の新しい変種―まさに大英帝国でいまも存続しているような古風な制度とはまったく異なる、現代と調和した政体―を実際に創り出したのである 


日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。



核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史

1996年4月、「モデル核兵器禁止条約」(Model Nuclear Weapons Covention, Model NWCmNWC)という名の条約草案が、核兵器の廃絶を求める法律家科学者軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する以下の3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草された。目的は、核軍縮の可能性を「法的、技術的、政治的要件に沿って検証する」ことであった。

1. International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation、INESAP(拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク)

2. International Association of Lawyers Against Nuclear Arms、IALANA国際反核法律家協会

3. International Physicians for the Prevention of Nuclear War、IPPNW核戦争防止国際医師会議

 

 


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した






 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





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