2021年3月15日月曜日

細菌戦の系譜!!

        








『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





「731部隊被害者遺族を訪ねて」



日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。


曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ビキニ水爆実験


ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために

太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿

1985 年、原爆被爆40周年の年、「幡多高校生ゼミナール」が地域の被爆者調査に取り組み、初めて第5福竜丸以外のビキニ水爆被災漁船員の存在に突き当たる。事件から30年を 経過していたが、先入観を持たない高校生や教師たちの被災船員への聞き取りによって、漁船員たちの健康異常を実感した。ビキニ事件についての国の対応は、1986年3月衆議院予算委員会での山原健二郎議員の質問に対して「資料はない」「対策を講ずることはできない」と答弁し、その後も「解決済み」「窓口はなく、資料もない」という姿勢であった。教科書にも、第5福竜丸事件としか記入されず、第5福竜丸以外のビキニ被災船があると思っていた国民は皆無であった。政府がらみの組織的で継続的な情報コントロールなしにはあり得ないことである。ビキニ事件の調査は継続され、星正治・広島大名誉教授らの科学者チームが、被災船員の歯や血液分析により放射線被災を立証し、アメリカ国務省から被災船員の人体影響記録が発見された。事件から60年後にようやく外務省・厚労省・水産庁の一部の資料が開示され、船員保険申請から「公開審理」へ、そして「ビキニ国賠訴訟」高知地裁から高松高裁への取り組みを通じて、この事件の巨大な背景に光が当てられた。 


宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    


      





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 


14巻1号 1930(昭和5)年

実験医学雑誌第14巻雑報

 

黒屋博士近況

12月は21日頃から1月6日頃迄休みになるとの話です。

これも日本と余り変わりません。近頃は方々の店がクリスマスの飾りで綺麗になりました。

御承知のようにこっちはクリスマスの方がにぎやかで正月の方は大した事はなさそうです。

小生は日本人ですから正月には是非雑煮を食いたいと思っております。日本料理店に行けば飾りも買えるそうです。日本のものと言えば昨日ツォーの近所の食料品店で日本の柿を売っているのを買ってきました。


 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 これからの中日関係

~東京大罪を通じて~

 

王烈輝(浙江工業大学学生)

日本政府が特に戦後の賠償問題をごまかし、公式な謝罪をしていないことは、中国人民とアジア人民を傷つけ、アジアと世界平和に危機をもたらすものです。中国の新しい世代の若者たちは中日関係の発展に注目しています。

 今回8月27日の判決に対して、大学生たちはとても関心を持っています。

 平和を維持する為に、我々は共に努力しなければなりません。これは中日両国間の問題ではなく、全世界の問題です。日本政府は正しい態度で歴史と将来の問題を認識し、両国の発展の道においてより賢明な選択をしなければならないと思います。


 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 四月二六、二七、二八日

  

土地の風習に同化し得ないシンボルでもあるまいが 五月の蒼々たる風と書きたいが 四月の柔らかい風の中に鯉のぼりが立っているよ。学校の窓から(分遣の隣が学校さ)日蛾れた陽気な声が 温かさを包んであたりをにぎわしているからね。リスモ穴から首を出すし ツクシがひょろ長い顔であたりを眺めるしね。もう負けない この満州も完全に春になったんだもの。K君御丈夫でしょうかね。忙しいでしょうね。最初に忙しいなどと書いたら吹っ飛ばされるからね。

 




大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 









挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

この核兵器の時代、原水爆被災白書の誠実なプランナーたちのいう、原水爆の悲惨よりも原水爆の威力が人間の関心を集中させ、それが軸となり、テコとなって急速に動いている時代、我々日本人は、と言うよりも、むしろ僕自身は、何を記憶し、記憶し続けねばならないか?

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

解説ー731部隊と帝銀事件

 

近藤昭二

 

帝銀事件

 捜査線上に731部隊


さらにその成智証言を裏付ける新資料が、事件後40年経って見つかった。それは当時の捜査本部の第2係長・甲斐文助警部が、事件発生当日から捜査状況、刑事の報告を記録した日誌で、わら半紙の裏表2974頁にのぼる膨大なもの。そこには、背蔭河時代の石井部隊の人体実験と手を下した軍医の顔ぶれ、731部隊の編制と各班の任務内容などが記されており、石井四郎をはじめ、菊池少将や二木中佐、八木沢博士、1644部隊長・山内大佐らの協力で浮かんだ部隊の不審人物の捜査結果がメモされている。事件で使われた毒物は遅効性のアセトンシアンヒドリンである可能性が高く、それを開発した登戸研究所と1644部隊が上海で合同の人体実験を行った事実、また、石井四郎が「お国の為に働いた自分を戦犯として進駐軍が取り調べる」と嘆いていること、なども記されている。 

 


 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

安達誠太郎供述書(1954年710日)

問:高島が部隊長に在職時、100部隊内に細菌培養の器具・設備は完備していたか。

答:当時、設備は割合完備していた。また一つ思い出したが、細菌研究室があり、その下は3つに分かれていた。病理室、化学室、細菌研究室である。その他に農事研究室があった。細菌研究室内には孵卵器室、冷蔵庫、培養室、製剤室、小動物室【兎、鼠、「海老鼠」(ホヤ)】があり、動物実験室もあった。病理研究室内には、小動物質、解剖室、ボイラーと実験用馬小屋があり、細菌の結果を検査するところであった。化学研究室内にも小動物質、計量室、薬物室があり、実験室は2つあった。それから農事研究室の設備だが(これはのちに聞いた事である)、害虫や昆虫の農作物(高粱、トウモロコシ、白菜、ジャガイモ)に対する害を研究するもので、日本から来た2人の人物がもっぱら研究に従事していると聞いた。これも非公開であった。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度

 

催涙性ガスの使用許可へ

 

 これを踏まえて華北の情勢が「安定」したとみなしたためであろう、植田謙吉関東軍司令官は1936(昭和11)年8月17日に寺内寿一陸軍大臣に対し、最近、抗日ゲリラが列車を襲撃するので、警察・路警に「みどり筒」を持たせようと考えており、ついてはその使用許可について急いで協議してほしいと要請し、これを受けて陸軍省は8月26日に「ミドリ筒甲携行使用差支なし」と返答した(関東軍起案「89式みどり筒携行使用の件」前掲『毒ガス戦関係資料Ⅱ』資料36)こうして、36年8月末以降、関東軍は「満州国」内で催涙性ガスを使うことができるようになったのである。

 

 

 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

曽根の印象

 福岡県小倉市曽根町は、小さな町だ。福岡の人でも、この町のことをよく知っている人はあまりいないのではないだろうか?だが、あまり知られていないであろうが、この小さな町でかつて第2次世界大戦の時に、ここに兵工廠があったのだ。私たちがここにやってきたのは、その調査のためなのだ。ここは、砲弾の中に化学毒剤を填実する曽根兵工廠の所在地だ。当然のことながら、この工場は今は存在しない。聞いたところでは自衛隊の自動車訓練場になっているそうだ。

 私は、何日か前に北京から福岡に来た。短い間に山口、下関、福岡を訪問して各大学で講演をした。毎日地図を見ながら歩き、九州一帯の地理環境を少し理解することができた。博多は福岡市の一部分であり、また、福岡市の別名でもあるが、しかし、その名前は福岡というより博多と言った方が通りがいい。こういうと私はやはりかつての歴史を回顧せざるを得ない。日本の歴史で言えば福岡は外交と軍事の重要な拠点であった。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

汚された泉

井戸へ放り込み惨殺

杉本千代吉(すぎもとちよきち)

大尉

〈略歴〉

学歴 中学高卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊

出身県 静岡県

年齢 38歳(1919年生まれ)

 

 私は一体、何のために中国に来たのか、私は何のためにあの美しい山河を踏みにじり、あの美しい人々をむごたらしく殺してきたのか。自分の歩んできた前半生をかえりみる時、いたたまれない気持ちで胸がかきむしられるようです。

戦争、侵略戦争こそがそうさせたのです、私は2度とこの罪悪に満ちた戦争の災禍を平和な人々の上に与えてはならない責任があるのです。私の手によって殺された人々が今なにも言えない時、生きている私はどうしても戦争反対に立ち上がらなければならないのです。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎


おわりに

陸上自衛隊は核兵器を持っていたわけではないが、核攻撃を受けた場合の対応の為、もう1つは米軍の核攻撃に随伴するためにこのような教範が作成され、内部教育と研究が進められたと考えられる。戦後日本の再軍事化に米軍の統制下で、米軍のマニュアルと方式で実施されたが、それはまさに米軍に随伴して行動できるようにする為だったのである。

 そしてそのことが1954年の「フライング・ドラゴン」計画や、核戦争を想定した三矢研究に繋がったのである。 

 

✬実際に化学学校では1964年にサリンの合成に成功している。1973年にはBZガス の合成にも成功した。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

“人道的兵器”は存在するか

この問題については、後でも触れなければならないが、彼らの生物・化学兵器の戦略的な位置づけに端的に示される。例えば、陸上自衛隊化学学校長の吉田大桂司一佐は、「化学武器のような内傷効果を与える武器」を「人道的である」とし、「現在において多発している低次元の戦争、紛争或いは暴動において、無傷害化学剤が多く使われている現実に注目しなければならない」と言い、「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となりうる素地をもっている」し、「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている(『化学学校記事』第13号)


 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

新憲法に関する日本側の最終案の第1章第1条では、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と再定義していた。(実質的に最後の議会となった)第90帝国議会におけるその後の憲法審議のなかで、議員たちはみずからを天皇の忠実な臣民であると言明するなど、〔憲法という〕新しい政治的正当性の基盤を軽視した。しかし、その一方で、彼らは天皇の権力を復活させようともしなかった。戦前、昭和天皇は、陸海軍と政府の間を調整し、システムを機能させるという、彼のもっとも重要な職務を果たすことできなった。失敗は償われないのであろう。より重要なことは、追放されなかった政治家たちが、保守的政党でさえ国家の全権力を行使することのできなかった戦前の権威主義体制に戻ることを望まなかったことである。朝鮮戦争が事態を一変させるまでは、第9条に関して、日本には自衛のための戦力を持つ権利があると主張して、あえて世論を喚起する政治家はいなかった。 


日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。

核実験の探知

東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。いっぽう、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。

このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。

なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。


 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!





 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


ミャンマーのデモ、新たに市民5人死亡 武力弾圧強まる

 


ミャンマーのデモ、新たに市民5人死亡 武力弾圧強まる

バンコク=福山亜希



クーデターで国軍が権力を掌握したミャンマーで14日、各地の抗議デモに治安部隊が発砲するなどし、少なくとも5人の市民が死亡した。ロイター通信が報じた。国軍側はデモへの武力弾圧を強めており、同通信によると、13日も13人が死亡した。2月1日のクーデター以降、治安部隊の武力行使による市民の犠牲者は80人を超えている。

 報道によると、最大都市ヤンゴンでは手作りの盾を持った市民と治安部隊がにらみ合い、治安部隊の発砲で3人が死亡した。発砲があった地区では、二つの工場で火事が起きたとの情報もある。また、中部バゴーでも男性1人が撃たれて死亡し、北部パーカンでも1人が死亡した。

 現地の人権団体によると治安部隊による拘束者は、13日の時点で2134人に上るという。(バンコク=福山亜希)




ミャンマーで軍のクーデターに抗議するデモが続くなか、都内では14日、日本で暮らすミャンマーの少数民族が抗議集会を開きました。

この集会は日本で暮らすミャンマーの少数民族カチン族の呼びかけで行われ、会場となった東京 渋谷区にある国連大学の前には、およそ200人が集まりました。

ミャンマーは130を超える民族が暮らす多民族国家として知られていて、集会には、ミャンマー軍に迫害され、多くが避難を余儀なくされているイスラム教徒の少数派ロヒンギャの人たちも参加し、およそ30人が集まりました。

ミャンマーではクーデターに抗議する市民に治安部隊が発砲を繰り返し、地元メディアによりますと、13日1日で少なくとも10人が死亡し、国連の今月11日時点でのまとめと合わせると、死者はこれまでに80人に上っています。

参加者たちは、「あと何人の命が犠牲になれば国連は動いてくれるんだ」などと英語で書かれたプラカードを掲げながら、国際社会に支援を呼びかけていました。

集会に参加した在日ビルマロヒンギャ協会のアウン・ティン副会長は「民主主義を取り戻すため、いまは宗教や民族の違いを超えてミャンマー人として集会に参加しました。日本からもぜひ支援をお願いしたいです」と話していました。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peacebased on justice and order,the Japanese people foreverrenounce war as a sovereign rightof the nation and the threat or useof force as means of settling international disputes.

 

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea,and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.The right of belligerency of the state will not be recognized.

 




フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中