2021年3月14日日曜日

細菌戦の系譜!!

       




『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





「731部隊被害者遺族を訪ねて」



日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。


曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ビキニ水爆実験


ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために

太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿

 

ビキニ核実験による被災漁船(延べ1000隻)の元船員・遺族救済を求め「ビキニ国賠 訴訟」を高知地裁に提訴した。訴訟では、証拠書類、証言、傍聴ともに被告の政府側を圧倒したが、2018 年 7 月 20 日の判決は、20 年の時効により原告の請求を棄却する不当判決だった。しかし、裁判長は判決文で、「個々の漁船員が被ばくしたこと、被曝と健康状態の悪化との因果関係を立証することが困難を伴うことが否定できない。そうすると、長年にわたって顧みられることが少なかった漁船員の救済の必要性については改めて検討されるべきとも考えられる」と漁船員の被災を認めた上で、救済の必要性について立法府と行政府に検討を求めた。6 月 11日、高松高裁で 3 名の意見書が提出され、政府の継続的不作為行為が立証された。 裁判に至る背景・動機(今号)、裁判・労災認定をめぐる現状と課題(次号)について述べたい

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたより


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    


      





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 


14巻1号 1930(昭和5)年

実験医学雑誌第14巻雑報

 

黒屋博士近況

これは日本のタカヂアスターデの中に一種のPhosphataseがあってこの酵素は例の自然にあるZucker Phosphrsaureverbindungを分解するばかりでなく人工的に作ったPhoophorsaureesterをも分解する事ができるということの証明につかわれたものですがそれを使って続けて先に行こうというのです。大して大問題のテーマではありませんが折角教授がくれるのですからやっています。この間そのエステルの作り方について一寸した改良をやりましたら大変喜んでくれました。

こんな具合で又本当の仕事にはかかりませんが本年1月からはいよいよその方にかかることになります。

少しは変わったものを報告できるかもしれません。こうして毎日過ごしているのでかなり体を疲れますので日曜日の朝は大変寝坊をします。日曜日が大変楽です。


 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 これからの中日関係

~東京大罪を通じて~

 

王烈輝(浙江工業大学学生)

日本帝国主義は昔、中国人民に甚大な罪を犯し、人民の感情を深く傷つけました。あの時代を経験したことのある老人たちの日本への感情を変えることは、到底無理な事だと思います。とはいえ、新しい時代の中国人にいいイメージを与えるためには、まず日本政府は中国人民に正しい態度を示さなければならないでしょう。しかし、日本政府はまだ迷っているようです。 


 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 四月二六、二七、二八日

  

嗚呼桜が欲しいな・・・またしても花を語れば思い出しますかハハハ・・ハハ・・ハハ・・ハハ・・・ハハ・・・杏の花が春を迎えたように華やかに咲き出せば 奥ゆかしさを忍ばせる令嬢さんを心に画いて

紫のすみれが日なたに生まれながら顔を上げられず 恥ずかしそうに下向いて咲いているよ 凍り付いたような柳の枝も今では風に自由に揺れている‐無上の楽園のごとく跳びはねる僕たちの服にも皆春は来たんだ

 




大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 

数年前の新聞記事をたよりに人を探すことが既に困難な、そういう土地、広島の寡黙な人々の真実のモラルを受け継ぐために、我々が為さねばならぬことは何か?早急に果たせねばならぬことはなにか?原爆20周年を期しての原水爆被災白書の作製が、その試みの1つであることは疑いをいれない。

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

解説ー731部隊と帝銀事件

 

近藤昭二

 

帝銀事件

 捜査線上に731部隊

のち、次第に平沢の訴えを擁護する世論が高まりだし、作家松本清張や森川哲郎たちの調査の努力もあって、当時特命捜査班として軍関係を追跡したが成智英雄の証言が現れ、青酸性毒物の人体実験をしていた731部隊の存在、とりわけ隊員のS中佐の容疑が注目され出した。

 

 


 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

安達誠太郎供述書(1954年710日)

問:100部隊はどうして対外的には獣疫予防部と称したのか。

答:わからない。平素表向きに行っていた仕事は、馬疫研究処の仕事と同様防疫のの為だった。実は帝国主義の為に家畜細菌戦を行うものだったのだが。

問:いつ100部隊に行ったのか。

答:1回目は1939年か40年、孟家屯に新設された時で、部隊長は高島だった。2回目は1944101日で、当時の部隊長は若松だった。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度

 

催涙性ガスの使用許可へ

 

1933(昭和9)年5月31日に関東軍と中国側は停戦協定(塘沽停戦協定)を結び、「満州事変」は一段落したが、その後も陸軍は膨張の機を伺い、35年には華北に親日地方政権を作って中国から分離しようとした(華北分離工作)。さらに36年8月に広田弘毅内閣は、華北の5省(河北省・山東省・山西省・察哈爾省・綏遠省の5省)を日本の実質的な勢力下に置く方針を決定する。

 

 

 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

秘密にされた毒ガス製造


 アメリカ軍隊の資料の中に、日本の軍隊が毒ガス兵器を関東軍に配備した部分の記載があり、この記載から、関東軍に配備した毒ガス兵器の数量はとても多いことが分かる(表12参照)。関東軍は中国の東北地区で毒ガス兵器の試験は行ったが、戦争中にはあまり使用しなかったから、大量の毒ガス兵器が東北に遺棄された。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

汚された泉

井戸へ放り込み惨殺

杉本千代吉(すぎもとちよきち)

大尉

〈略歴〉

学歴 中学高卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊

出身県 静岡県

年齢 38歳(1919年生まれ)

 

私はこの蛮行を手始めとして4年8か月もの間、1人でも多くの中国人民を殺し、一挺でも多くの兵器を奪い取ろうとして、この広い山東省の隅々まで血眼になって暴れ回り、万悪の限りを尽くしました。今、私の脳裏にむごたらしい拷問で苦しむ農民の姿、最後まで問い続け自爆していった若い八路軍戦士、猛火に包まれる村々、焼け崩れ去った限りない魯南魯中の村々など尽きることのない罪悪行為がはっきりと浮かんできます。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎


おわりに

  次に化学兵器や生物兵器に関していえば、化学学校が編纂し防衛研究所員や化学学校学生に講義された『化学戦及び生物戦』が明確に示されている通り、当時の陸上自衛隊は化学戦を、場合によっては核兵器の使用と共に実施することを念頭に研究・教育を進めていたという事である。検討されていた化学兵器には、サリン、イペリット、ホスゲン等幅広い化学剤が想定されていた。

 

✬実際に化学学校では1964年にサリンの合成に成功している。1973年にはBZガスのの合成にも成功した。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

“人道的兵器”は存在するか

バートランド・ラッセル卿らの提唱によって、科学技術の進歩がもたらす人類への危険性と平和問題について話し合われるパグウォッシュ会議、世界各国の科学者を集めて第1回会議をカナダのパグウォッシュで開いたのは1957年である。

 1959年8月にカナダのノバ・スコシアで開かれた第5回会議では、8か国参加した26名の科学者によって、「微生物学及び化学の知識の平和利用」を推進するための声明が出されたが、細菌兵器として要求される病原体や毒物の性質について、次の5つの項目をあげた。

①少量で人間を殺傷し、廃人化する作用を持つこと。

②貯蔵や散布によって、病原性や毒性を失わないこと。

③衛生上の注意や、普通の予防接種の施行で、予防できないこと。

④病原体や病気が簡単に診断できないこと。

⑤紡機が普通の薬や抗生物質で治らないこと。

今の生物兵器の研究はこうした条件にかなうものを選び出すことにあるので、そうした作業は、自衛隊でも、技術研究開発本部第2部や衛生学校、または化学学校、自衛隊中央病院において直接、間接に行われていることはいうまでもなかった。それは、この種の作業に直接関係している隊員たちの考え方の傾向にも強く表れている。


 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 こうして天皇は、憲法上の重大局面が到来したとき、それまで彼に示されたなかでもっとも進歩的な改革を承認した。天皇自身はこの同意により、「均質な」大和民族の後裔といわれる国民の象徴となり、同時に国家主権の―もはや行使者ではなく―象徴となったのである。彼はほかの誰よりも長く、執拗なまでに「国体」に固執したのち、世界中が彼に対抗していると感じた時点で、不安に駆られ、ついに決断した。彼が抱く不安とはすなわち、退位に追い込まれる可能性であり、何よりも、彼の不決断にまつわる国民の議論が長期化すれば、共和制論議が抑えきれなくなり、ひいては君主制そのものが廃止されかねないことであった。以後の後半生において、彼は象徴としての地位に抵抗し続け、心理的にもそれに順応することができなかった。


日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。

歴史的重要度の高い核爆発・核実験

 

朝鮮民主主義人民共和国

詳細は「北朝鮮の核実験 (2006年)」、「北朝鮮の核実験 (2009年)」、「北朝鮮の核実験 (2013年)」、「北朝鮮の核実験 (2016年1月)」、「北朝鮮の核実験 (2016年9月)」、および「北朝鮮の核実験 (2017年)」を参照

· 1986年3月、アメリカの偵察衛星が北朝鮮の核施設のある寧辺を撮影、高性能爆発実験の痕跡を示す幾つかの円筒状のクレーターを発見。

· 2006年10月9日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の核実験。

· 2009年5月25日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で2回目の核実験。

· 2013年2月12日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で3回目の核実験[8]

· 2016年1月6日 咸鏡北道吉州郡豊渓里で初の水爆実験。しかしこの実験の水素爆弾というのは疑わしい見方も多い。

· 2016年9月9日 5回目の核実験。

· 2017年9月3日 6回目の核実験。北朝鮮は「水爆実験」と主張している。




中国初の核爆弾(模型)

· 1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。

· 1967年6月17日 初の水爆実験。

詳細は「中国の核実験」を参照

 


 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!








 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


ミャンマー 抗議活動続く 治安部隊が発砲 犠牲者増え続ける

 


ミャンマー 抗議活動続く 治安部隊が発砲 犠牲者増え続ける

クーデターへの抗議活動が続くミャンマーでは、12日夜も、最大都市ヤンゴンで治安部隊が発砲し、地元メディアによりますと、2人が死亡しました。さらに13日も第2の都市マンダレーなどで少なくとも6人が死亡し、犠牲者が増え続けています。

ミャンマーでは、抗議活動に対する締めつけが激しさを増し、軍や警察が市民などの住宅に夜間に立ち入り身柄を拘束するケースが相次いでいます。

このため、ヤンゴンでは12日夜、各地で市民が夜間の外出禁止令を無視して街頭に出て、抗議の意思を示しました。

このうち、ヤンゴンの中心部に近い地区では抗議活動のあと、警察が付近の住宅に立ち入り、3人の身柄を拘束しました。

その際に撮影された映像では、警察が身柄を拘束した男性を棒で激しくたたいたり、蹴りつけたりしています。

その後、地区の住民が警察署の前に集まり3人の解放を求めていたところ、治安部隊が発砲し、地元メディアによりますと、2人が死亡したということです。
さらに13日も、マンダレーとヤンゴン近郊のバゴーなどでクーデターに抗議するデモ隊に治安部隊が発砲を繰り返し、マンダレーでは建物の屋上などから狙撃手が銃撃していたとする目撃情報もあるということです。

地元メディアは、これまでに少なくとも6人が死亡したと伝えていて、暴力による犠牲者が増え続けています。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peacebased on justice and order,the Japanese people foreverrenounce war as a sovereign rightof the nation and the threat or useof force as means of settling international disputes.

 

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea,and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.The right of belligerency of the state will not be recognized.

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