●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回
「731部隊被害者遺族を訪ねて」
日 時:2021年3月22日(月)18:30~
お話:大谷 猛夫さん
オンライン中継(zoomによる)
主催:731ネットワーク
731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。
2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。
大谷猛夫さん
中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。
※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。
18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)
19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)
連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
(以下、パネル展の内容)
ビキニ水爆実験
・1954年に起きた第5福竜丸事件では、被ばく船は800隻もあったと言われているが、第5福竜丸一隻だけとしたのも宮川教授である。
731部隊レントゲン班に所属していた宮川正東大名誉教授
医学者の"名誉"とは?
それに対し教授はいかなる対応をしたか。
彼はまず何より戦後20数年たった今日、"隠しおおせた"と思っていた自らの戦争犯罪が「最終講義」というまさに土壇場で曝露されたことに対し驚きと狼狽を示した。
「最終講義は授業の場だから答えられない」といったり、
「最終講義はセレモニーでしかないから追及されるくらいならやめてしまってもよい」などと矛盾したことをいいつつ、公開質問状に回答することを拒否した。
はては「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」となどと泣き事ともつかぬ事をいいだす始末だった。
戦後「医学者としての戦争責任」を何ら追及されなかったばかりか逆に医局講座制の頂点に君臨してきたこの教授が土壇場で演じたのは、自らの戦争責任を大衆の場で明らかにすることではなく、自己の"名誉"を必死で守り抜こうとする醜態でしかなかったのだ。
細菌兵器と生体実験によって中国人民を虐殺した731部隊の犯罪性を捨象し、「最終講義で追及されることを残酷だ」としか感じとることのできない人間に「医学者」を名乗る資格はない。
3月2日、われわれの闘いによって講演後2時間余りにわたって宮川教授に対する大衆的な追及が展開された。
われわれの追及に対して、宮川は昭和19年4月から20年8月まで731部隊に所属していたこと、又放射線によるワクチンの研究を行なっていたことを明らかにしたが、「自分が第何部に属していたかは知らない」「人体実験はやっていない」などとうそぶき、"核心"にふれる事については「知らない。忘れた」など一切"黙秘"を押し通すことによって居直り続けた。
そして「医学者の戦争責任」についても、すべて「戦争が悪い」「天皇の命令だからやった、反抗すれば殺されていたかも知れない」などということによって自己を免罪し、あげくの果ては「日本国民全体の中の一人としてなら反省してもよい」などと"反省"にならぬいいわけを並べたて、彼の本質を大衆の面前で曝露した。
防衛大に対しても、「よく知らない」「自衛隊の中にも医者は必要だ」といいのがれをし"軍医養成と軍事医学研究"という指摘をつきつけられるや、「軍医の役割は大きい。軍医は必要だ」とヌケヌケといってのけた。
このように居直る宮川教授に対する追及は、席を立つ学生がほとんどいないという熱気の中で続けられ、731部隊の戦争犯罪を大衆的に確認し貫徹された。
(以下略)
---------(引用ここまで)--------------
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
14巻1号 1930(昭和5)年
実験医学雑誌第14巻雑報
黒屋博士近況
他のドイツの助手連も研究所へ来れば仕事ばかりして読書をすることは非常に珍しい。これはこの研究所の1つのやり方であると思います。
つまり教授1人が本を読んで全部の人がそのテーマで仕事をやっていますから教授は頭で働くことが多いが、他の連中は独創力が無くなって、ただ手先でばかり仕事をする様になる恐れがあります。最も小生の如く本統の化学の研究室に入ったことのない者は種々の点で獲る所は非常に多い様な気がします。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
3章 浙江省支援者から
これからの中日関係
~東京大罪を通じて~
王烈輝(浙江工業大学学生)
まず、私が日本に滞在していた時のことを少しお話しますが、以前、日本に行ったことのある人から、日本の物価はとても高いと聞いていたので、私はインスタントラーメンなどの食べ物を持って行きました。日本にいる間、日本の友人の皆さんから招待された日を除いて、毎日インスタントラーメンを食べていました。みんなと一緒に食べたり、話したりして、日本にいる日々を過ごしました。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
前置きはこの位にして日記帳殿 貴女の生命は一頁ずつ使用して四百日ありましたね。貴女は昭和六年と銘打って世に出た。三六五で終わってしまいたいと 否それが本願であると考察しました故 勝手ながら二、三頁又使用しますよ。友に出すからには、書き方も右下がりの俗にいう助平字ではいけないかしら
右上がり左下がりの字で書く K君失礼いたしました。長らくのご無沙汰いたしましたね、K君僕は桜が見たかったよ。見たくて見たくて仕方がない位であった。時々は罪な新聞がしらせるんだよ
桜の話と写真とをね。今年になってから一度も桜の木を見ないんだからね。罪な新聞だ罪な新聞だと思ひつつもね 見たくて仕様がないんだ。やはり四月の記事は不景気でもなんでもよいから花だよりに限るね。
Ⅲ モラリストの広島
その、まめに日常生活を埋めて行く性格は、絶望した人間のそれではない。しかし、やがて彼の器用な手は氷のように冷たくなり、室内でも手袋をしていなければならなくなって、工作の時期は終った。
僕は彼の残した文章の内、≪悲惨な死えの闘いをつづけている人々≫という一行に注意すべきだと書いた。悲惨な死に対して、あるいは悲惨な死に逆らって、新しい生命にいたる闘い、というのではなく、悲惨な死への闘い、悲惨な死に至る闘い。僕は、既に悲惨な死を遂げた宮本定男が、その生涯の終わりの文章において、助詞の使い方を誤ったとは考えない。彼は恐らく彼の心情に最もしっくりする言葉を選ぼうとして、≪悲惨な死えの闘いをつづけている人々≫と書き残したのだ。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
解説ー731部隊と帝銀事件
近藤昭二
帝銀事件
男は支店長代理に、「長崎2丁目の相田という家の共同井戸を使用している所から4名の集団赤痢が発生したのです。その家に同居していた人が今日、この銀行へ来たことがわかりました。GHQのホーネット中尉が後から消毒班を指揮してくることになっております。」と物静かに説明、ニッケルメッキの小型ケースやゴム付きのピペット(警視庁の捜査要請に拠れば、軍医の野戦携帯用のもの)を取り出し、予防薬と称する薬瓶の液体を全員に飲ませた。4,5分後、行員たちが倒れ始めるのを待って犯人は、その場にあった現金・小切手の一部18万円余りを奪って逃走した。使われた毒物は、解剖の結果、青酸化合物としか判明しなかった。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
1 関東軍第100部隊
安達誠太郎供述書(1954年7月10日)
問:自分自身の問題についてどのように考えたのか。
答:私は帰って考えてみた。何度も問いただされた100部隊に細菌を提供した件についてであるが、今私が思い出すのは次の事だ‐100部隊の仕事は2つに分かれる。1つは馬疫研究処の仕事同様に、炭疽、鼻疽、腺疫、媾疫、そして伝染性貧血の研究及び血清の製造である。これらはすべて防疫用のもので、技術的には関東軍獣医部長の指導を受けた。もう1つの仕事は細菌戦に関するもので、関東軍参謀部第1課の指導を受け、技術的にはこれも獣医部長の指導を仰いでいた。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度
「満洲国」の成立と陸軍省の態度の変化
催涙性ガスの毒性は低いが、これを吸込んで苦悶し無抵抗になった人々に一般兵器が向けられると大量殺戮を招くので、催涙性ガスの使用も禁止するべきだと日本は主張しているのである。
これは、毒ガスという兵器の特質をついた卓見であったが、その後の日本軍の中国での毒ガス戦は、まさにこのような戦法が採用されたのである。
結局、ジュネーブ一般軍縮会議自体は、各国の折り合いがつかず、成果が得られないまま1934年(昭和9)年5月に閉幕することになる。既に日本は、日本軍を満鉄附属地域への撤退などを求める撤退勧告案が1933年Ⅰ月に国際連盟で採択されたことを不服として同年3月に連盟から脱退しており、ヒトラー内閣が成立(同年1月)したドイツも10月に連盟から脱退していた。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
この工場の生産能力と実際の生産状況に関しては、吉見義明先生が既にアメリカの国立公文書館で発見された日本軍隊の調査資料がある。先生の計算によれば当工場が1931年から1945年の8月までに生産した各種の毒剤は6616トン。日本が投降した時日本本土に残されていた毒剤は3647トンだから、少なく見積もっても3000トン以上の毒剤は各地の戦場で使われたことになる。
吉見先生がアメリカからの資料を元にしてとった統計によると、日本の海軍が生産した毒剤は合計760トンあり、戦後日本の国内に残されたものは268、4トンであったので、戦場で使われたのは500トンに近いと推測された。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
汚された泉
井戸へ放り込み惨殺
杉本千代吉(すぎもとちよきち)
大尉
〈略歴〉
学歴 中学高卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊
出身県 静岡県
年齢 38歳(1919年生まれ)
「よし、こうなったら2つ1度に落とすんだ。いいか、1、2、3」
頭が割れ、血を吐いて死んでいく農民の姿を幻想しながら、私は力任せに石を投げ落とした。土砂を交えて2つの石が相前後して農民の肩を強く打ち砕いた。ブス・・・鈍い音、水煙、農民の体はちょっとの間見えなかったが、すぐに頭を出した。崩れそうになる体を、やっと側壁に支えて見上げるその顔には、限りない恨みがこもっていた。チラチラする青白い顔、それが私をたまらなく焦燥にからせた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
2 陸上自衛隊におけるCBRN対応
教範から見えるCBRN対応
陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
化学兵器関係資料
「第3節 部隊安全」は自部隊の安全確保について考慮すべき事項である。
「化学目標分析(型式見本)
この表によれば防護服の有無で極めて大きな違いがある。また低温(80°F以下、約27℃)の方が、効力が長く続くことがわかる。
✬「HDの風下における上記被害の距離(ヤード)」
こちらも同じHDであるが、風下にいる場合の「蒸気被害」に関するデータであり、こちらも地形と気温による違いごとにデータが示されている。同様の検証をGB即ちサリンについて行ったのが下の表である。
✬「GBの風下における蒸気被害の距離(ヤード)」
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
2、研究開発と自衛官の入学拒否
大学問題に頭を抱える
3次防以降の技術者の増強計画を見込んで32年度から始めた「貸費学生」(派遣学生)の制度が、大学側から拒否されるという事態に直面して完全に挫折状態となり、庁内では3次防計画どころかこのままだと現状維持すら危ぶまれると心配する者が多くなっているほどの打撃である。他の省庁ならともかく、札付きの防衛庁であってみれば“青田刈り”でもしようものなら薮ヘビになることは請け合いだ。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅵ
後年になって吉田茂は、マッカーサー草案の受け入れに「聖断」を下したのは天皇その人だったと自身の回想録で言及した。その結果、意見が割れていた幣原内閣は納得し、草案の受け入れに同意したというのである。GHQの占領に関する公式の歴史において「日本の新憲法」の章を執筆したアメリカ人著者も、天皇はマッカーサーの憲法草案の熱心な支持者であり、1946年2月22日の拝謁の際、その賛意を幣原や吉田、そして内閣書記官長の檜橋渡らに伝えていた、との印象を書き残している。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
中華人民共和国
中国初の核爆弾(模型)
· 1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。
詳細は「中国の核実験」を参照
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!