●2021 9 25加藤講演第1回目
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月9日(日)
78.詳しく勉強になる内容でした。今のネット社会にまんえんするデマ、偽りの情報を信じて歴史を知っているつもりになっている人の多さを憂慮しています。次回もお邪魔します。お疲れ様でした!
(女性、40代、市内、FB)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
環境への影響予測不能
1、この報告の総括的な結論は数行に要約することができる。即ち、もしこのような兵器が戦争で大規模に使用されるならば、その力がいつまで持続するか、また、それらが我々の生活している社会構造や環境にどんな影響を与えるかは誰も予測することが出来ないということである。この圧倒的な危険は、これらの兵器を先に使用した国にも、攻撃された国にも同じように伴うであろう。その危険は、その国が攻撃能力の開発と並行していかなる防御手段を講じたかどうかに関係がないだろう。費用がかさむことがはっきりしているにも関わらず、どの国でもこの種の戦争の能力を何とかして開発し、獲得できるということからも、特殊な危険性が生じている。この種の兵器が急増する危険性は先進国同様、低開発国にもあるのである。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第17巻雑報
17巻5号(1933年)
講習開講
4月10日より第74回講習開講さる。尚、長らく講習主任であった高木教授は今回
駒込病院長兼任となったので後任として佐藤教授が同主任に任ぜられた。
長與所長医学部長に補せらる
今回長與所長は林医学部長の後任として東京帝国大学医学部長に補せられた。
昭和8年4月中職員異動調
月日 異動事項 官職 氏名
4.8 医学試験委員被仰付 教授 田宮猛雄
4.10 昭和8年4月10日付願研究生継続の件許可す 国重太郎
4.20 伝染病研究所業務を嘱託す 江崎唯人
〃 同 中村敬司
〃 同 石原守
〃 同 西下止夫
〃 同 五十嵐正治
〃 同 大竹 巌
〃 同 能美貫一
〃 同 桑嶋謙夫
〃 同 八田貞義
〃 同 宮本正治
4.22 昭和8年4月21日付願研究生退学の件許可す 齋藤龍三
4.25 依願東京帝国大学医学部長を免ず 教授 林 春雄
4.26 昭和8年4月24日付願研究生退学の件許可す 村井發
〃 昭和8年2月3日付願研究生入学の件許可す 山崎幹夫
4.28 昭和8年4月27日付願研究生退学の件許可す 岡本正三
学友会への寄付
金54円92銭也 守口武次君
金50円14銭也 西沢行蔵君、鯛瀬国一君、金子勘太郎君
金15円70銭也 高田真君
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
4、日本民法に基づく損害賠償請求について(争点4)
(2)大日本国帝国憲法61条は「行政官庁の違法処分により権利を傷害せられたりとするの訴訟にして別に法律をもって定めたる行政裁判所の裁判に属すべきものは司法裁判所において受理するの限りにあらず」と規定し、行政裁判法(明治23年6月30日公布)16条は「行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず」と規定していた。行政裁判法のこの規定によって、行政裁判所に国家責任訴訟を提起することはできなくなったが、同条は司法裁判所の管轄までを明文で否定したわけではないから、その限りでは、国の賠償責任は司法裁判所により民法その他の法律が認める範囲内で認められる可能性があることになる。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
エピローグ 広島から・・・・・
この4月、僕は被団協の原爆被災体験資料収集と出版の事業に対して知識人による協力委員会の結成を呼びかける、一通の手紙を書いた。それは次の文章である。
≪・・・被爆者たちが、手記を書き残すということ、原爆に関わる全ての資料を整理、保存しようとすることは、言わば最もストイックな自己証明あるいは自己救済の意志による事業です。しかもそれは、我々、被爆しなかった全ての人間の、今日の自己認識、明日の運命に結びついている事業であって、すなわち、我々は被爆差たちの計画を、畏敬の念とともに側面援護すべきだと考えるのであります。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
南京でもやっていた人体実験
血管が切ると心臓からものすごい勢いで血が・・・・
松本博
1644部隊
経歴
1926年生まれ
1943年中支那派遣軍防疫給水部栄1644部隊配属
この証言は1995年6月、8月、11月の聞き取りをまとめたもの。
全採血
私の仕事は“マルタ”の監視だけではありませんでした。“マルタ”に食事を与えること、毎朝“マルタ”の検温をすること、“ロツ”の中の便器の汚物を回収することなど、様々な役割がありました。便器というのはおひつような形をしていて蓋をするようになっていました。“マルタ”はそこに座って用を足すのです。座るとおしりがはまるぐらいの大きさでした。ただ、“ロツ”は狭いですから、用を足すとき“マルタ”は両手を床についてかがみながらやっていました。便器にたまった便は、毎朝回収しました。“ロツ”の一角に小窓のような口があって、そこから便器を出し入れしました。“マルタ”が自分で便器を差し出すのです。石油缶に取手を付けて作ったバケツの中に汚物を集めて、ダストの中に捨てました。それも私の仕事の1つでした。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
2 河南
野田実自筆供述書(1954年7月31日)
1945年4月上旬、私は平原省焦作鎮の第117師団野戦病院で院長の軍医少佐丹保司平の命令により、第117師団野戦病院附軍医中尉新田林、軍医少尉高岩、衛生部見習士官水谷を指導して解剖練習を行った。この他に参加したのは病院附衛生軍曹森下及び2名の衛生兵で、丹保司平も現場にいた。実験対象は焦作憲兵分遣隊から連れてきた八路軍工作員で、軍医教育を目的として生体解剖をした。まず全身麻酔をかけた後、新田林と水谷に命じて開腹、盲腸切除手術と内臓各器官の検査をさせた。また、右上腕部を切開し、上腕動脈を処理し、上腕切断手術も行わせた。その後、私と高岩が左大腿部の切開して大腿動脈を処理し、大腿切開手術をし、また前頸部の気管切開手術をした。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍
アメリカ軍の対日毒ガス戦計画
最後にアメリカ軍が立案した対日毒ガス戦計画について触れておきたい。1975(昭和50)年6月にオーガスチン米陸軍次官は、アメリカ軍の軍事予算に含まれる化学兵器関連の費用を説明するために下院の小委員会に出席し、イタリアはエチオピアに対してマスタードガス(イペリット)を使用して、日本は1941年に宜昌で多量のマスタードガスを使ったが、これは相手側に報復能力と防護能力に欠けていたことが化学兵器の使用に踏み切る「決定的要因」になったのだとし、それゆえにアメリカ軍にも報復能力が必要だと述べた後、「ナチが第2次大戦の初期に神経剤を開発しながら、それを使わなかったのは、報復を恐れたからだというのが一般の見方だ」とした上で、アメリカ軍はサイパン、硫黄島、沖縄で多大の損害を受けたために、対日戦争の早期終結を図るためにガスを使うことを真剣に考えたが、「無防備の同盟国中国に日本が報復使用する恐れが1つの重要な理由になって、米国は使わなかったのだとされている」と述べている(『朝日新聞』1975年9月10日)。
アメリカ軍が毒ガスを行使した場合、中国戦線の日本軍がその報復として中国に対してより大規模に毒ガスを使うのではないかと憂慮していたというのである。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章 残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
江西南昌作戦(1939.3.17~29)
続いて野戦毒ガス隊が12㎞の進攻において中型毒剤筒1万5000個を使用、毒煙は幅300mの修水河を越えて、対岸の国民党軍第1線陣地を縦に2㎞の地点までを覆った。日本軍は防毒マスクをつけて23日、虹津で強行渡河した。続いてその勢いにのって安義を占拠、23、24日、万家埠、奉新に侵入した。
これと同時に、日本軍の116師団の一部、大小軍艦20余隻、海軍陸戦隊の一隊が呉城鎮に侵入した。国民党第29軍59師団(曾 初)(空白部分未詳)及び32軍第141師団(唐永良)の陣地であった。数日にわたる激戦が展開されたが、中国軍は死傷者が続出し、24日撤退を余儀なくされた。
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
処刑
抵抗する捕虜を始末する
川田孝
伍長
〈略歴)
本籍地 東京都足立区
出身階級 労働者
尋常高等小学校卒業
職業 綿花卸商店員
所属部隊名 第59師団53旅団独歩43大隊機関銃中隊
被捕年月日場所 1945年8月22日朝鮮興南市
年齢 37歳
「“言動に特別注意し、逐一前畑軍曹に報告すべし、他の留置人との関係及び動向に注意し、厳に会談を禁じ、適宜処置すべし”か・・・・・よーしわかった、それで何か特別のことがあったのか」
「よく聞いてみろ、毛沢東って言うから」
「なんだい、マオゾウトンってのは」
「八路の親玉らしいぜ」細木も自信なげであった。
私は人員点呼に奥に入っていった。歌声が留置場にこだまして響き返っていた。
第3房の格子の間から両手が外に引き出され、鋼の手錠が手首に食い込み、分厚い大きな手が紫色に変わっていた。
「この野郎か」あの瘤のある顔の真ん中だけが3寸角材の格子から覗かれた。ふと歌が止んで、彼の眼が私を憎々しく刺すように睨んだ。
「どうだ、ざまあみやがれ」
私は彼を留置した翌朝のいまいましたが頭をもたげ、手錠を力任せにグイグイ引っ張った。
「ウーン、ウーン」彼は痛みに耐える呻きを漏らした。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第3章 秘密保全の機構と体制
2 軍事警察とスパイ機関
戦後の弾圧事例
秘密保護法により弾圧された事例についてみると、刑特法第6条(合衆国軍隊の機密を侵す罪) 関係で、同法施行直後に4件あった。いずれも52年後半のことで、全部が不起訴となっている。54年5月11日参院法務委における政府説明によると、その概要は次のとおりであった。
(1)52年9月ごろ、路上で米軍機密と思われる軍事施設の位置、航空機の編成装備について記載した宣伝文書を頒布した者があったが、米軍から同文書の内容は機密に該当しないとの通告があり、不起訴処分とされた。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
禁止への努力
ジュネーブ議定書
そして化学兵器は一般の農薬、医薬品の研究開発・生産と全く同様の施設で造られる。生物兵器も普通の微生物研究機関で大量に製造できる。ある程度の科学水準の国なら、秘密裏にいくらでも高性能の生物・化学兵器を製造できる。従って、『いかなる生物。化学兵器も、ひとたび戦争で使用されると、同種の、より危険な兵器や、他の大量殺戮兵器の使用という深刻なエスカレーションの危険が出てくるだろう。端的に言えば、生物・化学兵器と、それに対する防衛手段の開発は、必ずしもそれに見合う安全保障の利点を伴うことはない』からである」という。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅱ
国民の関心が、その義務よりも権利のほうに向いているのを憂慮する天皇は、こうした保守派の立て直しを歓迎した。彼は再び公文書を裁可し、外国使節の信任状を接受するようになったことを喜んだ。政治と政策決定に積極的に関与した時期には、彼は独自の行動が可能だったのであり、そのような実質的な意味での政治活動の再開を待っていたのである。だが彼の憲法上の地位は、いまでは単に「象徴」でしかなかった。軍事・外交・政治への関与は認められなかった。1954年6月に自衛隊と防衛庁が発足したとき、それらは設置法に規定された文民統制の原則によって、内閣総理大臣の指揮を受けることになった。新しい日本軍の蚊帳の外に置かれるのは、天皇には不本意なことだった。日本の政治と政策形成に対する彼の場違いな感覚は増大し、欲求不満をさらに強めた。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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