●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979
入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
中国侵略史から学ぶもの
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
PTSDの日本兵と家族の交流館
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
水俣病
田宮猛雄(たみやたけお)
医師会会長の権威を利用して、腐った魚を喰ったせいだなどという説をでっちあげ、真の原因である有機水銀説をつぶし、被害を拡大させ新潟での第二水俣病まで引き起こした。
しかし彼は731部隊にも深く関与しており、部隊員とも懇意で、戦後も人体実験をしていたことはあまり知られていない。
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
また田宮は731部隊の別働隊でもある北京の1855部隊へ出張していたとも言われている。
田宮は731部隊第2代部隊長・北野政次とも非常に親しく、戦後、北野が東大伝研に現われたとき、もっとも北野の庇護したのが田宮であった。
また福見秀雄や北岡正見とも一緒に研究をしている。
終戦直後、GHQの軍医が田宮を訪れ、米軍の資金提供を受けて共同研究を始めた。
田宮は英語が流暢で、GHQの信頼も厚かった。
1947年、GHQの命令で厚生省と東大伝研が府中刑務所の受刑者に対し、発疹チフス人体実験をしている。
この件で田宮は北野政次らと深く関与している。
発疹チフス人体実験は北野らが731部隊で行なっており、いわばその"続編"であった。
1952年に新潟大内科の桂重鴻教授らが新潟精神病院で精神病患者149人にツツガムシ病リケッチアを注射し、8人が死亡、1人が自殺というとんでもない事件(ツツガムシ病人体実験事件)が起きた。
実は米軍の資金援助により田宮が北岡正見らによびかけてツツガムシ病研究グループを組織し、この人体実験事件を主導したことも判明している。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
学術集談会
5、蛋白反応を呈せざるバクテリオファージの抗原性
吉積 泰君
長瀬 亀吉君
細谷 省吾君
蛋白反応を呈しないバクテリオファージの抗原性については未だ報告はない。我々は細谷、宮田の毒素精製法に準拠してバクテリオファージを精製した。この研究は細谷、岸野の破傷風毒素の研究と同一歩調を取りて研究を進めたものである。
実験に供したチフスバクテリオファージは東京市駒込病院中村信郎博士のご厚意により分与されたものであって同氏のチフスⅣ型ファージであるその作用範囲は中村氏のチフスファージより見たるチフス菌型Ⅳ型は勿論ⅠⅡⅢ型にも作用しその他パラAパラB志賀赤痢菌にも作用するかなり作用範囲の広い非特異性ファージである其eL=10である。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
3章 細菌戦裁判弁護団から
判決の法律論は正義に反する
正義は力を得て法を創る
一瀬敬一郎(弁護士)
3 法を創る正義は「力ある正義」なり
細菌戦裁判で私達は法解釈に敗れたのか。決してそうではない。原告らが個人請求として求めた謝罪と賠償を実現することは正義そのものである。裁判官も正義性を感じた筈である。だから細菌戦の事実を認定し国際法上の解釈もした。しかし裁判官の思考はそこでストップした。何が足りないのか。
細菌戦を知る人々はまだまだ少数だ。その正義は力を得ていない。しかし裁判では、力を得た正義だけが法を創り正義を実現する。弁護団はこの認識で控訴審を闘う決意である。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
三月十八日
大隊の競技大会は此の名撃も(僕のこと)?出るんだって。弱ったことだ。今日の総出警戒の実施原因は 三月十八日は治外法権撤廃運動にからまる支那国恥記念日故 鉄道に対してもこんな警戒が行われるわけである。内地の人々は紙上の支那の各種外交運動に目をそそぎ、その裏を知らねども こうした支那の対外問題にからんでは その裏に夜の夜中までも未然に事故を防ごうとする守備隊の苦心を少しも世は知らぬであろう
Ⅱ 広島再訪
彼は若いジャーナリストの不注意な反応に答えて、≪庶民にも怒りはあるが、それを表す方法に迷っているのではないか?我々も、それに迷っているのではないでしょうか?≫と叫ぶように言い、涙ぐまんばかりに激昂して、絶句した。それを唐突な激昂と感じた傍観者たちは多かっただろう。しかし、それはいかにも確実に彼がこの19年間、忍耐し続けて来たものの総量をうかがわせるに足りる激昂だった。被爆の日から10年、現地の新聞である中国新聞の印刷所にすら、原爆あるいは放射能と組んだ活字は無かった。≪原子爆弾の放射能の影響によって死ぬべき者は既に死に絶え、もはやその残存放射能による生理的影響は認められない≫という1945年秋の米軍側原爆災害調査団の誤った声明が世界に拡がっていった後の10年間の沈黙。それを彼は、広島の新聞記者として忍耐したのである。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
昆虫班でのノミの増殖
ノモンハンでの細菌撒布も
鶴田兼敏(つるたかねとし)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1921年生まれ
1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)
1939年10月 退職
1945年12月 帰国
■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。
ノモンハンでの細菌撒布
ところが、私達は、そういった仕事は一度もしたことがありませんでした。時期が悪かったのですが、行って間もなくソ連軍の総攻撃が始まりました。それはもう凄いものでした。とにかくあっちこっちの陣地を移り変わりながら、命からがら逃げてばかりだったわけです。ですから、防疫給水の仕事をしている状況ではなかったわけです。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
五 日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅
香坊区平房村義発源屯被害者告発書(1950年3月18日)
日本降伏の際、日本軍が平房の細菌工場を爆破したため、菌をもった鼠が飛び出した。1946年の夏になると、日本軍〔原文:日寇以下同じ〕の放ったペスト菌が、私たちの村に伝染してきて、たくさんの人が病気に罹った。病状は特別重く、吐血や下痢が続いて、3日もしないうちに亡くなる人もあり、その有様は全く恐るべきものであった。私たちの屯だけでも幾人もの人が死んだ。日本軍は、こうした悪辣な手段で我が国の人民を虐殺したのである。思い出すと痛憤に堪えない。これらの犯罪を犯した者を厳罰に処すべきである。
付表 死亡者氏名
所帯主氏名及び家族数 死亡者氏名
趙鳳栄(10人) 趙桂琴、14歳。韓桂琴14歳。
劉江(11人) 劉百歳、5歳。劉志肥、11歳。
王殿選(9人) 王荊候、51歳。
楊春(11人) 楊春本人、41歳。高禄(楊春の妻)30歳。
王志闘(5人) 王孫氏、42歳。王の息子(5歳、18歳)。王小藍、5歳。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第3章
一般国民と毒ガス
1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス
忠海・曽根兵器製造所の労働状態
医務室の元看護婦は、「毒ガスによる水疱、かぶれ、喉の痛み、さらに悪化した関節の痛みなど、その悲惨さは今思い出しても身震いします。だけど、休業治療は簡単に許可されず、就業しながら治療するのが通例でした。完全に治ることは絶対にありません。いつも一時抑えただけで作業を続けさせらていた。・・・島全体に刺激性の異臭の強い毒ガスが充満し、じかに製造に従事しない女子工員や庶務の事務員などは勿論のこと、私の様な患者の治療にあたっていた看護婦まで次々に毒ガスにやられていきました」と語っている(村上初一「毒ガス島の歴史 大久野島」)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
危険が遠ざかることは、東京人にとっては歓迎すべきことであるし、広島や忠海の人にとっては、経済不況の時期であり、工場ができることは多くの人に就業の機会を提供することになる。特に現地の人々が魅力を感じたのは現金収入が保証されることだ。兵工廠は、当然危険が伴うのだが、ともかく当時としては歓迎された。当時この化学工場で働いていた服部忠さんはその回想の中で、次のように語っている。
「人々は不景気で困っていた。この島に突然工場ができた時の皆の喜びはちょうど『干天の慈雨』であった」。工場が仕事を始めたばかりの時には、何十人かの作業員募集に対して6000人もの応募があった。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
犬
嫌がる少女を銃剣で脅して
宮島健司
伍長 分隊長
〈略歴〉
本籍地 神奈川県川崎市
出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工
最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒
部隊名 59師団54旅団110大隊
被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日
年齢 38歳
「ヤレッ、ヤレッ」周りの怒鳴り声に権藤通訳はさらに暴れ回った。権藤通訳に髪の毛を引きずられた30歳くらいの女の顔に、涙が止めどもなく頬を伝わり、黒土にしみ入るように吸い取られていった。
「こっちだ、こっちだ」青木少尉は先頭に立って怒鳴りつけた。両手を大地に爪立て、霜柱をむしり取るように引きずられていく女を、私達兵隊はグルッと銃剣を突き付けて取り囲んだ。「この老いぼれどん百姓!!やるんだ、コラッ」既に小林兵長に衣服を引き裂かれた50歳くらいの男は、長年畑仕事で日焼けした見るからに優しそうな眼尻のしわを濡らしながら、働いて働き続けたゴツゴツの両手を地べたについて頭をふり、何かしきりに訴えている。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。
なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?
何を隠そうとしている??
次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~
419号法廷
「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~
法廷未定
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
1、米軍統制化の再軍備化と米軍におけるCBRN対応
(2)米軍の化学関係組織におけるCBRN対応
ここで既に別稿で指摘したことではあるが、陸上自衛隊がCBRN対応をとることになった背景に触れておく。第2次大戦後原爆を独占していた米国は戦略空軍を中心に核戦略を構想・展開していたが、、1949年8月29日ソ連が原爆実験に成功し、アメリカによる核の独占が失われると、トルーマン大統領は50年1月水爆製造の開始を決定し、以降米ソ両国による核兵器とその運搬手段の大拡張の時期に突入する。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
塩素ガス流出事件
最も最近は塩素ガス以上に毒性の強い窒息ガスが開発されているため、第1線から身を引いた形になっている化学兵器ではあるけれども、毒ガスであることには変わりない。そればかりか塩素ガスは、ベトナム戦争などのような戦争ではむしろその効用が再確認されてよい特性を備えていることは見逃すことができない。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅰ
天皇の立場もあいまいで、不確かなものであった。彼の開戦責任問題は連合国の間で論争の的となっていた。1945年6月初めに行われた非公開のギャラップ世論調査によれば、アメリカ国民の77パーセントが天皇に対する厳しい処罰を求めていた。9月11日に行われた日本人戦犯容疑者の最初の逮捕以後、外国の新聞各紙は天皇の退位が迫っているとの風聞を報道し始めた。9月18日には、戦争犯罪人として日本国天皇裕仁を裁判に付す旨を明記した合同決議案第94号がアメリカ議会の上院に提出された(その後、同決議案は軍事委員会に付託された)。さらに、たとえこれらが天皇を悩ませるに十分な理由とならなかったにせよ、ポツダム宣言それ自体、将来における天皇の処遇については慎重を期してあいまいにしていた。つまり、あくまでも「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ〔将来の政体が決定される〕とあるだけだったのである。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
コジェネの発想と燃料電池
水素ガスでも、都市ガスでもメタンでも、プロパンガスでも、メタノールの様なアルコールでも、家畜の糞尿でも、水素原子を含んでいるものであれば何でもエネルギー源になる。ここから水素を取り出して、陰極に送り込むと、水素原子のプラスの電荷を持った陽子が高分子膜に入って行き、マイナスの電荷を持った電子が取り残される。この電子が電線の中を走って、電流が流れるので、パソコンでも、自動車のモーターでも、冷蔵庫・洗濯機・テレビでも、電気製品は動き出す。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核兵器禁止条約
署名国・批准国
2020年12月4日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
南アフリカ 2017年9月20日 2019年2月25日
セントクリストファー・ネイビス 2019年9月26日 2020年8月9日
セントビンセント・グレナディーン 2017年12月8日 2019年7月31日
スーダン 2020年7月22日
タイ 2017年9月20日 2017年9月20日
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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