2020年12月17日木曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会


自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に30㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。


 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本





終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??



黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館






パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

水俣病



水俣病は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患としてあつかわれていました。その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。
水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認されました。 この疾患は昭和32年(1957)以降「水俣病」と呼ばれるようになりました。
阿賀野川流域の水俣病については、昭和40年(1965)5月に患者発生が報告され、その年の7月には26人の患者とそのうち5名の死亡が確認されました。 水俣病患者の認定は、公害健康被害の補償等に関する法律に基づき関係各県の知事および国によって行われます







隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎




森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


       

                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!




 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

細菌溶血毒素の研究 長瀬亀吉君

2、規那アルカロイドの結核菌発育に及ぼす影響とその化学的構造との関係につきて(第1報)

東京市療養所 寺尾殿治君

余は規那アルカロイド7種に就きグリセリン肉汁内の結核菌発育阻止力を比較したるにその強さの順位はエチルヒドロクブレイン、ヒドロヒニン、ヒニン、ヒニヂン、ヒドロチンショニジン、チンショニン、チンショニヂンなり、又遊離塩基はその塩類によりも強力なりき、化学構造上より考察するにヒノリン核の置換基による影響は其メトキシル基又はエトキシル基が存在する場合にその発育阻止力強く又後者は前者よりも強大なり、ヒヌクリヂン核に於いては其ヴィニュール基の不飽和二重結合が重要なる関係を有し其飽和は常に発育阻止力を増加せしむ。立体的関係と阻止力との間には簡単なる関係を発見する事能はざりき、又規那アルカロイドの阻止力はヒノリン核及びヒヌクリヂ核両者の協力に由来することを知れり。

3、ワッセルマン反応試薬改良に関する研究     村田正太君

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3章 細菌戦裁判弁護団から

 

判決の法律論は正義に反する

 正義は力を得て法を創る

一瀬敬一郎(弁護士)

1 田中正造の言葉 

私は、今回の細菌戦裁判の判決を通して、法と正義の関係あるいは正義が法を創るプロセスをどのように理解するべきか、などについて些か思いをめぐらした。

 こんな言葉がある。「あなた方が見ていれば政府は悪事を為さず。見る力は法律よりも強し。見ざれば法律を私製して悪事に働きて憚る事なし。」

 これは田中正造が約100年前(1909年)日記に記した一節である。実は裁判官が下す判決にもこの田中の指摘は当てはまると思う。



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月十六日

一日遊べると思ったのに大間違い、射撃予行演習の為に的を白い官舎の隣に立てに行く

風当たりが強く非常に冷たし―真冬の如し 顔の色は紫 手はちぢまり吹雪の如し

標的を立て終えると今日は(但し特務曹長の話)大隊長殿の知り合いの 或る大人が来て日本軍隊の内務を見せて頂きたいと言って二四列車でくる故 班を整理してもらいたいとの事 照準予行演習を中止して班の掃除を始める なんでもその支那人は冬期行軍の宿営地であった蛾美庄の人でないかと思われる。印で押したような日本軍隊の内務の整頓を見たら 支那人の頭は何と響く?支那人もこのくらい日本の軍に頼り信用したら何でもないがな?

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 そしてこの2つの微笑こそは、一旦それらが再会すれば冷たく硬化してしまうべき微笑なのだ。この2つの微笑の対立の根は深く裂け目は深い。ジューコフ氏は東京のホテルでの日本原水協主催の国際会議で、既に彼自身の微笑を凍結させる冷たい拒否を経験して広島へ来たのだった。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

ノミの増殖

 ノミを飼うためには、18ℓ入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミをネズミ篭の中に入れて固定するのです。そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。死んだらまた新しいネズミに取り替えるのです。


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


五 日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅

 

王喜林告発書(1950年319日)

私たちの香坊区平房村後二道溝屯は、14年間にわたって日本侵略者の圧制を受けて来た。日本軍〔原文:鬼子〕は降伏して逃げる際にも、悪辣な手段で人民を殺害した。日本軍731部隊の細菌に感染したために、屯全体で40数人が死んだ。中には20数人の家族中3分の2が死んだ家や、一家全滅し、埋葬する者がいない家もあった。2か月余り猛威を振るった後、ハルピン市防疫隊によって撲滅された。

 


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

忠海・曽根兵器製造所の労働状態

・・・(被毒して)4・5時間経つと全身が日光に焼けたように赤くなって痛み出し、度々やられる中には、目が充血して疼痛を感じ、日中は眩しくて明るい方へは向けません。又喉が痛くなって声も出なくなる。医務室通いをしながら作業はするが、咳は出る痰は出る。咳をするたびに気管が切れるように痛くて胸が苦しい。胃まで痛みを感じてきて食欲は半減するから元気は出なくなる。・・・ある時はゴム長靴を浸透して左足のすね下から足首まで水疱が出来て痛くて歩くことが出来ず40日も休業したことがあります。それでも全快ではありませんが、どこをやれれても7割方癒えれば又製造作業につくことになっていました。(岡井鼎「恐ろしい毒ガス」互助会記念誌編纂委員会編『大久野島毒ガス互助会30年誌 毒ガス』)



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 例えば、原料の搬入や製品の搬出等のために、島の東西両岸には護岸工事が行われ、何ヘクタールにも達する工事現場ができ、島の両側には埠頭が建設された桟橋が海に伸びていた。島の北東部には400キロワットの重油による発電所が建設されたが、重油の供給が思わしくなく、後には本州から2本の海底ケーブルを敷いた。島内には各所に通じる4メートル幅の道路網もできた。ただ1つ困難な問題は、淡水の供給だった。島は水源に乏しいので仕方なく各所に貯水池を設け、雨水を溜め、淡水の節約のために、多くの工程は海水を使用するようにした。

 








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

宮島健司

伍長 分隊長

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

と、突然右の方から、「ワーイ、いたぞ!!小隊長殿!!女です」私の同年兵で「甲州の山猿」と言われるほど、髭の濃い山梨県出身の小沢正一一等兵が両手を上げて怒鳴った。一瞬、皆の顔が引き締まると、獲物を見つけた痩せ犬のようにパタパタと声のする方へと駆け出した。

「待て、待て」こう叫びながら、青木少尉は谷田准尉と顔を見合わせ、ニタリと笑うと、自分も兵隊を追い越そうと走り出した。灌木地帯を切り拓いて畑にされたそばに、1mもあろうか、掘り下げられた窪地!その真ん中に、日本軍によってメチャメチャに破壊され、目ぼしいものを持ち出された人家の跡!!その・・・。




2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

はじめに
 中華人民共和国の成立翌年の1950年、朝鮮戦争が勃発する。それと共に米国の要請に従って警察予備隊が設立され、それは保安隊、そして自衛隊へと拡大を続けた。その間日本はサンフランシスコ平和条約によって「独立」を回復したが、それは英米などの西側のみとであり、実質的には米英が展開する冷静体制への編入を意味した。それを軍事的に保証したのが日米安保条約であり、その運用を担保したのが日米地位協定だった。その過程で日本に再建された軍事組織は米軍教官のの指導のもと、米軍のマニュアルに従って、米軍の兵器と戦術を習熟するように訓練を受け続けた。それは対米従属的な日米安保体制を日本の軍事組織の言わば内側から保証するものであった。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

よそ事ではない沖縄

しかし、沖縄の毒ガスがベトナム戦争と直接に結び付いているように、その補給経路から見ても、沖縄は本土の米軍基地と有機的な密接不可分の関係にあるのであって、米政府当局や日本政府の度重なる公言にもかかわらず、沖縄に存在するものは本土にもあるし、沖縄を「よそごと」として考えるとしたら大きな誤りであったはずであり、それは後に述べる事実によって証明されるのである。

 

 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

こうして、天皇を擁護するための新たな2国協同作業が始まった。GHQ、天皇、日本政2府の指導者、そして戦前に有力なアメリカ人との絆を持っていた日本人キリスト教徒たちの努力が相互に作用した結果が、戦争責任の追及から天皇を擁護する動きや彼の「人間宣言」、 さらには皇室改革へとつながっていった。以後、それぞれの目的のために天皇の権威を利用する過程のなかで、マッカーサーと日本の指導者たちは、ちょうど戦前に誤り伝えられていたのと同じように、裕仁の存在と独自性のきわめて重要な側面を誤り伝えなければならなくなる。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱


コジェネの発想と燃料電池

 さて、ここまでは家庭の話をしなかったが、家庭用コジェネの決定版と言える発電装置が生まれた。家庭で電気を使うたびにお湯ができる燃料電池である。この名称は、英語のfuel cellが、日本語で燃料電池と訳されてしまったため、電気をためる電池と誤解される全く不適切な言葉である。日本ではフェエル(Fuel)を燃料、乾電池をセル(cell)と呼んできたので、間違いが起こった。フェエルがエネルギー源、セルが小さな箱、という意味なので、実際には、「エネルギーを生み出す魔法の小箱」つまり小型発電機が燃料電池である。

 

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核兵器禁止条約

署名国・批准国

2020年12月4日現在の署名国と批准国。

署名国                  署名日             批准日 (締約日)

メキシコ         2017年9月20日     2018年1月16日

ミャンマー        2018年9月26日

ナミビア         2017年12月8日     2020年3月20日

ナウル          2019年11月22日      2020年10月23日

ネパール         2017年9月20日

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!





 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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