2021年8月26日木曜日

細菌戦の系譜!!

 
















『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」












原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―



田宮猛雄(たみやたけお)


しかし彼は731部隊にも深く関与しており、部隊員とも懇意で、戦後も人体実験をしていたことはあまり知られていない。
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。





 




隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
実験医学雑誌第15巻雑報
※満州事変を日本軍が引き起こしていて、その直後に伝研は、満洲軍に慰問金を募集している!!伝研は、軍を支持していた!!!
※本当に南米に出張していたのか?満洲ではないのか??

雑報15巻12号【1931(昭和6)年】

学友会へ寄付

金96円27銭    白石四郎君

金37円90銭也  西澤行蔵君

              鯛瀬國一君




11月中職員異動調

月日    異動事項                          官職           氏名

11.2 群馬県下へ出張を命ず          嘱託        山岸精實

11.5 茨城県下へ出張を命ず           助教授     小島三郎 
                                                                              嘱託          山岸精實
11.7 岩手県下へ出張を命ず                                嘱託                    島崎正雄

11.7 愛知及静岡の2県下へ出張を命ず                嘱託                   中村二三郎

11.17 神奈川県下へ出張を命ず(横浜及川崎市へ)  技手                 工藤正四郎

〃   〃                                             嘱託                    山岸精實

11.21 帰朝(伯国より)                                        教授                    高木逸麿

〃  〃                                              技手                  大和田信雄

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第5部


731細菌戦裁判第1審判決までの軌跡 ー疾風迅雷の7年間―





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月十八日

晴 八日ぶりにて第二四下番。 日曜の昼にて中隊は非常に呑気なり 零下十八度

一日早められて下番だ 珍しく六時に起き帰る仕度をする。乗馬兵も帰っていった  中隊にゆけば一日位は休めるだろうよ。第二四列車で初めて首山の娘を見る中々立派だ。相変わらず中隊はよいね 娯楽室で半日遊ぶ 初めて故珍しい将棋 碁 自由な本



軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


炎天下の重労働であがなった薬品を、腕の皮膚がセルロイドみたいに硬くなり変色するほど注射して、それこそ死んだように寝そべっている4日目の1日が、3日間の体の酷使を帳消しにしてくれるとは、やはり彼自身信じていなかった。青年は4日目の1日、少なくとも薬品を支えにして休養しているという心理的な安定感を持つことが出来るのみであったはずだが、ただそれだけの事の為に、彼は3日間、実際に自分の肉体を破壊しながら重労働していたのである。彼を愚かしいと呼ぶことは出来ない。青年はそのようなトリックによって、彼の内部の不安に抵抗していたのだ。やがて青年が港湾倉庫のの仕事をやめて長距離トラックの運転手になったという噂を聞いた。彼は益々ファナティックに、自分の肉体を追い詰め、わずかに不安を免れる≪4日目≫を求めているのだろう。

原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

 


“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった


三尾豊

憲兵


〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。


731部隊に引き渡す

 731部隊が生きた人間を実験で殺していることは聞いておりました。しかしどんな形で誰がやっているのか詳しくはわかりませんでした。ただその部隊が細菌戦部隊であって、大変な部隊であることだけは知っていました。そういう所に彼らを送っているわけですから、非常に緊張しました。大連からハルビンまでの20時間近い時間は、まさに長い長い時間でした。ハルビン駅に着きますと、731部隊の専属の憲兵が私服で来ていまして、部下憲兵を使って、私が連れていった4名の方に直ちに足かせと手錠をかけ、麻縄を解くとそれを投げ返してくれました。そして窓のない黒いワゴン車の鉄の扉を開いて、豚でも蹴り込むようにして中に入れました。この扱いは今も印象に残っています。まさに“丸太”扱いです、この様にして私は4名の愛国者を731部隊に送り込んでしまいました。 

  



●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

2 吉林

浅井仙一自筆供述書(1954年9月26日)

時間:1937年秋。

場所:公主嶺ロシア人墓地。

当時の階級と職務:憲兵上等兵、公主嶺憲兵分隊警備係。

命令者:分隊長安藤次郎少佐。

罪行の内容:公主嶺の空軍部隊(陸軍航空隊飛行第12連隊)藤田軍医少佐が自身の発明した「人工蘇生器」を実験するのに提供すべく、拘留中の1人の中国人を木に吊るして首を吊り窒息させた。その時私が監視を担当した。

被害者:中国人男子、年齢約40歳、住所・姓名・職業ともに不詳。

結果:「蘇生器」を使用して一時的に蘇生したが、同夜拘留所内で死亡した。私の記憶では、死体は「満洲国」街公所(町役場に相当する)で焼却された。

(1)119-2、644、1,第5号

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 

Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用

華北での使用

以下、華北での特徴的な使用例を2例だけ挙げておこう。

〇冀中作戦での使用

そして、5月28日に第110師団の歩兵第163連隊第Ⅰ大隊が、北たん村という村落に作られた地下道に避難していた民兵や村民に対してガス放射筒を投げ込み、多数を殺傷した事件を起こしたが、これについては、石田勇治・井上久士・小野寺利孝・田中隆・松井繁明編『中国河北省における三光作戦―虐殺の村・北たん村ー』が関連資料だけでなく、現地でのヒアリング調査も踏まえて詳しく報告いている(まお、同書の234~236頁で日本軍の毒ガス兵器に「黄筒」があったとしているが、このうような毒ガス兵器は存在しない)。また、吉見義明『毒ガス戦と日本軍』が北たん村での毒ガス戦を詳しく検討し、小あか筒が使用されたことを論証しているので、参照されたい。

 このように、華北では中国共産軍の根拠地を徹底的に破壊する作戦を展開する中で、アジア太平洋戦争後も毒ガス兵器が積極的に使用されていたのである。





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網


731部隊との関係


2人は短い会話を交わしながら車を降り、速足で玄関からロ号棟に入り、廊下左隅の手動エレベーターに乗り込んだ。エレベーターは屋上に通じている。片隅に大型のプロパン液化ガスボンベによく似た、鋼鉄製のボンベが転がっていた。男たちはボンベの近くに歩み寄り、あごを上げてロ号棟を取り囲む中庭を見た。そこには窓に鉄格子のはまった左右対称の2棟の建物があった。第731部隊特設監獄―通称マルタ小屋である。
「建物の容積はざっと目測でいくらだ。それを室数で割るといくらになる?青酸の有効濃度はいくらだ?」
 青酸、という言葉が大尉の口を突いて出た。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討

上級将校の罪行


野間栄作

少佐

私は早速、山村中隊長を呼びつけると、村を焼き払うことを命じた、約1時間半かかって放火に使う粟殻や高粱桿の山が5つできたので、西半分の各家の入口、本屋のの入口など、火の付きやすい所を選び、高粱桿を束ねた“たいまつ”で1軒ごとに火をつけた。2軒、3軒と黒い煙は、やがて紅蓮の炎と変わり、10戸、20戸、と広がっていく。地獄絵を見る赤鬼のように、真っ赤な顔をほてらせた日本兵が“たいまつ”を振り回しながら駆け巡っている。風上の火を放たれた村は折りから巻き起こった旋風にあおられて、みるみる黒煙に覆われ、火炎と変わり、灰燼となっていった。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●第31回『衛生学校記事』情報公開裁判
10月21日(木)15:00~103号法廷

●第20回『化学学校記事』情報公開裁判
11月10日(水)11:00~703号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

3 外交機密の生態

戦争を誘う秘密外交

 71年10月29日の衆院予算委員会で楢崎議員が暴露した「佐藤総理訪米資料(極秘)」は、トーキングペーパの一例である。それは、佐藤首相の第1回訪米時の資料として63年12月に作成され、首相と大統領の会談のためのものと、首相と国務長官の会談のためのものの、2つの部分から構成されていた。その文言の多くは64年1月の佐藤・ジョンソン共同声明と一致しており、まさに共同声明の解釈資料としての意義をもっているのである。

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

1 自衛隊の基本戦略

生物・化学兵器の自衛隊における位置

核兵器以外のあらゆる近代兵器を装備した日本の陸、海、空自衛隊の戦力(機動力、火力)は、旧日本軍を遥かにしのぐ強大な軍隊に成長した。建軍20年、すべて米軍の供与武器で発足した当時の自衛隊とは比較にならない肥大化ぶりである。

 1949年の中国革命と1950年の朝鮮戦争を契機に創設された日本の自衛隊は、マッカーサーから押し付けられた軍隊であるとのごとく言われている。しかし、これは事実に反した見方である。手続き的には、確かにマッカーサー元帥が吉田茂首相に宛てた一通の書簡で発足した警察予備隊であるか、日本の独占資本はかねてからこのチャンスを待っていたのである。第2次大戦を実際に指導し、推進してきた日本独占資本は、戦犯に問われることもなく帝国主義的な発展を遂げるに至ったわけだが、この間、アメリカの極東戦略を巧みに利用し、日本国憲法の平和主義、戦力不保持規定すら逆用して今日の自衛隊を作り上げてきた狡猾さを見落としてはならない。 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

一方で、天皇の退位と、いっそうの宮廷改革を要求する圧力は弱まっていなかった。47年10月14日、GHQは皇族の地位にある宮家の数を再度減らした。天皇と側近にとって、さらにありがたくない知らせが続いた。外相芦田は、首席検察官キーナンと「親しい」元陸軍少将田中隆吉に会ったときのことを日記に記している。田中は芦田に、キーナンが木戸、東条、東郷の反対尋問は他人に任せず自分で行うこと、そして天皇皇后や皇太子があまり「人目につく行動」をとると、自分たちの苦心が徒労になるとして、反感を抱いていることを語った。田中・芦田によれば、キーナンは裁判の終了後天皇に会い、「退位問題等」を持ち出すつもりだった。さらに田中は、マッカーサーは「日本国内の安定のためにも共産党を抑えるにも帝制が必要であると確信している」と伝えた。1ヵ月後の11月14日、天皇はマッカーサーと五回めの会談を行った。この時の90分の会談の内容は明らかではないが、それ以前の会談と同様、具体的な政治問題におよんだのはほぼ確実である。26日、天皇はその年最後の巡幸である中国地方の旅行に出発した。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。












 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!









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