●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
ユーザーレビュー
テーマがやや散漫。
また、「妻」という女の情念を本筋にするなら、夫婦の性愛も描いたほうがよかった気がするけれど、それはなくて、逆に、主人公夫婦が往来など人前で堂々と何度も抱き締めあうのは、当時の日本ではちょっとありえない気がするので、不自然に感じました。海外の人はその辺はわからないと思うので、ベネチアでは違和感を持たれなかったのでしょうか。
「戦争あるいは歴史と個人」という面では、あまりにも膨大な素晴らしい先行作品の中では、ちょっと力不足で埋もれてしまう感じかな。
それでも、このようなテーマが忘れられがちな今の時代にこの作品を作られたことは、素晴らしいと思います。
ラストシーンの美しさは★5つだと思いました。
PTSDの日本兵と家族の交流館
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
日本学術会議(ウキペディアより)
1952年10月12日の第13回総会(『日本医療の原罪』高杉晋吾著より)
第4部の松浦一会員(生物学)が「第2次大戦で日本は中国に対して細菌兵器の使用をしております。私は生物学者の一人として、生物学を守るという意味からも、このような細菌兵器の使用を絶対にやめてほしい、そういう意味からも、まずその条件としてジュネーブ条約を批准してもらいたい」と提案したが、第7部(医学部会)の戸田正三(元防疫研究室嘱託)や木村廉(元防疫研究室嘱託)等の反対にあい、亀山会長が
「もう戦争を放棄したという憲法を持っているのに、戦争を前提にした細菌戦云々の申し入れを政府にするのはおかしい」とまとめ上げ、結局この提案は否決された。
★日本学術会議南極特別委員会医学部門委員会には
北野政次(元731部隊第2代部隊長)、吉村寿人(凍傷実験担当)、戸田正三(元防疫研究室嘱託)の3人の元731部隊関係者がいた。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
学術集談会
3, 該精製溶血毒素免疫家兎血清は精製又は未精製溶血毒素を沈降せしめず、然るに対照なる未精製溶血毒素免疫家兎血清は未精製溶血毒素を沈降せしむるが精製溶血毒素を沈降せしめず。
4、該精製溶血毒素を低温にて濃縮し1/10量となし海猽に於いてAnaphylaxie試験を行う陰性なり。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
3章 細菌戦裁判弁護団から
判決の法律論は正義に反する
土屋公献(731細菌戦裁判弁護団長、元日弁連会長)
それに、中国政府が、個々の人々の請求権を勝手に奪ってしまうことはあり得ません。サンフランシスコ条約14条には、個々の人々の権利まで放棄する、と書いてありますが中国との条約には書いてありません。
それ故、私達は国家と個人の問題を混同するのは間違っていると確信しております。
また、判決は当時の国際慣習法で、賠償責任が成立することはないとしました。更に現在の国際慣習法でも、賠償を認めるという事にはならないとしました。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
三月十四日
晴 風あり 午後三時 衛生勤務下番 嫌な射撃に休みなしに行く 勤めは辛いね。零上二度 最高十五度
相変わらず退屈だ 緊張の幾時間が流れ去ったような時間である。午後一時半公用書迎達受領の為に駅に行く 初めてのんびりした 二時間居眠りをしに来たようだ 待ちかねたような三時の喇叭が鳴ったらしい 何の異状なく三時が私を送ってくれて 嫌だけれども射撃に行くんだって 本当に嫌になって仕舞った。班に帰る早々着剣をして射撃場に行く 目はぼんやりして当たりそうに思えない ゴルフ姿の春の山に浮かぶ町の人々が戯れている。
Ⅱ 広島再訪
僕は、繁華街に近い労働会館へ出かけて行く。去年の会議の中心会場は平和公園の原爆記念館だった。そして、そこには秘密会議の閉ざされたドアと、不安な気分の充満があったものだった。誰もが、果たして第9回原水爆禁止世界大会は開かれるかどうかを疑い、そして息をつめては、≪いかなる国・・・・≫という全ての災厄と困難の種子をめぐってささやき合っていた。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
解説―石川太刀雄丸
昭和32年4月21日米国の諸研究室研究視察の為出張、同年8月24日帰国した。昭和37年11月第6期日本学術会議第7部会員に選ばれた。昭和42年6月から同43年3月まで医学部付属神経情報研究施設長を兼任し、更に同43年4月から同46年3月まで岡本前所長の後を受けて金大がん研究所長を併任した。
と、華やかな戦後の足跡が綴られている。紹介の最後は、このような一文で締めくくられている。
「これまで全く未開の分野であった東洋医学の科学的展開の道を拓いた」と。
石川もまた、731部隊に於ける幾多の人々の犠牲に立って、戦後の医学学術界で名声を得た1人であろう。
(西野留美子)
*1973年、金沢大学を定年退官後、入院中に吐血し65歳で死去。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
五 日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅
千田謙三郎自筆供述書(1954年10月9日)
1945年8月13日、私は独立混成131旅団79大隊中尉大隊長であったが、ハルピンの大直街に集まり、旅団参謀、高級副官、各大隊長と共に、旅団長宇部少将の招集した会議に出席して、平房の細菌工場を爆破する問題について検討した。
会議の場所は旅団司令部であった。会議出席者は、旅団長宇部少将、参謀谷村五郎中佐、高級副官山下大尉、砲兵大隊長椎名大尉、突撃大隊長某大尉、工兵大隊長石原大尉、通信大隊長曽田中尉、輜重大隊長某大尉、歩兵79大隊長千田中尉(私本人)、歩兵80大隊長石井大尉、歩兵81大隊長某大尉、歩兵82大隊長某大尉。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第3章
一般国民と毒ガス
1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス
毒ガスに汚染された兵器製造所
先ず、毒ガスの生産に従事した兵器製造所関係者の劣悪な環境下での作業による被災と後遺症の問題を考えてみたい。大久野島の環境について、戦後、元行員を調査した中村照彦氏(竹原保健所長)は、島の様子を「息詰まる様なガス臭が絶えずしており、・・・空地には殆どの所に硫酸、塩酸その他の資材容器が置かれ、そこから発生するガスも常に刺激臭を放っており、各種毒ガス特にイペリット製造工室付近では松の大樹が製造作業を始めてから数日の間に枯死し、他の工室付近でも草木が次々に枯死したと云われている。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
昭和になってから、日本の軍人が次々にこの島にやって来て、農民の土地を買い上げると同時に、地方の役者の公有地も買収した。当時経済的に不況で困っていた忠海町の人々は、軍隊が土地を買いあさる目的が何なのかわからなかったが、軍隊がここで大きな土木工事でも行えば、きっと地域の活性化につながるだろうと考え、政府と軍隊を説得して島に工場を誘致するように、いろいろな関係を通じ当時の陸軍大臣白川義則を訪ねて陳情した。今考えれば何と愚かな、何と悲しいことではないか。陳情通りになってあちこちに軍用地の境界を示す杭が立てられた時、大久野島は「大苦之島」としての歴史を踏み出したのだ。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
毒ガス実験
―8名の農民を生体実験に
三上忠夫
軍曹
〈略歴〉
本籍地 千葉県銚子市
出身階級 漁民(小資産)
学歴 尋常小学校6年中途退学
卒業後の職業 漁師
最終部隊 旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊
捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校
年齢 37歳
●ー筆者からの一言〈昭和57年7月〉
私は、自分が犯した戦争犯罪の当然の結果としてのソ連における5年間の捕虜生活の後、中国に移還されて6年間の戦犯拘留を受けた。この厳しい体験の上に立ち、戦争に反対している。今、核兵器反対の叫びは全世界的なものとなっているが、地球上から核を廃絶することは決して簡単なことではない。特に、戦争を知らない若い人たちが、戦争の実体、その本質をどれだけ理解しているか、戦争がどれだけ罪悪に満ちた残酷なものであるかを知っているだろうか。そして今、日本軍の行った侵略戦争が再び美化されようとする動きが強まっている中であればこそ、私たちの体験を通じ、戦争の実体を正しく、ありのままに認識していただきたいと願ってやまない。 (三上忠夫)
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
731関連裁判の動向について 和田千代子
(1)『衛生学校記事』の情報公開裁判
③前回10月15日の裁判で、原告は1995年から1996年の金原資料の移管・返還に関わった衛生学校側と防衛研究所側の担当者5人の陳述書の提出を要求した。
また原告は、同日の裁判の中で、衛生学校がホームページ上で公開している医学情報資料館「彰古館」の「彰古館所蔵史料一覧表」(8685点)の中に「金原資料」に含まれていた金原節三陸軍業務日誌、金原節三氏の大東亜戦争陣中私日誌、「金原節三に関する各種書類」、「軍医学界雑誌」、「軍医団雑誌」が含まれている事実を指摘し、『衛生学校記事』の所在を再度調査することを求めた。
(次回期日2021年2月5日(金)15時419号法廷)
DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
12月16日(水)11:00~になりました。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
目に見えない恐怖
トレーラーには、化学兵器が入っていたのだろう。表面に出るのを恐れて、MPカーはこの事故を知らぬふりをして立ち去ったのだろう、と当時のことを知る人たちは言っている。
私たちの周囲には、危険がいっぱい満ちている。
「弾薬は、バラバラにしているので運転中ぶっつけられても絶対安全といっていますが・・・・、でも変です。普通の弾薬のように見える容器を、時々“絶対に手を触れるな。運転中はゆっくり運べ”と注意されるのがありますよ」
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅰ
石原がこうした主張を広められるように、東久邇は連盟の会員たちを各地の集会に参加させるための特別列車を編成させた。 (警察の報告書によれば)石原は1945年9月14日、岩手県の盛岡で、全国民が敗戦について「懺悔」するように訴えた。彼は聴衆に対して、20世紀の終わりに向けて「(米ソ間における)世界最終戦は数十年後に近づいている」、「八紘一宇」の原理はいつまでも息づいている、と指摘した。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
コジェネの発想と燃料電池
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核兵器禁止条約
署名国・批准国
2020年12月4日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
エクアドル 2017年9月20日 2019年9月25日
エルサルバドル 2017年9月20日 2019年1月30日
フィジー 2017年9月20日 2020年7月7日
ガンビア 2017年9月20日 2018年9月26日
ガーナ 2017年9月20日
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!