●中国侵略戦争
●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
ユーザーレビュー
早く帰りたいと思いました。
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
◎ビキニ水爆実験
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!
---------(引用ここから)--------------
ある退官記念講演にて
ところで、最近、全日本医学生連合中央書記局で出している「全日本医学生新聞」(1973年4月1日号)がつぎのような記事を発表している。以下はその全文である。
(中略)
東大宮川教授に対する追及は、3月2日最終講義の場において大衆的に貫徹された。
公開質問状
放射線科 宮川 正教授殿
退官記念講義は敬意と感謝に包まれて暖かい雰囲気で行なわれるものだが、左翼系学生のつるし上げにあい散々なものになったようだ。
悪いことはできないものだ。自業自得である。
当時の左翼学生の活動すべてを肯定するつもりはないが、ここでの追及は正義に基づいたものであり、まともである。(この人たちは今どうしているのか。そして今の学生は何をやっているのか)
彼が731部隊で行なった人体実験の詳細はよくわかっていないが、肝臓にレントゲンを照射して致死量を確認する実験を行なったという証言がある。
退官記念講義の場で追及されても、実験内容を明らかにできないほど凄惨なものだったのだろう。
ナチスは、強制収用所のユダヤ人の生殖器に大量のX線を照射して不妊にさせるといった悪魔のような冷酷な実験を繰り返していた。
同じようなことを731部隊でやっていたことは間違いない。
亀井文夫監督の有名なドキュメンタリー「世界は恐怖する 死の灰の正体」の製作に宮川教授は協力している。
映画の冒頭でコバルト60のガンマ線を小鳥が死ぬまで浴びせる衝撃的な実験が紹介されているが、恐らく731部隊では中国人を使って同じことをしていたのだろう。示唆に富んだ実験である。
宮川教授は、「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」と言ったが、自分が中国人に対して行なった凄惨な人体実験は残酷でなかったとでも言うのだろうか。
こんな人物に名誉教授を授与するのが東京大学なのである。
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
緊縮に関する所長訓示
7、図書の散失なり克く公徳を重んじみだりに室外に持ち出すことなく借用品は必ず返還の約を違えざる様注意する事。
なお最後に所長の特に力説せられたる事は「要するにこの機会を利用して緊縮の精神を敷衍実行しよく微細なる点にも冗費を節し転じてこれを有用に使用するを眼目とし決して当所の機能を小ならしめんとする所以にあらず各自宜しく公益を重んじ互譲的精神に基づきよく切磋訓練を積むべき旨のことであったと記憶する、即ち角を矯めて牛を殺すの愚をなさざらむ事を懇々諭されたものと思惟するのである。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第2部
第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意
2章 細菌戦被害調査委員会から
日本軍と戦った常徳市民の意志を引き継いで
陳玉芳(常徳市細菌戦被害調査委員会、湖南省常徳市)
今度の訴訟は敗訴という結果となってしまいましたが、我々はこのエピソード同様、祖先の意思を引き継いで、祖先と同じように最後まで闘います。
常徳の人々はこれからも原告団を支援します。今後国際法の研究についても精力的に行っていきます。大々的に宣伝活動をして、世界中に世論を形成するつもりです。今まで苦労を共にしてくれた弁護団と共に、もう一度頑張って行く所存です。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
三月十日
Ⅱ 広島再訪
死の数日前、彼はいくらかの貯金と、身の回りの品をまとめて、退院する意志を示した。それは、彼の他人たちへの信頼、平和行進をし、大会に集ってくる他人たちとその運動への信頼の放棄と、裏切られた者の、ごく個人的な彼自身の場所への欲求を、暗示するものではなかったか?
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
帰国後
今考えてみますと、人間が消耗品だなんて馬鹿げたことです。しかし、当時は無我夢中でした。「天皇」の「テ」という言葉を聞けば、直立不動しないとぶん殴られる時代でした。日本軍は、上官の命令に対しては絶対服従でした。戦後このようにまとまった話をするのは初めてです。あるいは勘違いや間違っていることもあるかもしれません。その点は了承していただきたいと思います。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
四 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集
立元嘉太郎供述書(1954年8月9日)
問:引き続き泰来県で犯した犯罪行為について述べよ。
答:1945年3月、日本軍の野鼠捕獲の要求により、私は副県長林田実と共謀して、学校に命じて小学生を動員して鼠約300余匹を捕獲させ、ハルピンの石井部隊に引き渡して、細菌培養、殺人兵器製造に供した。殺人の手助けをするという罪を犯したのである。
(1)119-2、512,1、第3号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育
4 毒ガス戦の訓練や教育はどのように行われたか
2・26事件に陸軍習志野学校出動
この時、反乱軍を鎮圧するために設けられた戒厳軍司令官【軍司令官・香椎(かしい)浩平中将】が立案した攻撃計画には「殺人に至らざる瓦斯の猛烈なるものを使用すること」が示され(「陸軍習志野学校史編纂委員会編『陸軍習志野学校』)、戒厳軍に陸軍習志野学校が加えられた。
2月28日、陸軍習志野学校は戒厳軍司令部に対して意見書を提出し、発煙筒の使用は視界を遮るので市街戦では不利であり、「みどり筒(とう)」は反乱軍がガスマスクを携行しているので効果が期待できないとしたうえで、「あか筒」はガスマスクを浸透し家屋内にガスが滞留するので有効であるとしてその使用を推薦したが、「あか筒」の使用は「対外及び対内的に多少考慮を要する」ので、利害損得をよく考えた上でこれを使用するかどうかを決めるべきだとした(同前)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
原爆の爆破地点と毒ガス工場は目と鼻の先だ
驚いて口もきけなくなった人々が爆心地附近の建物の崩れかかった壁の隙間を見つけて何とか命拾いをし、瓦礫の下からはい出して最初に目にしたものは、地上にいた人々が酷い火傷を負ったまるで悪魔のような姿であった。彼らは爆発の時とっさに身を隠す遮蔽物もなく、外に晒していたので傷はとても重い、だが、何とか生き延びようと必死でもがいていた。軽度の火傷や放射熱を浴びた人々はこの地獄の中をさ迷いながら、身内を探した。彼らはこの時見た状況を一生忘れられないだろう。
火傷を負った人々がよろよろ歩き、体は真っ黒に焼け、あるいは水泡ができ、あるいは体中に焼け焦げた暗灰色になった皮膚をぶら下げていた。市の中心部を流れる3本の川は、屍で埋まり、その中には多くの幼い子どもの姿もあった。死んだ人々は川に飛び込み、体についた烈火を消そうとしたのだ」
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
毒ガス実験
―8名の農民を生体実験に
三上忠夫
軍曹
〈略歴〉
本籍地 千葉県銚子市
出身階級 漁民(小資産)
学歴 尋常小学校6年中途退学
卒業後の職業 漁師
最終部隊 旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊
捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校
年齢 37歳
皆窪地に座っている8名の老百姓を中心に取り巻き、銃剣を構えた。・・・「いいか1人でも逃げ出したら突き殺してしまえ」・・・50数本の銃剣の林に取り囲まれた老百姓は、不安と恐怖におののいている。「面をかぶれ」小隊長の号令がかかった。皆一斉に防毒面をかぶり、又銃剣を構え直した。「畜生、1歩でもそこを動いたら突き殺すぞ」・・・「準備はいいか」「ハッ、準備終わり」篠原が答えた。
「点火準備」・・・小隊長の声と共に、篠原軍曹が2本の93式中赤筒を老百姓の座っている風上5m位のところに点火準備をした。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
731関連裁判の動向について 和田千代子
(1)『衛生学校記事』の情報公開裁判
②上記の「第2」の事実について若干述べる。
衛星学校は上記「金原資料」について「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」に「金原文庫」を設立し全ての同資料を展示した。1995年に全ての金原資料は防衛研究所に移管され金原文庫は廃止されたが、翌1996年に防衛研究所から一部(金原業務日誌等)を残し、残りの金原資料全部が再び衛生学校に返還された(『衛生学校記事』は同返還資料の中に含まれていた)。
DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
12月16日(水)11:00~になりました。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
秘密の中のBC兵器
確かに米国防総省は、7月22日、米国が海外にガス性兵器を配備していることを初めて認め、沖縄から化学兵器を撤去すると発表したが、復帰協の「毒ガス撤去要求県民集会」が開催された前日の28日夜、米国国防総省スポークスマンは、沖縄にある1米軍基地の1化学兵器が「完全に非武装化され、その内容物は非毒性化された」と言明し、非武器化されたのは問題の起こった1基からガス抜きされただけで、問題の無かった他の兵器が非武器化されたのではないことを示唆した。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅰ
8月18日、内務省は全国の都道府県に対し、国庫からの資金提供による「特殊慰安施設協会」(RAA)を設置するように命じた。ほとんど一夜にして、全国各紙のほかさまざまな媒体に女性募集の広告が掲載され、参加を志願した者全員に食料、衣類、そして宿舎支給される旨を告知した広告を掲載した。RAAの発足式には宮城前広場に群衆が押し寄せ、およそ1500人もの若い女性たちが銀座7丁目 (現在の松坂屋付近)に臨時に設けられたRAA本部の周辺に集まった。彼女たちはそこでRAAの関係者が読み上げた次のような宣誓に耳を傾けたのである。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
火力発電所と原子力発電所のエネルギー効率の違い
もう1つ注目されるのが、クリーンコールと呼ばれる石炭火力の進歩で、石炭の発電効率を上げて、同時に、燃焼による大気汚染を減らすクリーン発電が、現実的に最も急がれている。石炭をガス化できれば、ほぼ1000年分ある無尽蔵の資源からコンパインドサイクルができることになる。日本はクリーンコールで世界トップの技術を持ち、更に開発中である。事実上、日本の発電所では、「CO₂減少のための原発」という電力会社の宣伝文句に反して、電源別の発電実績を見ると、1990年度には10%だった石炭火力が2008年度には2.5倍の25%も増えて、天然ガスと並ぶ主力電源になっていることが、ほとんど知られていない。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
内容
· あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮
· いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に廃絶することが必要
· 核軍備の縮小が倫理上必要不可欠であること並びに国家安全保障上及び集団安全保障上の利益の双方に資する
· 最上位の国際的な公益である核兵器のない世界を達成し及び維持
· あらゆる核兵器の使用は,武力紛争の際に適用される国際法の諸規則,特に国際人道法の諸原則及び諸規則に反する
· 1946年1月24日に採択された国際連合総会の最初の決議及び核兵器の廃絶を要請するその後の決議を想起
· 法的拘束力のある核兵器の禁止
· この条約のいかなる規定も,無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない
· 全ての側面における平和及び軍備の縮小に関する教育並びに現在及び将来の世代に対する核兵器の危険及び結末についての意識を高めることの重要性
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!