「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
石井隊長は軍神か
ハルピン南方20キロの、この平房タウンのすべてを統括していた石井四郎軍医中将とは、いったいどんな人だったのだろうか。私は、私自身が接した隊長の印象を書いてみたいと思う井。
石井隊長は、180センチもの巨漢で、立派なひげをたくわえた偉丈夫であり、車に乗る時はしばしば天井に頭がつかえた。当時隊長車は、米国シボレー、フォードの2台あった。
石井隊長は、いわゆるワンマンであった。たとえば仕度に手間取り、時間に遅れた時などは、電話1本で満鉄の特急を、30分も1時間も待たせることもあった。
また、気が向かないと、監査に来た上層部とも、半日も待たせて会わない。むしろ、上層部の者を小馬鹿にしている風があった。「あの馬鹿ども」と吐き出すように言った言葉も聞いたことがある。一方下級隊員を叱るようなことはなかった。
隊長には男の子と女の子が2人おり、車の中でよく子どものこと、家庭のことなど、当たり障りの無いことを話し合うこともあった。当時将官級の「閣下」というものは雲の上の神様で、近づき難い存在であったため、他の幹部は隊長車の運転を担当する者に遠慮するところがあった。個人的に言いつけられはしないかと思ったのであろう。(明日に続く)
※石井四郎のワンマンさがよく分かる!!石井四郎は、この前に書いたように、お金と女にもルーズだった。(ノブ)
・研究者としての石井四郎(『消えた細菌戦部隊』の「2人の部隊長」常石敬一著:ちくま文庫より)
【・・・こうした研究者としての資質という点に関して言えば、石井にはあまり高い評価を与えることはできない。石井について梶塚隆二は「一流の専門家」だったと述べている。そこで筆者は、石井が具体的にどのような研究をしていたのか知りたくていろいろ探してみたが、石井の論文は非常に少ない。しかもその数少ない論文も共同執筆によるものが多く、石井単独のものはほとんどない。石井が単独で発表しているほんのわずかしかない論文の1つに、「陸軍防疫機関運用の効果と将来戦に対する方針・予防接種の効果に就いて」というのがある。これは1940年に発表されたものである。
その内容はタイトルからも分かるように、学術的研究というより防疫の重要性を説いた自己宣伝臭いものである。・・・】
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
劉宝善(男、61歳)の証言
1937年に家は珠江路111号で、日本軍が南京を侵犯した時、家の人について難民区の女子大学に隠れました。確か冬月の20日ごろに日本軍が難民区に闖入して来て、人々を運動場に集め、良民証を発行しました。男の人を1人1人検査したのですが、私はその頃いつも帽子をかぶるのが好きで、額には帽子のたががあり、しかも手にはたこも出来ていて、日本軍は私を引きずり出して、悪い人だと言い、一方の側に立たせました。その時その場に引き取れる家族のいる者は、放たれました。私はふっとひらめいて、その場にいた魚市街の中華楼菜館を通り越したシャオピン屋さんの後ろに住んでいた隣人の王おばあさん(今はもう世を去られた)に、マー(=お母さん)と一声叫んで、親族の振りをし、やがてその人が私を引き取って家に帰してくれ、それでやっと幸いに難を免れることができました。
叔母の張劉氏は、その時50歳余りで、今の進香河口の一家春ホテルの所に住んでいました。日本軍が入ってきて間もなく捕まって行って強姦され踏みつけにされ、自分として腹立たしくてならず、自殺しました。
2番目の叔父の劉家根は、その頃50歳でした。3番目の叔父の劉家華は、47歳でした。日本軍が来た3日目に捕まって行き、今に至るも音沙汰は全くありません。(井升安と丁亜慶が記録)
※ずっと安否の分からない人はかなりいると思われる。(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
基地をなくして
緑と海を取りもどしてい世界
戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質を垂れ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、実際の戦争だけではありません。 世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700ヵ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。日本にもたくさんの基地があります。 基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件が頻繁に起きています。ひどい騒音もあります。 基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料が垂れ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人々の暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。 軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押し付ける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人々の精神や心理さえもむしばまれてきました。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
731を問う!!
2009年9月5日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
2009年9月4日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
それでも春はくる
ハルピンは遊ぶ所はいたるところにあった。独身の隊員は私服に着換えると、しばしば夜を徹して遊び、朝帰りする例も少なくはなかった。イラスビンという色素をうつと、化膿菌を殺し、性病にかからぬといわれ、よく使われた。しかし、軟性下疳、いわゆるリンパ線のはれる「ヨコネ」になる隊員もしばしばあり、軍医が内緒で医務室に呼んで、処置する場合も多かった。
当時兵隊は、1ヵ月8円80銭ぐらいの支給を受けていたが、朝鮮ピー、満州ピーは1回1円であったから、遊ぶつもりになればけっこう遊べたのである。ピーとは売春婦のことで、日本ピーは1回3円から5円もしていて、兵隊にはちょっと高かった。
各部屋が長屋風に横列に並んでいる売笑窟があり、部屋の前に廊下があって、廊下を歩きながら、品定めをすることができた。朝鮮ピーが20部屋20人で一棟を構成している所があり、その20部屋を総なめにした豪の者もいたと聞いたこともある。
片言の日本語で客引きをしている朝鮮ピーも、考えてみれば気の毒なもので、自ら進んでとか、極貧の中で身を売って家を助けるとかいったものではなく、大部分は、日本軍によってある日突然、家や街頭から強制的に連行され、銃剣によって日本兵士のゆがめられた性的欲望の餌食にされたものであった。朝鮮女性の恨みはまことに深いと言わざるをえない。(明日に続く)
※従軍慰安婦のこれが実態だ!!日本軍によって強制的に連行されたとある。日本軍の関与は明らかにあったのだ!!決して民間の業者だけがやっていたのではない!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
童学義(男)の証言
1937年には私は23歳、家は黒墨村17号で、我が家は姉妹6人でした。日本軍が12月13日に南京を占領してから1ヶ月余り、1日中外であちこちに隠れ、飯すら食べられなくて、仕方なく米を見つけに戻って行くしかありませんでした。ところが曹後村の麦打ち場のそばまで来たら、日本兵2人に見つかり、その内の1人は銃を持ち、1人は日本刀を持っていました。その時私を含めてみんなで5人見つかりました。その日本兵2人が5人を一緒に地にひざまずかせ、私たちに刀と銃との狙いをつけました。不意にヒューとした音が聞こえ、振り返ってみると、麦打ち場から余り遠くないところで犬が1匹撃ち殺されたのでしたが、私は吃驚して気を失ってしまい、身近にいた他の4人も日本兵に銃で撃ち殺されたのです。日本軍は私に物を背負わせようとして、撃ち殺さなかったのですが、後に私は彼らの休んでいるのに乗じて逃げ出して来ました。
1937年の12月に、私は太平門駅の西側に寄ったところで、日本兵2人が20歳くらいの女の人を追いかけているのを見ましたが、その時、史正国という人がその女の人を逃がし、しかも日本兵に「ホアクーニャン(=若い女の人)を探しに連れて行ってやる」と言いました。そこで史正国が日本兵2人にあちこちにやたらと連れて歩いたので、やがて日本兵にも史正国が自分たちをだましているんだと分かり、今の南汽のそばの洞穴まで来たところで、史正国を中に入れ、日本兵は外で藁を燃やして史正国を活きたまま焼き殺したのでした。史正国もあの女の人も私たちの家の門のところの人で、史正国はやられた時まだ40歳前後でした。
弟の童学才は、その時17歳でしたが、日本軍に捕まって行き、今まで戻って来ていません。
(井升安と丁亜慶が記録)
※この場面では、5人に対して審問は行なわれなかったようだ。日本軍の2人に、この女の人もよく助かったと思うが、史正国という人の勇気には正直驚く!!捨て身で日本軍に当たったのか?(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器を使わせない世界
核兵器を全面禁止することこそ必要です。世界のNGOは、「核兵器禁止条約」をつくることを提案しており、国連で交渉を始めることを呼びかけています。
生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人々が出てくる可能性はあります。その時には国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。
ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もちこませない」という「非核三原則」をもっています。
原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみを誰にも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
2009年9月3日木曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ !!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
それでも春はくる
私も妻を連れてハルピンの町に出て、ロシア料理を食べるのが唯一の楽しみであった。植民地下のハルピンのロシア人は、白系ロシア人で、その多くは革命政権を逃れてきた人々であり、タクシーの運転士が元大尉であったり、満系の百貨店のドアマンが、いかにも直立の姿勢が立派で、聞いてみると元連隊長であったりした。
貧富の差が激しく、一般にロシア人の生活は大変貧しかったと思うが、彼らは楽天的に生活を送っているように見えた。働く時は一生懸命汗水たらして働くが、仕事が終ると着換えて、陽気に騒ぎまわる。並木路を歌って歩く姿や、広場で男女腕を組んで、歌ったり踊ったりする風景がよく見られた。植民地でのこと、まだ若く美しいロシアの女が「日本人大好きよ」と片言交じりの日本語で、近づいてくる売春婦にもぶつかったことがある。何かこわくて私は黙ったまま立ち去ってしまったが。(明日に続く)
※ロシア人も革命が起こってから、ロシアの地を追われた人々がいた。異郷の地で貧しいながら汗水たらして働いていた。でも、そこで歌を歌ったり、踊ったりすることで少しでも苦しいことを忘れて、たくましく生きる知恵がロシア人にはあった?
それにしても酷寒の地でロシア人は寒さに強いと思う!!
最近のニュースではロシアでは寒いので度数の高いウォッカを飲む習慣があるが、それを飲みすぎて、アルコール依存症になる人が多く、酔って飲酒運転・殺人事件等の犯罪も増えていると言う。
参考:ロシアの飲酒運転(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
孫瑞興(男、65歳)の証言
父が恐ろしがって、もう私には出て行かせず、私を屋根裏に住まわせました。明くる日、金陵大学でラオパーイシン(一般庶民)がたくさん日本軍に捕まって行ったというのを聞きました。3日目に、どこも死体だが、長江の水面が死体でいっぱいで、みんな漂い浮かんでいると、隣の人が言っていました。中華門外や雨花台一帯でたくさんの人が日本軍に殺されました。城南の住宅区域の家屋が焼かれました。昇州路も焼かれたのが少なくなく、三山街は天をも焦がす大火事で、朝から晩まで燃えていました。日本軍は至る所で婦女をかすめるので、ある家では娘の顔に灰を塗り、災難に遭うのを免れました。ある人はちょっと見に出かけ、日本軍に立ち止まらせられたのを、立ち止まらずに一発で撃ち殺されました。私の従兄(いとこ)も明瓦廊に住んでいて、出かけた時に日本軍に撃ち殺されました。紅卍字会の人達が旗を手に路上で屍を片付け、中華門外へ運んで埋葬しました。(李娜と鄭彬彦が記録)
※南京を日本が陥落させてから、掃蕩を行なった様子である。立ち止まらないと銃で撃ち殺す場面はよく出てくる。(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器を使わせない世界
世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。
広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
2009年9月2日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
それでも春はくる
長い冬の間は、家族は息をひそめるようにして、家の中にいることが多く、窓を開けることができない。空気を入れ替えようとして、窓を開けようものなら、風が吹き込み、たちまち風は霧と化し部屋中部屋中白い竜巻の嵐となってしまうからだ。呼吸器の弱い者は耐え難く、結核に冒される者が多かった。
だから、それだけに一斉に花咲く春の訪れは、待ち遠しかった。春が近づくと官舎に住む者は、待ちかねたように庭へ出て、官舎の中庭に花畑をつくり、あるいはきゅうりやナスを育て、鶏を飼った。野菜類は肥料なしでよいものが取れた。
私のところでも、30羽ほど鶏を飼育して、新鮮な卵を手に入れていた。百日草、ほうせん花、なでしこ、ダリヤなどが官舎を埋めて華やかな雰囲気が生まれる。
長い陰鬱な冬の間でも、ハルピンの町の中は活気があった。
2月、ロシア人の洗礼祭がある。この日は若者が、スンガリ(松花江・・・中国の川の名)に張り詰めた氷を、十字架上に切り取り、この氷の十字架を立て、若者が切り取られた水の中へ飛び込むのである。そして、肌に豚の油を塗りたくって裸でハルピンの町を歩き回って祝うのであった。一般にロシア人は寒さに強く、特に女は薄着で歩き回っていた。(明日に続く)
※ハルピンの冬の寒さは相当なものだろう!!野菜類は肥料なしでよいものが取れた?731部隊がそこに施設をつくる前、そこは中国人の大切な農地であった!!そこを日本軍が勝手に強制退去させ施設を建設したのであった。全くの侵略者だった。追い出された農民は、それから住むところも農地も無くなり大変な生活に追い込まれたのだ!!満蒙開拓団の農地もこのようにしてつくられた。ほとんどの農地は、日本人が開拓したのではなく、中国人が開墾していた農地を日本人が勝手に奪ったのだ!!(ノブ)
満州移民にみる侵略(「アジアから見た大東亜共栄圏」内海愛子・田辺寿夫編著:梨の木舎より)
■土地収奪
農業移民の条件として先ず入植用地の確保がある。1936年(昭和11)年に成立した国策「20ヵ年百万戸送出計画」に備え、41年(昭和16)年4月までに約2000万ヘクタール(日本国内の耕地面積の3倍以上)、満州国土総面積の実に14.3%に及ぶ膨大な用地が確保された。うち既耕地は約350万ヘクタール(昭和17年末)、日本国内耕地面積の過半数に相当する熟地が用意された。買収価格も二束三文であった。この結果、現地住民が居住地を追われる事態が全満各地に発生した。(用地買収を担当したのは日本の出先機関「満拓」と満州国政府である)
元キリスト教開拓団長堀井順次氏はこう述べている。「満蒙開拓は最も具体的な侵略行為」(私信)。現地住民の土地と家屋を奪い時には命までも奪った満州農業移民は、移民とは程遠く侵略そのものであった。
中国東北地区の歴史家によって1980(昭和55)年に刊行された『偽満州国史』は、偽満州国の住民の85%は農民であり、日本帝国主義は最大限の植民による略奪を行なうとともに、人民大衆の土地を横領して侵略勢力を拡大した、と日本が実施した移民政策を「侵略政策」と論述している。また、「開拓政策は侵略と覇権的なアジア経営の1つの手段であることを暴露している」と、大東亜共栄圏の重要な一翼をになった満州移民の本質を鋭くえぐり批判している。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
孫瑞興(男、65歳)の証言
1937年には私は15歳で、私の家は水西門下浮橋、今の第二機床廠 の近くでした。日本軍が南京に攻めてきた時、私の家はすぐに螺○拐湾の難民区に移り住みました。引き移って間もなく、南京が陥落しました。
冬月29日の日に、私の父が自分は年取っているから私を連れてちょっと見に家に帰っても構わないと思い、螺○拐湾巷の角(今の五金公司巷の角)まで来たら、日本軍7,8人が見えたので、私たち急いで曲がり出て行かないようにしましたが、日本軍に呼び止められました。父はあの時もう老いていたので、日本軍は父を放ちましたが、私は留め置いて、それから又住民を10人余り捕まえて来ました。日本軍は私たちの手を検査して、太いかどうかを見、又後頭部をさすり、それに私たちに体操をさせ、右左を向かせて、私たちが兵隊だったかどうかを見、日本軍は手に銃を持ち、私たちにも弾の入っていない銃を持たせて射撃の姿勢を取らせ、兵隊ではなかったとみなした者は、莫愁路に集め、2人ずつ歩かせ、やがて確かに私たちは兵隊ではなかったとみなして放ち行かせました。(明日に続く)
※15歳の子どもまで兵士ではないかと疑われた!!(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
2009年9月1日火曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
悪魔だって
ところが、平房へは1度たりとも慰問団は来なかった。いかに秘密のもれるのをおそれたかが解る。だから隊内で自らの手で工夫し、楽しみを作り出すしかなかったのである。
この部隊の家族全員のために、「平房新聞」も発行されていた。人事課の細谷曹長という人が中心になって、家族の消息、子どもの誕生などこまごましたニュースに、俳句や短歌、生活雑記風なものをまじえ、さらに酒保商品のおすすめ品などものせていた。今で言えば、団地ニュースを出して、お互いの融和をはかったということであろう。
また、時々懇談会を開き、酒を飲むこともあった。軍歌を歌って景気をつけたりしたが、考えてみれば、心の底から笑い、叫び、歌ったことはなかった。とにかく、われを忘れて騒ぎまわることはなかった。泥酔して道端にでも倒れてしまえば、たちまち凍死してしまう危険があったが、やはり、秘密の壁の中で、むごたらしい実験をしている日常の重苦しさを、ぬぐい切れなかったからだと思う。(明日に続く)
※いくら慰安的なことをたくさんやっても、心は癒されなかったろう!!どんな人間でも良心はあるのだから、いくら最新兵器を作るためといっても、人道的に反することをやれば、多少なりとも良心の呵責があったのではないだろうか?酒をいくら飲んでも、心は晴れなかったろう!!
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
金喜栄(男、70歳)の証言
18日目の朝になって、日本軍が又も私を引っ張り出し、どうしても私に「土民の八路」だと認めるように、さもないとスーラスーラティ(首をはねる)だぞ、ということでしたが、私はほんとに適当に言える事は何もないので、何も言わずにいたら、午後になって、外で誰かが私に物を片付けて出て行くようにと叫んでいるのが聞こえたので、私はてっきり引き出されて銃殺されるんだと思いました。そしたら日本軍(旦那様)のところまで連れて行かれ、又も私に「土民の八路」だと認めさせようとし、私が同じように何も言わないでいると、日本軍は私にはほんとに言うべき事が何も無いのだと見て、通訳に命じて言わせるには、今後旦那様がお前の所にいらっしゃったら、ようく刈って差し上げるように、出て行ってからはむやみに話してはなたない、ということで、言い終わって私を放ったのでした。そんな風に私は丸まる18日間拷問されて、身体中が痛くてたまらず、歩けなくて、晩の8時頃までかかってやっとゆっくり家まで戻ったのです。今でも少しばかり寒かったりすると全身が痛んで、綿入れの上着や綿のズボンをみんな身に着けなければなりません。日本軍が私の身に残した障害で、私も永遠に忘れることができません。(井升安と丁亜慶が記録)
※日本の侵略戦争のこれが実態だ!!殺されなくても一般市民は拷問を受けたりして、体に傷をおったりした。大東亜共栄圏とは他国を侵略して、日本が威張る構図だった。決して対等な関係ではなかった。(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
2009年8月31日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ !!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
悪魔だって
平房の1年のおよそ9ヶ月が冬期で、春、夏、秋は、6月から8月の3ヶ月に凝縮され、、その間に夏の花も、秋の花も、花という花は一斉に咲き誇る。
また、長い冬を含む1年間をどのように過ごすか、様々に工夫されていた。運動会は春と秋の2回。武道大会、演芸大会、演劇大会等々。その会場は63講堂で、照明効果設備は立派なものであって、2000人ぐらい入れる広いホールだった。撮影室もあり、映画会もしばしば行なわれた。こんなに地域が一体となって、仲良く暮らしている所は私は今までも見たことがない。
しかし、慰問団が1回も来なかったのは不思議でもあった。
かつて私が入隊したことのある、黒龍江周辺の神武屯の部隊は、文字通り国境の部隊であって、かすかに見えるアムール川(黒龍江)の対岸で、ロシアの女兵士が時々水深を測っている姿が見え、川を越せばプラエチェンスクというソ連領土が見え隠れする所であった。
そんな国境の町へも、時々慰問団がやって来て笠置シズ子や渡辺はま子たちが、私たちに「暁に祈る」という歌なども教えてくれたものである。(明日に続く)
※戦時中の本土の苦しい生活、南方戦線の苦しいすさまじい戦いをしている時の話とは思えない!!731部隊では普段は悪魔の所業をし、余暇の時間にみんなで運動会や演芸大会をやっていたとは?何か戦争の緊迫感があまり感じられない!!部隊長の石井四郎もいい加減な男だった。
その例を示そう。
・腐蝕の培地(『悪魔の飽食』森村誠一著:角川文庫より)
「・・・・・・1942年(昭和17年)7月、石井四郎は第731部隊長の地位を北野政次に交代されている。・・・・だが、この時突然の部隊長解任の理由は、細菌戦の実地指導ではなかった。解任の原因は、部隊の予算流用を含む、膨大な使途不明金が発覚したことにあった。石井四郎とハルピン憲兵隊本部の関与した汚職と公金横領の露見である。・・・・第一は石井四郎が、莫大な公金を遊興費に充てていた疑いである。昼間に熟睡した石井四郎は、夕刻になると副官にも無断で平房を抜け出、新京(長春)から遠く奉天(瀋陽)にまで足をのばし、遊蕩にふけり、何日も帰隊しないことが多かった。・・・疑惑の第二は、出入りの軍需商人と石井四郎との贈収賄である。・・・疑惑の第三は。「丸太(マルタ)」の移送をめぐるハルピン憲兵隊本部、同特務機関との不正な金品の受け渡しである。731にとって貴重な実験材料である「丸太」は、同時に憲兵や特務機関員の絶好の金づるであった。731から「丸太」一体あたりどれほどの“裏手数料”が支払われていたのか、正確なことはわからない。
だが、731に関係していた憲兵や特務機関員の豪遊は当時知る人ぞ知る、公然の秘密であった。 63棟大講堂の建設費をめぐる疑惑に端を発した不正経理の発覚は、陸軍参謀本部の特別査察に発展し、数ヶ月にわたる調査が行なわれた。余罪続出し、連座する者多く、石井四郎に「厳重戒告、部隊長解任」が言い渡された。これが真相の輪郭である。-
口に愛国を唱える憂国の士が、裏へ回れば好色遊蕩、不正腐敗の士であることは、珍しくない。731は不正の格好の培養基であった。もっとも軍上層部における腐敗は第731部隊だけの現象ではなかった。陸士、陸大出身の将官にとって他国は侵略すべき対象であり、軍は自己の栄達を図る手段であり、愛国、祖国防衛の表看板の裏で軍を食い物にしていたのである。・・・」
いつの世でも、甘い汁を吸うものがいる者だ!!
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
金喜栄(男、70歳)の証言
やがて、日本軍は私たちを宿営地まで連れて行き、審問して、私たちに「土民の八路」だと承認させようとしました。私は自分は理髪師であって、「八路」ではないと言いました。彼らは私にむごい刑罰にかけて拷問し、後ろ手にこん棒を担がせ、死なんばかりにいじめ抜きました。審問しても何も出ないと分かって、又私を新たな所に閉じ込めました。3日目に日本軍が又私を審問し、私に「土民の八路」だと認めさせようとしました。私はやはり自分は頭を刈る人間で、「土民の八路」ではないと言いました。日本軍は私がそう言うのを見て、すごいビンタを2つ食らわせました。それからは、毎日1回引っ張り出し、そのたびに後ろ手にこん棒を担がせ、水道の水をぶっかけて目を覚まさせ、厳しく私を拷問し、「土民の八路」だと認めさせようとしました。
母は私が日本軍に捕まったとわかってから、あちこち人にたずねて回り、事情が解って救済を願ってもらえる通訳を探そうと、前後して6人見つけましたが、どの通訳も銀貨10元は出さないと駄目で、その後7人目の通訳さんを見つけ、人に頼んで100元余り払ってもらい、やっと私のために話してみようとと承諾してくれ、母を帰らせて2、3日返事を待つようにとのことでした。(明日に続く)
※何でこんなに査問(取調べ)が厳しいのであろうか?拷問までするとは?査問もされずに虐殺された人もいると思うが?部隊によってやり方に多少の違いがあったのか?(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
2009年8月30日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ !!」
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅲ ああ美しや
※途中、一部を割愛させていただきます。
悪魔だって
私の俸給は雇員の待遇で、雇員になるには軍で兵長以上の資格が必要であり、月給が大体、50円から60円の間であった。それに、残業手当ともいうべき居残り手当てがついて、60円になったと思う。また、マルタを扱う特別班、私たちの運輸班、細菌班などには、化兵手当(化学兵器取扱い手当)よいう危険手当がついた。手当の額は、将校月60円、技手・下士官・雇員30円、傭人20円ぐらいであった。それら諸手当を含めて私は月に約100円ほどにもなった。
戦時中の、内地や中国、南方などにおける前線のすべてが欠乏していた状況に比べると、731部隊の衣食住がいかに豊かであったか不思議にさえ思える。血の嘔吐もよおすほどの酸鼻をきわめたマルタへの相次ぐ生体実験と、暮らしにおける豊かな生活の落差は、一体何であったろう。不平、反乱の根を取り除こうとする意図はあきらかである。ここに、731部隊の秘密が隠されているように思う。 北満の荒野の中の、秘密の一区画は、軍の戦略戦術上、特別に重視された地点で、集中的に膨大な資金がつぎ込まれたのであろう。
火力戦で勝利する見込みもなく、現実の戦いで日々追い詰められてきた。日本軍は、国際法違反の細菌戦にかけていたのかもしれない。(明日に続く)
※給料といい諸手当といい731部隊はその当時の軍人に比べて、とにかく破格だった!!いかに天皇が、軍首脳がこの施設に期待をかけていたかがわかる。莫大な国家予算を投入したのだから!! 最新兵器を早く開発し、対戦国に大きな打撃を与えたかったのだろう!!
隊員たちは破格の待遇の下で、悪魔の所業に良心を殺して励んだのだ!!
大日本帝国が世界に拡大していくことを夢見て!!八紘一宇完遂を目指して!!(現人神天皇を中心の世界を目指す。)(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
金喜栄(男、70歳)の証言
1938年2月29日の夜8時か9時頃に、私が頭を刈りに外出し家に帰ったばかりで横になっていると、耳元で日本軍のツァッツァッという革靴の音が響いて来、私はこれは大変だと思い始め、その時私は1階の入口で眠っていたのを、急いで起き上がり、外に出た途端にビンビンと門をたたく音が響くので、急いで門を開けると、日本軍5,6人くらいが剣を着けた銃を水平に構えて突っ込んで来て、まっすぐ3階へ駆け上がりました。彼らは上から40歳近くの婦人を1人引きずりおろして連れて行ってしまい、明くる日の朝になってやっと送り返されて来ましたが、もう蹂躙されきって人の様はしていませんでした。日本軍が行ってしまってから、その婦人が「私はここには住めません。住んでいたら命すら無くしてしまいそうです」と、私に言いました。私はその人を見てかわいそうで、背負って、金稜女子大学の難民区まで避難させに送るしかありませんでした。
その年の3月に、私は散髪用具を持って三牌楼まで行きましたが、同行したのが14人いました。その時日本軍の一隊がやって来て、私たち14人を一緒に縛り、1人1人を一遍検査してから7人放ち、私たち7人は「土民の八路」だと言いました。(明日に続く)
※中国戦線でも女性はよく強姦された!!特に南京戦では規律が乱れていたため頻発したと言う。(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」
これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!
フォロワー
ブログ アーカイブ
-
▼
2024
(380)
-
▼
11月
(31)
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- クリスティン・パイパー×川村一之 731部隊を語る(録画講演)
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 【柏崎刈羽原発再稼働を問う県民投票の実現に全国からご支援を】
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 12.8 ビデオ学習会(ABC企画委員会)
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
- 核・戦争のない世界!!
-
▼
11月
(31)
自己紹介
- ノブ
- 新しい自分を発見中