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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない
「あなた方は、そんなひどいことをして・・・・、中国へ行って誤ってください」
おかっぱ頭の女子高校生の熱気を帯びた厳しい眼差しに、私は思わずたじろいで、言葉を失ってしまった。
それは1982年7月7日、長野県の松本勤労福祉センターで開かれた「日中不再戦の夕べ」で同じ731部隊にいた小林寿雄さんとともに証言に立った時のことである。そこで私は『悪魔の飽食』(森村誠一著)の舞台となった関東軍防疫給水部本部第731部隊の元隊員として自分自身が見たり、手を下したりした幾つかの‘実験’をありのままに話をした。
確かにいままでも、戦争という「公認の殺し合い」の中とはいえ、731部隊が犯した罪は決して消えないと思ってきたが、その女子高校生の率直な問いかけに、改めて'私の罪'の重さを感ぜずにはいられなかった。しかしまた、私はその女子高校生を見て、再び語り始めた。(明日に続く)
※日本での戦争の話では全国の多数の都市が襲われた米軍の空襲の話であるとか原爆の悲惨な体験談などが多い。日本での被害の話が多く、戦争のことを記憶するために造られた各地にある平和資料館などでも戦時中の日本人の暮らしぶりなどを主に扱っている。日本が中国や東南アジアでどんなことをしてきたのかを語る人々はわずかな人たちだけだ。あの戦争は侵略戦争であったことを日本政府も少しずつ消し去ろうとする勢力の台頭も気になる。教科書などにも少しずつ、加害のことが消されていく現状だ。もし、自分が日本軍の兵士であったとして70歳~90歳ぐらいであったなら過去に犯した罪を果たして語るだろうか?それまでも苦労して生き抜いてきたのだから勘弁してくれ!と言って何も活動などしないのではないかとも思う。
越さんは、本当に反省して語りだしたのどろう。やったことはすごい悲惨なことであるが、それを反省して告白する勇気には感銘を受ける。人間自分の過去のいやなことは忘れたいと思う人は多いのではないだるか。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
張恒順(男、76歳)の証言
1937年の冬に、日本軍が入って来て間もなく、私が上乗庵のところまで行って、日本兵1人と出くわしたところ、その日本兵は片手で私の衿(えり)をつかみ、もう一方の手で銃剣を抜こうとしたので、てっきりこれで死ぬしかないと観念したのですが、何と日本の銃剣には曲がったぼっちがあって、直ぐに抜けなくて、私の衿をつかんだ手を離し、両手で抜こうとしたので、その隙に私は懸命に走って逃げ、それでやっと一死を免れたのでした。その後、私は沈挙人巷の避難所に住まうようになったのです。(周秀英と朱月娥が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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731を問う!!
2009年7月26日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
2009年7月25日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」
(昨日の続き)裕仁と親しいつきあいをした人々のうち、あまりに多くの人たちが、その計画の規模に気づいていた。結局、彼はこの政策についていくらかのことを聞かないわけにはいかなかった。そして、最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行われるものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
それでも、天皇を扱うに際しては公平を期すために、裕仁は絶対君主でなかった旨を繰り返しておくべきだろう。石井や参謀本部は戦後、逆の主張をしているが、天皇は、たとえそれが攻撃的なものであるにしろ、防御的なものであるにしろ、細菌戦の研究の中止を断固として命令することは決してできなかった。彼は基本的に国家事項については受け身的な役割しか果たさなかった。さらに、はっきり言える事は1930年代から第二次世界大戦中にかけて一貫して陸軍を支配してきた狂信的な軍国主義者たちは、もし仮に裕仁が向こう見ずにもそのような命令を下したとしても、細菌戦研究の中止を命令するような勅令には従わなかっただろう。軍国主義者たちはすべてを犠牲にしてでも使用可能な細菌兵器を作り出す決意を固めていた。彼らは、文民の生活を送る誰の願いに反するものだとしても、それが天皇の意志に背くものだとしても、この計画を進めたであろう。
しかし、今日使用可能なすべての証拠を見てくると、この章の冒頭に掲げた疑問は次のように読み替えるべきかもしれない。-戦前および戦中の日本の支配層にいたエリートのうち、誰が細菌戦の計画について知らなかったのだろうか、と。(以上、引用終了)
※細菌戦の計画については軍部の者たちはみんな知っており、石井の講演を聞いた天皇も感心して強力にその兵器開発を後押ししたのではなかったのか。それゆえ、東京の陸軍軍医学校と平房の巨大施設を飛行機で何回も往復し、また、たくさんの施設がよく連携したネットワークで結ばれ、全国の帝国大学の医学部の協力を得ることが可能であった。私は天皇は決して受け身的な存在などではなく大元帥として、積極的に自らも関心のある生物兵器や細菌兵器の開発をバックアップしたと思う。敗戦濃厚な時期によく天皇が「もう一度戦果を挙げてから」と執拗に反撃の機会を期待した裏にはこの兵器に賭けるものがあったのではないかとも思う。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
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731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
劉登学(男、72歳)の証言
1937年の12月13日午前9時ごろに、私は李成東と一緒に家を出たのですが、三茅宮7号の門外で、私たちはこの目で、お婆さんが1人日本兵にその場で刺し殺されるのを見ました。日本軍が2人を見つけて、検査し、李成東がねずみ色の綿布のチョッキを着ていたので、お前は中国兵だと言い、銃剣で李を続けて3太刀刺したので、李はその場で日本軍に刺し殺されました。私は何も疑わしい物は見つからず、それで生き残れたのですが、その時は死ぬほど吃驚しました。それと、1938年の1月に、兄が富城橋で日本兵に打たれ吐血して死にました。(周秀英と朱月娥が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年7月24日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」
(昨日の続き)けれども、不穏な疑問がまだ残っている。天皇は人体実験について知っていたのだろうか。答えはおそらくノー、である。結局、彼に細菌戦研究のきわめて詳細な部分まで伝える必要はなかったのである。もし、質問があったら、彼は細菌戦研究の進展について一般的な話を教えられることはあったろう。細菌戦の研究における発展は奨励するが、マルタの運命については知らない、これがこの君主を理解する際に重要なポイントである。 裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。もし内藤良一の言葉を信じることができるならば、参謀本部は、このことに留意して、「生物戦に関する作業を攻撃の準備のためのものだというべきでない、と主張した。彼らは、細菌戦に関するすべての事業を純粋に防衛的なものであると説明した」。(明日に続く)
※私は全く信じられない。天皇はマルタのこともそこでどのようなことが行われているかもおおよそは知っていたと思う。日本人が当時中国人をチャンコロと呼び、軽蔑していた。政府がそのような教育をしていた。天皇も日本人は優秀ですばらしい民族であると自負していた。当時の小学校の教科書を見ればそのことがよく解る。天皇は世界に冠たる大日本帝国を作るために最新兵器の開発に力を入れ手段を選ばずいろいろなことを奨励していたのではないか?何と言っても石井部隊や若松部隊は1936年勅令によって設立されたのだから。
内藤の発言にも疑問符である。防衛的なものであるはずがないではないか。実際中国では細菌戦を何回も行い、最初のノモンハンではその行為に対して天皇の玉璽まで押してある政府表彰をしたのだから。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
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731部隊
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
樊宝君(男、74歳)の証言
1937年の12月13日に、日本軍が南京に侵入し、我が同胞対し残忍非道なる大虐殺を展開しましたが、私たちは家中で避難し上海路の難民区に逃げ込みました。12月26日の午後、仲のいい友達2人と遊びに出かけたら、日本兵3人に捕まり物を担ぎに長江路まで行かされました。やがて放たれ、家に帰る道で、また2度目に捕まり、私たち2人物を担いで雨花路まで行く時に、日本兵が後ろを歩いていて、私の後ろの物を担いでいる同胞を、銃剣で突っつき殺して地に倒し、ちょうど私を突っつこうとした時に、機に乗じて物を置き去りにしたままいち早く駆け出し、日本軍が後ろから追いかけてきて、私が人の家に潜り込み、ベッドの下に隠れたら、日本軍が追いかけてきて部屋に入り込み主人に人を出せと迫りましたが、その主人が日本語で「誰も入って来ないよ」と言うと、日本兵は行ってしまいました。こうしてやっと私は九死に一生を得たのです。
難民区では、日本兵が婦女子をたくさん難民区から捕まえて行き、防空壕の中で獣のように強姦をやったのを、私はこの目で見ました。(張連生と金桂珍が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年7月23日木曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」
(昨日の続き)裕仁は、熱心な科学の学生であった。彼の海洋生物学への情熱は、よく知られている。批評家は彼の科学的な関心が海洋性生物学をはるかに超えたところまで進んだと非難する。彼らは天皇が、そのキャリアの初期において、病気をもった菌や細菌、さまざまな培養組織の研究に興味を持つようにもなったと主張する。ある批評家は天皇が資金を出した機関や彼が助言者たちに語ったコメントから、「彼が科学を実用的な道具、戦争の為に必要な道具として信奉していた」、そしてこの道具には化学兵器および細菌兵器が含まれていることは明らかであると主張する。別の批評家は、「最近機密扱いからはずれた書類が疑いなく明らかにするところによると」裕仁は「個人的にそのセクション〔731部隊〕の研究の進展を監視していた」とはっきり断言している。
これらの極端な非難は、現時点では実証できない。ワシントンDCの国立公文書館もしくはアメリカの他の公文書館、中国のとう案館において、現在入手することができる機密扱いが解かれた文書は、この主張をサポートしない。もし、より強力な証拠が浮上しなければ、これらの非難は、証明されないまま終わってしまう。(明日に続く)
※前にも書きましたが日本はというか大日本帝国は敗戦直前から直後にかけて大量の機密書類を焼却し、証拠隠滅をはかった。また、現在機密扱いが解かれていない国内外の文書は外交上の制約などがあり、天皇に戦争責任が及ぶと判断される資料は公開しないのではないかと思う。これだけ、大きな実験施設を作ったのだから、天皇はこの施設に関心が大いにあり、情報をいろいろと聞いていたに違いない!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
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・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
王保華(男、80歳)の証言
1937年に日本軍が南京を占領した時、私は23歳でした。一度、日本軍の関所での検査を通ろうとした時に、母が私に買ってくれた灰色のズボンをはいているのを見つけ、私は中国兵だと言って、その罰にと地上に2時間もの間ひざまずかせ、衣服を全部脱がせて、上も下も一糸まとわぬ姿にし、それに日本軍は大きな竹で私をひっぱたき、身体中が魚のうろこみたいにはれてしまいました。
その他、奎頭巷の兵工処、つまり鉄管巷の斜め向かいで、若い夫婦が、日本軍に男の目玉を両方ともえぐり出され、女は引きずられて行ったのをこの目で見ました。(梁春栄と盛桂蘭と馬秀英が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」
これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年7月22日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」
(昨日の続き)裕仁は勤勉な支配者であった。彼は軍事に関する彼の助言者たちとほとんど毎日話し合いの機会を持ち、熱心に彼らの報告書を勉強したことで知られている。彼の軍事に関する詳細な情報への関心が飛躍的に増したのは、日本がアメリカとヨーロッパの植民地に攻撃を仕掛けてからだった。
天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトの為に、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第二次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地及び多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食いつぶして機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたのなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議もない。(明日に続く)
※天皇は戦争に勝利するため、武器研究の開発を731部隊やその他の関連する部隊に託していた。そのために莫大な国の予算を731部隊やその他の関連する部隊に投入した。そしてそこでどんなことが行われているかもおおよそ知っていたのではないかと思う。敗戦直前の731部隊の逃亡劇をみてもそれがうかがえる。証拠隠滅に必死だった。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
趙徳宝(男、65歳)の証言
日本軍が南京を占領した後、一度私は南京の石鼓路で、賈という人が、米を担いで難民区へ行こうと、歩いていて日本軍に銃剣でその場で刺し殺されたのを見掛け、その後また銃剣でのどをねらってきたのですが、その時ちょうど日本兵の上官がその日本兵を呼んだので、私は幸いに一死を免れたのでした。(劉向軍と呉又梅が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
軍隊のお金を
みんなの暮らしのために使う世界
世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年7月21日火曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」
(昨日の続き)石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。(明日に続く)
※日本軍がソ連軍に大敗を喫したノモンハンでなぜ石井部隊を天皇は表彰したのだろうか?常石敬一著『消えた細菌戦部隊』にはその時のことがこう書いてある。(p64~66)「果たしてノモンハンでは、小規模でかつ成果は乏しかったようだが、細菌攻撃が石井部隊によって行われていた。こうして石井部隊は、衛生部隊が後方にいて浄水等の供給だけをする部隊ではないことを示した。すなわち戦闘兵科と同じ、人殺しを大量殺人を行いうることをはっきり示したのである。・・・・・感状の件に戻れば、それが与えられたのは衛生部隊も第一線での戦闘に加わることができる、すなわち細菌は兵器として利用できる、ということを軍中枢部が確認し、承認したことを意味している、と見てよいであろう」
以上のように、天皇もこれからの戦争において、細菌兵器の開発が必要だと認めて表彰したのだろう!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
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ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
荘永仁(男、72歳)の証言
1937年の陰暦冬月6日に、私と隣人の2人が国民党の部隊88師砲兵連に引っ張られ運輸の雑用をやる軍夫にされたのですが、その場所は三聖殿(今の正学路小学校)でした。冬月11日の朝部隊について和記洋行まで行ったら、その時日本軍がもう南京を占領したと聞き、守備部隊はもう秩序が乱れ、武器を捨てて東へ西へとそれぞれの道を行っていると聞いて、私と隣人の2人も家に戻ろうとしました。陰暦冬月13日の午前中、高橋門公路を横切った時、日本軍2人に出あいました。私は孝陵で床屋をしていた中国人(日本語が解る)と一緒に、その日本軍2人に捕まり、瞻園の日本軍営舎まで引っ張られて飯を炊いたり茶碗を洗ったりの雑事をさせられ、みんなで40日やりました。その間に日本軍のお供で5,6回出かけたのは、日本軍が肉や野菜などを手に入れに中華門一帯へ行くのに道を知らなく、私が道案内するためで、雨花路や正学路などを通った時、何10体もの平民の屍が地上にごちゃごちゃに転がっていて、誰も片付けていないのをこの目で見ました。臘月の23日になって、そこの日本軍が蕪湖へ移駐するというので、私たちが家へ帰るのに通行券一枚書いて放ちました。家に帰って初めて、一番上の兄の荘永昌が日本軍の南京占領2日目に、家で日本軍に撃ち殺されたのを知りましたが、死んだのは29歳で、兄が殺された時、母が家にいたのです。上の兄が殺されてから
40日、屍は中庭に放ったらかしにされていて、私が家に帰った後になってやっとその屍を埋葬したのです。(上の兄の荘永昌は脚の障害で、歩くのが不便でした)。(肖中煌が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
軍隊のお金を みんなの
暮らしのために使う世界
1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。
世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年7月20日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より
10章「誰が知っていたのか?」
(昨日の続き)石井部隊も若松部隊も1936年に勅令によって設立されている。天皇の玉璽など実際には裕仁の下役が問題を好きに決定して、何千部もの書類に押されているといって、この行為の重要性を見くびるものもいる。裕仁は1926年に皇位に即位する前でさえ、化学兵器や細菌兵器に強い関心を示していたので、これらの部隊がどのようなものになろうと意図しているのか知っていたはずである、と論議する人もいる、軽く見られてはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされたときに陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
天皇は、石井を個人的に知っていた。天皇は彼に、1930年代に少なくとも2回公式の席で会っている。その内の一度の会見の際、石井式濾水機もデモンストレーションを行いつつ、石井のやってのけたいくらか奇抜なパフォーマンスは、裕仁に後々まで強い印象を与えたに違いない。石井は天皇に、濾過された飲用水に変わった尿を飲むことを求めたのである。(明日に続く)
※昭和天皇の勅令つまり命令で石井部隊も若松部隊も設立されたことの意味は大きい。
天皇は石井の話にすっかり感心し、細菌兵器・化学兵器の開発に莫大なお金をつぎ込んだことがわかる。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
徐吉順(男、76歳)の証言
1937年に日本軍が南京を占領しましたが、私はその時29歳、その年に結婚して間もなくでして、私と兄弟とで楊公井34標の住まいで靴の細工場をやっていました。日本軍の飛行機が南京城内に爆弾を落としていた時、私たち家中で門西集慶路の妻の母の家に移りました。そこも住むのに安全でなくなったので、我が家は又中山北路の大方巷側の難民区に身を寄せました。
日本兵が南京城に殺到したその日の午後、陰暦の冬月11日、つまり1937年12月13日に、難民区にやってきた人がみんなに出て来て大通りに立って日本兵を歓迎するように指図しました。私が強いられて出て来たら、日本兵(恐らく電線を架設する通信兵)たちが私たち兄弟3人(私本人と徐吉慶と徐吉祥)をみんな捕まえて、電線を持ち上げる手伝いをさせにやりました。三牌楼まで行ったところで、日本兵が学生服を着ていた中国の青年を1人見つけ、すぐ銃を構えて殺害したのを、この目で見ました。また薩家湾まで来た時、そこに白いワイシャツを着た中国人がもう2,3百人人いて、みんな後ろ手に縛られ大きな道の脇にひざまずいているのが見えましたが、明くる日その人たちがみんな日本軍に銃殺されたと聞きました。
私たち兄弟3人は電線を担いで、日本兵に付いて興中門に行きました。かなり暗くなっていて、日本軍が休憩に入った時を見計らい、やっと逃げ出して来ましたが、道にいっぱい日本軍に殺害されたラオパーイシン(=庶民)の死体が転がっているのが見え、私たち難民区に逃げ戻って来て、何とか生き残れたのでした。その時のあれこれを思い起こすと、日本帝国主義への恨みがほんとに胸いっぱいになります。
旧正月が過ぎて間もなく、私は34標の以前の家へちょっと見に戻ったのですが、道を歩いていて、特に新街口から鼓楼までの街路に、東側に1つ屍があったと思ったら西にも1つで、少なくとも30何体かの屍があり、それに混じって2,3匹馬の死体もありました。家に帰ったら、窓の戸が開いていて、家の中は物が一切合財みんな略奪されていました。(孫安彬と劉静雯と宛仲秀が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」
ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
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