2022年1月14日金曜日

細菌戦の系譜!!

                 

























































首相の伊勢神宮参拝反対!!
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

1217日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―




ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために

太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿 

 被災船員の健康対策を怠った原爆症調査研究協議会 

なぜ日本の漁船員の被災がこれほど徹底して隠され続けたのか。その背景には、第5福竜丸以外に被災船が拡大することを警戒した特殊な政治的な理由があった。1954年3月24日外務省で、日米双方の最高医学陣に外務、厚生省等が参加した会合が開かれる。この会議には米国側からABCCの所長のモートン博士の他、アイゼンバット博士(米原子力委員会保健部長)、米極東軍陸軍大佐、海軍大佐も参加し、日本の厚生省からは小林六造(予研所長)、小島三郎(予研副所長)らが参加している。その後、アイゼンバット博士は、アメリカ国務省に「日本における福竜丸の汚染と関連する諸問題:予備報告書」を送っている。その中で小林六造(予研所長)を連絡窓口とし、数回の接触が記載されている。特に、第5福竜丸乗組員の尿調査について、東大病院入院乗組員2名の尿の提出分析と5名が遅れて追加されたが、第1病院入院中の16名の患者のサンプルをまだ受け取っていない、と注文を付けている。 原爆症調査研究協議会は、ビキニ水爆実験による船員の放射線被災データを分析する立場にいながら、日本のマグロ漁船乗組員の内部被ばくの実態を隠蔽した。また、久保山無線局長の死体解剖と肝臓の提供などに関与する立場にあり、アメリカの核実験による人体影響調査に協力する姿勢をとり続けた。この原爆症調査研究協議会に3名の元731部隊関係者がふくまれていた。これらの人々 は、731部隊が戦時中果たした責任をアメリカに免除してもらうことと引き換えにアメリカの核戦略に協力した。「協議会」環境衛生部会委員に任命された宮川正は、12月22日、食品衛生部会で「マグロはもう大丈夫」と発表。25日厚労省がマグロ検査の中止を決定、29 日にマグロ検査の廃止を閣議決定となるが、このマグロの放射能汚染検査打ち切りの判断を下した中心人物と言われている。1956 年3月16日衆議院外務委員会参考人として参加し、宮川は第5福龍丸以外の日本人の被災について、第8順光丸等の乗組員が急性白血病で苦しんでいたにもかかわらず「これといって目立った放射線障害というものはおそらく無かっただろうと思います」と推論を展開している。 




水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与したより


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置







黒い太陽731(1)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??


実験医学雑誌第18巻雑報


18巻10号(1934年)

学友会へ寄付

金60円5銭也       宮川米次

金16円68銭也       工藤正四郎君

金25円30銭也       中山二郎君

金100円10銭也     保坂直人君


昭和9年9月中職員異動調

昭和9年10月4日 伝染病研究所


発令月日   異動事項                                     官職   氏名

6.30    昭和9年6月30日付願研究生退学の件許可す       山川義信

9.1     昭和9年2月1日付願研究生入学の件許可す      矢田興久

〃        昭和9年2月21日付願研究生入学の件許可す         井上喜市

〃      昭和9年2月28日付願研究生入学の件許可す       八田善保

〃      昭和9年6月19日付願研究生入学の件許可す       藤田忠夫

9.5      伝染病研究所業務を嘱託す                軽部彌生一

9.6      中華民国へ出張を命ず               教授   三田村篤志郎

9.11      昭和9年9月11日付願研究生継続の件許可す       内田顯義

9.12     伝染病研究所技手           海軍軍医大尉正七位   進藤宙二

9.15     朝鮮へ出張を命ず                            技手   大山西一

9.17     南洋諸島へ出張を命ず                          嘱託   安川隆




  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

当事者目録(別紙1)

原告ら訴訟代理人

弁護士 小野寺利孝

同   角尾隆信

同   加藤晋介

同   鴨田哲郎

同   川上理

同   楠本敏行

同   近藤博徳

同   斎藤驍

同   斎藤豊

同   坂口禎彦

同   酒向徹

同   佐竹俊之

同   白谷大吉

同   高橋融

同   高山俊吉

同   竹之内明

同   辻惠

同   津田玄児

同   中西一裕

同   中根洋一

同   西畠正

同   長谷川直彦




731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

四月二二日

午前六時起床 晴 風なし本当に春らしい日だ 最高が弐拾五度もあるんだもの 巡察あり

こんな日記の書き方に日を書き入れるのは変なようであるが 致し方ない。のんびりした巡察になった。

小東大河の巡察ではあるがまたとない晴れやかな心持だ。つくし刈でもしたいくらい道端一面に出ている

ほんの二、三日の間に道床の所々にモグラのような穴が開いている。服部が一生懸命追う

今にも線路上に上って来た小型のリスを約一町、しかしリスの敵ではなかった。空しく逃げ込んだ巣を眺める外いたし方がない。


小東大河の途中に丘状をした丘が 北から南にかけて一つの頂をなしている。その線であるべき丘の上に陽は今地平線沈む頃 二頭立ての小さい馬が 農夫のふりあげる鞭によく働いている。写真にとれば砂漠式に果てしなく見えるであろう 山の土地・・・無骨一点張りであるべき兵隊も 此の可憐な馬の労働やこれを指示する農夫 動く土 之に来る日の赤い光 大平原・・・名画ではなかろうか 詩?

満州の心が此の絵の中に跳って入るのでなかろうかしら・・・何かしら淋しいような 発見した喜びのようなものを考える こうしたゆるやかな平和の仕事を見る時に頭に浮かぶのは故郷 それはあまりにも当然ではあるが、本当に初めての様に懐かしいのだ。



軍都広島での物語

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
                                              

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・


丸山茂

8604部隊


(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。


難民を細菌で虐殺
 

死亡者は、省政府の役人がどっかに運び出して埋めたらしいんですが、しまいには埋める場所がなくて、死体を重ねて埋めて、死体にかける土もなくなったと、こういう具合にMが話しました。ですから相当の人数の者があの辺に埋まっていると思われます。


●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北


2 華北

4 山西


遠山哲夫自筆供述書(1955年)

頭の左右と上部には合わせて7本の太い注射針が差し込んであり、切口には明らかにメスで切断した跡があった。私は思った。「こんなことは、普通の場所ではできなことだ。腕を磨くいい機会だ」。私はやや皮肉な微笑を浮かべながら、膿盤ごと頭部を治療台に載せた。まずその顔を下に向けて置いてから撮影し、それから側面を撮り・・・、最後に頭部の切口を上に向け、頭頂部を下に向けて撮影した。



 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相

 毒ガス戦を遂行した中国戦線の日本軍には、以上のような深刻な問題が伏在していたのである。これまで見てきたことをまとめてみると、対ソ戦の準備を進めつつ、中国側の旺盛な抗戦力に直面しながらも長期化した日中戦争を継続するために、①貧弱な装備・補給能力(特に火力・弾薬)を補い、歩兵中心主義・白兵主義の弱点をカバーする必要性、②装備や兵員・指揮官の資質が低い部隊に攻撃力と防御力を与える必要性、③兵力の消耗を抑える必要性が生まれ、これらを解決する有力な兵器として中国戦線の日本軍はくしゃみ性・嘔吐性ガスを中心とした毒ガス兵器に依存し、日中戦争の拡大とともに毒ガス戦は熾烈さを増していったと考えることができる。

 このことは、参謀本部がどのようなタイミングで毒ガス使用の許可の指示を出しているのかを分析するとより明確になる。最後にこの問題を検討してみよう。 

 



第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第8章 無辜の被害者

河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件


九死に一生を得た生存者、范羊羔の回想

范羊羔の父方のいとこ、范庚羊は当時、村の武装委員会の主任だった。山で人々の避難を指揮していた、老虎洞にはいなかった。彼は日本軍が洞に毒ガス弾を投げ込んだことを知った時、人々を救うために駆け付けたが、既に敵は現場を離れてしまった後で、時は既に遅かった。以下は彼の回想である。

我々は老虎洞から退却するしかなかった。1日おいて、私は再び洞に入り、死体の始末にかかった。どの死体も誰が誰だか判別できない。動かすのもはばかれるほど、死体は腐乱しており、つかもうとすると肉が崩れて骨が手に残った。その死に様から見て、人々はガスでいぶされると、我先に奥に向かい、人が人を圧しつぶし、重なり合ったのだろう。あまりにも悲惨な情景であった。老虎洞において、わが無辜の民衆150余人が毒ガスで殺された。我が家だけでも6人が死んだ。私の祖母、母、嫁、兄弟、弟の嫁、そして私の4歳の息子も。」(『河北惨案史料選編』)


SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)


三神高(みかみたかし)
教育助手 伍長
〈旧部隊名〉独立歩兵第42大隊歩兵砲中隊



 どうしたことだろう、このむごたらしい兵隊たちの仕打ちの中で、この農民の顔にかすかな微笑みが浮かんだ。だが次の瞬間、みるみる頬をこわばらせ、天空を見つめた。
「孩子啊・・・你一定要復仇吧(我が子よ・・・お前は必ずこの仇をとってくれ)」
その眼に大粒の涙が光って今にもこぼれ落ちそうだった。
≪殺される寸前というのに、なんだってこんなに落ち着き払っていられるのだろう≫三神は恐怖にかられ、破れ軍靴で肩先を蹴りつけたが、弾みを食ってひっくり返った。まるで子犬が吠えたてて獅子に飛びかかったような格好に、取り巻く真っ黒い髭面がどっと大声をあげて笑った。
三神はしまったと思ったが間に合わなかった。
「馬鹿野郎、勝手なまねするねえ」分隊長の雷のような声が、チョビ髭の顔をうかがいながら怒鳴りつけた。
≪なんて情けない奴だ≫と自分で自分を戒め、引っ込もうとするのを、今度はチョビ髭教官が椅子にふんぞり返ったまま、でっかい口を開けて怒鳴りつけてきた。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 


 

(来年1月も証人調べが続きます)   

第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定

第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

1 軍令事項

軍政と軍令

ブルジョア古典兵学以来、軍事に関する活動は、2つの分野に分けて考察されてきた。その1は戦力の創造、育成、維持の分野、つまり軍政事項、自衛隊用語では防衛力整備の関係であり、その2は、こうして建設された戦力の使用に関する分野、つまり軍令―作戦用兵事項である。後者について自衛隊では、たんに行動または作戦、あるいはオペレーションの関係と呼んでいる。米軍はoperationの用語を「軍事行動一般を称する場合のほか、兵站又は訓練を遂行することにも使用」している(陸幕訓練資料『用語集』。陸海空自衛隊に共通する公式用語とその意義を定めた『統合用語教範』(68年3月、統合幕僚会議)は、「作戦〔行動〕」を次のように定義している。

1 広義には軍隊〔自衛隊〕が与えられた任務達成のために遂行するあらゆる軍事行動をいう。

2 狭義にはある目的を達成するまでの一連の戦闘行動をいい、捜索、攻撃、防御、移動、機動等及びこれに必要な補給活動を含む。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

4、日本本土も汚されている

メインテナンス職場の病気

 ところが相模原労管などの調査でも、溶接に使用する材料などからは、カドミウムらしいものは検出されないということで原因不明のままになっているというものである。

 これに対して全駐労は、症状が神経ガスまたはその他の化学剤による中毒症状ではないかとして、さらに精密な調査を進めている。このメンテナンスの職場は、人肉の付着したM-113型戦車の修理をして話題を撒いた通り、ベトナム戦争で毒ガスに汚染した戦車がそのまま運び込まれていないという保障はない。



 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



監修者あとがき    2002年10月  吉田裕

昭和天皇の戦争帰任の問題については、国民感情と政府の公式見解。あるいはマスコミの論調との間に、微妙なずれが常に存在し続けてきた。国民感情の面でいえば、一方で、昭和天皇に対する強い巣系の念や、同時代を生きた人間としての共感が幅広くみられる。しかし、その反面で、この問題に関して深いわだかまりを抱き続けてきた人々が、数多く存在しているのも事実である。一例をあげるならば、天皇の死去直後の1989年1月に行われた朝日新聞社の世論調査では、天皇に第2次世界大戦の責任が「ある」とする者=25%、「ない」とする者=31%、「どちらともいえない」=38%、「その他・答えない」=66%であり、「ある」と「「どちらともいえない」の合計は、63%にも達する。

 それにも関わらず、日本政府は、昭和天皇の戦争責任を一貫して否定し続けてきた。また、マスコミでも、天皇の戦争責任の問題を正面から追及することは、長い間、タブーとされてきたのである。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?



核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アメリカ合衆国

その他の核実験

1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。


核実験の人体実験


<a href="https://www.youtube.com/watch?v=yVlnVNSgHJA">水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)</a>

<a href="https://www.youtube.com/watch?v=f_2ps6RIR9U">「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】</a>





 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。



           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!























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