2021年11月10日水曜日

細菌戦の系譜!!

             














































11月13日(土)~22(月)はお休み!!

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」




加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん





今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)

●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)

11月16日(火)18:20~(開始予定)

「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)

「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」

11月17日(水)18:20~(開始予定)

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円



2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月1日(日)
・731は本当にいつまでも過去にならない。現在の課題にいつも関係することに鬱々とする思いです。何であれ、記録と検証、そして責任所在を明確にする必要を強く感じます。
(男性、60代、市内)





















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                 







                 







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1) 
栗原 敦
知 ら れ ざ る 戦 後 薬 害 第 1 号 事 件 


現在の問題意識 

<田井中克人さん>

 「人間、歳をとると色んな人に『生かされている』感覚。亡くなった子どもの犠牲の上に今の我々の生がある、という思いだけで行動している」 田井中さんが予防接種を受けたのは、1歳2 ヶ月の時でした。 意識を失い、マヒが残るほどの重症でしたが、回復してからは、あえて家族も話題にすることはなく、そのまま歳を重ねました。ところが、数年前、父親の遺品の中にある書き込みを見つけ、改めて意識するようになったのです。

~田井中克人さんの父親の「備忘録」より~ 

『克人ジフテリア注射』

「幼子の予防ジフテリア注射の時、ワクチンに何か混じっていたのか、不明な液が注射され、 小児マヒ状態のようになり…。危篤状態は再々あったが…、命は取り替し…。その時の父母の 喜びは言語では表わす事は出来ない」 

<田井中克人さん>

「これを読むと、自分が思っていた以上に大がかりな事件だと感じたんです。自分も『本来ならば死んでたのではないか』という思いですね」 

新聞記事を集め、文献を読みあさるうちに事件の姿が見えてきました。被害の原因は、消毒(無毒化のことです─引用者注)が不十分でジフテリア菌が残ったままのワクチンが、ズサンな検査をすり抜けていたことでした。まず、汚染されたワクチンが使われた京都府で子どもが次々にジフテリアを発症し、その後も注射を継続した島根県で被害が拡大しました。ところが、裁判では製薬メーカーの社員だけが有罪になり、検査の責任を負うべき厚生省への追及がなされないまま、事件の幕引きが図られていたのです。





 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置













 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第18巻雑報



18巻2号(1934年)

所長就任のご挨拶と職員に対する希望

宮川米次

1,誠意と努力とを以て職責を尽くしたい

所員諸君も誠意と努力をもって、各々その職分を御尽くし願いたい。要領よく、体裁を繕うて、ごまかすことは大の禁物であります。即ち我々は、日常の作業を為すのに人格的であらねばなりませぬ。ここにおいて人格養成が誠に大切なこととなります。たとえいかに高位につき、社会的に、物質的に恵まれたとしましても、その人に人格が伴わなかったとしたならば、実際に何ら敬うべき価値はないのでありまして、沐猴に冠する如しというものであります。学問をし自己の見識を高めるとともに必ず伴わなくてはならないのは人格の養成であります。人格の下劣のものに、学問をさせると却って社会の毒になる。我らの伝研においてはその種の人は1人も要らないのであります。

 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)

(2)まず、国会の立法不作為について検討する。 

日本国憲法が採用する議会制民主主義の下での国会議員の立法過程における行動は、国会議員各自の政治的判断に任され、その当否は最終的に国民の自由な言論や選挙による政治的評価に委ねられるのが相当であるから、国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任の責任を負うにとどまり、個別の国民その他の者の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないと言うべきである。したがって、国会議員の立法行為(立法 をする行為又は立法をしない行為)は、その内容が憲法の一義的な文言に反しているにも関わらず国会にあえて当該立法行い又は立法せずに放置したというように、容易に想定しがたいような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上違法と評価されることはないと言わなければならない(最高裁昭和60年11月21日第1小法廷判決・民集39巻7号1512ページ参照)。そうすると、国会の立法不作為が国家賠償法違法と評価されるのは、憲法上一義的に国会に特定内容の立法をする義務が課されているにもかかわらず、国会がその立法を懈怠したというような例外的な場合に限られることになる。








731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

三月九日


晴 風あり零下二度 午前は射撃予行演習あり 午後は狭サク演習あり 経程検査のために被服整理すぐに始める。

昨日武田の事を日記に書いたが今日もまた初めから。昨日の夜の武田にも閉口した。暴れて仕様がない。それは分遣行が駄目になった為である。

内藤が変って行って仕舞った。大阪本部からの命令で映画技師として行くという為に分遣行きがペケである。背嚢眺めて目に涙かね。―十日映写するフィルム試写の為による(夜?)小学校に行く 本当に軍隊に来れば出来ないものはないわけだ。説明者も付いている―技師がいるし


今日は一日遊べると思い 経理検査準備の為に夏冬全部被服を出して整理を始めたのに 午前九時半整列を致して狭サイ射撃を始めると云ふて午前中ではない。二等兵ばかり行って予行演習を始める。午後射撃をすれど割合に上手なものだ。放砂水を湯にする為に野火に集まってくる小供たちと無駄話を始める

明日の奉天模擬戦の話を始めたり。満期の話に日を暮らし 来るべき楽しき日を指折り数えつつ。三日間の留守にした初年兵が八時には帰って来てまたにぎやかになるだろう。

中島は分遣に内藤は分遣に楽しき日 十二日の僕は撫順行き?





 


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

エピローグ 広島から・・・・・




 爆心地より100mの所で被爆しながら、偶然、地下室に降りていたために同僚達のうち唯1人生きながらえた燃料配給統制組合事務員の観察。≪みな石段に腰を下ろして一所にかたまっている。片眼がだんだん見えぬようになったという女、気分が悪くなったという男、頭が痛むと告げる者、皆それぞれに外部の負傷と内面の故障を持っている。しかし苦しんで声を立てる者はいない。殆ど皆黙っている≫
 どのような沈黙よりも、もっと苛酷に徹底した沈黙、それは人間が発する≪言葉にならないうめき声≫であろう。
1人の婦人が記録する。
≪私は木も石も飛び越えて気狂いのように鶴見橋の方へ向かって走った。私はそこで何を見ただろう。橋の下の流れに無数の人がうごめいているのだ。男か女かさえわからない。一様に灰色に顔がむくれ上がって、髪の毛は1本1本逆立ちになり両手を空に泳がせながら、言葉にならないうめき声をあげて我も我もと河へ飛び込んでいるのだ≫


 



 




原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集

731部隊を詠む


とべ しゅん(仮名=ペンネーム)

1644部隊

〈経歴〉

1919年生まれ

1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属

1944年 帰国。召集解除

■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。


伝染病菌の検索と研究

部隊に入ると軍事教練のやり直しが待っていました。20日間ほどの教練が終了すると、今度は学課と実技、作業内容などの教育がありました。多摩部隊は1課から4課に分かれていて、その他に総務課、財務課、経理課などがありました。

 1課は病理研究と特別作業、2課は伝染病の予防、3課は病原菌の検索と研究、それに予防ワクチンの製造、4課は野戦における給水と検水、と説明されました。一通りの教育が終了すると、それぞれの所属課が決められて私は3課に配属されました。

 多摩部隊は南京市の東方、中山門に近く中山東路に面して、西隣りは航空部隊、東隣は小路を隔てて南京政府の士官養成所軍官学校があって、3課は1棟とか本部棟とか呼ばれていました。4階建ての1階と2階の東側の部分を占有していて、伝染病菌の検索、研究を主としていました。部隊では建物群を1棟から9棟までという風に名付けており、3棟は診療所棟、5棟は講堂という呼び方もしていました。





●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北


2 華北

4 山西

高梨文雄自筆供述書(1955年)

築館はメスを出させ、手術が始まった。私は全身に緊張を感じ、10人の視線が築館の手中のメスから離れなかった。

 築館は、メスを農民の右下腹部にさし込んだ。表皮が切り開かれ、鮮やかな黄色の皮下脂肪が現れた。内臓が出てくると、押さえつけられた手足が猛烈に硬直し始めた。彼は全身麻酔がまだ効果を発揮しないため激痛に見舞われ、驚くべき気力で私の手を払いのけようとした。鮮血が切口の一端から1本の筋のように流れ出し、泥にまみれた皮膚を流れて大地に染み込んだ。築館は小指ほどの大きさの肉塊をつまみ出して、「これが盲腸だ」と言った。私は病院で外科手術を見学するように盲腸を観察した。続いてメスが胃の下方に当てられ、今回はさっきよりもさらに手荒く横に1本大きな切口入り口がつけられた後、まっすぐに下腹部にまで切り下ろされた。同じ部分が繰り返し切られ、農民の体はまっすぐに伸びて唇は固く閉じられていた。


 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

1 日本軍の 毒ガス戦の特徴

毒ガス戦の特徴―対国民政府軍と対八路軍とでの違い

 八路軍は、〈敵が進めば我は退き、敵が逃げれば我は進み、敵が停止すれば我ば撹乱し、敵が疲れれば我は撃つ(敵とは正面から戦わず、しかし接触を保ち、敵が引き上げる時に追跡して側面や背後から奇襲して打撃を与え、敵が野営・休止した時に襲撃して休養を妨げ、巧妙で執拗な襲撃・妨害・神経戦などで優勢な敵部隊を疲労させたところで一気に強襲して大打撃を与える)〉という遊撃戦(ゲリラ戦)によって日本軍を翻弄して消耗させる戦術を取ったが、これは民衆の有形無形の支援(情報提供、兵士や武器の隠匿、食糧の提供など)がなければ成立しなかった。従って、八路軍と関係があると思われる村落や、日本軍に対する感情が悪い村落は「敵性部落」となる。こうして華北の日本軍は、退避した八路軍や住民が日本軍撤退後に復帰してくるのを狙って、持久力のあるびらん性ガスによって村落を「毒化」した後に撤退するという使い方をしたのである。


 




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実



百団大戦における日本軍の公然たる毒ガス放射

日本軍の毒ガス使用状況は「百団大戦」戦報でその一端を伺い見ることができる。

戦報4

・・・

(8月)21日、当(陳)旅団の一部が冶西(イエシー、平定西南)を攻撃した時、敵(日本軍)100余がトーチカで頑強に抵抗、大量の毒ガスを放ち、連隊長以下40余名が中毒に。

戦報7

・・・陳団の一部、21日朝、故城(武卿西北)を攻撃、激しい競り合いの中、敵は大量の毒ガス使用に及び、わが軍(中国軍)の中毒者100余、死傷者50余・・・


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

逮捕

妻を拉致して夫を誘い出す

松原俊三郎

監督警尉 捜査主任

〈略歴〉

本籍地:岩手県盛岡市

出身階級:中農

学歴:尋常高等小学校高等科2年卒業

職業:鉄道労働者

所属部隊名:旧満州国斉斉哈爾(チチハル)市警察局刑事科

被捕年月日場所:1945年10月7日 旧満州国斉斉哈爾市

年齢:47歳


 こうして水攻め、吊るし上げ、電気、3日間打ち通しの拷問を続けたが、張春生は一言も口を割らない。

「よし、こうなったら最後の手段だ!張春生を引っ張り出してこい」

「快走罷(急げ)」馬徳祥刑事の声が廊下に響くと、がちりがちり足錠の音とともに、刑事室のドアがサッと開いて、上半身裸体になった張春生が入ってきた。幅広い肩、丸太ん棒のような腕、ところかまわず紫色に腫れ上がった棍棒の跡に同じ色の鞭の跡が交差し、重なり合っている。角ばった頬、厚い唇、不屈な眼光が焼き付くようにじっと睨んでいる。

「この野郎、反日分子だ、やってしまえ」

私は、傍の壁にかけてある野球のバットのような棍棒を振り上げると、ガンガン続けざまに打ちのめした。

「ウウー、ウーム」

床にのめって回りくねる張春生をなおも続けて殴りつけた。

「野郎、少しは思い知ったか、俺の面をよく覚えておけ、甘く見るといつもこの通りだ。さあ、今から本料理だ、吊るし上げろ」





2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第3章 秘密保全の機構と体制

3  産軍複合の秘密

軍需産業の秘密保全

 このように、事実上の機密保護法体制が、軍・産の合作ですすめられているのである。おめでたいだけに上林山長官は、彼らの狙いを「率直」に語ったわけである。次章で述べるように「改正刑法草案」には企業秘密漏示罪(第322条)が設けられている。これは懲役3年の刑罰をもって軍需生産上の秘密をも保護するものである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

枯葉作戦とその被害

南ベトナムでは致死性の化学薬品が使用されているが、国防総省は全くデータを公開していない。ハーバード大学の教授たちは66年はじめ、対穀物用の化学薬剤使用に抗議したが、この作戦の責任者の1人ダビソン中将は次のように回答してきた。

「24Dや245Tなどは通常は農業用の除草剤として使われているものである。人間や動物へ害があるかどうかという点は水や土地に集中的な使用をした時には、害が生ずるかもしれない」と。

 けれども、これらの砒素系薬剤は有毒であることが立証されている。

「犬に対する致死量は1㎏の体重に対して1gである」(メルク社『化学薬品インデックス』-ゴールストン著〈ヤール大学動物学者))

 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産


 天皇にとって、批准までの全過程は心理的な試練であった。彼はあらゆる手段で対米関係を改善し、同盟を強化したいと考えた。最後の段階まで、天皇は羽田空港に行ってアイゼンハワーを出迎え、支持者の歓迎のなかを車に同乗して皇居に戻ることを望んでいた。岸は彼の条約を新しく改定し、アイゼンハワーの訪日は、憲法の改正なしに天皇を事実上の「国家元首」の地位に押し上げるのに役立つはずだった。訪日中止によって、条約反対運動があたかも国民の多数意見になったこの時期に、彼はあえて憲法をはみ出すようなことをできなくなった。

 このように、すべての努力の結果が渾然としていた。天皇と自民党政権が望んだ、日本の外交方針を今後も継続させるアメリカとの軍事同盟は実現した。しかし条約と岸内閣に反対し、民主主義の擁護を目指した運動は、支配エリートにとっては学ぶべき過程であった。彼らは天皇の力を借りずに、この独立後最大の国家的危機を切り抜けた。自民党の次世代の指導者は、君主制が危機管理装置にはならないことを悟った。いつの日か再度政治に関与するという裕仁の夢は、単なる夢に終わった。 

  

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?





● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

地球を破壊する核爆発・核実験

アメリカ合衆国
その他の核実験
1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。


 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した














           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


















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