2021年1月12日火曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

WHO 新型コロナの調査チーム 14日に中国入国へ 中国政府発表

「国や医師会に憤りを感じる。このままでは医療崩壊だけでなく“居酒屋崩壊”だ」緊急事態宣言の再発出を前に、厚労省の元医系技官が訴え


謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―



「主権免除」も通用しない!!

辻本千春さんが児童文学サークル『にじゅうまる』第26号に「父は獣医師だった」を投稿されました。下記からダウンロードできます。。(3月9日までダウンロード可能)





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731細菌部隊と帝銀事件との真相1


犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答


(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん


安倍は起訴だ!!

安倍前首相不起訴 “事実誤認あり不当” 検察審査会に申し立て

リニア反対!!


自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。


入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本





終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館




・多様性をどのように日本に取り入れる?





パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

=福見秀雄=

-------(引用ここから)--------

厚生省施設が人体実験の中心

私の調査では、それらの実験は、昭和二十七年以来、東大伝染病研究所(現医科研)、国立予防衛生研究所、東京第一病院、都立駒込病院、婦人共立育児会病院を動員して行なわれた。

その中心的組織は国立予防衛生研究所の元所長(当時細菌第二部長)福見秀雄であった。

私が調査したかぎりでは、その人体実験は、

①国立東京第一病院で健康な乳児四名(一~四号)にβ型大腸菌を牛乳に混ぜて飲ませた。

②三号と四号は下痢を起こした。
③四十二日後に再び同じ菌を飲ませた。これは免疫を調べるためで、この結果、乳児の菌への抵抗力強化が確認された。④婦人共立育児会病院でも十人の健康児を三群に分け、生きたα型菌を一群と二群に飲ませ、三群(四人)には熱湯で死んだ菌を飲ませた。

⑤一群の乳児二人に顔面蒼白、食欲のおとろえ、吐きけ、微熱、口のまわりの
おデキ、などができた。

私は国立予研に福見氏を訪ねた。彼の論文にα型、β型菌の致死率の高さが書いてあるのだ。
にもかかわらずそれを飲ませたのは?
「人体実験などと君の質問はピントが外とりゃせんか?」
福見氏の応答はノッケから高飛車であった。
「名古屋のことは知っているが予研ではやってないよ。病原性は疫学的に調べただけ。
動物実験もやっていない。人間と動物は違うからそんなものやっても意味がない」

----ほう、そうですか?私がうかがったかぎりでは、乳児にサルの大腸菌をのませたとか。
「サルの大腸菌?ますます知らんな!」

----そうですか?サルの大腸菌と赤痢菌ですね。それは異種族の大腸菌の腸内における
争いや生存の状態を調べるために飲ませたという話ですが。
「飲ませたんじゃなくて調べてたんじゃないですか?」

実は、私はこれらの事実をほかならぬ福見の論文から調べ上げていたのだ。ほかの誰から
情報を得たのでもない。ところが論文を書いた本人が「知らぬ」というのである。

国立第一病院で行なわれた実験では、健康な乳幼児八人が選び出され、生後五ヵ月から
七ヵ月の男女乳児四人がまずサルの大腸菌を飲まされた。一歳七ヵ月から二歳三ヵ月の
四人に対する人体実験はサルの大腸菌を最初に飲まされ、ついで赤痢菌が「侵襲した」
(偶然?)と報告している。都立駒込病院と東大伝染病研究所付属病院では一連の実験の
一環として成人の赤痢患者にサルの大腸菌を飲ませている。これは志願者になされた
(「日本医事新報」昭和二十七年三月二十九日一四五七号「α及びβ大腸菌の病原問題」)。

-------(引用ここまで)--------








隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

10月20日午後1時より当所内講堂に於いて学術集談会を開催した演題下の如し

1.コレラバクテリオファージに関する研究

        吉積泰君

2.人体に於ける寄生虫の原虫病に於ける

興味ある2.3の近業  宮川米次君

(宮川君の講演の内容は総説蘭に掲出せり)

吉積君のコレラファージに関する実験成績を左の如く総括す

 

5、余が伝染病研究所第3細菌血清学部保存コレラ菌40株中より検出し得たる4株コレラファージ産生菌より得たる4株のコレラファージは其の作用範囲より見るも又血清学的にも全く同一種類のものにして野辺地氏のコレラファージの同種類を説けるに全く一致す。

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

 

1章 中国の弁護士から

平和的な解決を

高峰(浙江省省属弁護士協会常務理事、弁護士)

 今後私達は、日本の弁護団、中国の原告らと共に協力し、この問題に取り組んでいきたいと思っています。WEBサイトも作成し、情報収集もしていきたいと思っています。浙江省の5000人の弁護士たちは、今後もこの運動に敬意を表し協力していく所存であります。(8.28 国会内集会で発言)

 

  



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月二十九日

午前六時起床す 晴 風少し

初年兵・・可愛い初年兵殿の面白い御解答を書く 日夕点呼の時上等兵が来る 四月三日について尋ねた答えだ・・可愛い無邪気があふれているではないか。

上等兵「おい中山」「ハイ」「四月三日は如何なる日か」「ハイ・・・休日であります」「如何なる為の休日か」「ハイ・・旗日だからであります」「わからんねー如何なる旗日か」「ハイ神武天皇祭であります」「おい神武天皇祭は如何なる日か」「ハイ神武天皇が御位におつきになった日であります」「宮沢」「・・・ハ・・イ」「声が小さい」「ハイ」破れるような声だ・・・「同じであります」「その外」「ハイ」一同手を挙げる「加茂」「ハイ神武天皇が御生まれになった日であります」二等兵クスクス笑う 上等兵も又巻き込まれて笑う

「ハイ」突然大きな声で水野手を挙げる「おい水野」「ハイ神武天皇が御隠れになった日であります」「其の通り」みんな分かったか「ハイ」一同云う「なる程」御位におつきになったのは二月十日だ・・・

誰かが小さい声でつぶやいた。恐ろしいような心持で質問されるときは人間かくの通りさ

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 しかし、被爆者援護法強化という政治的課題も、この汚れたハンカチーフで濾過されると直ちに極めて人間的な深い印象を与える具体定なイメージに変わるのである。例えば、重藤院長は、この強化によって、顔の醜さを恥じて家の奥に閉じこもったきり、この19年間を過ごした娘たちを救うことができるようになるかもしれない、と期待する。≪良識ある医者≫がそのような娘たちに正当な診断を下し、社会的な活動が不適当だと認めて保護を加えることになるなら!広島に、なお1000人を数える≪顔の醜くなった人たち≫が如何なる保護もなしにその家屋の奥に隠れ住んでいるのだが、着実な援護方針が決まれば、それらの人々も遂に意を決して表に出てくるだろう、というのが重藤院長の実際的な観測なのである。


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 731部隊に入隊

 連れて行かれたのは、ハルピン駅近くの吉林街分室という所でした。後でわかったのですが、ここは平房の本部との連絡場所でした。4月の9日か10日頃、そこからトラックの荷台に乗り込んで出発し、関東軍防疫給水部、通称“731部隊”本部に行きました。ボイラー室のある大きな煙突からもうもうと真黒い煙が出ておりまして、本当に夢を見る思いでした。こんな大草原に、とにかく突如大きな工場と言うたらいいんですか、建物が見えてもうびっくりしてしまいました。

 ボイラー室の近くに来た時、引率の人が「あそこを見てみい」と言ったので見てみると、飛行機がたくさんありました。一番大きな飛行機は“呑龍”という重爆撃機です。その横には小さな“隼”戦闘機があり、「ああここへきてよかった」と嬉しい気分になりました。


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

 

張清林証言(1956年511日)

 162部隊で、私はこの他ちょっとした雑役もした。裏の倉庫やその他の建物へも行ったし、倉庫の中にたくさんの機器や薬品、薬瓶があるのも見たことがある。別の場所では2具の大きなボイラーや、30台あまりの車を見た。康徳12年旧暦74日、私は162部隊駐屯地から煙が上がっているのを見た。翌日そこに行って、日本軍がボイラーなどの設備や一部の動物を燃やした跡をこの眼で見た。

 以上記したのは、すべて私が自分で知っている事実である。

(1)119-2、8、1、第21号

訳注:張清林氏は、1956年に瀋陽で開かれた軍事法廷において、日本軍に鼠の捕獲を強制された事実を証言している(記録映画『人道と寛恕(人道的寛待)』中国新聞記録映画製作所、195612月)。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

2 国内民間人の防毒訓練

 

市民用ガスマスクの生産

 

 それでは一般国民の防毒装備はどのようなものだったのか。1931(昭和6)年の満州事変以降、日本本土の都市空襲に対する防護が問題視され、軍部は国民がガスマスクを保有することを奨励した。市民用のガスマスクは陸軍科学研究所が大綱に定め、軍用ガスマスクの生産を請け負っていた日本化工・藤倉ゴム・昭和化工が設計・生産した。昭和化工のガスマスクの場合、防護団・家庭用・子ども用に分かれ、それぞれ2種類のガスマスクが生産されており、そのパンフレットには「陸軍科学研究所御指導、型式御承認済み」と記されている(昭和化工株式会社「市民防毒面取扱法並に保存法」)。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「毒ガスの王」と「死の露」

 

 大久野島の毒ガス工場で製造される毒剤は、大部分は陸軍科学研究所第3部で研究及び制式化したもので、主として「きい(黄)弾」に充填するイペリット、ルイサイト「ちゃ(茶)瓶」に入れる青酸ガス、「あか(赤)弾」及び「あか(赤)筒」に入れるジフェニール・シアンアルシン、催涙弾あるいは催涙筒のなかに入れる臭化ベンジル等であった。ここから運び出される毒剤には皆「忠」の印がついていた。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

強姦

赤ん坊を殺し母親を犯す

 

石田幹雄

兵長

〈略歴〉

1913年 山梨県の中農の家に生まれ、

1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、

1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。

1942年5月末 中国に侵略し、

1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。

 

私は母親の襟首をつかんで引き倒すと、再び赤ん坊の口から泣き声が上がり、私の気持ちを昂らせ、「この餓鬼め」と口を塞ぎながら片手で母親の服をはぎ取ろうとした。だが、しっかりと我が子を抱きしめ、身を守ろうとする母親の力は強く、私の意のままにはならなかった。戦争に勝っている者が負けた者を好き勝手にするのが当たり前だと思っている私は、女1人を意の通りできないので誇りを傷つけられたように思い、それもこの餓鬼がいるからできないのだと、抱かれている赤ん坊が憎くてたまらなかった。・・・こいつを片付けんことには、泣き声で仲間に知られる恐れもあるし、早く始末してからだ。・・・・ 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(3)教範から見えるCBRN対応

  この「操典」は1968年9月17日に「陸自教範3-1化学科運用」に置き換えられる。また以上の他に、「案32-119化学防護」が存在し(筆者未見)こちらは、1967年8月14日に「陸自教範21-101特殊武器防護」に置き換えられる。後者はCBRN関係の事項を集約し、専門的に整理した教範となっている。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

機動隊の大幅な増強に加えて、自衛隊の治安出動訓練が一層大がかりに行われて、国民の不安が募るばかりである。

「70年には自衛隊が出動するだろうか」といった会話が日常的につかわれるようになっているわけだが、特に国民の不安を掻き立てているのが自衛隊の使用している「武器」についてである。

機動隊によるデモ規制で催涙ガスが非難をあびているだけに自衛隊の生物・化学兵器とその訓練実態が明らかにされるにしたがって、関心がますます高まっている。このことは、当然国会における論争の焦点ともなってきた。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

東久邇内閣はただちに総辞職した。その4日後(108日)、マッカーサーは東京都内の新聞各紙に対するSCAPの検閲を強化するとともに、天皇が東久邇に代えて74歳の元外交官で戦前の穏健派である幣原喜重郎を後任に選んだことを支持した。小磯国昭・鈴木貫太郎の両戦時内閣以来、「穏健派」の有力候補であった幣原は、同じ「国体」護持のを踏襲するとともに、東久邇内閣と比べて、あまり対決姿勢をとらず、より柔軟な方針をとることになる。



 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)


あとがきにかえてー自然エネルギーの展望

 エネルギー問題の解決?

自然は、エネルギー問題の解決のためにあるのだろうか。私はスケッチするので、レンブラントの風景画のデッサンにあるような、ドン・キホーテが戦った昔の風車は大好きである。粉ひき小屋の上に回る布を張った風車や、コトコトコットンと回る森の水車は絵になるからだ。ここに掲げた絵をレンブラントと勘違いしてくれることはないだろうが、不肖私のデッサンである。しかし現代の風力発電機は、無味乾燥で、風景を台無しにする。昔の電信柱は、木でできていたので、のどかな風物詩として絵になったが、今のコンクリート製の電柱は、風景を楽しむ邪魔になるだけである。

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


イギリス



イギリス初の核実験を伝える西オーストラリア新聞

モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁オーストラリア)での核実験。

· 1952年10月3日 初の原爆実験。コードネームハリケーン

エミュー(オーストラリア)での核実験

1953年実施

マラリンガでの核実験

1957年アントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。

クリスマス島での核実験

1957年5月15日 初の水爆実験。

 


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子





 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!




 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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