●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
私が背負った昭和の業(731部隊員の父と過ごした戦後)
ひとさらい(731部隊員の父と過ごした戦後 野崎忠郎)
父は獣医師だった
日本政府は、きちんと「慰安婦問題」に向き合うべきではないのか。
元慰安婦訴訟 日本は控訴せず、判決確定 強制執行が今後の焦点
【歴史映像】戦争推進教育映画「戦ふ少国民」 昭和19年、電通制作
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
犯人像
・毒物の取り扱いに慣れていた人物
・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?)
・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?
・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。
・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!
戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
中国侵略史から学ぶもの
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
PTSDの日本兵と家族の交流館
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)
1969年7月2日(国連:ウ・タント事務総長)
自然のバランス崩す
1、すべての兵器は人の生命を破壊するが、生物・化学兵器は、その効果を生き物だけに対して発揮する兵器の部類に属する。生物兵器が故意に病気をまき散らすために使用できるという考えは、人々に恐怖の念を生じさせる。ある種の化学薬品や細菌は場所と時を問わず、その潜在的な力が無限であるという事実、また、それらを大規模に使用すると、自然のバランスに有害かつ取り返しのつかない影響をもたらし得るという事実はこの種の兵器の存在によって生じる不安の念と緊張感を増大させる。これらの点を考慮すると、現在続いている軍備競争に関しては、これらの兵器は独自のカテゴリーに属する。
1、今回の調査によれば、化学薬品や細菌などの数だけでなく、それらの毒性、効果の多様性の点で、生物・化学兵器の武器開発の可能性は近年かなり強まっている。一方、化学兵器が市民の騒乱規制に用いるために開発されている。また農産物の増産のためにも開発されている。これらの物質が他の化学薬品より毒性が少ないとしても、民間で間違った考えのもとに使われたり、あるいは軍事目的のもとに使用されれば、非常に危険なものとなるだろう。
他方、兵器として使用され得る一部の化学薬品は、今まで知られた中で最も致命的な毒薬なのである。一定の環境の下では、ある化学薬品が効果を発揮する地域を地理的に厳密に限ることも可能だろう。だが、条件が違えば、ある種の生物・化学兵器は、目的地域をはるかに越えてその力を発揮してしまうかもしれない。これらの物質、特に生物兵器の方がどのくらい持続し、広がり、更にどのような変化をもたらすかについて予測することはできない。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
学術集談会
10月20日午後1時より当所内講堂に於いて学術集談会を開催した演題下の如し
1.コレラバクテリオファージに関する研究
吉積泰君
2.人体に於ける寄生虫の原虫病に於ける
興味ある2.3の近業 宮川米次君
(宮川君の講演の内容は総説蘭に掲出せり)
吉積君のコレラファージに関する実験成績を左の如く総括す
かくして菌の溶解現象はファージの存在を立証する上においてのみ重要なる意義を有する事を並びに抵抗性ファージ産生菌を得て一層明瞭ならしめ且つファージ増殖に於ける非抵抗菌の意義はファージ増殖を速やかならしむる利あることを追加せんと欲す。以上述べ来たりたる所見に依りデレル氏現象の本態乃至機転を考察するに該現象の本態乃至機転は如何なる現由によりてファージが増殖するやの一事に帰着するものの如く思惟せらる。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
2章 湖南省常徳の支援者から
600万人の常徳市民を代表して
蒯定勛(常徳市政協副主席)
けれども、我々の使命は正義の実現である。正義に基づく行動をしている我々は、必ず勝利すると信じています。
これからの闘いはさらに困難を極めると思います。一層団結していきましょう。議員さん達にも協力して頂き、能力、影響力を生かして頂いて、平和の為、日中友好の為、我々を支援して欲しいと思います。
600万の常徳市民、全中国人民、そして正義、良知をもって平和を愛している日本と世界中の友人の支持の下に、我々は不撓不屈の精神を発揚して、最後に必ず勝利を勝ち取ることが出来ると思っています。
(8.27判決報告集会で発言)
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
四月六日
大隊射撃競技会アリ 雪降り 吹雪式にて非常に寒し。
敗者の悲しみを初めて抱いた 中隊としては初めての淋しさだ 射撃には完全に負けた しかもあきらめる事ができない完全さであった。勝者の歓喜と敗者の悲涙は地方の学校に行われる対抗試合にのみ生まれる物ではあるまい。
ラッパに目を覚ませば外一面は銀世界 春歓楽の暦に遊ぶ国をよそに 昨年同様四月の青き芽に白く降りかからしとは 二三寸積雪をふんで元気よく晴の場所に行く腕に白帯つけて 監的勤務員兼射撃選手として晴れやかな顔で射撃場に行った
Ⅲ モラリストの広島
戦前からの保守派の実力者の覚えもめでたい。そして保守党議員としての地位を得た彼は、ごく具体的に、様々な被爆者救済のための実績をあげたのである。原水協をはじめとする諸努力が、金井中国新聞論説委員の言葉によれば≪平和運動家の宗教戦争≫にシノギを削っていた時、悪漢赤い血は保守党の実力の幾分かが広島に向かって投入されるべく走り回ったのだ。悪漢赤い血は遍歴のあと遂に、これもまた悪漢小説のヒーローらしく、例えば『オーギー・マーチの冒険』のヒーローみたいに、聖者の光彩を帯び始める・・・
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
小笠原 明(おがさわら あきら)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1928年生まれ。
1943年4月 731部隊少年隊に入隊
1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。
1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍
1949年 帰国。
■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの
“マルタ”のカルテ
名前の下にドイツ語や日本語で記録したところがありました。ドイツ語も勉強しましたので単語ぐらいは分かりました。それで「あ、ここでペストノミが人体に付着して、そして赤く腫れあがって、それが2日ぐらいでリンパ症状を起こしたのか」といったようなことを考えながら、本当に短い時間でしたが見ることが出来ました。
そのカードは大体5日~10日以内ぐらいでほとんど名前が変わってしまうんです。田中班でペストの人体実験をしていた、という事のこれは証明になるのではないかと思います。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
中国協和医学院教授 張学徳
中央衛生研究院副研究員 方剛
1956年5月28日 撫順にて
(1)119-2、8、1、第17号
設備としては、本部(隊長や職員たちの事務室)、実験室、新しい設備の置かれた部屋があり、そこに大型ボイラー2具を設備する予定だったが、1具を取り付けただけで、もう1具はまだ設置されないうちに、「9・3」の勝利の日(中国では、日本代表がミズーリ号で降伏文書に調印した翌日の9月3日を「抗日戦争勝利記念日」としている)がきた。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第3章
2 国内民間人の防毒訓練
毒ガスに対して無防護状態の日本
ところで、日本家屋は毒ガスに対してどの程度の防護性を持っていたのだろうか。陸軍築城部1939(昭和14)年10月に東京の上野で大型発煙筒を連続して焚いたところ、煙は風に乗って相当に拡散したので「もしガスであれば、相当な拡散範囲で被毒されることが解った」(浄法寺朝美『日本防空史』。筆者は元陸軍築城部部員)。この時、防毒の為に戸口やふすまを閉じてテープなどで覆って外気を遮断するという目張室が用意されて観測が行われたが、畳・天井・ふすまの隙間から煙が侵入して「ガス防護は不完全」であることが確認された。ガラス窓を目張りした鉄筋コンクリートの学校では煙は侵入しなかったが、爆風でガラスが割れるので要注意であると判断された。また、地下鉄の出入り口や換気口では電車の通過のたびに煙の吸引・吐き出しが繰り返されていたという(同上)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
「被害者」はまた「加害者」でもある
でも、ある者は当時でも騙されたと感じていたという。岡本貞夫さんは、1937年に電気学校を卒業したとき、わずか18歳であった。島で大規模に毒ガス生産を拡大しようとしていた時で、発電所は電気工が必要だという目的で、岡本さんは採用された。しかし、すぐにイペリットの工室に配属された岡本さんは、採用の時の話と違うのでどうしてか?と、その理由を聞いた。だが、その答えは「帰りたければ帰れ!でも、きっとすぐに『赤紙』がくるだろう」と、かえって威嚇された。つまり赤紙とは召集令状が来るとうことで、当時は軍隊に入るのは死、すなわち戦死することを意味した。岡本さんは1974年(68歳)に当時を振り返って、「あの戦争の時代は命令に対して抗議するということは軍事法廷に送られることなので、私は仕方なく島に留まった」と、語った。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
謀殺(ぼうさつ)
予防注射を口実に毒殺
中島宗一
属官
〈略歴〉
本籍 長野県下伊那郡
出身階級 農民
最終学校名 南信学院2部卒業
学校卒業後の職業 農業
最後の所属 旧竜江省警務庁特務科
被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠
だから是が非でもここで1つの事件を作り上げる必要があったのだ。こうして荒木の情報工作によっていわゆる『ソ同盟在満諜報工作員』とし、1944年初め頃、斉斉哈爾市において30歳くらいの1朝鮮人を検挙したのである。
吊し上げ、水攻め、殴打等によって、連日連夜自白を迫ったが、彼の口からこの事実を吐かせることの出来ぬ荒木は、その目論見の外れることを恐れ、狂ったように更に酷い拷問にかけた。
だが、いかなる拷問にも屈することなく頑として無実を主張する彼の前に、荒木はもはや施す術も失ってしまった。彼が酷い拷問の為傷つき、衰弱しきったのをよいことにし、「これでくたばるならその方がいい」とばかりに、何の手当てもすることなく、独房に投げ込んだまま放置していたのであるが、彼の不屈の気魄はその肉体をも盛り返したのであった。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
2020年12月16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。
なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?
何を隠そうとしている??
次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~
419号法廷
「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~
法廷未定
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
2 陸上自衛隊におけるCBRN対応
(3)教範から見えるCBRN対応
このようにこの教範と、その作成経緯は、改めて自衛隊内部で化学学校がCBRN対策の中心の1つであり、陸幕化学課など実戦部隊・幕僚部と連携しつつ、実践的な教範作成が続けられていたことを示している。
・『化学情報資料』4号(陸上自衛隊幕僚監部化学課、1967年12月)
またここで紹介した『化学情報資料』の第4号には「1、ベトナム戦に出現した化学器資材」なる記事が収められている。その中では米軍がベトナムの実戦で使用した各種の新型化学剤が紹介されており、例えばボール爆弾が「米軍では有機化学剤散布の目的で開発された化学資材を利用したもの」だと紹介している。また「ベトナムにおける化学戦史」は米軍がどのような化学剤を用いたかを詳細に紹介している。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
国会におけるBC兵器論争
〇小川国務大臣 四塩化エチレンというお尋ねだったと思いますが、これはいわゆる四エチル鉛と同じものでございましょうか。
〇楢崎委員 これはテトラクロールエチレンともいいます。それからパークロールエチレンともいう。過酸化エチレンともいう。
〇小川国務大臣 ちょっとこの場でお答えできませんから、調べてご返事を申し上げます。
〇園田国務大臣 クロルエチレンは、有機溶剤または駆虫剤等に使っておりますが、この原液は、やはり炎症又は腐食をおこします。
〇楢崎委員 私が労働大臣にお伺いしておるのは労働大臣の所管なんです。有機溶剤中毒規則というのがありますね。これに該当するかどうかをお伺いしておるのです。
〇小川国務大臣 今ご指摘のありました薬品がそれに該当するかどうか存じませんのですぐ取り調べてご返事を申し上げます。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅳ
ことここに至ったのはもちろん政府の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義の廃れたのもこの(敗戦の)原因の一つである。この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思ふ。全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる。
その後、東久邇は9月4日に開会した第88帝国議会における施政方針演説でも同様のメッセージを繰り返した。つまり、終戦は天皇のイニシアティブでもたらされたのだが、いまや国民の懺悔こそが望まれ、「国体を護持」することが求められているというのである。東久邇は次のよう述べている。このたびの終戦は「一に有難き御仁慈の大御心に出でたるものであります。至尊〔天皇〕御自ら祖宗の神霊の前に謝し給い、万民を困苦より救い、万世の為に太平を開かせ給うたのであります。(拍手)臣子として、宏大無辺の大御心の有難さに、是程の感激を覚えたことはないのであります。(拍手)我々は唯唯感涙に咽ぶのでありまして、至尊に対し奉り深く御詫びを申上げる次第であります」。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
歴史
·2020年6月、レソトが38か国目の批准国になった。
·2020年7月、フィジーが39か国目の、ボツワナが40か国目の批准国となった。フィジーの批准日は条約採択3周年の日でもある。
·2020年8月6日、アイルランド、ナイジェリア、ニウエが批准した。
·2020年8月9日、セントクリストファー・ネイビスが批准し44か国となった。
·2020年9月21日、マルタが批准し45か国となった。
·2020年10月1日現在、84か国が条約に署名している。また、2020年9月30日、マレーシアが批准し46か国となる。
·2020年10月12日にツバルが、10月23日にジャマイカとナウルが、10月24日にホンジュラスが批准して、批准国が50か国に達した。この結果、2020年10月24日から90日後(条約15条1項)の2021年01月22日以降、核兵器禁止条約は世界的な法規範として正当な効力を持つことになる。
·2020年12月11日、ベナンが批准した。
·2021年1月22日、条約が発効した日にカンボジアが批准した。
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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