2020年8月21日金曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

    ※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

   語られなかった戦争 侵略パート1 南京大虐殺



【日航機墜落事故の真相】


日本政府は731部隊の免責の為に、アメリカの原爆威力調査に全面協力する!!

「黒い雨」訴訟 控訴に原告「非常に憤り感じる」(20/08/12)








●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。


東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)









1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察



731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!


731部隊被害者遺族の訴え!!        

 



検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

第5代伝研所長、宮川米次

   1935年以降の情報は、私が収集できた「実験医学雑誌」の「消えた雑報」をもとに述べる。

 所長就任の初夏第4性病の発見を目的に背蔭河で200人(マルタ)にも及ぶ生体実験を行っている。このことの詳細は後で明らかにしたい。

 19357月の「所懐」では、今後の伝研のあり方を示唆する重大な発言をしている(雑報、197号)。

「実戦(戦争)には、正攻法と奇襲法がある。1軍を率いるものの最も苦心する所は、正攻をなすこともさることながら、奇襲をいかに上手にやるかにある。それには頭脳の勝れた幕僚が必要である。吾ら科学戦に携わっているものにも、完全に当てはめることはできる。」として細菌戦の体制づくりを指向している。正式に宮川米次が細菌戦について言及したということは、このときすでに平房の工場の建設が開始されていたと考えられ、これは731部隊研究家松村高夫の見解に一致した。

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 


   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?


●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

細菌戦裁判第1審判決ドキュメント

                                 ー嵐の4日間ー

                                                      中谷真紀子 (大学生)

8月27日午後6時30分~ 相模原南文化センター

来日中の細菌戦被害者と交流会

◆衝撃を受けた、原告らの凄惨な過去

原告の一人、常徳市から来た徐万智さんは家族5人も細菌戦で亡くした。実際、徐さんもペストに感染して生死の境をさまよい、今も後遺症が残っている。徐さんのお祖父さん、お母さんが生き残ったが、お祖父さんは悲しみのあまり泣き続けて、両眼が失明し、お母さんは泣き続けて声が枯れ、髪の毛が全部抜けてしまった。亡くなった人は2度と戻らない。大切な人を一度に何人も失うその悲しみは、想像を絶する。その後、彼がどんな人生を送ってきたのか詳しくは語らなかったが、様々な苦しみ、悲しみ、困難の中で生きてきたであろうことは想像に難くない。そして、徐さんのような苦しみの中で生きてきた人は大勢いるのだ。たくさんの命を奪うだけでなく人々からささやかな幸せをも奪い、一生にわたって苦しめ続ける細菌戦は、本当に残酷なのだということを知った。 






●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難


           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


 




一月二二日

日本人の官舎が十二、三軒ある 

その方で昼食をしたかつたが行軍の目的が違う。耐寒行軍兼教科行軍故やむを得ない。でき得る限り支那人と接するようにして日本軍隊の威式を示すと共に 日本の友和と日本を理解せしめ以って南州における共営共住を一大目的としたる行軍故 昼食も支那人の家でする。先発隊のおかげで豚肉入りのオミオツケがあれど 口に入らず 

 其の理由は。?丁度その家では豚を殺しつつあった。その場で殺した肉ではないが駄目だ。喉元から出る血を平然と飲む所や残酷性を発揮するに充分な殺し方は目を背けざるを得ない。親指ぐらいにして二尺余りの鉄の棒を後ろ足の外側に面した皮と肉の間より体内に差し入れ  腹といわず口耳 豚の内部を 未だ泣き声をするのに平然と無茶苦茶につき回している所を見た。

 


●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月29日(水)

12、重慶には、1993年に訪問したことがありましたが、大爆撃の全体像は知りませんでした。それぞれのパネルごとの年表がありますが、全体の年表があるともう少し流れが分かってよいと思います。平塚、寒川、登戸など県内にある「加害」実態を掘り起こすのも、一つの方法かもしれませんね。(70代、男性、市内、チラシ)

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書


挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 広島に到着して数日間の第9回原水爆禁止世界大会の日々、それがまた、我々を、ますます疲労困憊させ、我々の憂鬱を深刻にするものだった。それは、Ⅰ章に描写するとおり、実ににがい困難の感覚に満ち満ちた大会であった。はじめのうちは大会が実際に開かれるかどううか疑わしかったし、一旦大会が開かれると、それはすでに分裂した大会に過ぎなかった。我々は、暗く索漠たる気分で、汗と埃りにまみれ、嘆息したり黙り込んでしまったりしながら、大会に動員されたいかにも真面目な人々の大群の周辺をむなしく駆け回っているだけだった 。


 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●『細菌戦部隊』

731研究会編

はじめに

 1945(昭和20)年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦の日を迎えた。

 戦時下、日本軍は中国、南方に主幹となる5軍の細菌戦部隊を設置した。関東軍防疫給水部(満州第731部隊)を始め北京に北支那派遣軍防疫給水部(甲1855部隊)、南京に中支那派遣軍防疫給水部(栄1644部隊)、広東に南支那派遣軍防疫給水部(波8604部隊)、シンガポールに第7方面軍南方軍防疫給水部(威または岡9420部隊)を配置し、それぞれに多数の支部を設置した。1940年に731部隊に支出された金額が1,000万円に上り、実験業務費として約500万円が当てられていた(ハバロフスク軍事裁判での川島清証言)というから、その規模の大きさは推して知るべしである。これほど大掛かりに非人道的・違法行為を展開していたにも関わらず戦後東京裁判で免責されたことにより、それら部隊の実像と責任は、戦後、闇に葬られた。しかし特にここ数年、軍資料の発見や731部隊展をきっかけとして元隊員が声を上げ始めたことにより、閉ざされていた史実に急速に光が当たり始めた。 





・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 


西尾昭信自筆供述書(1954年7月5日)

1941年10月頃、私は山神府憲兵分隊補助憲兵1等兵であったが、分隊長内海未十郎中尉の命令で、拘留中の中国人1名(32歳位)を、厳しく監視し、話をすることを禁じ、また土下座をするよう強要した。さらに石井部隊に移送する準備をする際、小笠原兵長の命令に従って、淀兵長と共に、尋問室で縛り上げ、手錠を掛け、移送の準備を整えた。

(1)192-2、550、Ⅰ、第5号




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発



5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開


科学動員の本格化

「特殊技術研究」とは「軍事上時の要望に基づき陸軍大臣の特に指定する作戦資材に関する研究」をさし、「特殊技術研究は陸軍部内及び部内の者をして之に実施せしむるものとす」「連絡者は陸軍部外研究者に対し軍事的補佐をなし且材料、試作、試験、経費その他研究実施上必要なる幇助に関する事項をつかさどるものとす」(陸軍省整備局統制課起案「特殊技術研究要領制定の件」)。具体的な研究テーマを担当する科学者は、前ページの表のように決定されている(陸運科学研究所長多田礼吉「特殊技術研究連絡者の件報告」)。

 




 

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

埋めるー中国の毒ガス弾に対する処理

 

隠れた災難はなお消えず


敦化県林勝郷大甸村に、黄春勝さんという老人が住んでいる。今年で77歳である。もとは敦化県の馬鹿溝に住んでいた。中国東北地方の農民は、毎年夏に山へ行って草を刈り、家畜の冬の飼料や家庭用燃料にする。1947年の夏、黄春勝さんはいつもの通り山へ草刈りに行った。まさか日本軍の毒ガスに出くわして負傷するとは思いもしなかったのだが、当時の情景を思い出すと、老人は今でも苦痛に苛まれる。19941月、私たちはこの老人を探し当てた。老人は次のように回想した。




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)


焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎
分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

「走」穴の脇までせきたてた。高田も佐藤も急き立てる声に相槌を打って、「この野郎、手こずらしやがる、走!」。中年の男は、吠える2人の野良犬の顔を睨みつけながら穴に進み寄った。佐藤が腰に挟んだ手拭いを取り出すと、顔に巻き付けた。

金本は刀の柄に手をかけている。先ほどの震えた姿を覆い隠さんばかりに、「隊長殿、自分がやりましょう」小さい声で軍刀を抜いた。

 農民風の男は通訳の声を耳にしたのだ。目隠しを外すと、後ろを振り向き、通訳の軍刀を下げた顔をものすごい形相で睨みつけている。 


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)




●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

1959(昭和34)年度の『化学学校史』には「第9節学校記事の刊行」の欄に、編纂委員長・副校長と委員13名の名前と階級、発行状況(印刷日、発行日、印刷所、印刷部数)が詳細に記載・報告されており、この「発行報告」掲載は1967(昭和42)年度の『化学学校史』まで続いています。

 裁判の当初、被告国は、1968(昭和43)年度以降の『化学学校史』に記載がないことを理由に、『化学学校記事』は12号で終了したと主張していました。

 


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊





●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器


1 自衛隊の基本戦略


分かりにくい犯人

こうした強力な兵器の出現により、戦争の心配は消えてしまうという理論が本当に正しいなら、私もそれを信じたいが、現実が証明するように「抑止力」を根底とする戦略は、より戦争を引き起こし、より非人道的な兵器の開発を促すのみである。人々は壊滅に導くかもしれない戦争の根源について知ろうとする努力をせず、戦争の脅威を感じてもその脅威の実態を極める努力を怠ってはならない。


 

 




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

2001年ピュリッツァー賞受賞



※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

19431月、カサブランカでルー ズベルトは、連合国はファシズム政府の指導者を処罰するが、その民衆を減ぼすことはないと述べた。しかし、ルーズベルトとチャーチルは枢軸国に全面的に勝利するまでは、無条件降伏という簡潔な文言の意味を明らかにせよという要求を断固として拒絶した。ルーズベルトとチャーチルはヨーロッパに第二戦線を開き苦戦を強いられていたソビエト赤軍を援護しようとはしなかった。この件についてスターリンが英米に不信を抱いていることをよく知っていたふたりは、彼をなだめるためにも枢軸国に強硬な態度を示しておかなければならなかった。ソ連の軍事力が必要だったからである。ふたりは、反枢軸の戦時同盟を維持しながら、第2次世界大戦を最後の総力戦とすることを決意していた。

侵略国の指導者による提案はいかなる申し出であれ、これをしりぞけ、侵略国を占領する上でのフリーハンドを確保し、その軍事力を破壊し、政府を倒壊させた後でその改革を行うという決意を、いよいよ強固なものとしていたのである。

                    




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!


日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

ヒートアイランドと熱帯夜


気温上昇の寄与率は、夏より冬の方がずっと高いのである。しかも冬には、北海道の札幌と帯広がワースト10の上位2位と3位にある。また、最低気温が氷点下(0℃未満)の「冬日」は、1989年に東京で0になったように、大都会では異常に少なくなっている。

 



●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

核兵器禁止条約

署名国と批准した国

 ニカラグア

2017年9月22日

2018年7月19日

 ナイジェリア

2017年9月20日

2020年8月6日

 パラオ

2017年9月20日

2018年5月3日

 パレスチナ

2017年9月20日

2018年3月22日

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

       







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


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