2020年8月16日日曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

    ※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

【日航機墜落事故の真相】


日本政府は731部隊の免責の為に、アメリカの原爆威力調査に全面協力する!!

「黒い雨」訴訟 控訴に原告「非常に憤り感じる」(20/08/12)








●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。


東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)







1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察



731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!


731部隊被害者遺族の訴え!!        

 



検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

長与が「うつ病」  


19311127日に、この間世話になった医師を招いて、全快祝いをしている。

 その後、193235日午後、長与の全快祝賀会が、所内講堂で行われた(雑報、164号)。312日には出血性胃潰瘍が再発し、下血。49日島薗内科へ入院。その後54日手術。725日退院。728日帝国ホテルで全快祝いを行っている。

その後の日記をみると、

「1933年120日(金)晴、私は従来結核予防事業を傍観してきた。 (なぜなら)その組織よからず。真面目な態度を欠いている。このたび政府の案は、大規模にして、初めて我が意を得たものである。この会ならば尽力のし甲斐がある。」

 著者の小高健は何のことかわからないと言うが、「その組織よからず。」とは背蔭河の生体実験場を指すと考えれば,長与がうつ病になった原因も明らかになる。彼の知らない間に、背蔭河の生体実験が始まろうとしていたことがうつ病のきっかけとなったのではないか。

 

 

 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 


   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?


●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

細菌戦裁判第1審判決ドキュメント

                                 ー嵐の4日間ー

                                                      中谷真紀子 (大学生)

828日午後2時~衆議院第1議員会館

ー731細菌戦の責任追及と事実調査を求める国会内集会―

 

◆議員に立法活動を要請

 日本の弁護団や研究者から、午前中の日本政府へ細菌戦の事実調査の申し入れの報告、今後の運動に対する意見交換が行われた。

 ジャーナリストの近藤昭二氏は「きちんとした調査を」と調査の重要性を指摘し、「少しでも納得のできる結果が出るまで」この活動を続けると述べた。

 原告団からは原告一人一人が自分の家族がどのような経緯で細菌戦の被害にあったかを証言した。

 また、日本の弁護団、研究者、支援者と中国の原告、支援者の間で、判決の問題点、控訴審の問題点について意見交換がなされた。






●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?


     731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難


           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


 





一月一九日

 日本謀殺と書いたあけすけの題名には一驚するも  無知に近き支那人のみを祖国愛に立脚して 排日を企てる人が一人でもあれば実に恐るべき結果を生むことは言を待たないであろう。私は決して永遠に満州を日本の物にすることを希望するのではない。只之によって起こる幾多の事件の生み出されることを恐れる為にこんなことを書いたのではない。

 実際自分の国にして恐れながら暮らす支那人を可愛そうでならない。巡察兵が通る時小さい支那の小供たちは此の満鉄の踏切さえ通らず、巡察兵の通り過ぎるのを待って逃げるように通る所を見る時いかにそれが国こそ違うとは言え 人類愛から言うならば涙なくは見られぬ情讐景である。私その署長に対して一言感謝―を (切りがないやめう)

 


●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月29日(水)

6、平頂山事件と重慶無差別爆撃については全く知らなかったので、恥ずかしく思いました。また、毒ガス兵器以外の具体的な症状や遺棄された毒ガスによる被害についても知りませんでした。「日本は中国でひどいことをした」と知っていても、どのような加害かというと、南京大虐殺ぐらいしか知らず、(それも大まかにしか)今回映像を含め日本軍のした残虐な事実を具体的に知り、受け入れるのがとても辛かったです。また、日本軍が南京にいたときに、食料の支給がなく、上官からの虐待もひどかったというパネルを見、父から母へのDV、母から子への虐待の様な上から下に流れる加害の構図が説得力を感じました。(女性、40代、練馬区、ウェブ)


    

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報

96、あまりに残酷すぎて、でもこれが現実だったのだ!

(女性・70代・市内・チラシ)


 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


V 私は中国軍の捕虜だった

ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M


われ、ハルピンを脱出せず


中国は訊問ではなく、思想改造で迫る


 時々、中国側の政治指導員がやって来て、我々に討論というか、ディスカッションをさせた。たとえば「日本軍の中国侵略についてどう考えているか、自由に話し合って下さい」という具合である。

 我々は、自由に自分の思っていることを話し合った。政治指導員は、決して、個々の意見を規制したり命令したりはしない。ただ時たま助言めいた口を挟むだけであった。この4人の組み合わせは、時々変わったが、討論は同じように続けられた。
 思うに、厳しい訊問や拷問に訴えるよりも、こうした心底からの反省を呼び起こさせる方法の方が、効き目がある。私も、ずいぶんいろいろなことを考えてみざるを得なかった。

 




・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 


渡辺卯一郎供述書(1954年8月27日)

問:ハルピン警護総隊に転属になったのはいつか。どんな職務を担当し、どの階級であったか。

答:私は1941年7月にハルピン警護隊に転属となり、警備科長の任に就いた。階級は奏任1等警護官であった。

問:警備科長の職種はどんなものであったか。

答:主に情報収集、警護隊員に対する教育及び武器の保管と検査、並びに警備などであった。

問:軍用労務者列車をどのように護送して石井細菌部隊に送ったか述べよ。

答:1941年7月、ハルピン鉄道司令部の命令を受けて、30名の警護隊員を軍用列車に赴かせ、石井部隊行きの軍用列車のために警備を行った。私は当時警備状況を調べるために現場に行ったが、家畜運搬用の貨車の中にし7,80名が詰め込まれているのを見た。彼らはその夜大型車で石井部隊に運ばれたいった。

 (1)119-2、691、1、第4号 





●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発



5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開


科学動員の本格化

 アジア太平洋戦争初期の戦いは、局地的に優勢な兵力と制空権の確保によって日本軍の作戦計画は概ね順調に進展し、半年のうちに東南アジアの主要部を占領、そして中部太平洋・ソロモン諸島・ニューギニアへと戦線を拡大した。陸運統帥部の中には、独ソ戦の推移を見て好機があれば対ソ侵攻作戦を行うという意見が存在しており、また、中国戦線では、中国国民政府の首都・重慶を攻略するという作戦(5号作戦)の実施が検討された。

 

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

埋めるー中国の毒ガス弾に対する処理

 

隠れた災難はなお消えず

毒ガス砲弾が見つかった場所は広州市黄浦区の珠江口で、店草尾というところであった。ここは川の水に侵食されてできた砂地で、百トンの土砂浚渫船が毎日忙しく働き、急速な発展を遂げる都市に建築用土砂を提供している。この砂地の傍は、経済開発区の住宅地である。毒ガス砲弾はまさにここで発見されたのだった。

 





日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)


焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎
分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

「よろしい、呼んでよこせ」青山は身内の顔を見せると、この男が泣きつくだろうと考えたのである。通訳は偽警察官蒋を呼ぶと、城内にいるこの男の身内を呼ぶように命じた。蒋は返事をして斬首場を立ち去っていった。座っている農民風の男は蒋が身内の人を呼びに行ったのを耳にしたかその場を立ち上がり、着ていた上着とズボンを脱ぎだした。それを見た通訳は拳銃を振り上げ、上着を脱ぐ男に突きつけ、「你的幹甚麼(お前は何をするのだ)」言った。

 男は微笑を浮かべ、脱いだ上着とズボンを丁寧にたたみ直している。シャツ一枚になった中年の男はまた静かにその場に座った。死んでいくのに着物は必要ないと言うのである。中年の男はまた何か隊長の青山に向かって言った。 

 


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)




●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点

 しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。

①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。

 この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。



 


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊





●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

2、 生物・化学兵器の種類と特性


(2)衛生動物

① 節足動物(ハエ、ノミ、ダニなど)。

②その他(ネズミ、犬など)。

 ところで、生物兵器は使用予想形状について、エアロゾル(病原微生物を、微粉末の状態にし、これらを雲状又は霧状の形で広範囲に散布する)、けん濁液(病原微生物または芽胞のけん濁液を適当な噴射装置、投射器等により、化学剤同様に散布するか、容器等に入れて目的地(水源地等)に運搬し投入する)、媒体(病害動物をそのまま使用するか、または、病原微生物を適当な媒体に注射して使用する)の三形態をあげることができる。

 

 




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

2001年ピュリッツァー賞受賞



※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

194547日の成立から降伏までの間、鈴木内閣の主たる戦争政策は「決号」作戦の準備であり、それは本土防衛のための「捷三号」を改めたものであった。これは、極端に自殺戦法に依存した点に特徴あった。神風「特攻」機、潜水艦から出撃する人間魚雷、トラックのエンジンを動力源とし爆薬を積んだ「特攻」艇、航空機に搭載されたロケット噴射による人間爆弾といった自殺攻撃だけを目的とした兵器の大量生産、そして、特別に訓練された地上部隊による自殺攻撃といったものである。決号作戦の準備が進む一方で69日、臨時議会は最後の戦いに向け全国民を動員するための戦時緊急措置法と5つの法案を通過させた。

                    




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!


日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

ヒートアイランドと熱帯夜


 近年、気象(気圧や風)に大きな影響を与えている要因は、地球全体の気温上昇ではなく、このような局地的な温度上昇にある。何も調べない二酸化炭素温暖化論者が、東京などで増えている集中豪雨を異常気象だと騒ぎ立てるが、困った人間達である。これも、ヒートアイランドによる気流変化と、東京湾からの水分流入が要因で起こっていることが、気象メカニズムにより実証されている。2005年9月には東京都杉並区や中野区で洪水騒動が起こった。夜、台風の余波を受けて杉並区を中心に1時間に100ミリを超える記録的な豪雨だったため

、善福寺川などが溢れて、近在のマンションなど多数世帯が浸水したのである。



●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

核兵器禁止条約

署名国と批准した国

 ホンジュラス

2017年9月20日

 

 インドネシア

2017年9月20日

 

 アイルランド

2017年9月20日

2020年8月6日

 ジャマイカ

2017年12月8日


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

       









           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


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