2017年11月4日土曜日

幸徳秋水



幸徳事件(こうとくじけん)は、大逆事件の一つであり、明治天皇の暗殺を計画したとして、全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕・起訴して死刑や禁固刑判決を下した事件である[1]。
同時期には米国でマッキンリー大統領暗殺事件、ポルトガル王国でカルルシュ1世暗殺事件などの無政府主義者、社会主義者、共和主義者によるテロリズムが多発しており、この事件は国内に衝撃を与えた。
政府はこの事件の発覚を受け、跋扈していた社会主義者、無政府主義者を調査摘発し、根絶を図ったが、この過程で政府による捏造もあったとされている。
一般に「大逆事件」と言われる際は、この幸徳事件を指す。幸徳秋水事件ともいう。

逮捕・判決・処刑
1910年(明治43年)5月25日に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、1911年(明治44年)1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。1月24日に11名が、1月25日に管野がそれぞれ絞首刑に処された。
布施柑治によると、秋水は審理終盤に「一人の証人調べさえもしないで判決を下そうとする暗黒な公判を恥じよ」と陳述した。[3]。
刑死した人物は秋水の他、管野スガ、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童の12人。特赦無期刑で獄死した人物は、高木顕明、峯尾節堂、岡本穎一郎、三浦安太郎、佐々木道元の5人。仮釈放された者は坂本清馬、成石勘三郎、崎久保誓一、武田九平、飛松与次郎、岡林寅松、小松丑治の7人。
赤旗事件で有罪となり獄中にいた大杉栄、荒畑寒村、堺利彦、山川均は連座を免れたが、この事件の影響により社会主義運動は数多くの同調者を失い、暫時運動が沈滞したため「社会主義冬の時代」と呼ばれる。

平沼騏一郎・・・・1910年の幸徳事件(大逆事件)では、検事として幸徳秋水らに死刑を求刑した。この裁判は「暗黒裁判」として今でも批判がある。






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