2017年11月12日日曜日

731部隊員の戦後


日本の医療の原点 731部隊の関係者のその後の職業・役職 及び厚労省との関係 フクシマと731部隊より

731部隊関係者の戦後の職業(明らかな者のみ)
氏名 所属 戦後の職業・役職
青木義男  長沙、漢口  長崎大学 
安東洪次  大連衛生研究所  武田薬品顧問 
石川太刀雄丸  731部隊  金沢大医学部病理学教授 
岩田茂  満州医大  阪大微生物研観音寺 
植村肇  731部隊  文部省
江口豊潔  731部隊  江口病院長 
江島真平  731部隊  予研血液部 
大塚憲二郎  731部隊  国立東京第一病院 
緒方富雄  防疫研嘱託  東大医学部教授血液学
岡本耕造 731部隊  兵庫医大教授、東北大、京大医学部病理学第四代主任、近畿医大医学部長 
小川透 栄1644部隊 名大医学部助教授 
大田黒猪一郎 731部隊南方軍防疫給水部 ミドり十字常務取締役
笠原四郎 731部隊 北里研病理部長
春日仲善 731部隊、大連衛生研 北里研究所
加藤勝也 731部隊 名古屋公衆医学研究所
金沢謙一 大連衛生研 武田薬品研究部長
金子順一 731部隊 東芝生物理化学研究所新潟支所、予防接種りサーチセンター
川島清 731部隊 八街少年院
北岡正見 栄1644部隊 予研第四代副所長
貴宝院秋雄 731部隊、南方軍防疫給水部 京都微生物研究所
北野政次 731部隊 ミドリ十字一東京)取締役
清野謙次 防疫研嘱託 京大病理学教室教授
木村廉 防疫研嘱託 京大細菌学教室教授
草味正夫 731部隊 昭和薬科大
工藤忠雄 731部隊 大阪日赤
国行昌頼 731部隊 日本製薬KK、大学講師
倉内喜久雄 731部隊 永寿病院院長
小酒井望 防疫研 順天堂大浦安病院院長
小島三郎 栄1644部隊 予研第二代所長
児玉鴻 731部隊 予研初代所長、慶応大教授
斎藤幸一郎 陸軍技師 京大付属医専教授、山口医専教授、長崎医大
榊原秀夫 731部隊、162部隊 総合病院南陽病院勤務
貞政昭二郎 731部隊 原爆傷害調査委員金一検査技師〕
宍戸亮 防疫研嘱託 予研第八代所長
潮風末雄 731部隊 三重大学医学部病理学
篠田統 関東軍北支軍技師 三重県立医専教授
篠原岩助 731部隊 国立都城病院付属高等看護学院
正路倫之助 防疫研嘱託 京大教授
鈴木重夫 731部隊 東京衛材研究所
関根隆一旧安川一 731部隊 東京水産大学
瀬尾末雄 731部隊 三重大学医学部病理学
妹尾左和丸 731部隊 岡大医学部病理学
園口忠男 731部隊 陸上自衛隊衛生病学校、熊本大
田崎忠勝 栄1644部隊 信州大
高橋僧 731部隊、中留隊 高橋病院院長
巽産治 731部隊 巽病院院長
谷口典二 同仁会華中支部 阪大微生物研所長
田中英雄 731部隊 大阪市医専講師、大阪市立大医学部長
田部井和 731部隊、大連衛生研 京都大学医学部微生物講座主任
所安夫 731部隊 東大病理学助教授、帝京大医学部
内藤良一 防疫研 ミドリ十字会長
中黒秀外之 731部隊 陸上自衛隊衛生学校校長
長友浪男 731部隊 北海道庁衛生部長(副知事)
中野信雄 731部隊 加茂病院院長
西俊英 731部隊、孫呉支部長 西病院院長
根津尚光 731部隊 都立衛生研究所
野口圭一 731部隊 ミドり十字(名古屋営業所所長〕
野田金次郎 栄1644部隊。 信州大
野呂文彦 731部隊 野呂病院院長
羽山良雄 731部隊、防疫研究室、岡9420部隊長 開業
浜田稔 731部隊 京都大学農学部助教授
浜田豊博 731部隊 香川県衛生研究所
早川清 731部隊 早川予防衛生研究所
林一郎 陸軍技師 京大講師、長崎医大教授
肥野藤信三 731部隊 肥野藤病院院長
平山辰夫 731部隊 東京都立撮子保健院
稗田憲太郎 満州医大教授 久留米大学医学部長
樋渡喜一 731部隊 樋渡病院院長
広木彦吉 満州医大微生物学 北里研究所、日本歯科大学細菌学教授
福見秀雄 防疫研究室所属 予研第六代所長
藤野恒三郎 南方防疫給水部 阪大微生物研
細谷省吾 防疫研嘱託 東大伝染病研究所長
堀口鉄夫 731部隊 予研
増田美保 731部隊 防衛大学
三井但夫 栄1644部隊 慶応大学助教授
湊正男 731部隊 京都大学
宮川正 731部隊 埼玉医大
村田良介 防疫研嘱託 予研第六代副所長、第七代所長
目黒正彦 731部隊 目黒研究所
目黒康雄 731部隊 目黒研究所所長
八木沢行正 731部隊 抗生物質協会
山口一季 731部隊 国立衛生試験所
山田泰 731部隊園田隊 九州大学
山中太木 栄1644部隊 大阪高等医専助教授
吉村壽人 731部隊 京大航空医学教室助教授、京都府立医大、兵庫医大教授
若松有次郎 100部隊 日本医薬
柳沢謙 防疫研嘱託 予研第五代所長
渡辺栄 731部隊 阪大微生物研観音寺
文献:1.日韓関係を記録する会編「資料・細菌戦」一晩聲社一 2.高杉晋吾「731部隊細菌戦の医師を追え」(徳間書店〕
    3.常石敬一「医学者たちの組織犯罪」(朝日新聞社) 4.「日本伝染病学会会誌」、「京都大学70年史」


驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/205.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2014 年 5 月 16 日 09:10:14: FpBksTgsjX9Gw
    

御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
まずは長崎大学から。
==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====
山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。
少なくとも次の4人が関係者だと言われている。
林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授 
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授 
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長
福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。
長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。
そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。

==== 重松逸造 ====
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ731出身者の巣窟であった。
重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。
米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の
日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。
そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。
そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。
重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。
当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。
奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。
恩義があるから米国の言いなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安倍首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)
重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。
また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。
彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。
2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。

==== 広島大学医学部 ====
長崎大と比べて、広島大には731部隊の主だった関係者は在籍していなかったようだ。
しかし放影研、重松逸造との関係は深い。
まずは原子力安全委員会委員の久住静代(放射線影響学)。20ミリシーベルト提案者である。彼女は重松の教え子であり、放影研、広島大学原爆放射能医科学研究所(原医研)で働いている。
次に神谷研二教授。原医研所長であり、福島県立医科大学副学長に就任した。
この人も重松の弟子であり、長瀧重信とも仕事をしている。
原医研では2006年に放射性ヨウ素131のずさんな取り扱いが内部告発で明らかになり、文科省による立ち入り調査を受けた。
しかし研究総括責任者の神谷は政治力を駆使、「訓告」だけですんだ。
ほかにも原医研では不祥事が多く、1969年に患者に他人のがん細胞を注射し、体内で生成された抗体をまた元のがん患者に注射するという731顔負けの人体実験が発覚、担当助教授は辞任した。
また2005年、腫瘍外科研究分野の教授が医師派遣に絡む受託収賄容疑で逮捕された。


==== 国立公衆衛生院 (現国立保健医療科学院)====
東大系の研究所では、国立公衆衛生院、東大医科学研究所(旧伝染病研究所)、
国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)の3つが731部隊との関わり合いが深い。
まず国立公衆衛生院であるが、関東大震災の復興援助として、ロックフェラー財団から建物・設備が寄贈されたのがその始まりである。
ここの疫学部長に就任したのが野辺地慶三である。彼は1923年、ハーバード大学に留学、帰国後数々の業績をあげ「公衆衛生の父」と呼ばれている。
1958年にはABCCの疫学部長に就任している。
この人物も731部隊、そして米国との関わり合いが深い。
戦後、百日咳の研究で、731部隊の最高幹部であった北野政次、安東洪次と協力している。
重松逸造は野辺地の教え子で、1966年に疫学部長に就任している。
国立公衆衛生院は2002年、改組により国立保健医療科学院となり、現在は、汚染食品からの被ばくは小さいなど安全キャンペーンをやっている。

==== 東大医科学研究所(旧伝染病研究所) ====
上昌広教授、坪倉正治医師の所属する医科学研究所(医科研)は、初代所長があの北里柴三郎で、由緒ある、エリート医学者のための研究所である。
しかし第7代所長・田宮猛雄は731部隊への人材供給役であった。
宮川米次(第5代伝研所長)、細谷省吾、小島三郎、柳沢謙、金子順一、安東洪次、緒方富雄、浅沼靖などの研究者が731部隊に関与したと言われる。戦後、何食わぬ顔で東大教授になった人もいる。
戦後、731部隊長・北野政次が伝研に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮であったと言われる。
戦後、田宮は731部隊で得た成果を利用し、リケッチアによる伝染病、つつが虫病の研究で有名になり、国立がんセンター初代所長、そして日本医師会会長まで登りつめ、医学界のボスとして君臨した。
水俣病では田宮委員会を組織し、熊本大医学部の有機水銀中毒説をつぶし、被害を拡大させた。田宮が初代所長になった国立がんセンターだが、ここも問題が多い。
上昌広は、2001年から国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究をしていた。
国策遂行が最優先され、臨床試験を効率よく行なうために、重篤患者を切り捨て他の病院に回すのが当たり前だったと語っている。患者の命よりも研究成果が重視されるのだ。
「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」 (MRIC Vol.198 2008/12/22)
http://mric.tanaka.md/2008/12/22/_vol_198.html
ちなみに、2011年9月に山下俊一は、日本対がん協会(垣添忠生会長)から「朝日がん大賞」を受賞したが、垣添は元国立がんセンター総長であった。まさにズブズブの関係だ。フィルムバッジを福島住民に配布することを提言したのもここ。
ここも汚職など不祥事が相次ぎ、2010年に独立行政法人へ移行、国立がん"研究"センターと改称している。
インタビューで、上教授は福島で収集したデータが高く売れると話している。
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/595.html
住民の命、健康を守ろうという姿勢は全くうかがえない。彼にとって福島は金ヅルでしかないようだ。
"モルモット"が逃げ出さないよう、後輩の坪倉正治を福島に派遣して安全デマを流布している。
「将来奴ら(福島県民)は、集団訴訟とかするんやろなあ」と酔って話したという話も伝わっている。
しかしまるで他人事、責任感は全く感じられない。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/aacebb2e3d5f936dce460130bdfd2f30



==== 国立感染症研究所・旧国立予防衛生研究所(予研)====
戦後、米軍命令で予研が設立され、伝染病研究所から約半数が移籍している。
ここもまさしく731部隊の牙城、再就職先であり、柳沢謙(結核研究)、そして前述の福見秀雄など何人もの731関係者が在籍した。
そして、戦後も米軍と協力して密かに人体実験を続け、犠牲者を出している。
ここにそのまとめがある。福見秀雄の名前が何度も出てくる。
出展は、新井秀雄著「科学者として」(幻冬社)
「わしの本の予定と、『予研』問題のコンジョいる入門講座」 (宮崎学 2000/11/6)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8536/yoken.htm
薬害エイズの非加熱製剤を合格させたのも予研である。
また予研は1947年から1975年にかけてABCCに協力をしている。
1989年、住民の反対を押し切って、東京・新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地に予研の建物を建設工事中、大量の人骨が見つかった。ここには731部隊の日本における拠点があったため、その関連性が疑われている。
犠牲者の怨霊のしわざだろうか、ぞっとする事件である。
予研は薬害エイズ等であまりにも評判が悪くなったためか、1997年に国立感染症研究所に改称された。
(不祥事が起きると組織名を変えてごまかすのが日本の伝統である)
福島関連では、被ばくとは直接関係ないこともあって、この研究所の御用活動は今のところ目立っていない。
しかし、マイコプラズマ肺炎や風疹など得体の知れない感染症が流行し始めており、今後は要注意である。
これは稼ぎ時とばかりに、製薬会社とグルになって、効果ゼロかつ危険な副作用をもつワクチンをでっち上げ、強制接種すべしと圧力をかけるかも知れない。
ちなみに、ここの先生方は子宮頸がんワクチンの恐ろしい副作用を「気のせい」と判断している。


==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====
中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1232/4.html
この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。何をしていたかは容易に想像がつく。
戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。
彼の弟子が、元放医研所長の佐々木康人教授(現・日本アイソトープ協会・常務理事)であり、ICRP委員も勤めている。その教え子が、われらが中川先生である。
驚くべきことに、彼の恩師をたった2代さかのぼれば731部隊にたどり着くのである。
また中川と同じく、安全だ安全だと繰り返す明石真言は、この研究所の理事である。
ここも法令違反など度重なる不祥事が起きている。そのうち名称が変わるであろう。
いつも内部被曝は無視するから、放射線外部被曝研究所とでも名付けたらよかろう。
以上、簡単にまとめてみたが、みなさんの感想はいかがだろうか。




あまりにも御用医学者たちが731部隊と簡単に結びつくのにびっくりしたのではないだろうか。正直、私も驚いた。
活躍中の御用医学者の恩師をさかのぼれば、直接または重松逸造を介して731部隊関係者にたどりつく。
世の中は広いようで狭い。すべて御用の道は731に通ず、というわけだ。
日本の医学界イコール731部隊であり、御用医者のみならず誰をさかのぼっても731部隊に行き着く、という指摘もあるが、これは荒っぽい性急な議論であろう。
なぜなら、731関係者が多かった組織ほど重大な社会問題を引き起こしているからである。
予研がそうであり、また731部隊員の受け皿であったミドリ十字(旧日本ブラッドバンク)も薬害エイズを引き起こした。人命軽視、成果・利益最優先の結果である。


本来ならきちんと裁判を行ない、731部隊の行なった残酷な人体実験の責任を明確にし、関係者を処罰し、医学界から追放すべきだった。
しかし米国と闇取引をして、実験の成果を渡す代わりに全員が無罪放免になった。米国も共犯である。
731関係者は何一つ罪を問われなかったために、人命を軽視し、人間を当たり前のように実験台に使い、成果を自分の昇進や金儲けに使うおぞましい伝統が日本の医学界に生き残り、はびこってしまった。

国家のため医学のためという大義名分の下に、何千人もの捕虜や住民を丸太(マルタ)と称して使い、血も凍るような凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の思想・精神は、脈々と後進に受け継がれているのだ。


そして今、その何百倍、何千倍という規模の人体実験が福島を中心に行なわれているのである。
731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。
彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。

御用医学者たちが鼻血を必死で否定するのも、被ばく被害に気づかれて、"モルモット"が汚染地帯から逃げ出してしまうと困るからである。
私は、福島その他の汚染地帯にいる人たちに何度でもこう言いたい。
「あなたたちは、あの悪魔のような731部隊の末裔によってモルモットにされているのですよ。
彼らの言うことを信じてはいけません。
犠牲になりたくなければ、一刻も早くお逃げなさい」

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