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番組に変更がありました。やはり8月後半になるようです。
9条を世界へ拡げよう!!
人の命を奪い、自然破壊をもたらす戦争をストップさせることを真剣に考えよう!!刻一刻と地球は壊れていく!!
●日本国憲法9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
03
おたがいに戦争をしないと約束した世界
地球規模では、世界各国が軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つことが重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人びとは国境を越えて行き来し、経済や社会はつながり合っています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
※日本は目下、戦闘機等を輸出しようとしている!!
何とか歯止めをかけなければ!!
NO WAR!!
あらゆる紛争を、武力ではなく話し合いで解決できないものか??
地球は、戦争と核実験によって壊れかかっている!!
戦争即停戦!!地球上から島が消える!!
【詳細】イスラエル・パレスチナ 中東情勢(7月15日)
※次期戦闘機の輸出が閣議決定され、色々な武器を自民党は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
佐々木八郎さん
1922年生
1942年東京大学経済学部入学
1943年学徒出陣にて横須賀の武山海兵団入団
1945年4月14日 沖縄海上で昭和特攻隊員として戦死。22歳。
(7月29日の日記より~「軽井沢に見たような富豪の生活、近時見聞きする軍人の時を得顔の振舞、官吏、資本家の実情を見るにつけ、我々は胸の煮えくりかえるのを覚える」。エッセイ『愛と戦と死-宮沢賢治作「烏の北斗七星」に関連して-』より~「憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ。 正直な所、 軍の指導者たちの言う事は単なる民衆扇動のための空念仏としか響かないのだ。そして正しいものには常に味方をしたい。そして不正なもの、心驕れるものに対しては、敵味方の別なく憎みたい。好悪愛憎、すべて僕にとっては純粋に人間的なものであって、国籍の異なるというだけで人を愛し、憎むことは出来ない。・・」 『きけわだつみのこえ』より
PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会
黒井さんのメールより
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。
★感想文
5、戦争が原因で起きる家庭内暴力について初めて触れたが、ただのDVとは違い、憎むものがない分、よけいに辛いのではないかと思った。同時に自分がされたことを次の世代に、次の世代にと受け継がれてしまうのはただのDVと一緒なんだなと思った。子どもが苦しむのもそうだが、夫を送り出し、無事に帰ったきたと思ったら抜け殻と化し暴力をふるい、酒やギャンブルに依存する変りはてた愛する人を見てどう思ったのだろうか。それを相談することもできず世にも認められない苦しさを想像すらしたくないと思った。
黒井秋夫さんのメールより
「戦争のない世界」
私はある個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で兵士の道を選ぶことは尊重します。
しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、徴兵なり集団多数の意見なり、集団の長なりの意思に強制されて兵士にされ戦場に派遣されることは受け入れることができません。真っ向から反対します。支持できません。個人の自由意思はどんな場合でもどんな時でも尊重されるべきと思います。
そのことが民主主義の根本条件と思います。
祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。
●映画『終の住処を奪われて 福島原発被害東京訴訟』 2017年/37分
あれから6年、原発事故は未だ収束していない。福島県外の避難者は8万人を超え、
その多くが生活の不安を抱えている。だが、国・福島県は避難住宅の無償提供を打ち
切るなど、復興の名のもとに避難者を切り捨てる姿勢だ。そんななか、国と東京電力
の責任を追求し損害賠償を求める、福島原発被害東京訴訟が進行中だ。原告団長・
鴨下祐也さんの活動を軸に、事故被害を科学的に検証、避難者たちの闘いを追った。
日本は過去を反省すべし!!
地震の多い国に原発は危険!!反原発!!
リニア建設反対!!原発3基分の電力をどうする??
11月17日、ジュネーブの国連本部におけるパレスチナ国連大使のスピーチ
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
【文鮮明】皇室と統一教会の関係|三笠宮と教祖の記念写真【皇族】
5 19 怒りの市民パレード(わが町・府中に「統一教会」系カルト集団はいらない!!)
地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発。
これからの世界が真っ先に取り組まなければならないこと(SDGs)は、
1、核廃絶(核実験後の除染、核弾頭の処理、原発全廃、廃炉作業、核のゴミの処理)
2、戦争の後始末(地雷除去、化学兵器の処理、被害者の治療、PTSDの治療)
3、武器の廃棄(基地撤去、軍備全廃、環境整備)
※これらを実施するためには、国連改革が必要だ!!【紛争は話し合いで解決する!!、
五大国廃止(拒否権行使撤廃)等】
世界は、放射能の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリカだけではない!!世界は核実験・原爆・原発事故により放射能で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
世界に拡がる放射能汚染は、核抑止論・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!
第9回「戦争の加害展」(横浜)
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発をやるつもりなのだ!! 核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!! いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!
日本と台湾の地震の対応が何でこんなに違うのか?
3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか? 飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。
改めて、昭和天皇・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
ニュルンベルグでは、アメリカは医師裁判などを行い、医師裁判では23人の被告人が裁かれ、うち7名が絞首刑となった。
市教委が展示したパネル
山田朗講演会(講演、質疑応答、意見交換等)
・山田先生の講演を聞いた人の感想
化学兵器や生物兵器は天皇の戦争責任にどう関係したでしょうか?小泉親彦や橋田邦彦の自死、あるいは帝銀事件が東京裁判で天皇の責任が問題になりそうな時に起きているのが気になっています。
・山田朗先生の回答
昭和天皇が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営からの命令(大陸指)の発令や、731部隊の関係者と接触した三笠宮からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
三笠宮と731部隊員の記念写真
三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮と731部隊
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮・宮田(竹田宮は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れる時は、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
「香川の子どもと教科書ネット」通信
第68回会議報告より
そもそも安倍晋三は、刑務所に入れるべき犯罪者なのに、管 義偉前首相、岸田文雄首相は、多くの国民の反対を押し切って「国葬」で祭り上げ、さらに、「生前中の功績を讃えるのだ」と言って、犯罪者安倍元首相に、最高位の勲章である「大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)」を授与させた。
この勲章は、天皇が国事行為の儀式の時につけるもので、重たくて、天皇自身難儀をしているそうだが、一般国民で、これを受章したのは、吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘、各元総理大臣に続き、4人目だそうだ。
そもそも同じ人間なのに、差別助長の為に天皇に勲章を与え、さらに生前中顕示欲の強い、いわくつき総理大臣のみに与えるこの制度の時代錯誤に驚く。
長周新聞
記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実-首都圏制圧のための大虐殺 130回で25万人殺傷
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。
東京大空襲
死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。
重慶爆撃
日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
この映画では、元731部隊員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
旧日本陸軍の施設旧陸軍施設概要を図解(教導団とは?)
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、東京裁判が始まる前に、天皇に「人間宣言」をさせ、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、象徴天皇制と憲法9条を盛り込んだ憲法草案を提示し、それを日米でアレンジした。1946年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布された。
東京裁判では、日本軍の上層部で活躍した皇族や極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊員、毒ガス部隊員、登戸研究所員等も戦犯免責にし、アメリカはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。その流れが、ビキニ、福島、原発政策へと続き、依然として原子力村、安保村が日本の原発・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。
靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金を投じた追悼施設さえない(東京大空襲等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島で毒ガスの製造に関わった被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、全く補償がない。
アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
靖国神社を廃止し、国立の戦没者追悼施設の建設を!!
東京裁判での東条の証言
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのがアメリカの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は天皇の意志によるものだった、ということになる。
アメリカ政府とGHQは、占領政策を円滑に進める上で、天皇は不可欠な存在と考え、天皇不訴追の考えを固めていた。
731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします! https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s
珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!!
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
福島原発事故の写真
「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします! https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s 敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!!
日本の中国侵略、原発事故を問う!!
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
能登半島地震の写真や図説
未知の断層はまだまだあるのではないか??
同時に、原発事故が起きていたら?? 国策原発推進反対!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!
被害は福竜丸だけではありませんでした。1954(昭和29)年の12月末までに、856隻が被害を受けました。これらの船から水揚されたマグロは「原爆マグロ」と呼よばれ、約490トンが廃棄されました。全国の漁業関係者は、商売にならず、怒りの声をあげました。
また、5月ごろからは放射能を含んだ雨が降るようになり、日本中に不安が広がりました。
9月になるとソ連の核実験による北からの放射能雨も降り始めました。野菜も井戸水もこの雨に汚染されました。
アンケートから
12月16日(土)
3、原爆の絵、その他パネルで核の恐ろしさ、悲惨さを再認識した。ヒロシマ・ナガサキと原爆を落とされ、フクシマは事故を起こし、未だに核の力に頼る政府に怒りさえ覚える。
(30~50代、市内、図書館に来館して)
●三多摩平和交流会の感想
8、「声をあげる高校生たち核兵器禁止条約に署名・批准を」上映を観て、東京高校生平和ゼミナールの津田幸介先生のお話を伺いました。高校生平和ゼミナールの活動が全国に広がっていること力強く思いました。
先日、スティーブンリーパーさんたちの活動運動が又始まっていることを知りました。いろいろな活動がつながり、核兵器禁止条約日本政府批准を実現進めていきたいと思います。
三多摩平和交流会の活動につながって行きたいと思います。
(レイバーネットイベントカレンダー、70代以上)
第5章 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み
2006年5月16日の最高裁判所の決定で裁判は終わった。しかし、日中の市民は、2006年6月5日の共同声明の精神に基づき、平頂山事件の被害者及び遺族が掲げる平頂山事件の解決のために、現在まで地道で粘り強い活動を続けている。以下、その活動のいくつかを紹介する。
3 「『撫順』加害と再生の地から ~現代と未来を考えるシポジウム」(2008年9月13日 東京大学弥生行動)
平頂山事件幸存者 王質梅さんの証言(通訳・藤原知秋)
<王質梅さんの略歴>
1921年撫順市平頂山で生まれる。平頂山事件当時11歳。事件で父,母,弟を殺される。自分も銃剣で背中を刺されるが奇蹟的に生き延びる。事件後,叔母の家に引き取られ,名前を代え,長春に移住。2005年9月,撫順市社会科学院の調査により,平頂山事件の生存者であることが初めて知れる。現在長春市在住。87歳。
おばあちゃんの家族と一緒に10日以上過ごして、その家族と一緒に栗子溝に戻りました。ある日、訪ねてきた老人が私のことを知っていて、「この子は李さんの所の娘だ」と言いました。父や母のことを聞かれました。親戚のことを聞かれたので、撫順におじさんとおばさんがいると話しました。その老人は撫順のおじさんとおばさんに私のことを伝えてくれました。おばさんが私を迎えに来てくれました。母方のおじさんも来て、やっと自分の親戚と会うことができ、抱き合って泣きました。私のことを連絡してくれた老人も、助けてくれた家族も、みんな泣いてくれました。
一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!
(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名 被告
全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所 民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第 1 ビキニ被ばく船員保険訴訟に至る経過
しかし、高知の高校生らの聞き取りによるビキニ被ばく船員の存在の表面化、第五福竜丸船員への船員保険の再適用、マスコミ等を含む情報公開等を経て、原告らの船員保険申請となりました。
不認定等となったことから、取消訴訟が高知地裁に提訴されましたが、管轄の関係で現在東京地裁に移送係属しています。
被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!
福島原発事故の写真
世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発 原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係?? 日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。グリーンピースからのメールの一部より
汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて
8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。 「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。
2023年の「戦争の加害展」の感想
◆8月27日(日)
13、日本が行った数々の事実を知ることができて良かったです。学生の時の日本史の授業では学ばなかったので、貴重な学びの時間でした。日本人は、日本が行ってきた事実をもっと知る必要があると思います。
今後国際法、グローバル化が進む世界において、無知というのは差別につながると思います。中国や韓国だけでなく、東南アジアにも影響をもたらしているという、歴史的な背景を知るべきだと思いました。(20代、友人)
長野県飯田市で起こっている731問題
飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠の旧従業員(財務省所管)および元動員学徒等(厚生労働省所管)に対する接護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所跡)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)
化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器による被害が後を絶ちません。
日本は1995年に化学兵器禁止条約に批准し、1999年以降、内閣府主導で、それらの化学兵器を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器に含まれていた有毒物質のヒ素が残ってしまいます。内閣府はこのヒ素を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討していることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しかし、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も行いましたが、2022年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」
という趣旨の内閣府の裁決がありました。
そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日に提訴しました。
\次回弁論傍聴のお願い/
2024年7月18日(木)16:00〜
東京地裁703号法廷
閉廷後、待合室にて弁護団が簡単に進行状況について報告します。
先日もお伝えしましたが、国は、裁判所指定の整理表についてて、全体の6分の1ほどの文書について不起立理由の整理をしてきました(予定より遅れています)。
弁護団では、担当箇所を振り分けて原決定による開示文書と今回出てきた文書を照らし合わせながら、開示された箇所と不開示理由の妥当性を分析検討しています。
次々回には、整理表に基づいてそれぞれの不開示箇所について、反論を行う予定です。
\次回弁論傍聴の注目ポイント/
先日、「原決定による開示文書には、黒塗りにされているが、不開示理由が添えられていない箇所(=不開示理由がないのだから本来は公開されるべき箇所)などもあり、この件については別途提起する予定」とお伝えしましたが、6月17日に不開示決定がないまま開示されなかったことによって原告の文書開示を受ける権利が侵害されたことに対する損害賠償請求を追加しました。
今回、請求に対する答弁と請求原因事実に対する認否が出される予定です。
次回の弁論では、国が行政文書情報解放の開示原則をおろそかにした対応についてどのような言い訳をしてくるのかが注目です。
\ご支援よろしくお願いします/
【口座記号番号】00120-2-732043
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他行からのお振込み頂く場合:
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・訴訟に必要な事務費用(印紙、郵券、印刷費・参考文献購入費、会議費など)
・専門家の意見書執筆費用
・弁護団交通費用
・弁護士費用
リーフレット
プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人」の感想
6、呉監督のお話を聞くことができ、とても心に響きました。DVD全部見たかった。
(70代、 横浜市内、フェミン)
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
1995年8月15日
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
南京大虐殺
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
苦干(重慶無差別爆撃)
731部隊
原爆
広島に原爆投下された理由は?
原爆に関するよくある質問
原爆の被害を受けた人たちの今は?
原爆の被害を受けた人は「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)の対象となり、健康診断や手当の支給などが行われています。*17)被爆者健康手帳が交付されるのは以下の条件を満たした人です。
原爆投下時に広島市・長崎市の一定の区域内にいた人
原爆投下後2週間以内に一定の区域内に立ち入った人
原爆投下時やその後に、身体に放射能の影響を受ける事情にあった人
1~3にあてはまる人の胎児だった人
*17)
被爆者健康手帳の所有者のうち、原爆症認定を受けた人は医療特別手当が受けられます。しかし、原爆症の認定基準が厳しいとして複数の裁判が提訴され、そのいくつかで国が敗訴しています。*17)
原爆が使用されたのはなぜ?
●東京帝国大学伝染病研究所
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
宮川米次
5、リケチャに関する1,2の所見
齧歯類による地方性発疹熱の伝播
Zwierz J (C. R. Soc. Biol.1938)は流行地の野鼠の心血によるWeil-Felix.反応によって16%陽性.稀薄地では0.5%。無病地では全然これを認めなかったと言い、野鼠が病毒伝播に意義があるものであるらしいと言う報告もある。
Zinsser, H. Weih & Fitzpstrick F, (Proc. Soc. Exper. Biol.& Med. XXXVII 1937) Rickettsia の培養は従来組織培養によってのみ成功したのであるが、Zinsser等は―新法によってこれに成功した。即ち4%寒天水溶液に50%馬血淸を加え、2倍量のタイロード液を注ぎPHを7.4―7.6となして斜面とする。PHを修正するために試驗管にはゴム栓をなし中央に毛細管を挿入してある。病材は海猽莢膜の乳剤を病毒に浸し、上記の斜面に塗擦するのである。6日目頃から培養が始まり、10日目頃か最高になると言う。一種の組織培養法を発表した。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
第7章 満州事変
Ⅳ
1933年が明けるとジュネーブの日本代表団は国際的に孤立していた。国際連盟が日本政府の公式見解を受け入れなかったことをめぐり、東京での議論は沸騰した。内田外相は日本の連盟脱退が差し迫っていることを奏上したが、天皇は、日本が連盟から認められている旧ドイツ領ミクロネシアの信託統治権にどのような影響があるかと質問したにすぎなかった。ひと月後の2月20日、斎藤内閣は正式に―しかし、ひそかに―国際連盟脱退を決定した。24日、連盟は42対1(日本)で満州国承認を否認し、当然のことでもあるが日本の侵略を穏健な仕方で批判した報告書を採択した。英語に堪能な日本代表団首席松岡洋右(ようすけ)は、内閣の既定の方針に従い、総会を退出した。3月27日、日本政府は連盟脱退を正式に通告した。