2022年3月3日木曜日

細菌戦の系譜!!

                  
















NO WAR!!
ロシアはウクライナ侵攻をやめろ!!


ソニアの日記


コタバル 伝えられなかった戦争(2011)


セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)


開戦ー前編ー


なぜ医学界は、核被害を訴えないのか?

佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない



反原発!!


佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945) 

大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

          重慶無差別爆撃

九六式陸上攻撃機




もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・


遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


マギーフィルム(字幕付き)



政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」







2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

加藤哲郎講演の感想

・731部隊について数年前に武蔵小金井で講演を聞き、その後何回か、講演・NHKスペシャルなどで個別に勉強してきました。本日改めて、全体像の説明を受け、少しずつ、頭の整理ができました。ありがとうございます。

アミダステーション展示・ビデオのアンケートにも記しましたが、731部隊に関係したNHKBSのドキュメント番組一般公開してほしいと思います。NHKに対しても無償公開、自由アクセス可能なよう要求したい。

中学生・高校生・大人(戦後世代)の勉強材料としたいと思います。本日先生の紹介のあった本・議事録を一覧公開をお願いします。

(70代、市外)


















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

メチル水銀中毒(「水俣病」)
「水俣病」は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患としてあつかわれていました。その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。
水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認されました。 この疾患は昭和32年(1957)以降「水俣病」と呼ばれるようになりました。
阿賀野川流域の水俣病については、昭和40年(1965)5月に患者発生が報告され、その年の7月には26人の患者とそのうち5名の死亡が確認されました。 水俣病患者の認定は、公害健康被害の補償等に関する法律に基づき関係各県の知事および国によって行われます。

田宮が所長を務めた東大医科学研究所(旧伝染病研究所)や、初代総長となった国立がん研究センター(旧国立がんセンター)に勤務した上昌広教授は、国立病院では患者の治療よりも研究の成果や効率が優先され、陸海軍の亡霊がいまだに行き続けていると述べている。陸海軍というより731部隊の亡霊と言ったほうが正しいだろう。
その上教授も、福島原発事故が起きるや否や、本来ならすぐに避難させなければならない福島の住民をだましてモルモットにし、白血病のデータを収集して金儲けや出世に利用しようとしている。
やっていることは731部隊と何ら変わりはない。
731部隊の人体実験の責任を追及し、関係者を処罰し医療倫理を正さなかったために、本人の同意も得ずに人間をモルモット代わりに使う悪しき伝統が現在まで続いているのだ。





隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)

 帝銀事件捜査が行われていた1948年1月から9月当時、まだ東京裁判やBC級戦犯裁判が行われている最中であり、一方で残虐行為のために死刑判決を受ける人がいた反面、他方では極めて組織的な残虐行為を行なったにもかかわらず、米軍に保護され、完全に免責されるという人(のちに米軍に雇われる人もいた)が存在したのである。
 つまり、帝銀事件の捜査の段階で、日本の民主化・非軍事化政策の一環として行われた戦犯追及は、大きくねじ曲げられ、戦争犯罪・戦争責任が隠蔽されたということである。その意味で、帝銀事件の捜査は、占領政策の大きな転換をもたらす分岐点なったと言えるのである。(明治大学平和教育登戸研究所資料館長)




黒い太陽731(1)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??


実験医学雑誌第18巻雑報


1812号(1934年)

実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)

総説

満洲国に於ける見聞

    宮川米次

第4章 満洲医療機関

個人経営医院

 撫順の満鉄病院も内野院長の経営と手腕とによってなかなかに見るべきものがあったが、私は特に愉快に思ったのは遠藤博士の主宰しておられる南満州保養院である。
現在病床は100前後ではあるが、今後次第に増築せられていく計画が立てられていると言うことである。
地の利を得、人の輪を以て、極めて和気靄々たる気分が漂っていた。厨房より出る塵芥でメタンガスを発生させて暖房より研究室裡に迄も用いおられた。食堂の配置、娯楽室の施設、痰壺の作り方、消毒の仕方等迄も参考にすることがなかなかに多かった。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2 被告の細菌戦

第3 被告の細菌戦と本件各被害との因果関係

7 細菌戦による寧波のペスト被害

(1)衢州への細菌攻撃と同じ頃、浙江省の港湾都市寧波に対してもペスト感染ノミが投下された。このため、寧波には突発的なペスト流行が起こった。これ以前に、寧波でペストが発生した歴史事実はない。

 1940年10月下旬、日本軍機は寧波市(旧称朶県)開明街上空から小麦などとともにペスト感染ノミを投下した。飛行機が飛び去った後、開明街一帯の商店の庭、屋根、水瓶、路上には小麦などが散乱し、生きている多量のノミも住民によって目撃された。






731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

五月三一日


晴 風無し 非常に良い外出日和なり。外出致さず 午後六時に大隊当番上番す。

書くまでもない日曜日也 今日は一日遊べる予定也 但し午後十時迄はこの間炭坑で頂いたビールを今日呑んだ うまくもないが悪くもなし、そして面白く呑み合っているのにむかつくではないか 一人来二人来して中隊中の下士が集った くそ面白くもない逃げてきてしまった。今日はよほど外出致そうと思ったが 変に心にもない事を冗談交じりに 鞍山なんて遊ぶ所はない 私の遊ぶ様な高尚な所はなんて 偉そうにも見た所は山山なる野術試合(奉天医大対オール鞍山)


明日は初年兵が入ってくる。入営者はこれが最後に。この次は愈々僕たちが送ってもらうんだ。あと六ヶ月営庭のポプラの木でもゆすりに行こうかしら。葉さえ散れば満期になるんだからな。満期 草を見て喜んだのも最早一月前のこと 今は此の青さのなくなる満州の寒さを心から祈っている。五月も終わった。六ヶ月も終わったという様になりたいものだ。午後六時大隊本部当番として上番し 一月以来初めてだ。何のことはない、上番したら中隊では演芸館に活動見に行くんだって。なんと運の悪いことだ。僕は中隊からいったことは一度もない。致し方無しか、来年の正月はゆっくりできるから。


「ずっと父が嫌いだった」




軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。




 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送

“難民区の華僑を虐殺”


大快良明(たいかいよしあき)8604部隊

<経歴>

1917年生まれ

1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入

1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属

1942年 南方軍岡第9420部隊に編入

1946年6月 帰国

◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。


解説 岡9420部隊    (近藤昭二)

1942年2月15、シンガポール陥落。参謀本部の作戦課では細菌兵器に襲われることも想定していたようで、当時南京の1644部隊長で石井四郎の右腕と言われた増田知貞中佐は、前線を視察、「敵は積極的に『ペスト』を使用することなかるへし」と報告している(井本熊雄の業務日誌)。この2月頃から南方軍に防疫給水部を編成することが具体的に検討されている。当時のシンガポールには、第25軍隷下で本来の防疫給水業務をしながら進攻してきた部隊―1938年(昭和13年)8月まで石井部隊にいた渡辺廉(すなお)軍医中佐の率いる第12防疫給水部3個班がいたが、4月1日、新たな軍令に基づき、細菌戦を準備する常設の防疫給水本部が編成されることになった(厚生省引揚援護局作成の「部隊略歴」では4月1日編成下令、昭和20年10月28日陸軍省作成の「陸軍部隊調査票」には3月26日編成と記載されている)。


日本軍政下香港(1997.7.27)






●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






4  日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害


岩井正雄自筆供述書(1955年)

それは1943年8月下旬のある午後だった。ときはまさに盛夏で厳しい暑さは耐えがたく、少し動いただけでも汗が滝のように流れた。当時、私は山西省陵川県で衛生宣撫官をしていた。30名の八路軍容疑者がおり、各種の残酷な拷問と尋問を行ったにもかかわらず、満足できる自白が得られず、全く手の施しようがなかった。私は宣撫班長の和田と検討し、30人の中ではほぼ八路軍と断定できる3人を処刑することに決めた。和田班長が、彼の日本刀の切れ味を試すべく処刑は斬首にしたいと語った時、私はかつて聞いたことのある、人間の血管の中に粟状ほとのわずかな空気が入っても血液の循環に障害が起きて、最後には苦痛のうちに死ぬ、という話を思い出した。そこで「空気注射を試させてもらえないか」と要求し、ことはそのように決まった。



 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題



1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄

日本の敗戦と日本軍の武装解除



毒ガス兵器の廃棄② 海外

海外での毒ガス兵器の廃棄については国内以上に不明な点が多く、これまで知られている事例は極めて少ない状況にある。まず、毒ガス兵器を連合軍に引き渡したケースを見てみよう。筆者がこれまで陸軍の武器引渡目録類を調べた限りでは、台湾陸軍兵器補給廠高雄分廠が「大あか筒」100本・「小あか筒」2250本・催涙筒1本を連合軍に引き渡した事例が確認することができる(台湾陸軍兵器補給廠高雄分廠考譚出張所「引渡兵器目録」)。しかし、イペリットやルイサイトなどの猛毒ガス兵器を引き渡した記録はまだ確認されていない。今後は、国内だけでなく海外の資料調査が待たれる。





第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第9章 戦犯の証言


戦犯たちの戦後50年

 多くの人が金子さんの発言に共鳴したのだろう。場内に拍手が起こった。梅さんが私に、金子安次さんも「中帰連」の常務委員で、今年75歳になると教えてくれた。彼は、生きている内に自分が罪を犯した所を訪ね、被害者に直接謝罪したいという願いを長い間抱いていたという。1989年7月、ついにその機会が訪れ、彼は彼は山東省臨清県を訪問した。そこで彼は、母親を日本兵に殺された中年の人(当時3歳)に会った。金子さんは釈放され帰国して結婚し、子どもが生まれた時、わずか3歳の息子の母親を殺した行為にこの上ない痛恨を感じた。

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


人間と鬼
農民を火あぶりにし生き埋めに

松尾富男
曹長
<旧部隊名>
第59師団第54旅団第45大隊

「くそッ、拷問だッ」銃の負革を肩にかけると、小銃を背に回した私は、男の土と汗にまみれた上衣を引き裂いた。土の労働に鍛えられた健康そうな筋肉が露出した。何か殺意に似たものがムラムラッと湧くと、私は男がさっきまで耕していた鋤の柄を手にした。ボクッ、力いっぱい背中を殴りつけた。男は苦痛にゆがんだ顔を私の方に振り向けようとしたが、そのままのけぞって倒れた。こぶし大もある棍棒は続いて踊った。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 


 

(来年1月も証人調べが続きます)   

第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定

第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

3 最高の作戦計画

重視されるスパイ活動  

こうした公然ルートだけでなく、非公然のスパイも配置されている。海幕調査部が依頼してソ連基地やソ連艦船の撮影を行なわせていたスパイの手記が公表されたこともある(「新週刊』62・4・26)。63年に実施された陸上自衛隊CPXの「極秘」総括文書(参考資料15)でも、「対象国」にたいし「越境航空偵察及び諜報活動等の直接的手段」をもって情報収集を行なう必要性が強調され、海外諜報組織の構成が陸幕等への要請事項として記載されている。なお、CPX(command post exercise=指揮所演習)とは、主として司令部組織をもって行なう演習で、作戦構想の適否を検討するとともに指揮所活動の習熟をはかることを目的とする。部隊対抗は必要の範囲にとどめられ、兵棋演習、指揮所訓練が中心となる。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

装備・訓練の実体は

不戦屈敵戦略

このことは勿論1925年世界の主要各国がジュネーヴで調印した「戦争における窒息性、毒性またはその他のガス及び細菌学的戦争手段の使用禁止に関する議定書」―通称ジュネーヴ議定書の精神に反し、最近の国連を中心とした生物・化学兵器の保有を禁止しようとの国際世論にも逆行するわけだけれども、吉田大桂司陸上自衛隊化学学校長は『化学学校記事』の中でいみじくもこのことを認めているのである。「強大な軍事力を保有し、その威嚇、脅迫のみによって政治目的を達成することができれば、極めて有利であることは申すまでもない。





 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



序章

このように本書は、アジア太平洋戦争のはるか以前につくられ、その後連合国の指導者たちも肩入れしてきた定説、つまり昭和天皇は独裁的天皇制の枠組みにおける単なる御輿であり、軍部のあやつり人形にすぎなかったという見方を批判しようとしている。また、1930―40年代の日本の侵略は主に陸軍に責任があるという定説に対して、これまで長く無視されてきた海軍上層部の役割を明らかにする。彼らは、1920年代には軍縮反対の政治活動を行い、30年代には中国の無防備な都市を爆撃し、40年代初めには太平洋の戦争を推進したのである。さらに本書は、1920年代半ばに、侵略戦争を犯罪とする新しい国際的「平和原則」(国際連盟規約および1928八年の不戦条約で成文化された)を政党内閣と天皇自身が受け入れておきながら、対中国政策では、日本が自発的に承認したこれらの条約の義務を踏みにじったことを論じている。


日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え


●地球を破壊する核実験


核爆発を起こすために大規模な機器に取り囲まれているような初期の実験用核爆弾は、実用的な兵器とは言えない。「多段階/非多段階」は、それがいわゆるTeller-Ulam構成の“本当の”水素爆弾か単に増幅核分裂兵器の形態であったかどうかを意味する。

なお、ツァーリ・ボンバ1998年のインドとパキスタンによる実験の核出力のように、いくつかの核実験の正確な核出力の推定は、専門家との間で論争となっている。

核実験は、軍事的・科学的な実験に留まるものではなく、政治的なプロパガンダの役割を果たす場合も少なくない。



 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


























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