2022年2月4日金曜日

細菌戦の系譜!!

                  





























































































反原発!!


佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945) 

大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

1217日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」







2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

加藤哲郎講演の感想

・今日、夕方南大沢生涯学習センターにあるチラシをチェックしていて今日のチラシを見つけた。あそこのセンターはいつもチラシ配架が遅い。全チラシ見て必要なものを取って日程調整しているのに。・・・・。

当日の移動で今晩忙しかったので、どうしようかと思ったが、とても興味があったので何とか間に合いました。先生が非常に熱弁で内容も非常に大事なものだった。

(40代、市内)



















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
731部隊は、平房に大きな実験施設を建設し、そこで人体実験をしながら、毒ガス兵器、細菌兵器の開発を急いだ。
 そこで、開発された毒ガス兵器、細菌兵器は、実際、中国の戦場で極秘裏に使われ、中国の人々に多大の損害をもたらした。
 1945年8月9日、ソ連軍が侵攻すると、731部隊は、今まで研究してきた事が国際社会にばれるとやばいという上からの指示で、収容されていた人々を全て虐殺し、その骨を近くの川に捨て、施設は、徹底的に破壊して、いち早く日本に戻った。
 戦後、アメリカとの取引が始まり、最初は731部隊での人体実験や、細菌戦のことを隠し通していたが、1947年にソ連からの告発により、それらがばれると、アメリカだけに、731部隊のデータを渡し、731部隊員全員が戦犯を免責された。
 その当時は、伝染病がなどが流行り、医者も必要なことから、731部隊の上級隊員たちは、ワクチン会社や、大学教授、国立予防衛生研究所などに職を得ることになる。
 もう1つ大きな事は、広島・長崎に落された原爆被害者への対処だった。
アメリカは、残留放射能の人体に対する影響はないと主張し、被爆者に対して積極的な治療をしなかった。日本も、戦後「原爆報告書」を作成し、原爆の威力だけを調べ、被害者の治療には目を向けなかった。この報告書は、アメリカの原爆投下のことを全く非難せず、また自国の731部隊などの罪行の免責を得るための有力なカードとなった。
 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所は、アメリカが広島・長崎に設置したABCC(原爆傷害委員会)に元隊員を出向させ、放射能の人体に与える影響を追跡調査した。
 731部隊員は戦犯免責を得る為に、アメリカの核戦略に積極的に協力した。
しかし、そこで得られた知見は、全く被爆者の医療には反映されなかった。
 1954年に、ビキニ環礁で行われた、原水爆の実験では、日本の漁船が延べ1000隻も被爆し、多くの船員が被爆したが、第5福竜丸だけが補償の対象になった。そこにも元731部隊員が関与している。被爆したほかの船員はいまだに補償されずに苦しんでいる。今、高知の船員がその補償を求めて裁判をしている。
 日米政府は放射能の人体に対する影響をずっと矮小化し続け、原子力の平和利用と称して、原発を導入し、全国各地に54基もの原発を作ってしまった。
 2011年3月11日に発生した福島第1原発事故では、甚大な被害をもたらし、今でも人体に大きな影響を与え続けているが、これももみ消そうとしている。
 日本医学界は、731部隊の事を全く反せしようとせず、放射能の人体に対する影響に対しても矮小化している。
 今の日本施府は、核融合施設などを作り、積極的に核開発を進めている。
被爆国である日本が、核兵器禁止条約を批准せずに、全く反対の方向に進んでいるがこれでいいのだろうか??




隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置











黒い太陽731(1)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??


実験医学雑誌第18巻雑報


1812号(1934年)

実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)

総説

満洲国に於ける見聞

    宮川米次

勿論医育衛生の事柄が私の視察の主眼でありますから、ここに重点を置いたのは云うまでもありませんが、近時の満洲帝国の活動の全貌をも同時に見たいと思いましたので、これらの点についても少しくお話したいのであります。

これについてはいろいろな参考資料を借用したと同時に私が親しく見聞して得た、素人の主観をも入れましてお話を致しますから、脱線し正鵠を失するかも計られませぬが、専門外の事としてお聞き流しを願いたい。然しもし多少の新しい慨念を得られましたとすれば望外の光栄であります。




  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2 被告の細菌戦

1 被告の細菌戦部隊の創設

(1) 満洲国が建国された昭和7年(1932年)、東京の陸軍軍医学校に防疫研究室が作られ、昭和8年(1933年)、中国東北の黒龍江省五常県背蔭河に防疫班(東郷部隊)が設置された。東郷部隊は、一時東京に戻った後、中国東北の込櫛篋南崗に移転した。昭和11年(1936年)8月、東郷部隊は「関東軍防疫部」として天皇の軍令に基づく正規の部隊となった。

 この部隊は、表看板としては防疫や給水を掲げていたが、実態は細菌兵器の開発と実用化を目指す秘密部隊だった。戦線が拡大するにつれ、兵員の消耗や物資の不足が深刻となり、とりわけ兵器の近代化の遅れが顕著になった結果、細菌兵器が安価で、かつ、敵国に無差別な大量被害を与えることが出来る兵器として重視されたのである。




731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

五月五日


午前六時半起床す 衛生勤務 雨 風あり 花一朝にて消ゆ 人生の命又はかなし 都落ちの悲しさを見る。涙を以っ心からご同情する 兄弟よ小供よ 御丈夫でね。

雨だ 五月雨ではないが内地式に何となくぴったり来ない 何分冷えるからやりきれない。八度と云ふ温度では大したことなさぞうだが 吐く息が白く見えるんだから。少しは冷たい譯には譯だが 近頃風が非常に猛烈故 あんなに咲き誇った花が見事といってもよい位に散ってしまい 見苦しい残骸を残しているが なんとなくセンチメンタル?花も可愛そうなものだ。


実際地味な生活をしながら来る春の一日か三日の華やかさを見せるのみ 他は此の華やかさを作るべき忍従の日だ 柄にもなく変な方にそれたが それた道ついでに今一つ書いておこう 総員二八八名の此の炭坑の街にいる日本人兄弟の内 モギ山に近い宿舎の主人が亡くなられたのは 此の間僕が遼陽に行っている時だそうだ・・・その主人が亡くなられた為 可愛い妻子は炭坑を後に五月五日楽しかるべき節句の今日 悲しき雨と優しい心使いの兄弟に送られて 内地に行かれた 爆竹と生徒と兄弟と本当に悲しいお別れであったらしい。通勤者の妻なんて実際極楽に生きているようだが 然し一度このような逆境に立つとこれほど悲惨なものはない。生前の生活に比較して 丁度花と一緒に思い出した故書き出したまでだが 本当に悲しそうであった。都落・・・自分の住家を探す一匹の馬の様だ。


「ずっと父が嫌いだった」




軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

墓標

リンゴも匂わない
アメダマもしゃぶれない
とおいところへいってしまった君たち
〈ほしがりません……
かつまでは〉といわせたのは
いったいだれだったのだ!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送

“難民区の華僑を虐殺”


大快良明(たいかいよしあき)8604部隊

<経歴>

1917年生まれ

1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入

1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属

1942年 南方軍岡第9420部隊に編入

1946年6月 帰国

◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。


“スホ7”に戦時編入

編成後直ちに神戸港から揚子江を上り、昭和13年9月26日、南京の対岸に上陸しました。翌日からは前進、前進の毎日。そして10月20日に、湖北省の漢口に入りました。つまりあの武漢作戦に従軍していたことになるのです。漢口の官庁街の静かな一角に、防疫給水部は駐屯しました。私たちの部隊は、中支那派遣軍直轄の東部隊、増田知貞部隊といい、暗号名が“スホ7”だったというわけです。当初、部隊長は増田知貞軍医少佐で、将校が7名、本科の歩兵が2班、輜重兵が2班、衛生兵が2班の6班編成で、各班は戦時編成により12名ずつで、あと軍属が10名の計90名くらいでした。



●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






3 華中

林正自筆供述書(1954年10月9日)

1943年5月上旬から6月下旬にかけて、私は39師団233連隊1大隊本部指揮班の伝令兵・上等兵として湖北省宜昌県高家店に駐屯していた。6月某日、大隊本部軍医中尉山川速水は、昭和17(1942)年に召集した衛生兵に実地教育を行なう名目で1名の捕虜(2中隊「宣撫班」の軍曹吉岡時勇が逮捕した中国抗日軍鄒連山支隊隊員、男子、20余歳)を裏山に連行し、麻酔薬を注射して昏睡状態にしてから、胸部から腹部を解剖し、その後メスで心臓を刺して殺害した。そして捕虜の内臓を使って衛生兵に具体的な説明をした。この時、私は指揮班長湯面竹三軍曹の命により、ほかの1名の上等兵と共に、この地に死体を埋める穴を掘った。また、解剖中中国人が現地に近づくのを防ぐため警戒も担当した。

(1)119―2、254、1、第5号


 



 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

日中戦争の戦略的持久戦から「好機南進」へ傾く中での毒ガス戦



このように、武漢戦後、持久戦へと戦略を転換していく中で、1938年12月2日に催涙性ガスとくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用を許可する参謀総長指示(「大陸指第345」)が出されてから、40年7月23日に雨下を除く毒ガス兵器の使用を許可する参謀総長指示(「大陸指第699号」が出されるまでは、戦力が消耗しやすい持久戦の中で、くしゃみ性・嘔吐性ガスが大規模・日常的に使用され、糜爛性ガスの実験的使用を経て、毒ガス兵器使用許可の範囲が雨下を除く全てにまで拡大された時期【第3期】である。


 



第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第9章 戦犯の証言


「中国帰還者連絡会」


同年、元日本陸軍中将で師団長の藤田茂が釈放され帰国、即時「連絡会」に加入し、会長に就任した。

藤田は武家の生まれで、子供の頃から武士道精神の薫陶と軍国主義的教育を受けて育ち、戦中は中国を侵略し、中国人民を殺戮する鬼となり、残酷非情で眉ねも動かさずに人を殺し、「鬼将軍」の異名を取った。1945年に日本が投降すると、藤田茂は武勲赫々たる天皇の寵児から一転、中国人民の囚われ人となった。撫順戦犯管理所において、当初は毎日陸軍の軍服を着用し天皇を遥拝して、狂信的な武士道精神を見せつけていたが、学習と反省を通じ、特に中国人民が米国に反抗し朝鮮戦争に勝利したことに多大な感銘を受け、1954年8月、自らの罪を認める自白書をしたためる。



SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


善良な僧侶を警察の特務に

岡田袈裟二
吉林市警察庁保安科科員警尉補

<略歴>
本籍地 長野県小県郡
出身階級 富農
学歴 尋常高等小学校卒業
職業  小商人
所属部隊名
 旧新京2600部隊輜重37330部隊第1中隊第1小隊
被捕年月日場所
1945年9月12日 旧新京2600部隊(南領旧日本軍通信隊舎)
年齢 40歳


僧侶の驚きようはたとえようもありませんでした。しばらくして、頭を土に血の噴き出すまでこすりつけた僧侶は、「私は決して通匪ではありません。村の誰からも聞いてみてください、まじめな僧侶です。私は1度だって人様に悪いことをしたことがありません。人様にうそなど申したこともありません。真面目に仏に仕えるだけです。どうか命ばかりは助けてください」と、地にもぐりこまんばかりに哀願するのです。私は内心うまくゆくわいと、胸の動悸を隠しようもないほどでした。
私は部下を叱りつけながら、「どのように通匪したか、いつ、どこで」と、繰り返し、打つ、蹴る、殴るで責め立てました。私自身、彼がそのようなことをしていないのを知っていてやるのですから、その凶悪さと野蛮さは一層ひどいものでした。僧侶はぐったりのびてしまうまでになりました。





2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 


 

(来年1月も証人調べが続きます)   

第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定

第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

2  統合戦略見積

仮想敵国についての証言

こうして田中元陸将は証言を回避し、防衛庁も承諾を与えなかった (第1篇参考資料5、109ページ参照)。だが、「政府は申しておらない」にもかかわらず、防衛庁中枢では対象国として具体的な国名をあげて設定していることが明らかになったのである。三矢研究の場合、具体的な国名は記載されていなかったが、その他の機密文書には書かれていたのであろう。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争


〇園田国務大臣  劇毒物に指定してない理由はご指摘の通りでありまして、一般工業用、農業用、薬用に使っていないからであります。しかしながら、問題が起きてまいりましたから、直ちに分析検討を命じておりましてしかるべく処置をしたいと考えております。

〇楢崎委員  それではあと少しで止めます。ちょっと辛抱してください。

 もう1つ問題があるのです。今厚生大臣は、これは直ちに分析検討して指定するかどうか決めるというお考えのように承ります。いいです。これは厚生省としては当然だろうと私は思います。また、法的にも根拠は無いけれども、そういう精神になっております。

 そこで、お伺いしますが、労働大臣にお伺いします。いいですか、警察は佐世保あるいは昨日成田で使いましたが、この中身は、先だっての答弁によると、クロルアセトフェノンが5%、四塩化エチレンが95%、その原液を60倍に薄めて使ったという。いいですか、四塩化エチレンはどういう物かご存知ですか、労働大臣。溶剤としての取り締まりの規定に触れるかどうか。






 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



序章

そこで1946年3月18日、寒い日曜日の朝10時半、天皇は風邪ぎみだったが、信頼の厚い5人の側近を宮城の一角にあるコンクリートの防空建築の執務室に呼びよせた。太平洋戦争以来、天皇はその建物に住んでいた〔空襲を避ける意味で、天皇・皇后の住まいは1944年、宮殿から吹上御所の鉄筋コンクリートの建物[御文庫]に移された〕。側近たちは、その治世に起きた異常な出来事をめぐる天皇の回想を聴くために集まったのである。部屋に入ってみると、天皇は臨時に運ばせた洋式のシングルベッドにもたれていた。足もとには彼らの椅子があった。天皇は白く輝く絹の寝間着姿で、枕も刺し子の掛け布団も、精緻な織りの白羽二重だった。天皇を最高位の神官とする神道では、こうした白服は、キリスト教のように悔悟をではなく、儀礼的な清浄さを表すのである。彼らは腰かけ、前もって書き出しておいたとおり質問を始めた。質問の一部はマッカーサーの軍事秘書の示唆を受けたものであった。彼らは質問に対する天皇の口述を聴き、宮内省内記部長の稲田周一がその言葉を書き留めた。稲田はのちに彼の備忘録に、「どうして此のような御様子の時にいそいでおはなしを伺ったかと疑われるが、この頃、戦犯裁判に関連して陛下の責任を取り上げる者もあるので、陛下の御気持のありのままを成るべく早く書き記す必要があったからだ」と書いている。 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。


署名国         署名日          批准日 (締約日)

アルジェリア           2017年9月20日

アンゴラ           2018年9月27日

アンティグア・バーブーダ    2018年9月26日      2019年11月25日

オーストリア        2017年9月20日         2018年5月8日

バングラデシュ     2017年9月20日            2019年9月26日


核実験の人体実験


<a href="https://www.youtube.com/watch?v=yVlnVNSgHJA">水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)</a>

<a href="https://www.youtube.com/watch?v=f_2ps6RIR9U">「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】</a>





 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


























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