2021年12月2日木曜日

細菌戦の系譜!!

               
































































映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」




加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん





今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)

●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)

11月16日(火)18:20~(開始予定)

「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)

「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」

11月17日(水)18:20~(開始予定)

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円



2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

・頭が混乱していて感想がすぐには出ない。今日から1ヶ月ぐらいかかると思う。戦争が不条理と思います。部隊全景の航空写真と地図があっていない様に思いますが。道路と飛行場、建物の位置関係が私には解読できないのです。

(70代、市内)























原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                 









                 







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第18巻雑報



18巻2号(1934年)

学術集談会開催

1月25日午後1時より所内講堂において学術集談会が開催された。

演題は次の通りである。

演題

1、家兎の化膿性顎骨炎より分離したる一新菌株について  永田敏一君

2、残余抗元の免疫反応に及ぼす影響について       岡本啓君

3、大腸菌族の鑑別培養法について(第2報)        手塚悦郎君

4、経口免疫のメカニズムに関する研究総説        城井尚義君

5、欧米雑感                      大山西一君




 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)

(3)そこで、上記(2)の前段の判断基準に基づき本件における国会の立法不作為の違法の有無を検討することとするが、その前提として、必要な範囲で、原告らの主張する本件細菌戦の事実の有無について見ておくこととする。

(イ)1940(昭和15)年から1942(昭和17)年にかけて731部隊や1644部隊等によって、次の a.f.g.h の通り中国各地に対し細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた。

f  寧波

(a)1940(昭和15)年10月下旬、日本軍機が寧波上空に飛来し、中心部の開明街一帯にペスト感染ノミ(後にインドネズミノミと鑑定された。)の混入した麦粒を投下した。

(b)早くも10月29日にノミ等が投下された地域にペスト患者が出て、治療活動とともに防疫活動も活発に行われ、汚染区が封鎖され、消毒や家屋の焼却などが行われた。このような治療、防疫活動により、ペストは12月初めに最後の患者を出した後、終息した。

 このペスト流行は、主として、投下されたペスト感染ノミが直接ヒトを噛んでベストがヒトに感染したことによるものと考えられる。

(c)時事公報による報道、国民政府中央防疫研究所長の報告書、治療に参加した医師等からの情報提供に基づく証人黄可泰らの調査(甲97び1・2参照)によれば、このペスト流行による死亡者で氏名が判明しているのは109名である。(甲3、50、91、97の1・2、105の1、162の1・2、288の1・2、証人松本正一、証人吉見義明、証人黄可泰、原告何祺綏)




731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

三月十四日

晴 風あり 午後三時 衛生勤務下番 嫌な射撃に休みなしに行く 勤めは辛いね。零上二度 最高十五度

相変わらず退屈だ 緊張の幾時間が流れ去ったような時間である。午後一時半公用書迎達受領の為に駅に行く 初めてのんびりした 二時間居眠りをしに来たようだ 待ちかねたような三時の喇叭が鳴ったらしい 何の異状なく三時が私を送ってくれて 嫌だけれども射撃に行くんだって 本当に嫌になって仕舞った。班に帰る早々着剣をして射撃場に行く 目はぼんやりして当たりそうに思えない ゴルフ姿の春の山に浮かぶ町の人々が戯れている。


陽気な日々ばかりで道が悪くなって仕様がない。白い球を追いつつ一日の疲れを捨てている人達の姿は非常に幸福に見える 陽気の故でもあるまいが工卒が遊びに来ている。 あずま屋のそばに腹を出して寝ている 通信の兵隊が軍旗を十数本も春風になびかせつつ 巨?性一キの如き盛を呈している。

射撃の成績は目のせいでもあるまいが当たらないことおびただしい。―+000-この成績ではなんと云う下手だろう自分ながら愛想が尽きる 衛兵勤務のせいにしてほうほうのていで帰る 初年兵は演習に行って帰らす本当に静かで眠りをむさぼった


 


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

エピローグ 広島から・・・・・



『ひろしまの河』11号に、奥田君子さんはこう書いていられる。≪・・・焼けてやけてぼろぼろになった物を身につけて何百人という人が足を引きずるようにして診療所を目指してたどり着かれたのでした。皆さんに様子を聞きたいと思いましてもどうなったものやら、「ピカッと光りドンと音がして家は倒れて、人は火だるまになったのでわからぬ」と、皆さん申されました。私らは夢中になって聞いておりましたが、なんとかたとえてよいでしょうか、途中で、その人たちはばたばた倒れて死んでいったのです。『往生要集』と、思う外はございませんでした≫
 

 



 




原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集

731部隊を詠む


とべ しゅん(仮名=ペンネーム)

1644部隊

〈経歴〉

1919年生まれ

1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属

1944年 帰国。召集解除

■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。


伝染病菌の検索と研究

昭和17年(1942年)の4月には、東京が初めて空襲を受けたという情報が入りました。私が夕方、入浴に行ってみるとその噂で持ちきりでした。昼間の空襲だったが、東京は全滅だという話も出ていました。それから少し経って、東京を空襲したアメリカ機が南昌に不時着して、捕らえられた2名の飛行士が、城内飛行場に護送されて来た情報も入ってきました。飛行士の口から、浙江省の浙贛鉄道(浙江省と江西省とを連絡する杭江鉄道〈杭州―江山〉と玉萍鉄道(玉山ー萍郷〉とを併せてそう呼ぶ)沿線に中国軍の有力な飛行場が存在することが判明したといいます。

 5月15日には、金華、衢州、玉山に向かって向かって作戦行動が開始されました。これが有名な浙贛作戦で、“満州”の731部隊から軍医少佐を隊長として、飛行機2機と人員80名が派遣されましたが、栄部隊からは40名の人員がその作戦に参加することになりました






●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北


2 華北

4 山西


 吉沢行雄の罪悪事実についての調査分析(1954年12月28日)


松永光穂自筆供述書(1954年11月7日)
1941年6月30日頃、私は大同憲兵分隊で働いていた時、憲兵分隊長平野大尉の命令を受け、私と補助憲兵蒔田上等兵の2人は、同隊に拘留中の共産党員1名を大同の日本軍陸軍病院城内診療所に連行した。同診療所の軍医中尉に引き渡したところ、即刻、生体解剖が開始された。この共産党員を無理やり手術台に載せると、私と蒔田上等兵の2人で協力してその手足を強く縛り握り、軍医中尉が生体解剖を行うのを積極的に助けた。3日後、診療所の衛生兵に聞いたところ、その男は同日夜10時頃死亡したという。
※訳注:補助憲兵―「戦時・事変・騒擾等の場合、憲兵兵力を補うため憲兵勤務の補助をするものである」とされ、正規の憲兵(分隊長以上)の指揮下で警察行動を行った。1945年8月の敗戦時に約15000名ほどいたと言われる(全国憲友連合会編纂委員会編『日本憲兵正史』研文書院、1976年、44~45頁)。



 


 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


2  毒ガス戦に対する参謀本部の意識

「大陸指」からどのような背景が読み取れるか

 なお、陸軍のエリート教育での国際法の扱いについて若槻康雄氏は、陸軍士官学校の教育課程には戦時国際法の講義は存在しなかったとし、陸軍大学校で用いられた『統帥参考』(1932年)の第14条「国際法及び国際条約は事外交に関するものなるが故に、作戦上之を破棄するを必要とする場合においては、最高統帥部(は)政府と協議する必要としす」からは、「政府と協議するという条件付きながら、国際法や条約を破ることをいとも安易に考えている姿勢が読み取れる」と指摘していることを付記しておきたい(若月泰雄「日本の戦争責任」下)。 



 




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実



日本帝国主義が中国侵略戦争において毒ガス兵器をほしいままに使った罪状は、枚挙にいとまがない。しかし、その具体的な使用回数にかかわる、文献、資料を日本側が公表したことはこれまでない。当然ながら、戦争の最中、中国側は政府及び軍隊から日本軍の化学兵器使用状況について公表してきたが、当時、中国抗日軍の戦場となった地域は極めて広く、各部隊が動いた範囲は常に変動し、分散しており、通信の条件は悪く、日本軍が行ったすべての化学戦を正確に統計をとり記録するすることは不可能であった。





加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

懐柔

捕虜を密偵に仕立てようと画策

大井憲太郎

特捜班長 警佐兼地方保安局属官

〈略歴〉

本籍地 長崎県西彼杵郡

出身階級 雑貨小売商

学歴 私立長崎貿易商業学校4年中途退学

職業 市役所事務員

所属部隊名 旧満州興安総省警務庁特務科

被捕年月日場所 1945年11月25日

長春市祝町朝日ビル3階

年齢46歳


すると曲は唇を震わせながら、

「労働者は絵を描いてはいけないのか。俺は子どもの時から絵が好きだったか、貧乏で自由に描けなかった。日照り続きの不作で一家がどうにもならず、俺は東北に出稼ぎにやって来た。それからは、きつい仕事の中でも食いたいものも食わず、働いた金を割いて筆や紙を買って、時たま絵を描いて、せめてもの楽しみにしてきた。労働者が絵を描いてどうして悪いのか、俺にはわからない。」

これは手強い、押され気味だと感じたが、ひるんでは負けだと矢継ぎ早に、

「小理屈を並べ立てて逃げようとしても逃がさないぞ。お前の手だって、それほど荒れてはいないではないか。お前はエセの労働者だ。共産党のまわし者だ、素直に白状しろ」と言った。 







2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第3章 秘密保全の機構と体制

3  産軍複合の秘密

政治資金の黒い霧

こうして、自衛隊の秘密はますます独占ブルジョアジーとの共有部分を拡大している。それは研究開発部門で、特にいちじるしい。また、アメリカがそうであるように、軍事機密、外交機密が大学。研究機関における学問の自由を侵食する危険も増大している。研究資金の大部分を産軍に依存し、3重カギの秘密文書保管金庫が研究室に置かれるような日がやってこないという保証はない。こうしたなかで、個別企業と高級軍人は、習性化した秘密漏洩によって、それぞれに私腹を肥やしながら、人民にたいしては徹底的な情報管理を行ない、刑罰による威嚇をもって、もっとも基本的な国家情報を秘匿しているのである。 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

ダクウェイ事件とその背景


作業は次のように進められる。盆にのせられた卵が自動的に「接種台」の方へやってくる。そこで細菌が植え付けられたあと、タンクの中を通って「収穫台」へ運ばれる。そこで卵は壊され、必要な部分だけが実験のために残される。これは場合によってアーカンソー州パイン・ブラフに貯蔵するために凍結される。責任者であるジャーシェイ大佐によれば、「“限られた生産設備”としてのパイン・ブラフでは、必要になればいつでも生物武器が大量に製造されることになるだろう」と述べている。(『ニュー・リパブリック』67、4月号)



 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

日本は昭和のなかばから後半にかけての1960、70年代に、社会基盤、金融、技術、社会構造の面で巨大な資本主義企業の要求にこたえる高度の都市社会に移行した。戦後の日本は政策的にも大企業と大規模生産。大規模通商の育成に邁進し、人的・環境的経費には関心を払わなかった。大企業の拡大・強化は同時に中間層を増大させた。占領期に大企業は相互に連合体を形成した。たえず要求の変化する産業・金融界の利害を代表し、これらの連合体は基本的に企業の利益と、大蔵省、郵政省、通産省、日銀などの主要官庁および体制与党とを仲介した。繁栄と豊かさがこの新しい日本社会を統合しており、憲法の規定する「象徴」はもはや副次的なものでしかなくなった。



  

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?





● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
概要
核兵器禁止条約は、将来的な核兵器の全廃へ向けた、核兵器を包括的に法的禁止とする初めての国際条約である。対象は核兵器で、原子力発電やX線撮影装置などの平和目的での原子力の保有は禁じていない。前文において被爆者の苦痛に対する憂慮と共に、国際人道法と国際人権法の原則が、核兵器廃絶に関して再確認された。この条約の特徴は、核兵器または核爆発装置を所有、保有、管理していた締約国が申告を要する点にある。なお非締結国への法的拘束力は無い。
当条約は1996年4月に起草され、2017年7月に国連総会で賛成多数にて採択され、2020年10月に発効に必要な50ヵ国の批准に達したため、2021年1月に発効予定となった。
なお当条約の国連総会への採択を含め、条約の推進には2007年に核戦争防止国際医師会議から独立して結成された核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きいとされ、同団体は2017年10月6日にノーベル平和賞を受賞した。


 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した























           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





















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