●2021 9 25加藤講演第1回目
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月9日(日)
80、本日はありがとうございました。
高校生の頃、アメリカが日本に与えた被害については教科書に詳しく書かれている一方で日本がアジア諸国にしたことはあまり書かれていない(書いてあったとしても明記されていない)ことに対して、不満を持ちました。受験が終わったら日本がとった残虐行為について詳しく知りたいと思っていたので,このようなことを知れる機会を得たことを嬉しく思います。
君が代が天皇を中心とする大日本帝国の象徴だとはあまり考えたことはなく、1993年で君が代を学校で歌うことが義務化されたことやそれの何がいけないのかについても知らなかったので、今回お話が聞けてよかったです。
日本政府が従軍慰安婦という言葉を使用しないという閣議決定を出したこと、アメリカが将来戦争で毒ガスを使うかもしれないという理由で中国人の日本への抗議に真正面から向き合おうとしなかったこと、中国は愛国教育の一環で日本軍による被害を大々的に取り上げることなどを聞き、各国が自国に有利なことばかりしていては物事の本質は見えてこないのではないかと思いました。
また、日中戦争中の平頂山事件や、東南アジア侵略における日本軍の具体的な残虐行為も今回初めて知りましたが、やはりこれらのことはより多くの日本人が知っておかなければならないことだと感じました。
アイヌ民族のことには高校の頃から少し興味があったので、今回のお話を聞いて、アイヌの文化や明治政府との関わりについても学ぼうと思いました。
貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。
(女性、10代あるいは20代)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
環境への影響予測不能
1、以上のことが実現すれば、国際的な不安や緊張は全般的に弱まるだろう。この報告によって、これらの兵器が使用された場合のきけんな結果が一般に知られ、目覚めた民衆が各国政府に対し早急に生物・化学兵器をなくすよう活動することを求め、その保証を得ることが、この報告書を書いた人たちの願いである。
(1969年7月5日 朝日新聞)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第17巻雑報
17巻6号(1933年)
昭和8年5月中職員異動調
月日 異動事項 官職 氏名
4.24 昭和8年4月24日付研究生継続の件許可す 新井偕三
4.28 朝鮮へ出張を命ず 技師 城井尚義
5.1 陞敍高等官1等 教授 宮川米次
〃 陞敍高等官4等 技師 野辺地慶三
〃 昭和8年5月1日付願研究生継続の件許可す 宮脇直一
〃 神奈川県下へ出張を命ず 技手 小栗一好
〃 同 同 田中正稔
5.8 昭和8年5月5日付願研究生入学の件許可す 沢田栄三郎
5.15 陞敍4位 教授 宮川米次
5.17 山形県下へ出張を命ず 教授 田宮猛雄
5.22 昭和8年5月22日付願研究生継続の件許可す 橋本了
5.23 医学部兼務を命ず 教授 高木逸磨
伝染病学の研究に従事すべし
5.23 埼玉県下へ出張を命ず 技師 阿部俊男
5.30 病理学、病理解剖学第1講座分担を免す 教授 三田村篤志郎
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
4、日本民法に基づく損害賠償請求について(争点4)
(2)前述の通りこの旧民法は施行されず、明治29年、新たに起草された草案に基づき現行民法(第1編から第3編まで)が公布され、明治31年7月16日から施行された。現行民法にも、旧民法と同様、国の公権力の行使により他に与えた損害の賠償責任を定めた規定はなく、この点に関する特別法も制定されなかった。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
エピローグ 広島から・・・・・
この4月、僕は被団協の原爆被災体験資料収集と出版の事業に対して知識人による協力委員会の結成を呼びかける、一通の手紙を書いた。それは次の文章である。
≪・・・知識人が、1つの運動にコミットする時に、彼自身の個人的な志が、直接に彼の協同したいと願う対象の志に繋がるまでに、様々なクッションが挟まれて、ついには、自分の個人的な志の行方が分からなくなってしまう、というようなことが度々ありました。また、自分が一体どこまでコミットしているのか、自分の期待はどこまで達せられ、自分はどこまで責任を負っているのか、それが不分明となってしまうようなことも度々体験されたところです。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
南京でもやっていた人体実験
血管が切ると心臓からものすごい勢いで血が・・・・
松本博
1644部隊
経歴
1926年生まれ
1943年中支那派遣軍防疫給水部栄1644部隊配属
この証言は1995年6月、8月、11月の聞き取りをまとめたもの。
全採血
処置室にはやや傾斜したベッドが置いてありました。そこに袋を被せたままの“マルタ”を仰向けに寝かせ、暴れない様に手足と胴をベルトで固定しました。まずはそこまでが、私たち警備の仕事でした。固定した“マルタ”に“処置”するのは軍医でした。
固定された“マルタ”の顔は、袋をかぶせたままです。白衣をまとった軍医は、袋の上から鼻のあたりにクロロホルムを垂らしました。そして「数を数えろ!」と言うのです。“マルタ”が数え始めるのですが、「イー、アル、サン・・・」の辺りまで数えるともう寝いびきを立て始めました。麻酔にかかった“マルタ”の大腿部を消毒し、そこを軍医がメスで10㎝ほど切り開くのです。そして鼠径部の鼠径動脈の血管を鉗子で引っ張り出して血管を切る。その血管の中に管を通すのです。そうすると心臓からものすごい勢いで血が流れ出てくる。るまるで滝のように・・・・。その血をコッフェル瓶に集めるわけです。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
3 山東
長田友吉自筆供述書(1954年8月4日)
1942年4月中旬から6月上旬にかけて、山東省済南陸軍病院衛生新兵教育隊は、院長である軍医中佐高木千年の命令を受け、鈴木軍医大尉、井績軍医少尉、飯岡衛生軍曹と私(41大隊5中隊衛生1等兵)は、350名の衛生新兵に対して直接教育を施しすため、2名の済南捕虜収容所から送られてきた30歳くらいの中国農民(男)を、メスを使って解剖の上虐殺した。解剖は鈴木軍医大尉、井績軍医少尉、飯岡衛生軍曹が共同で行った。私は解剖教育を受ける側であると同時に、この虐殺の参加者でもあった。この他、飯岡衛生軍曹は被害者のうち1名の肝臓、脾臓、膵臓、腎臓などを取り出し、教育のための標本とした。死体は病院の一角に埋めた。
(1)119―2、270,1、第5号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍
アメリカ軍の対日毒ガス戦計画
アメリカ軍がこのような計画を立てた下地には、人命節約論だけでなく、日本軍が中国戦線で毒ガス兵器を使用し続けてきたことへの報復という意識も強かったという(同前)。
アメリカ軍の対日毒ガス計画に正当性を与えるわけではないが、もし仮に戦争が長引いて、「本土決戦」が行われてアメリカ軍が大規模毒ガス戦に踏み切った場合、日本軍がこれまで中国で毒ガスを使ってきた経緯があるので、日本政府はアメリカを非難することが非常に難しく、非難したとしても説得力を持たなかったと思われる。また、イギリス空軍は、1944年7月に台湾への毒ガス攻撃計画を、45年7月には日本領土への毒ガス攻撃を検討していた事が田中利幸氏(広島市立大学広島平和研究所教授)の発見による資料で明らかにされている(『中国新聞』2003年8月4日)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章 残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
江西南昌作戦(1939.3.17~29)
武寧方面では、3月下旬より日本軍は第6師団の主力及び106師団の一部が、国民党軍第73、第8軍の陣地に進攻して、双方は争奪を繰り返した。23日、日本軍は飛行機、重砲及び毒ガス弾を使っての激しい爆撃を行い、中国軍の戦死者、中毒者は半数近くに達した。後日戦犯となった、野上今朝雄がこの時の戦闘での毒ガス使用について記述している。「江西・武寧県への進攻作戦において、第6師団11旅団47連隊2大隊は国民党軍500名と約1時間にわたり交戦。私は当時6中隊3小隊4分隊隊員ガス上等兵で、6中隊長・岡崎少尉の命令を受け、他のガス兵5名及び3小隊2分隊長・神崎ら14名と共に、国民党軍陣地を迂回してその風上に至り、特殊発煙筒の大型「あか筒」12個に点火し、国民党軍に向けて放った。私はそのうちの2個を放った。空筒はすべて穴を掘って埋めた。この時の毒の効果は、国民党軍500名に一時的な窒息性ガスの傷害をもたらした。陣地へ進入した2大隊5中隊はガス中毒者7名を刺殺した。私と他のガス兵1名は、ガス中毒者2名を刺殺した」。
29日夜、日本軍は武寧を占領した。
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
処刑
抵抗する捕虜を始末する
川田孝
伍長
〈略歴)
本籍地 東京都足立区
出身階級 労働者
尋常高等小学校卒業
職業 綿花卸商店員
所属部隊名 第59師団53旅団独歩43大隊機関銃中隊
被捕年月日場所 1945年8月22日朝鮮興南市
年齢 37歳
彼は身を反らして何かを叫んだ・・・・それを合図のように、留置場の中国人が大声で歌を歌い出した。
「黙れッ、黙らんか!」私は竹刀を振り回して、格子から出て出ている手首を叩いた。一瞬声は止み、息を呑んでまた叫び出した。各房から中国人の数十の眼が私の方をじっと睨んでいるのを感じると、カッとなってめちゃくちゃに各房の格子を叩いて回った。歌は夜になっても止まなかった。
すでに2度3度、この情況を報告してあるのに、「よく情況を見ておれ」と言うだけでどうしろとも言ってこない。あるいは特務をこの中に入れているのかもしれないと考えたが、このままでは何か起こりそうで、じっとしていられない焦燥に駆られた。
24時頃、保安科の山下曹長が肩を怒らしながら、
「どうか、情況は」とズカズカ入って来た。
この時とばかり私は輪をかけて報告した。
「麻縄の丈夫なのを持って来い」山下は言い捨てて奥に入って行った。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第3章 秘密保全の機構と体制
2 軍事警察とスパイ機関
戦後の弾圧事例
(4)そのころ在日米空軍の移動状況を記載した文書を所持していた者が、別件の取調べで判明したが、他人からの預り物で犯意がないとして不起訴になった。
以上4件は起訴されなかったとはいえ、機密ではないものを撮影したり公表したものが弾圧の対象になったという事実は、いったん法律が制定されると、現場ではとかく乱用されがちであることをしめしている。刑特法違反で起訴された事例もある。1955年に横須賀市で起きたクリーニング屋「谷源浜に係る刑特法違反事件」である。彼は基地近傍に「フリー・チャイナ・ランドリー」という店を持っていて、米兵相手に営業していた。入港してくる艦船に早く駆けつけ注文を取るのが商売のコツなので、米兵から聞いて出入予定日のメモを作っていた。このため検挙されて裁判の結果、懲役8月執行猶予2年刑受けた。ニュースを提供した米海軍通信隊のオペレーター、バーロー軍曹は軍事裁判で重労働2年、階級剥奪の刑を科せられたという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
国連の告発
ウ・タント報告書
生物兵器としては、①ウイルス(黄熱病など3種)、②リケッチャ(伝染性発疹チフスなど2種)、③バクテリア(コレラ、ペストなど5種)をあげ、また、米軍が南ベトナムで1963年から68年までに枯らした森林は9900㎢に及び、南ベトナム全体の3分の1に相当する。この結果、熱帯降雨林が破壊され、農業に重大な損害をもたらすことになったと指摘し、生物・化学兵器と核兵器と比較した後で、「新しく、より毒性の強い化合物の発見によって、化学兵器は今日では、より大きなものとなっている」だけでなく、特に生物兵器の特筆すべき点は、生物兵器による攻撃を受けた軍隊が同種類の兵器で反撃をしてもしなくても、攻撃された側だけでなく使用した側にも影響を及ぼすことになるし、一般市民は軍隊以上の被害すらうけることになる、と警告している。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅱ
1955年をとおして重光と天皇はほぼ月2回のわりで外交上の重要問題を協議した。国会で社会党が勢力を伸ばし、左派と右派が統一したのを受け、保守政党側も合同して自由民主党を結成し、鳩山はその初代総裁になった。日本経済も同年、貿易以外のすべての部門で戦前・戦中の生産高のピークを越えた。鳩山が第9条の削除と天皇の地位向上という憲法改定を模索するなかで、重光はソ連との国交正常化、対中貿易の拡大に向けて動いた。後者は、アメリカが依然としてマッカーシズムにとらわれ、スターリン主義的独裁の道を歩む中国を承認さえしていない状況のもとでは、とりわけ困難が予想された。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!