2021年10月1日金曜日

細菌戦の系譜!!

         

















2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎












自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

生物兵器、脅威に懸念 防御後手
(The Economist)2020.5.5

■米ロの研究所、今も根絶した天然痘ウイルスを保有
炭疽菌のような細菌は耐久性が高い芽胞を形成するので、スプレーなどで飛散させられるが、人から人に感染しないため攻撃側が負うリスクを最小限に抑えられる強みがある。つまり生物兵器の大半は、新型コロナとは異なり限られた場所でしか効力を発揮しない。ただし代表的な例外として天然痘ウイルスがある。天然痘は1979年に根絶されたが、当時のソ連が米国への攻撃(だが欧州は対象外)を想定して保持し、今では米国とロシアの研究所2カ所のみがウイルスを保有する。



 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第16巻雑報


16巻12号(1932年)

西部増治郎博士追悼

学術集談会

先にツツガムシ病で急逝された西部増治郎博士追悼学術集談会が、去る11月17日午後1時より所内行動において開催された。田宮、谷、細谷、太田原諸氏の講演の後、長與所長から西部博士の業績ならびに研究態度について、別項総説欄記載のごとき追悼講演があった。尚当日の演題は次の如くである。 

1、癩(らい)及び梅毒血清に現れる沈降曲線に関する研究(第2報告)
                           田宮貞亮君、田中芳雄君
2、ボツリヌス毒素精製法、免疫元性並びに毒素吸収等について  谷 茂君

3、ジフテリア予防液について(第3報)      細谷省吾君、小沢英作君、
                         田中哲之助君

4、癩菌の培養に関する卑見             太田原豊一君 

5、故西部増治郎博士の医学に関する業績       長與又郎君



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条)


イ 証拠(乙19)の弁論の全趣旨によれば、ヘーグ陸戦条約3条の作成過程に関し、次の(ア)から(ケ)までの事実を認めることができる。

(ケ)以上の検討を経て、検討委員会が、ドイツ提案を「本規則の条項に違反する交戦当事者は、損害が生じたときは、損害賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊の組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」との規定にまとめ、この規定が全体会合において全会一致で採択され、最終的に規則中ではなく条約(ヘーグ陸戦条約)の本文に3条として盛り込まれた。

 尚、この規程の作成過程においてされた発言の中には、付属規則違反の行為によって損害を受けた被害者個人が加害国に対し直接損害賠償請求権を有することを明確に肯定または確認した発言はなく、また、個人が損害賠償請求権を行使する手続きや制度に関する発言もなかった。








731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

二月七日

晴風アリ 零下二十三度 巡察あり張台子煙台間 十八列車で帰る

今日も巡察だ 第十五にて第十八列車で帰る 張台子煙台間だ 昨日の出来事ある故 緊張して実施すれど異常なし 非常に眠くて入浴する気なく、また寒く冬の満州は嫌になった 大阪から今日救護班が来た 流行性脳脊髄蔓延にて 一中隊の初年兵が悲しくも遼陽の空に消えていった。国には臨月の妻と母のみとか 他人事ながら泣けてくる。満州に死に来たようだ しかも二日間の病でもろくも倒れようとは その結果鞍山部隊は外出禁止となり 保菌者を調べる為に来たのだ。

 今日は土曜日 本当に帰りたくなった。この間の事件以来 夜間巡察ばかりで体が続かない。銃は真っ白になるし 眉毛は氷って目が見えなくなる。


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅



 これを機会に村戸さんは過去を指向したり、現実との交渉を断って隠棲したりする、神経症的な状態から回心し、いわば現実と未来に関わるようになった。彼女は被爆者たちの平和運動の一翼に参加し、外国に旅行し、フランスでは死を控えたジョリオ・キュリイに会った。やがて白血病で死ぬジョリオ・キュリイは、村戸さんたち、いわゆる原爆乙女に対して、あなたがたが沈黙していても、自分はあなたがたのすべての苦しみを理解する、と言った。彼女たち、原爆乙女と呼ばれた彼女達は、皆、村戸さんと同じ回心を、≪失われた美≫への懐旧や現在自分の顔を歪めるケロイドへの嫌悪、羞恥心を克服した娘たちであったはずである。我々は、あえて壇の上に立って光を浴びる彼女たちが、この回心を体験した人達であること、そして尚常に、この回心を続けながら、あえて原爆乙女と呼ばれることを承認している人々であることを意識していなければならないだろう。重藤院長が村戸さんと共に語った言葉、彼女を含めて被爆した平和運動の参加者たちの意志は、すなわち、≪自分たちの味っている苦しみを、他の人間たちに味わわせてはならない≫ということである。原爆乙女たちとジュリオ・キュリイはまさに十全にお互いを理解しあったに違いない。

 




原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・


伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。


 私の終戦記念日 

1945(昭和20)年8月9日は“軍の日曜日”で、外出日でした。同僚と外出し、時間つぶしに映画を見ていたところ、画面脇の呼び出し画面に次々と他の部隊の帰営連絡が入ります。何が起こったのだろうと思っていると、我々も呼び出されました。外に出てみると、トラックがひっきりなしに往来し、兵隊を拾っていきます。部隊に帰ってみると、ソ連が参戦してきたとのことでした。










●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

3 遼寧


2 華北

1、河北


吉沢行雄自筆供述書(1954年11月15日)

1943年11月中旬、阜平県東下関において旅団軍医部長原見権一大尉は、患者収容班の山部見習士官と共に八路軍の捕虜1名(25歳くらいの男子、原見権一が独立混成第3旅団第7大隊から連れてきたもの)に対して、気管切開手術を行おうとしていた。私は早くからこの手術をしたいと思っていたので、こうした機会があれば当然練習したいと思った。捕虜を戸板に括り付け、口と耳に綿を詰め込み、目隠しをしたが、麻酔の注射は打たなかった。まず原見が手術具でのどぼとけの下部から刃を気管に差し込み、続いて私が同様の方法で器具の操作練習をし、最後には山部も練習した。それから私がメスを心臓に突き刺してこれを殺した。死体は前回解剖したあの法華村住民の墓の左側に埋めた。

(1)119‐2、732,1,第7号



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍


毒ガス戦の抑制と報復的毒ガス戦準備



この計画がどの程度実現したのかは不明だが、すでに制空権・制海権は失われつつあったので、輸送の途上での海没も多かったと思われる。実際、毒ガス兵器が攻撃で海没したという記録が残っている。1944年8月28日に兵站総監部が作成した「自8月1日至8月28日 南方向軍需品船損耗に伴う海没資材概況」によれば、シンガポールの第7方面軍へ向かったと思われる輸送船・阿波丸が撃沈されているが、その積荷には「ちび」1000発が含まれていた(参謀本部作戦課「作戦関係重要書類綴」第4巻 )



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実



武漢戦役(1938.6.7~11.12)

武漢は日中戦争期、国民党政府の所在地であり、当時の中国の政治的・経済的中心であった。1938年の後半、日本政府は「国力を集中し支那事変を終結、概ね年内に戦争目的を達成」すべく、6月7日より11月12日のあいだ、過去最大規模の攻撃、即ち武漢作戦をしかけた。

 日本軍の進攻部隊、中支派遣軍は、司令官畑俊六大将の指揮で行われた。第11軍管轄下の第6、第9、第27、第106の各師団及び、波田支隊、海軍陸戦隊1部は長江の両岸に沿って進攻、南面より武漢を包囲。第2軍管轄下の第3、第10、第13、第16の各師団及び騎兵第4旅団が大別山麓に沿って西進し、北面より武漢を包囲した。






加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 虐殺

若夫婦殺し

島津酉二郎

分隊長 憲兵伍長

《略歴〉

本籍    和歌山県東牟婁郡

出身階級  手工業労働者

学歴    尋常高等小学校8年卒業

職業    鍛冶工

所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊

被捕時   1945年10月初旬

被捕地点  長春市南嶺

年齢    36歳


既に半死の状態にある男は、身動き1つしない。後ろ手に縛った女を男の前に立たせた。「野郎貴様ら、俺に逆らい、強情を張り通す奴の末路を教えてやる。せめて夫の殺されるところだけでもよ‐く見ておけ、ハッハハハ・・・・」

私の言うことは通じないが、女はすでに殺されるのを感じてか、また泣き叫び始めた。

「アッハハハ・・・痛快だ」

憲兵になって2年余、私は多くの中国人民をこの手で惨殺してきた。その回数を重ねるたびに、私は益々凶暴になり、自らこのような機会を求めて歩き続ける凶悪非人道な人間になりきっていた。 








2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第3章 秘密保全の機構と体制

秘密保全のシステム

厳重な保管体制

 外務省の「極秘」電文が暴露された直後、防衛庁はあわてて秘密保全講習会を開いた。集められたのは内局の文書係など約50人だが、そのうち7割は女子職員だった。「記者とナイトクラブヘ出入りしてはいけません」といった面白い話はひとつもなく、「法律、訓令の堅い話ばかりでつまんなかったわ―」とは彼女たちの感想であった(『朝日新聞』72・4・7)。秘密保全制度は訓令、内訓、達、「秘」達、通達などを積み重ね、アリの這い込む隙間もない防壁を築いている。内局には女性も多いが、陸海空幕の機密文書保管金庫には、制服の不寝番が立っているという。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日


はかり知れぬ国の費用

1、さらに、生物・化学兵器は他の兵器の安価な代用品ではない。これらの兵器の開発、生産、貯蔵によって国の費用は増えることになる。その費用は、もちろん正確に見積もることはできない。それはその国の工業力によるだろう。一部の国はその費用に耐えられるかもしれないが、実験や運搬手段の開発に振り向けなければならない財源を考慮すれば、どうしても耐えることのできない国もあろう。しかも、世界で最も富んだ国でも、費用をどれほどかけようとも、防御態勢を完全に確保することはできないだろう。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

1948年にはヨーロッパの冷戦は対決の度をいっそう強め、ベルリンでの米ソの衝突は現実感を増した。安全保障問題についての天皇の関心は深まった。憲法上の権限がないため、彼は舞台裏で、アメリカに沖縄を軍事基地としって保持するように勧め、のちにはアメリカとの軍事同盟を強化するよう努力した。彼にとって反ソ主義と米英強調主義は、そこから逸脱したために日本に災厄をもたらした、以前の路線への回帰にすぎなかった。逸脱は2度と繰り返してはならなかった。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。


署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。

署名国         署名日          批准日 (締約日)
ブルネイ         2018年9月26日
カーボベルデ         2017年9月20日
カンボジア         2019年1月9日     2021年1月22日
中央アフリカ共和国   2017年9月20日
チリ            2017年9月20日





 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した






           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!











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