●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
32、何回も参加していますが、戦争の加害責任を風化させないためにも、継続が大切ですね。私は1985年に731部隊や100部隊、豊満ダム、万人坑、平頂山、撫順戦犯管理所、9・18記念館などを訪問。また、2013年には毒ガス地道戦の河北省北坦村なども訪問しています。政府は侵略の事実を明らかにしないどころか改ざんさえしていますが、自国の負の歴史に向き合い、反省し、謝罪し、補償することで初めて許されると思います。75年経っても、相変わらずの政府ですが、このままではアジアから孤立し、世界からも孤立してしまいます(既にしていますが・・・・)。
(要望)関東大震災の朝鮮人虐殺(2023年は100年に当たります。排外主義でアジア侵略につきすすんでいく歴史が必要かと・・・・)
(男性、50代、市内、神奈川新聞・友人)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
16巻4号(1932年)
長與所長全快祝賀会
久しく病中であられた長與所長が、全く健康を回復されたので、3月5日午後1時から所内講堂で春秋会春季慰安会を兼ねて全快祝賀会が開かれた。
丁度観梅会の時なので、例年なれば梅林で盛大なる園遊会が開かる筈であったが、満洲上海事変で時局多端の際でもあり、多少遠慮さる所があり単に講堂で開かる事となった。定刻には全所員悉く参集して、健康を従前通り回復された所長を歓び迎え、先ず、城井博士立って賀詞を呈し、長與所長から鄭重なる謝詞があった。最後に二木博士の発声で長與所長万歳を三唱し、感激的な場面を見せた。
更に食堂で寿司、折詰、ビールで祝杯を挙げた。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第3 当事者の主張
1 原告らの主張
別紙3の「原告らの主張」の通り。
2 被告の主張
別紙4の「被告の主張」の通り。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月二二日
午前八時四拾分鞍山出発行軍。吹雪寒し。昼食 桜桃園 宿営由伊ジヤロ 異家の夢 亦珍しーー 淋し―
十七世紀か十八世紀時代のうすぐらきカンテラの村 由伊ジヤロの支那人の部屋で此の文を綴る。行軍第一日 南満線首山の奥山間五六里の地点らしいが行く所行く所広々とした野原と山ばかりで譯が分からない。
午前八時四拾分ラッパの音に足を動かし 鞍山を出て以来此の部落に落ち着く迄ほこりのような吹雪が私の頬を絶えずなぐりつける。横なぐりだからたまない。大きな荷物を持って吹雪を進む隊、丁度帝政時代のカチユウシヤを思い出す 立山首山中間より別れて 鞍山製鉄所の庄(ゆう)山行終鉄道の終点に出て昼食をする。その名は桜桃園 支那部落にしては中々ハイカラな名前だ。この部落で人間至る所青山ありを初めて見た。
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
原爆初動調査 隠された真実
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
私の経験は直接、関東軍防疫給水部(当時731部隊という名前は知らなかった)と結びつくということではありません。しかし北支那派遣軍甲第1855部隊〔北支防疫給水部〕の中の1つである第2分遣隊での体験があります。
私は兵隊から帰ってきたから、自分の体験を話すべきか話さないべきか随分悩みました。私も我が身と家族が大切ですし、復員後は国鉄に勤めていましたので、そのことで私が処分されたりするとイモづる式に仲間がみな大変なことになるとも思っていました。今から考えてみればバカな話です。しかし、この事を話してみようと考えたのは、1988(昭和63)年に観光で中国に行って、中国の人のおおらかさに触れ、また、現地の残留孤児の人達の例を見ても中国の人達からの民族的な差別を受けていない事を知ったからです。私は話さない方が罪だと思うようになりました。
何かをしたいという、そのような気持ちが起こっていた時に、新聞の投書で「戦争を語り継ぐ会」のことを知り、仲間への裏切りを考えつつもそこで初めてこの話をする事にしました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
張丕卿の日本帝国主義による生体解剖の残虐行為に対する告発(1954年6月29日)
私は張丕卿と言い、現在瀋陽の中国医科大学解剖研究室で技官をしている。1932年に満洲医科大学の解剖室で実験手(ボーイ)となり、1945年の祖国光復に至った。初めは日本人の為に掃除をするほか、使い走り(日本人が授業をするとき標本を運び、終了後片付けるなど)もした。それ以後、祖国の光復まで清掃以外に、死体を固定させる仕事(ある種の薬品を死体に注入して腐乱を防ぐ)や骨格標本を制作する仕事に従事していた。この期間中、1942年秋から43年にかけて、日本人は5回前後極めて残酷な生体解剖を行なった。
・・・・・・
(1)119-2、21,2、第18号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
2 ソロモン諸島とアリューシャン列島をめぐる激戦と毒ガス兵器
ガダルカナル島攻防戦間の毒ガス配備
次に、アメリカ軍との戦闘での毒ガス兵器についてみてみたい。日本軍の南方作戦が一段落した後に毒ガス兵器が大規模に配備されるのは、アメリカ軍が本格的な反攻を開始したガダルカナル島をめぐる攻防戦であった。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
この装置について、元516部隊の隊員、高橋正治さんにも下記の回想がある。
「516部隊にもガスチャンバーがあったが、我々は平時は見られなかった。第1科の中にあったので、入ることは許されなかった。1944年の冬、第1科の中に運搬に入った時、私は1度見た。大小1.8㎡、鉄筋の骨組の、ガラス張りだった。運搬時、皆18歳前後の見習工が運んでいた。1名の技官が前方で指導していた。1つのドアを通過する時、技官が突然転んで、頭がちょうどドア枠と装置の間に挟まれた。後方の見習工は気が付かず、依然前を向いて運搬したが、力が大変強く、技官はその時圧死した」
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
V
下庄村に引き上げた翌日、下庄~張坊鎮間の「封鎖壕」の進捗情況を視るために作業現場に出発した。「封鎖壕」は、八路軍地区に対し、物資の交流を阻絶するする為と八路軍関係者が駐屯地区内に入ることを防止する、軍民離間工作の一つであった。壕の大きさは上幅5m、深さ4m、底幅3mで、この構築は、今度の「侵略作戦」によって八路軍の武力を遠く後退させ、その機会を利用して一挙に遂行したものである。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
複雑な内部規範
陸上自衛隊の場合、秘密保全に関する規定としては「秘密保全に関する達」(昭和43年12月19日、陸自達第41-2号)、「陸上幕僚監部情報等業務規則」(陸上幕僚監部達第40-1号)、「暗号等の秘密保全に関する達」(陸自達第44-3号)があり、ほかに、「防衛秘密の保護に関する達」もある。航空自衛隊では、とくに「レーダー内立入制限区域の立入手続に関する達」(昭和35年空自達第52号)が定められている。以上のように、なんとも複雑な構造であるが、このカラクリを分析しなければ、自衛隊の機密構造を全面的に捉えることはできないのである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
1 自衛隊の基本戦略
自衛隊の基本戦略
軍隊としての自衛隊は、創設の時以来国民の眼をごまかすことが最も大きな仕事であった。自衛隊法第3条がその任務を「国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛すること」としている以上、時には国民をも敵としなければならないからでもある。
よく、自衛隊は「通常戦争」と「治安出動」の2つの任務を持っているというように説明される。自衛隊法でも「直接侵略と間接侵略」といった分け方をして、あたかもそのような定義があるかのような文章表現をとっているけれども、「間接侵略」などという定義はおよそ軍事的にはナンセンスである。「間接侵略」という定義を国際条約上初めて使ったのが、旧日米安保条約であり、このような定義の曖昧なものを法律とした自衛隊法は、法律としてももちろん問題であろう。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅱ
1948年1月に天皇が国会を召集したとき、議員が習慣的に行ってきた「蟹の横ばい」が事件を引き起こした。天皇が専用の特別の入り口から議事堂に着くと、いつも謁見室で両院の指導者の挨拶を受けることになっていた。習わしでは、議員たちは部屋に入って天皇のすぐ前の位置に進み、深く頭を下げ、そして横か後方に歩いて最寄りの扉から出てゆくのである。そうすれば、天皇に横顔や後頭部を見せるという不敬を犯さずにすむのである。しかしこのときは、天皇が両院の議長・副議長のお辞儀を受けに特別謁見室に入っても、参議院副議長の社会党議員松本治一郎は姿を見せなかった。彼は後で同僚に「そんな“蟹の横ばい”みたいな真似ができるか。人間天皇になったはずだろ」と語った。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1954年3月1日 キャッスル ブラボー 15,000 アメリカ合衆国 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物事故(第五福竜丸が被曝)
1955年11月22日 RDS-37 1,600 ソビエト連邦 水爆(ソビエト連邦による初の多段階、実用兵器)
1957年11月8日 グラップル X 1,800 イギリス 水爆(イギリスによる初めて成功した多段階)
1960年2月13日 ジェルボアーズ・ブルー 70 フランス フランスによる初の原子爆弾
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!