2021年3月4日木曜日

細菌戦の系譜!!

  


















中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」














731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回

「731部隊被害者遺族を訪ねて」



日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。


曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

水俣病

田宮猛雄(たみやたけお)

しかし彼は731部隊にも深く関与しており、部隊員とも懇意で、戦後も人体実験をしていたことはあまり知られていない。

彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。

また田宮は731部隊の別働隊でもある北京の1855部隊へ出張していたとも言われてい

田宮は731部隊第2代部隊長・北野政次とも非常に親しく、戦後、北野が東大伝研に現われたとき、もっとも北野の庇護したのが田宮であった。
また福見秀雄や北岡正見とも一緒に研究をしている。

終戦直後、GHQの軍医が田宮を訪れ、米軍の資金提供を受けて共同研究を始めた。
田宮は英語が流暢で、GHQの信頼も厚かった。

水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した




隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

◎11月職員異動調べ

月日   異動事項       官職   氏名

11.11 宮城県下へ出張を命ず   嘱託   中村二三郎

11.11 山形県下へ出張を命ず   技手   天 神智

11.11 神奈川県下へ出張を命ず  技手   滋賀俊英

11.11 同            技手   若林宏

11.13 叙勲4等授瑞宝章      教授    高木逸麿

11.15 昭和4年11月13日付

   願研究生退学の件許可す          高橋盈

11.20 愛知静岡及岐阜の3県下へ

   出張を命ず          技手    菊池常雄

11.25 昭和4年11月22日付

   願研究生退学の件許可す          村上甫

11.25 千葉県下へ出張を命ず   嘱託    中村二三郎

同                 嘱託    島崎正雄

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 東京紀行~細菌戦訴訟の一審判決~

何必会(義烏市、原告団事務局)

判決後、原告と弁護士たちは法廷から出た。この時既に、裁判所の正門前では、法廷に入れなかった中日の支援者たちによって抗議行動が始まっていた。30分後、弁護士会館で集会があり、王選さんと弁護団団長の土屋先生の報告を聞いた。その後、日本の司法記者クラブは記者会見を開催し、一審判決の結果を世界に向けて報道した。その夜の18時30分、中国原告、日本弁護団、浙江省弁護団と日本の専門家は、東京飯田橋で判決報告集を行い、日本政府の細菌戦の事実の否認行為と東京地方裁判所の不公正判決に対して批判した。

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

四月二四日

 

国の為と思えば自然に微笑まれる自分の姿を見ることが可能であろうもの

美しい撫順の心に画いたり 桜の国を夢見たり 然し之も父母の為のみ左右される生活ではないのですよ 天使たちよ 幸せに暮らしてください 春は必ず眼の前に実現いたしますからね 私はこんな事を心で叫びながら楽しい一日を終わった これが理解できる位まで彼女たちがなって 未だにこんなこと云ふたら私は喜んで話すであろう。



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 

そして妻と死に別れ、唯一の身よりだった小児マヒの甥も結婚して去っていったので、本当のひとりぼっちで生き続ける、かつての屠殺殺人は、ユーモラスにこう感謝するのである、

≪私がこうして盲目で困っていれば人が色々なものを恵んで下さるし、煙草もよいのが落ちていたといって拾って持ってきて下さいます≫

 

 

 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

部隊の破壊と証拠隠滅作業

部隊員のほとんどが撤退していたので、爆破する時には数十名しか残っていませんでした。これで部隊も見納めになると思い、爆破の前に私はロ号棟の各部屋を見て回りました。どの部屋も何1つ品物はなく、整理されていました。ただ心に残るのは、ロ号棟の2階を登り詰めた真正面の窓際の机の上に、10名の将兵の“英霊”が、並べられたまま置き去りにしてあったのを見たことです。彼らはノモンハン事件の際に、腸チフス菌をハルハ河の支流のホルステイン河に流した時自ら細菌感染して戦死した人々でした。

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

問:知っていたのなら、当時どのように考えていたのか。

答:100部隊が秘密部隊となる以前は、私は何も特別な考えを持っていなかった。秘密部隊が成立してから、馬疫研究処が100部隊に細菌を提供するのは、完全に関東軍の命令によるものだった。その時私は、菌株の提供は細菌戦の研究と準備の為と知っていた。しかし当時、私は日本帝国主義の立場に立っていたので、関東軍の命令に対して服従していた、太平洋戦争において勝利するためには、悪い事でもなさなければならないと考えていた。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度

 これは、1932年初頭の段階では、陸軍は催涙ガス・くしゃみ性ガスの使用は国際法違反と判断していたことを示している。しかし、その後この認識は次第に変化していった。

 

ジュネーブ一般軍縮会議の開催

「満州事変」後、「満洲国」建国工作から欧米諸国の目をそらすために、日本軍は1932(昭和7)年1月に日本人僧侶殺害事件を口実に中国軍と戦端を開いた(第1次上海事変)。近都陽が高まりつつあったこの年の2月から開催されたジュネーブ一般軍縮会議に臨むにあたって陸海軍が毒ガス使用禁止問題について次のような方針を掲げていた。


 

 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる


記録2 村上初一館長と「毒ガス資料館」

 村上先生の話の中から、私は日本人が崇める「真剣」の精神について考えた。いわゆる「真剣」とは、本当の刀や槍を使うの意味だから真面目にやるという事だろう。経済や技術の問題にしても、日本人は確かに「真剣」の精神で対する。でなければ今日の発展はないだろう。だが、民族や歴史や社会の問題に対して、日本人は果して村上先生のように「真剣」なのだろうか?もし、このような真面目な精神が無かったら、かつて侵略戦争を引き起こして、アジア各国の人民に大きな被害をもたらした日本は、どうして世界の人々から信頼を受けられるだろうか?私は村上先生の「真剣」の精神に敬服して心から村上先生を信じ、更に多くの日本人が村上先生のように人々から信頼を受けられるようになることを希望する。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

汚された泉

井戸へ放り込み惨殺

杉本千代吉(すぎもとちよきち)

大尉

〈略歴〉

学歴 中学高卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊

出身県 静岡県

年齢 38歳(1919年生まれ)

 

「ピシッ・・・・ピシッ」冷酷な鞭は休むどころかさらにひどく激しく農民の体を殴った。小さなうめき声をあげ、歯を食いしばる農民の日焼けした顔は、血と脂汗と泥でものすごい形相に変わり、石のようにこぶしは固く握りしめられていた。その様が綿足にはたまらなく面白かった。ゲラゲラ笑う兵隊たちの中で、私は煙草をくゆらせていた。

 

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究

2)化学兵器関係資料

「化学目標分析(型式見本)

1、任務 化学攻撃の目的を記述

2、状況 目標及び化学剤に対する目標選定に影響する全要員を記述

a、彼我の状況

(1)敵情 目標分析に関係ある事項列挙

(2)友軍の状況 上記と同じであるがその他に部隊任務と作戦計画に影響する化学剤を挙げる。

b、目標の特性

(1)目標の列挙 人員、資材、地形、(人員数、資材の量、行動、状態)

(2)位置及び高低、座標、友軍との位置関係特に高低、地形の特性

(3)目標の大きさと形 寸法及び人員資材の配置等

(4)脆弱性 敵の形式と大きさ(資材と構築物の型を含む)、機動性、人員と資材の密度

(5)天候地形




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

自衛官の入学研究発表の拒否

学会の研究発表拒否、大学や大学院への自衛官入学拒否は、右の声明にもかかわらず益々広がっている。これに対する防衛庁当局の抗議ないしは非難の理論的根拠が「学問の自由、表現の自由の立場から隊員が安心して学び、研究し、発表できない」ことを挙げているなどは、憲法宣誓を忌避している自衛隊から出てくる言葉としては奇異な感を抱かせるものであろう。それにもまして、職業軍人に「任務」として課している軍事目的の研究が、我が国の平和憲法の精神及び学校教育法の基本精神に反するという明白な事実を隠した論理のすり替えは多くの大学から鋭く攻められているわけだし、国民の間から非難こそあれ、大学や学会から拒否された防衛庁当局に対する同情の声が一向に聞かれないことは当然のことである。

 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 幣原内閣の閣僚たちは「象徴君主制」と国権の発動たる戦争の放棄について不満を持った。しかし、声田はこれらについて次のように記している。「国際紛争は武力によらずして仲裁と調停とにより解決せらるべしと言ふ思想は既にKellog(Kellogg-Briand)PactとCovenant(of the League of Nations〔国際連盟規約〕)とに於て吾政府が受諾した政策であり、決して耳新しいものではない」。明らかに芦田は、戦争放棄が日本固有の自衛権の侵害だとは考えていなかったし、憲法第九条の成文化が占領終結後に激しい論争の的になるとは予想していなかった。むしろ、芦田をはじめ幣原内閣の閣僚たちが懸念したのは、天皇が政治権力を失うという問題だったのである。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。

アメリカ合衆国

ネバダ州での核実験


1957年8月7日ネバダ核実験場における核実験(プラムボブ作戦)で破壊された米海軍の飛行船。この飛行船は軍事効果実験のため爆心地点から5マイル以上離れた地点を無人で浮遊中だったが、爆発の衝撃波で崩壊した。

南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年ネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。

核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130kmにあるトノパー近郊で1Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5Mtの実験はアラスカアムチトカ島で行うことになった。

1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。

· 928回繰り返された核実験の放射能で、多くの人々がガンになって死んでいるというドキュメンタリーがある。

詳細は「ネバダ核実験場」を参照




 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!




 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


3月3日の『化学学校記事』の傍聴



第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
 ①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 

 と日本国憲法9条は、世界に向かって宣言している。 

 日中戦争、アジア太平洋戦争で、世界で唯一野戦で毒ガス兵器や細菌兵器を国際法に違反して使った日本が、あの戦争の反省に立って作った憲法である。 




 ところが今、尖閣諸島に中国海洋局の武器を保有しているとみられる艦艇が、侵入すると事態になると、ニュース報道もこのままでいいのかという様な、放送が一部流れている。 

 本来は、憲法に則って、武力によらず、平和的手段により解決の道筋をつけていくことに腐心しなければならないはずの日本だが、なぜか、武力には武力で対抗しなければと受け取られる報道が流れている。 

 憲法9条の発展形を示し、武力によらずして、平和を構築することが出来ないのであろうか? 
 3月3日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。

 まず、この情報公開裁判というのが曲者である。 
何で、裁判までしなければ、自衛隊の情報が出てこないのか? 
しかも、裁判をはじめても、『化学学校記事』があることを、原告が証明しなければならないというおかしな裁判である。
隠している被告側防衛省には、代理人が7~8人が座っている。 
防衛省が、本来きちんと保管してあるものを、すぐ出せばことは済むはずである。 
裁判を始めて月日が過ぎても、開示する気は全くなく、防衛省は逃げている。

 あの戦争で、アジア・太平洋の膨大な方々に、加害を与えた日本である。 
そして9条が生まれ、武力の不保持を全世界に宣言した!! 

ところが、1954年に自衛隊ができる。 
そして、自衛隊で何が行われているのか、国民にはきちんと知らされない。 

自衛隊のホームページを見ると核・生物・化学兵器への対応 というのがある。核兵器、生物兵器、化学兵器への防護を強調しているが、自衛隊がどのような武器を持っているのか具体的には示されていない。

1960年代は、アメリカのベトナム戦争での枯葉剤が、世界的に問題になる。
1966年第21回国連総会で「化学兵器・生物兵器の使用を非難する決議」が採択されている。
1969年防衛庁図書館において陸上自衛隊の各種学校の学校記事等の定期刊行物が展示されなくなり、書棚はガラガラとなる。
1969年7月には沖縄で毒ガスの漏出事故が起きている。
1970年『化学学校記事』16号発行
1970年5月「窒息性学、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用禁止に関する議定書(ジュネーブ議定書)を批准
1970年7月「ウ・タント国連事務総長が「化学・細菌(生物)兵器とその使用の影響」と題する報告書を提出する。

化学兵器についていえば、1964年にサリンの合成に成功している。
1973年にはBZガスの合成に成功している。
1995年3月20日地下鉄サリン事件発生、化学防護隊が対処にあたる。
※オウム真理教の信者の中に自衛隊員が複数いた。サリンの製造とのかかわりは?
2018年7月オウム真理教の死刑囚に刑執行。
CBRN(シーバーン)の練習とは何か?




 防衛省は、自分達が一生懸命作っている機関誌『化学学校記事』がいつまで作っていたのか分からないという。 本当に驚くことである。

 防衛省は、税金を使って作っている『化学学校記事』が何号まで作ったのかわからなと、公然と法廷で言っているのだ。 
ようやく少し時間が経ってから、「1959年~1967年までの間に1号~12号が発行されていることがうかがえる」と認める。 
そして、その文書管理もきちんとしていない。図書原簿にも載せていないのだ。 
原告が1970年に発行された16号を示すと、2年以上たってからその存在を認める始末。 
そして、20号までは作っていないと思うとか、曖昧な返答。
 国の正式な機関であり、憲法9条に則って、事業を進めなければならない防衛省は、きちんと情報を速やかに公開すべきである。

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