2009年1月9日金曜日

1938年 南京 1月9日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月9日
 午前10時。自治委員会のメンバー、王・・(通称ジミー)との談合。数日前、国際委員会の活動を日本軍が力ずくで止めさせようとしていたと聞かされる。結局これは実行には移されなかったが、我々は今後避難民に米を売ってはならないことになった。もし、自治委員会が販売を引き受けるというなら、異存はない。
 ローゼン家とヒュルター家、それから大使館に行ってみた。どこも問題はないが、電気も水も止まっている。
 11時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にする羽目になった「小規模の」処刑について報告した。日本人将校一人に兵士が2人、山西路にある池の中に中国人(民間人)を追い込んだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士の一人が近くにあった砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。

 ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルグの3人がイギリス砲艦クリケットで到着した。イギリス大使館の役人3人とプリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏も一緒だった。だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったと言いがかりをつけられて、上陸させてもらえなかった。・・
・・・・・・・


 夜8時。ドイツ大使館の3人とクレーガーを夕食に招いた。ワインもある。クレーガーが以前、シャルフェンヴェルグの家から失敬してきたものだ。そしてジャーディン海運社の船客のその後の様子、それからビー号とパナイ号のことを話してもらった。・・・・・・・

・・・・・・・・・・
 8時にいよいよ食事を始めようとすると、近所の家から火の手があがった。外交官がやって来ようと、放火を命じられた日本兵は少しも気にならないようだ。




「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月9日  日曜日
 晴れているが、相当に寒い。池の氷は厚さが半インチある。渡り廊下やベランダで寝ている避難民はいないが、一部の避難民はいまなおホールにいる。多くの人が夜に泊まりにきて、日中は帰宅している。気の毒に、サールが金陵大学や養蚕学校、中学校で抱えている多くの問題、たとえば、収容されている中国人同士の争い、そして彼らの一方による日本軍への通報、それに避難民による盗品の持ち込み、さらには、それをめぐる争い、また、内部のスパイ問題、などは女子学院ではまだ起こっていない。・・・・・
・・・・・・・・・


 私たち14名は4時30分からの英語による礼拝に参加した。ジョン・マギーが主宰した。アメリカ大使館のエスピー氏が参加しており、アメリカ砲艦パナイ号が沈没したこと、それと同時にスタンダード石油会社の船2隻もも沈没したことを初めて知った。日本軍による故意の爆撃のようだった。どうしてそのようなことをしたのか、理解に苦しむ。私が接触した日本軍の兵士や将校はみな、アメリカ人に対しては友好的なようだが、しかし、ロシア人やイギリス人に対しては気をつけるようにと、決まって警告する。今日3人のイギリスの外交官が着任したので喜んでいる。これで私たちのメンバーにさらに6人が加わり、いっそう安定してきたということだ。

・・・・・・・・・・・・・


 トリマー医師の話では、中山路に日本の店が一軒開店したそうだ。リッグズ氏は時間をすべて割いて粥場に石炭を配達し、またソーン氏は米を配達してくれている。彼らの骨折りがなかったら、大勢の人がひもじい思いをしているのではないだろうか。


「Imagine9」(合同出版)解説より。





9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。



「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

2009年1月8日木曜日

1938年 南京 1月8日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)
1月8日
 ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルグの3氏が、明日イギリス大使館の2人と一緒に南京に来ると福井氏が知らせてくれた。ローゼン、ヒュルターの家はどちらも無事だ。ドイツ大使館も。ただローゼン家からは車と自転車、それから酒が数本盗まれた。イギリス人の家の様子はわからない。シャルフェンベルグの家は安全区の外だったこともあって、ひどい荒らされようだった。ヒュルターの家に泊めてもらわなければなるまい。困ったことに、どこも電気や水が止まっている。そこで福井氏にまた手紙を書いた。アメリカ大使館の人たちの家も同じ状態らしい。みな、寒い寒いと言いながら、大使館の大きな暖炉にへばりついているという。電気や水が使えるよう、日本軍に要求すればいいと思うのだが。
 福井氏がいうには、日本大使館が国から新しい車を取り寄せるそうだ。ドイツ大使館員に、おそらく他の大使館にもだろうが、盗まれた車を弁償するという。

 

 今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪い返そうとしているという噂が、またもやひろまった。それどころか、市内で中国兵の姿を見かけた、という話まで出ている。まず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつけていたのだが。そしてつい今しがた、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていたという。


 この時のささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。いままでは安全区が平穏でいられて、本当によかった。どうかこういう悲惨なことにならないようにと祈るばかりだ。・・・・・・




「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
1月8日   土曜日
 今日は寒く、陽が出なかった。十分な夜具や衣服を持っていない人たちは病気にかかるだろう。キャンパスの外はあまり落ち着いた状況ではないが、帰宅する人はますます増えている。キャンパスにはいまでは5000人ほどが残っているだけだ。キャンパスの西に住んでいる陶は、家族と共に東の中庭で生活していたが、今朝家から戻ってきて、いつ何時兵士たちが押し入って金銭を要求するかもしれないので、男性さえ、今の居住地域に留まるのは不可能だ、と言っている。渡す金がない場合は、兵士たちは、「花姑娘」つまり若いきれいな娘を見つけて来いと強く要求する。彼の話では、家には何一つ残っていない。ドアや窓ぐらいは残っていてほしいと念じながら帰宅したのだが。午後キャンパスから3つの方角に火災が見えた。略奪が続いていると言うことだ。・・・・・・・
・・・・


 午後日本大使館の高頭が訪ねてきて、学院や個々のアメリカ人がこうむった損害の賠償請求を出すよう私に促した。彼が同伴してきた通訳は、中国人教職員の被害については考慮しないことを明言した。・・・・・・
・・・・・・・・・


 いろいろな噂が野火のように広がっている。中国軍が南京の近くまできている、日本軍が、変装して逃げられるように中国人の衣服を借り集めている、などなど。なるほど、民間人の衣服をほしがっているのだろうが、おそらく、もっと真実に近い動機をいくつか私は知っている。高頭に、いつになったら南京に平和が回復し、避難民が帰宅できるようになるのか、と尋ねると、「2日ぐらいしてからだ」という答えだった。農村からやってきた女性たちが言うには、ぞっとするような状況になっていて、彼女たちは、ともかく身の安全を図るため、自分の体を実際に地中に埋めなければならなかったそうだ。
 4時から5時までの間に王さん、程先生と一緒に、王師傳を捜しに車でグレイさんの家に行った。あのようにひどく取り散らかった彼女の家はいまだかつて見たことがない。彼女の持ち物はほとんど全部庭に出されている。生死のほどはともかく、王師傳は見つからなかったが、12月13日以前に蕪湖へ行ったものと推測される。後ほど、私たちは新街口に行った。目抜き通り(中山路)の両側にあった多くの店が焼けてしまい、焼けずに残った店は軒並み略奪に遭ったようだ。道路にトラックが2台停まっていたが、略奪品が積み込まれている最中だった。・・・・・・・
・・・・・・・・・・


「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、



9条がゆきわたった世界を。



Imagine,



A world filled with Article 9.



憲法9条は、日本という「国」のものではありません。
日本に住んでいる「人々」、つまりみなさん自身のものです。
そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。
(アメリカ/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

2009年1月7日水曜日

1938年 南京 1月7日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月7日
 福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、何が何でも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーベの「市長職」も?)我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。そういわれてしまっては、手も足も出ない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。

 南京の危険な状態について、福田氏にもう一度釘を刺しておいた。「市内にはいまだに千ほどの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この26日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。

 今日午前10時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げこんできた。・・・・・・・・
 占領されて今日で26日。南京のヨーロッパ人住宅の治安状況がどんなものか、これでわかるだろう。

 リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。うつろな目をした女性が一人、通りをふらふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上話をした。18人家族だったが、生き残ったのはこの人一人だという。残りの17人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは両親と3人の子どもを亡くした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺おけを買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちがふたをこじ開け、亡骸(なきがら)を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが彼らの言い分だった。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月7日 金曜日
 きょうの登録は3時に終了した。ここ2日間の登録方法は最も満足のいくものだった。作業はすべて中国人が行ったので、緊張感や恐怖感が取り除かれた。ごく少数の日本人警備兵が傍らの離れたところにいるだけだ。日本大使館の警官数名が中国側警官にいつでも協力できるように待機している。正午に少人数の女性の一団があわただしく入ってきた。南京の西方17華里(8.5キロメートル)のところからやってきたという。彼女たちは、登録したらもう安全、と思っている。・・・・


・・・・・・
 昨日大使館に到着した3人のアメリカ人に頼まれて、今朝報告書を作成した。・・・・・・
・・・・・私は、ルース、フローレンス、アリスの3人にあてた手紙を持って行った。今日上海へ発つことになっている船にそれを持って行ってもらえるからだ。上海ではどの程度徹底した検閲が行われているのかわからないので、どんなことを書いたらよいか判断が難しい。・・・・・



 今日は久々にラジオニュースの切抜きを受け取った。私たちが恐れていたことについて情報を伝えてくれるものだった。ここ数日、月明かりの夜に漢口が激しい空襲に見舞われている、というのだ。あのような人口密集都市ではひどいことになっているだろう。漢口は、南京と同様、恐怖の都市に化したと伝えられる。神様、不幸な人々に哀れみを。私たちが南京でこうむった10日間の恐怖の支配を彼らが味わわずにすみますように。・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・


 安全区国際委員会の男性メンバーは、すばらしい働きをしている。彼らは自分たちの家は略奪されるがままに任せながらも、中国人の大集団を救済するため、もてる時間とエネルギーすべてを捧げている。ドイツ人ビジネスマン(1)たちもとてもよくやっているし、チームワークが抜群だ。委員長のラーベは恐れを知らない。

(1)ラーベ、クレーガー、の他に、ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長のエドゥアルト・シュペルリングがいる。彼は日本兵の難民に対する暴行を体を張って阻止し、「安全区の警察官」と呼ばれた。


「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、



ひとりひとりの安全を



大事にする世界を。



Imagine,



A world that values



the safety of



each and every human.




政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

2009年1月6日火曜日

1938年 南京 1月6日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月6日
万歳!アメリカ大使館のアリソン、エスピー、マクファディエンの3氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。すでに12月31日に南京を目の前にしていたのだが上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。
 日本の軍当局から米と小麦粉(両方とも軍が略奪したものだが)が買えそうだ。価格は高いが(米一袋13メキシコドル)、約5万メキシコドル買うことにした。石炭も1万2千メキシコドルぐらい買っておかなくては。難民の蓄えが底をついてきたので早急に手を打つ必要がある。・・・・・


 10時ごろ日本軍のトラックが来て、うちの収容所から下関の発電所の作業員を15人連れて行った。みなしぶしぶ出かけていった。前回、食事をちゃんと与えるという約束をしておきながら、ろくなものを食べさせてもらえなかったからだ。全くありつけなかった者もいた。それだけではない。発電所ではなく、市の南部の門の近くで塹壕堀をさせられた者も何人かいた。

 午後5時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、食料などの蓄えや資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。自治委員会が今後我々の仕事を引き継ぐことになっているからだという。冗談じゃない。私は直ちに異議を申し立てた。「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ」。難民の住まいの大半は壊され、略奪されている。焼き払われてしまった家もあるのだ。


 早速会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。また、治安や秩序を取りもどすためにどういう提案をするかについても。日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。どうやら狙いは我々の金だけらしい。つまり、「国民政府からもらったのだから、俺たちのものだ!」というわけだ。
 しかし我々の考えは全く違う。なんとしてもこちらの主張を通そうということになった。アメリカやドイツの大使館が支持してくれると当てにしたうえでの結論だ。といっても、先方が果たしてどう考えているのか、まるっきりわからないのだが。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月6日 木曜日
 昨日午後遅く中国人の登録計画がどうやら変更されたらしい。というのも、引き続き女性の登録は金陵女子文理学院で、男性の登録は金陵大学で行うという通知を受け取ったからだ。しかし、今後は軍ではなく行政職員の指揮で行われることになった。8時には再び女性たちが押し寄せてきた。今回は訓示はなかったが、彼女たちは12列ほどの縦隊に並ばされた。各列の先頭付近にはテーブルが2脚置かれ、最初のテーブルで許可証を、2番目のテーブルで登録カードを受け取るようになっていた。・・・・・・・



 午後、警備の兵士15人が派遣され、現在、彼らは門衛詰め所、というよりは張さん一家が住んでいる家にいる。8日間にわたって夜間警備に当たってくれた大使館の警官にはしごく満足していたので、避難民の警護方法を変更することには気が進まなかった。困ったことに、警備兵と一般兵士とを見分けることができないので、キャンパスから警備兵を追い出すというひどい過ちを犯すことになりかねない。・・・・・・
 ・・・・・・・・
 比較的年齢の高い避難民は徐々に帰宅しているが、若い人たちは大部分がいまなおキャンパスにとどまっている。賢明な選択だと思う。帰るべき家のない人たちのことを思うと胸が痛む。そのような人たちが大勢いる。

「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界を。



Imagine,


A world that instead of


preparing for war,


prevents war.



コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

2009年1月5日月曜日

1938年 南京 1月5日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
 1938年1月5日に、「査問工作」を打ち切った佐々木到一城内粛清委員長は、その成果をこう記す。

   1月5日  査問会打ち切り、この日までに城内より摘出せし敗兵約2000、旧外交部に収容、外国宣教師の手中にありし支那傷病兵を俘虜として収容。
城外近郊にあって不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関(シャーカン)において処分せるもの数千に達す。
(「佐々木 到一少将私記」)

 年末から新年にかけて実施された「敗残兵狩り」によって、少なくとも数千の男子、それも元兵士の嫌疑をかけられた一般住民が多く虐殺されたのである。南京の近郊区から千単位の男子を敗残兵として連行して下関で処刑したことが記されているが、県城や村においても「敗残兵狩り」の名による虐殺、強姦、放火が行われたのだった。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月5日
 わがジーメンス・キャンプは他の収容所からあまり芳しくない評判をとっている。韓がちょっぴり余計に米を配るからだ。・・・・・・・
 いくらなんでも500平方メートルの庭に602人は狭すぎるので、難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。ここだけが安全だと思っているので、誰も出たがらない。・・・・・

 衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。伝染病が拡がらないといいが。今日の昼までは水が出たのだが、午後になって止まってしまった。電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。
 登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳飲み子を抱えて5列に並んだまま、人によっては6時間も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。この厳しい寒さの中、一体どうやって耐えているのかと思う。

 またもや漢中門が閉まっている。昨日は開いていたのに。クレーガーの話では、門のそばの干上がった側溝に300ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された民間人たちだ。日本軍は我々外国人を城外の外に出したがらない。南京の実態がばらされたら困るからな。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月5日 水曜日
 登録業務のため、今朝は7時30分に(通常は8時)に朝食をとった。中国人警官と立ち話をしていると、8時30分までに5000人ないし10000人の女性が私の前をひっきりなしに通り過ぎて行った。なんと哀れな光景だったことか。女性たちは、たいてい4人1組でやってきた。というのも、後のち、その隊形で行進させられるからだ。通達では、30歳までの女性だけ、となっていたにもかかわらず、高齢者が大勢いた。・・・・・・・

 9時には役人の車が到着したものの、驚いたことに、女性たちは、登録を受け付けてもらうどころか、誰も登録するには及ばないと言われ、重い足取りで家路についた。朝4時から並んで待っていた者もいる、と門衛から聞かされた。・・・・・・・


 状況がいくらか良くなり、緊張がゆるんできている。その証拠に、私たちの仕事を支えてくれている程先生、ブランチ呉さん、王さんの3人が午後風邪と疲労で寝込んでいる。しかし、安全区の状況は依然としてあまりよくない。
 午後、P.ミルズが、昨夜強姦されたという56歳の女性を戸部街から連れてきた。
 夜、男性がキャンパスに避難している娘に食べ物を差し入れたい、と言ってきた。ここには男性を入れることはできないと言うと、「私には今は娘しか残っていない。3日前の夜、安全区内で妻が抵抗して大声を出したら、銃剣で胸を突き刺され、その上、幼い子どもは窓から放り出されてしまった」と訴えた。これも午後のことだった。私が執務室にいると、新婚18日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。彼は何の罪もない洋服の仕立て屋で、12月15日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。さらに別の新婚2ヶ月の若い花嫁がやってきて、12月16日に夫が連れ去られたと話し、私に援助を求めた。いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。前者は10家族を、後者は8人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話が絶えず耳に入ってくる。
 5時から6時までの間に、王さんと一緒に日本大使館へ出かけた。大使館の警官を引き続き毎晩校門に配置するよう要請するためだ。警官がいてくれるのはとても助かる。



「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

女性たちが

平和をつくる世界を。



Imagine,

A world where

women create peace.


戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を
果たす事ができます。
(アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

2009年1月4日日曜日

1938年 南京 1月4日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月4日
 あいにく、わが家は安全区のはじにある。そのうち、火の手がのびてくるのではないかと不安でたまらない。昨日、またしても近所で3軒放火された。今こうしているうちにも、南の方で新に煙が立ち昇っている。それはそうと、市内はあい変らず闇に包まれている。下関の発電機は無事なはずなのに。幾度も日本側に抗議しているが、さっぱりだ。取締りのため軍事警察がおかれてからは、治安は全体的に確かに良くなったといえるだろう。けれども警察官の中にもいかがわしい連中がいる。そいつらを見て見ぬ振りをするだけだはない。一緒になって悪事を働くことさえあるのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月4日 火曜日
 晴天の暖かい日が続いているところをみると、天にまします神は、きっと弱者に手心を加えてくださっているのだろう。キャンパスでは引き続き登録が行われている。男子に関してはほとんど完了した模様だ。今日は、多分5000人ないし一万人の女性が登録しただろう。少なくとも訓示を聞き、予備登録票を受け取るという第一段階は終了しただろう。手続きは8時少し過ぎに始まり、昼休みを除いて4時まで続いた。17歳から30歳までの女性だけが登録するように、との指示があったが、多くの者はそれよりも若いか年長であった。概して、女性は男性よりもましな扱いを受けたが、それでもやはり、警備についている兵士たちは、牛を扱うように女性を引き立て、しきりに面白がったり、時としては頬に判子を押すなどして、当然ながら、彼女たちに恥ずかしい思いをさせている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 南京が陥落してから今日でちょうど3週間になるが、今までのところまだ外国人の出入りは認められていない。

・・・・・・・今夜、南山公寓から火災を2件ー1件は南門付近、もう1件は東門付近ーを目撃したが、これは、いつもに比べてずっと少ない件数だ。登録が終わり次第、避難民は、安全であるという保証のもとに、自宅に帰るよう強く促されるだろう。かわいそうに、帰る家のない人が大勢いるし、たとえ幸運なことに家があっても、これまで何度となく略奪をこうむっているというのに。

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。

Imagine,

A world that gets rid of

military bases and reclaims

the forests and the oceans.


森に抱かれ、海にはぐくまれ、人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

2009年1月3日土曜日

1938年 南京 1月3日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月3日
昨日夜7時に、スマイスがフィッチ宛の報告書を手に医者の許伝音氏のところからやってきた。

    フィッチ様!
 本日午後4時半頃、劉培坤は暴行されそうになった妻を守ろうとして日本兵に射殺されました。
 近所の家が日本兵に占領されているため、我が家は今、逃げてきた婦人達でいっぱいです。私はシュペアリング氏に手紙を書き、すぐにこちらへ来て我々を守ってくださるようお願いしました。シュペアリング氏の体があかない場合、ここ寧海路五号に、誰か他の外国人を差し向けていただけないでしょうか?                         敬具
                           許伝音


 本部に泊り込んでいるはずのシュペアリングをスマイスが探しに行っている間、私はマギーと一緒に日本大使館へ行った。マギーはすでにこの件について詳しい報告を受けていた。田中氏に軍部に出向いてもらい、この事件を調査するよう要求してもらうのだ。これは実に計画的で残虐な犯行だ。
 劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。5人の子どもがいる。夫が駆けつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉を引きずり出した。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足元にひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった。
 田中氏は、直ちに軍部に報告すると約束した。私も氏が約束を果たさなかったとは思っていない。だが結局、沙汰やみだ。兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。それ以上こらしめたという話は聞いたことがない。
 せめてもの慰めのつもりだろう、田中氏は、その後とてもうれしいことを教えてくれた。目下蕪湖にいるローゼン、それから多分ヒュルターとシャルフェンベルグの3人が、1月5日に南京に到着するそうだ。ということは、アメリカ大使館の人たちと同じ日だ。そちらからはすでに連絡が来ている。
・・・・・・・・・・・


 今日は2階の風呂場でも水が出た。正午には、安全区のあちこちで電気もついたのだが、一時ごろになってまた止まってしまった。多分、我々にラジオのニュースを聞かせないためだろう。
 給食所と収容所の決算報告で、委員会の財政が必ずしも楽ではないことがわかったが、これには改めてうなってしまった。要するに、働いている中国人がめいめいしっかり手数料を取っていたのだ。なんせここは中国だ。手数料なしには何一つ運ばない。・・・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
1月3日 月曜日
 引き続き登録が行われている。おそらく8ヶ所で行われているのだが、間違いなく、金陵女子文理学院には大勢の人がきている。午前8時には日本側の警備兵が到着し、8時30分には訓示が始まり、最初は女性に対し、そのあと男性に対して行われた。昨日中国側が策定した新「自治」機構方式は、少なくとも金陵女子文理学院では、日本側の担当官によって完全に、そして唐突に放棄されてしまった。午前中に金陵大学に行ったところ、そこでも農学部棟で登録が行われていることを知ったが、群衆の人数は女子学院に比べると少ない。そのために、女子学院では粥の配給が一日一回に減らされており、子どもたちにはとてもつらい思いをさせている。しかし、兵士であるとして連行されそうになった場合、ここでは、自分の連れ合いに兵士ではないことを証言してもらえるせいか、男性たちは、女子学院で登録する方が良いと思っているようだ。キャンパスで登録が行われているかぎり、うろつき回る兵士による事件は起きていない。5人の女性の夫を捜し出すのに力を貸したいと思い、今日は彼女たちのために手紙というか、嘆願書を書いた。
 今夜、使い走りの魏少年が彼の体験をつぶさに話してくれた。12月14日、少年は最初に国際委員会に、次に大学病院に手紙をもって行く途中のことだった。鼓楼の近くで2人の兵士に制止された。
一人が腹部に銃剣を突き付け、もう一人が背後で銃を構えていた。彼らは、少年が腕に巻いていたアメリカ大使館の腕章を引きちぎり、私の書いた手紙を奪い取って破り捨て、少年が携帯していた身分証明書を投げ捨ててしまった。そして、もちろん、自転車は取り上げられた。少年は無理やりに下関(シャーカン)へ行かされ、そこでは10日間、彼らのためにもっぱら略奪を働いたり、盗品をトラックに積み込んだりして過ごした。少年は、何百人という中国人が殺害されるのを目撃したそうだ。兵士もいれば民間人もいるし、老人もいれば若者もいた。いたるところに死体が転がっていた。倒壊をまぬがれた建物はほとんど残っていないようだ。残っているものとしては揚子江賓館と聖公会の建物を少年は記憶していた。運び出されなかった家具は薪に使われたそうだ。ストーブで燃やすのではなく、焚き火に使ったようだ。その後2日間、少年は中央大学のすぐ西隣りの家に連れて行かれ、またもや略奪品の運搬をすることになった。最後は略奪品を句容に運ばされた。夜明け前に出発し、丸一日飲まず食わずで、日がとっぷり暮れてから句容に到着した。そこに到着してから、男性18人に放免が通告されて、南京に戻ってもよいと言われた。暗闇の中を移動するのは危険だったが、彼らは思い切って出発することにした。何度となく銃剣を突き付けられて制止されながらも、ついに南京に到着した。結局のところ、彼らのうち2人以外はみな、またもや運搬の仕事をさせられるために連行された。道すがら、沼はどこにも、人間や動物の死体でいっぱいだったが、それでも、のどの渇きを癒すためにはその水を飲まなければならなかった、と少年は語った。12月28日、彼は、やせ細り憔悴して帰宅した。いまなお疲れが取れず、動くこともできないでいる。
 午後、若い女性2人が私の執務室に来て、夫を捜し出すのに力を貸してほしい、と訴えた。3人兄弟のうち2人が12月14日に連行されたという。その一家は、南門の近くで鴨肉屋を経営していた。・・・
・・・・・・・・・・・

「Imagine 9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器を使わせない世界を。

Imagine,
A world that doesn’t
let weapons be used.


憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。
なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。
それはこれまでの歴史が証明しています。
核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、
世界はまだ暴力と戦争だらけです。
(アメリカ/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中