Русские солдаты! !! Часть 2 Russkiye soldaty! !! Chast' 2(ロシアの兵士の皆さん!!パート2)
プーチン氏逮捕に懸賞金1億円 狙いは?投稿の“富豪”に単独取材(2022年3月4日)
ウクライナ侵攻反対!!
ソニアの日記
コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
●南京大虐殺の真相
● 南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
●マギーフィルム(字幕付き)
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●2021 9 17 浅井基文講演
●細菌(生物)戦争
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
2021 8 15 敗戦の日
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
加藤哲郎講演会「パンデミックと731部隊」(特別集中講座「ヒロシマ講座」)
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート11月16日(火)
(加藤哲郎講演)
・バイオハザード、現代の視点に立って、コロナを研究しているのが新鮮です。オウム真理教、コロナ対策、保健所、地域の病院のベッド数を減らす。
(70代、市内)
11月16日(火)
(加藤哲郎講演)
・バイオハザード、現代の視点に立って、コロナを研究しているのが新鮮です。オウム真理教、コロナ対策、保健所、地域の病院のベッド数を減らす。
(70代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
畜産
ご存じの通り今後日本にとって重大なる問題は羊毛でありますし、かの満洲に於いては人口300万、羊3000万頭あると
聞きましたのは今より5年前のことであります。満洲のあの広い原野に羊を3、4000万頭位に殖やすことは架空な考えでは
ないと承りました。その他の獣毛、例えばラクダの毛、馬毛、豚毛等も相当重要なものだそうであります。
獣肉、皮革の大切なことは申すまでもありませぬ。この方面への発展は期して待つべきものであると申されております。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第5 井本熊男業務日誌による細菌戦の自認
2 昭和15(1945)年の細菌戦に関する井本日誌
以下に指摘する井本日誌によって、日本軍が衢州と寧波に対し細菌戦を行っていたことは明らかである。
(7)上記(6)以降、10月8日、11月25日、11月30日にも、細菌戦に関する記載がある。(甲1、2・24頁)
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
1月1日
1930年12月31日 遼陽分遣隊上番
1931年 昭和6年の正月は無事遼陽の露西亜兵舎で迎える。
日の出だ 満期 日の入 月が出た 満期 月がかくれた 満期 雪だ 満期
どんなに世界が変わろうとも僕の満期には少しの変りも異存もないはず
去年の正月はゆっくり暮らしたにな!
分遺上番整列時は12月31日雀のふくらみさえ未だに取れない朝の8時年越し
の分遣 ご苦労様ー
「ずっと父が嫌いだった」
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅲ 細菌戦部隊の周辺
防疫研究室経理部とは
細菌培養缶や実験用ネズミの代金を支払った
天野良治
防疫研究室
〈経歴〉
1918年生まれ
1940年 近衛歩兵第1連隊に入隊
1941年 陸軍経理学校に入校
1942年 防疫研究室に配属
1943年 中国・九江の兵站部付
1944年 新潟・船舶兵団付
*この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備をした。“陳述書”よりまとめたもの。
解説―陸軍軍医学校防疫研究室
(常石敬一『医学者たちの組織犯罪』朝日新聞社、1994年より抜粋、編集委員会が構成)
防疫研究棟の完成
日本の軍部は科学技術の研究・開発体制が不十分だったとよく言われるが、こと謀略作戦に関しては、それが有機的にネットワークとして機能していたかどうかは不明であるが、各種のものがあった。
この中で最も規模が大きかったのが石井機関であった。開発した毒物など対人用謀略兵器の有効性を調べるのも、人体実験を日常的に行っていた石井機関であった。その意味で石井機関は、これら謀略作戦の要石の役割を担っていた。
戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
日本軍政下香港(1997.7.27)
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
解説
2 旧日本陸軍とその衛生機関について
なお本書には、東北(満洲)においては関東軍、華北では北支那方面軍などの名称が登場する。このうち関東軍は、日露戦争の講和条約ポーツマス条約で旅順・大連など遼東半島南部の租借地(関東州)と共に日本軍が獲得した長春・旅順間の鉄道(南満洲鉄道)の鉄道守備隊がその前身であり、1919年に関東都督府が関東庁と陸軍部に分離されて後、「関東軍」に編成されたものであった。解説の1で触れられているように、この関東軍こそ満洲事変を初めとする日本の中国侵略の原動力であった。又、華北に於いては、1901年の義和団事件議定書で得られた、北京と海岸との間の要地に於ける駐兵権に基づき編成された清国駐屯軍が、辛亥革命に支那駐屯軍との改称を経て、36年6月、議定書の制限を無視して約3倍に増強されていた。この支那駐屯軍が、翌1937年7月の盧溝橋事件を引き起こし、日中全面戦争を開始させたのであるが、陸軍は同年8月末にこれを改組して北支那方面軍としたのである。更に、華中では上海戦線に派遣された上海派遣軍と第10軍(1937年8月編成)を統轄するものとして、中支那方面軍が1937年に設けられ、翌年2月。中支那派遣軍に縮小再編されたのち、39年9月には支那派遣軍総司令部に統合されている。
衛生機関の組織と運用
次に、軍の中の衛生機関について述べると、平時に於いて陸軍の衛生機関は陸軍病院と各部隊の医務室のみであり、それに関する行政的作業は陸軍省医務局(医事課と衛生課から編制)で行われていた。陸軍病院は主として長期の療養を必要とする患者を収容することを目的としており、治療終了まで加療することが原則であった。
●毒ガス戦
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
2、遺棄毒ガス兵器の発見と被災
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
科学に対する冒涜
1993年6月、『従軍慰安婦』問題を調査する為、吉見義明、伊香俊哉らの学者が日本の防衛庁防衛研究所図書館で資料を調べ、旧日本陸軍の一部の重要な士官の業務日記を発見した。その中に軍医大佐金原節三の『陸軍省業務日誌摘録』があった。金原節三は1937年8月から日本陸軍省医務局医事課員となり、1941年11月からは医事課長を務めた。合わせて35冊の『日誌』の中に、各種の化学毒剤による人体実験を行ったことに関する重要な資料がある。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
(2021年2月4日)
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第2章 日米共同作戦
1 平時機構と軍事協定
密接な連携
決定権をもつ安保協議委の下部機関としては、60年安保締結のさい、軍事専門委員会を設置することが決まっていた。これは今のところ設けられていない。だが、防衛当局は「軍事委員会―持ち寄って何かを決定するという意味の委員会組織は、常時は持っておりません。有事に近くなれば、そういうものも必要になることは十分考えられます」(衆院内閣委員会69・6・17、宍戸防衛局長)と述べている。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3,自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
もとより、2人の保菌者は隔離して治療しているが、この実験が成功するために集団の中に赤痢患者発生するというのが必須の条件である。(最初の検便によって2人の保菌者を発見したということが、偶然によるものであるということは、全くこの研究計画とは無関係である。)その証拠に、「薬剤服用1か月及び2か月を経て総員の検便を行なったところ、真正剤服用者群及びプラセボ服用者群の双方において、全て陰性であったので、両服用者群の効果比較はできないことになった」と書いていることでもわかる。
ところが、「観察所見」(1)で、「偶然」投与コースの途中で「赤痢患者若干の発生があり」と書かれているように、研究が成立するための条件であった赤痢患者が、まるで天恵のように「偶然」発生するのである。これが第2の疑問である。これについて、論文は「観察所見」(3)「赤痢患者の発生と、それによる効果判定」の項で次のように書いている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第一章少年と家族と明治の遺産
Ⅰ
明治維新の開始にあたって、儒教と仏教はともに国粋に対する外国からの爽雑物とされ、そのため否定的に見られていた。しかし教育勅語は、神道ではなく伝統的な儒教の言葉を用いて、進歩的で民主的な思想と理念に対抗し、「臣民」という新観念を植えつけようとする明治後期の逆コース化のなかに登場したのである。それは数世代の日本国民を、国民にとって何が最善か わきまえた役人が温情主義を旨とし、温情的手段で統治する天皇制国家の忠実な僕(しもべ)にさせることとなった。勅語はさらに、すべての日本人に、道徳や文化は国家に固く結びついており、けっしてそれを超越するものではないという考えを注入した。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●地球を破壊する核実験
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
コロンビア 2018年8月3日
クック諸島 (加入) 2018年9月4日
コモロ 2017年9月20日 2021年2月18日
ドミニカ国 2019年9月26日 2019年10月18日
ドミニカ共和国 2018年6月7日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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