2020年10月15日木曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎







森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう


                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!



9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
 
パワーポイント資料

 



 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 おわりに


 それではわが国には非倫理的なものはなかったのか?それにはすべての人が否と答えるだろう。

 わが国では、家永三郎の教科書問題の裁判で、731部隊という細菌戦部隊が存在した事実が認められ高校は社会科の教科書にも記載されている。

 しかも赤林が大学を卒業する2年前には、森村誠一による『悪魔の飽食』が出版され、中国で大規模な生体実験があったことは、彼も学生の頃に熟知していたはずである。それなのに彼は、この事実さえ無視し、医学倫理問題を語っている。とでも奇異な感じがした。

 医学者として出世しようと思えば、「うそつき」にならなければならないのも事実である。事実のみを追究しようとすればやっかいなことが起きる。





 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

 

第1章 原告団から

「前事不忘、後事之師」の実現

楊大方(原告、浙江省衢州市)

1940年10月4日、731部隊が南下して衢州を攻撃しました。私の父と祖母が亡くなり、その後叔父も、遠くの村に逃げ、そこで亡くなりました。母と私は船に一週間隔離され、最後に私だけが生き残ったのです。

 私はかつて、幸せに暮らしておりました。私の父は当時、時計屋を営んでおりました。父が亡くなった時の地方新聞には、父の症状などが載っており、病名はペストとはっきり書いてあります。戦争は私の家庭を崩壊させました。1940年から1948年にかけて、ペスト菌による犠牲者は5万人にも及びました。このペスト菌は1940年以前には聞いたこともない菌でした。月日は既に60年が経ちましたが、当時日本軍が投下した炭疽菌・ペスト菌に感染した人々は今でも完治していません。まだ症状が残っています。そこで、私は日本政府に対して訴訟を提起しました。



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


二月二十日

午前七時起床 午前九時半炭坑下番 正午中隊に帰る 第二四列車春らしい陽気 零下十二度 予防接種の為帰隊 朝陽に心ゆくまでのびやかに春のような気分に浸った。晴天にて嬉しい。下番の日だ。旧正月の余波で第二四列車は二両のみの短い列車だ 

 矢張り支那人でも正月のみは家に在って心地よく正月を暮らすらしい。非常に暖かく耳覆も手袋もいらない位 春のように浮き浮きする。

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


 この仕事、そして死んだ被爆者の死体をもらってくる仕事、この二つが、ここで最も骨の折れる仕事だという人もいる。待合室になっているロビーには既に集められてきた静かでおとなしい患者たちが坐っている。診察中の母親を待っている子ども、また彼女自身が患者である小さな女の子ども、みんなおとなしい。彼らは静かに順番を待っている。モーター・プールからもう1台の車が比治山を下りて7つの川のある朝の市内へ向かう。原爆が人間の体にいかに影響するか(それについて20世紀の人間の誰が関心を持たないでいられよう?)具体的に調べることのできる、地球上唯2つの場所、その1つのABCCのモーター・プールは勤勉に活動しなければならない。

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


ノミの大量生産

細菌の毒力試験の生体実験を行った


篠塚良雄

731部隊・少年隊




毒力試験

 柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行いました。作った細菌に感染力がなければ使い物になりません。また殺傷力がなくても使い物にならない。こういうことから常に、いかにして毒力の強い殺傷力の強い細菌を作るかということに汲々としておりました。

 通常では動物実験用マウスとかラットを使って大量殺戮することによって実験を進めたんですが、手っ取り早い方法として人体をもって行いました。私はこのことによって5名の方を殺害いたしました。場所は特別班です。ロ号棟の中の2階建ての建物、これが7、8棟ですが、この中に解剖室がありました。それから廊下続きの外にもありました。私たちが行ったのは8棟の実験室で、解剖室であります。ワクチンとの関連が目的でした。

 


 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」

 


田上末蔵(1954年10月8日)


問:鶴岡に勤務していた期間の犯罪行為について述べよ。


答:1944年8月中旬、鶴岡憲兵分隊で補助憲兵人事係をしていた際、命令により、部下の補助憲兵富田上等兵ら5名の派遣して、東原沢憲兵軍曹とともに、中国抗日工作員5名をハルピンにハルピンの石井細菌部隊護送させ、殺害に至らしめた。

 
1945年4月下旬、鶴岡憲兵分隊憲兵准尉班長をしていた際、部下の山本憲兵軍曹、劉憲補に命じて仏山県国境派遣憲兵の任務にあたらせ、中国抗日工作員3名(男)を逮捕させた。白井曹長、山本軍曹に命じて拷問を行わせ、また石井細菌部隊移送の意見書を作成した。分隊長から上部に報告して許可を得たうえで、同年6月10日、部下5名を派遣し、これら3名の中国人をハルピンの細菌部隊に送った。

(1)
1192、5001、4号



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

 

2 日本陸軍の毒ガス兵器製造工場

 

忠海兵器製造所と曽根兵器製造所


  忠海兵器製造所では、毒ガスを砲弾に詰める作業も行っていたが、これを専門に行う工場を新設することが計画され、陸軍造兵廠は1937(昭和12)年9月17日に福岡県企救郡曽根町に製造所を設置すると決定し(陸軍造兵省長官永持源次「製造所新設の件上申」)、同年10月25日に「陸軍造兵廠火工廠曽根兵器製造所」が開設された。曽根が選ばれた理由は、砲弾を製造していた陸軍造兵廠小倉工廠(福岡県小倉。後の小倉陸軍造兵廠)に近接しており、また、海上輸送にも都合がよかったからであろう。こうして、大久野島からは毒ガスが、小倉からは空の砲弾が運ばれて、曽根で充填作業が行われることになった。

 

 



 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)



訳者あとがき

 

 1980年代以降、日本の歴史研究者によって発掘された旧日本陸軍の毒ガスに関する公式命令書、報告書、実際に毒ガス戦に携わった多くの元日本軍兵士の証言をたどり、その準備段階から、実戦投入に至る複雑な経路とそれを担当した多くの軍人たちの言動を分析して、なぜそのようなことが可能であったのかを歴史家の鋭い感覚で追及し、解明された。それは、多くの犠牲者を出しながら大量の毒ガスを生産して送り出した大久野島や、実戦に使用する為残忍な訓練を重ねた習志野学校の詳細な記述に特に結実している。

 

 







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

それから数十分後、私は博憲補と部隊の高橋伍長ほか、兵2名の5名と共に尖兵として曹家路を出発した。空はどんより曇り、あたりの山々は真っ黒の布に包まれていた。時々、あたりの空気をつんざくように激しい犬の遠吠えが聞こえてくる。私は足音1つ聞き逃すまいと、あたりに気を配りながら歩いた。兵隊も何1つ言わずに歩いている。

 丁度小高い山道を登ろうとしたとき、突然前方でがさがさという物音がした。瞬間、ハッとして、私は拳銃を握りしめて立ち止まった。



 


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)


第3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点


  この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。

即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。68年度と69年度を比較してみよう。定期刊行物で目録に収録されなくなったのは、陸上自衛隊の『幹部学校記事』、『航空自衛隊幹部学校記事』をはじめ、陸自の『富士学校記事』『化学学校記事』、『会計記事』、『施設学校記事』、『衛生学校記事』、『武器』、『高射』、『通信電子』、『輸送』などで、いずれも月刊ないし季刊の公刊雑誌である。その多くはアメリカは勿論、韓国、台湾や、西ヨーロッパ諸国の軍隊にまで送付されているのである。目録から消えたばかりか、現物も図書館に置かれていない。教範類も完全になくなり、『防衛庁法規類集』さえ置かれなくなった。近頃では、陸海空自衛隊の『公報』さえも消えてしまった。書棚はガラガラで、戦記読物や大衆小説が並んでいるにすぎない。」(『日本の国家機密』(現代評論社、197210月、76頁)と指摘していました。


 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」



 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

1、生物・化学兵器を告発する

 

禁止への努力

1次世界大戦後、連合国はドイツに対し、ベルサイユ条約で毒ガスの製造・輸入を禁じ、ジュネーブ議定書において毒ガスの使用禁止を再確認し、さらに細菌戦の禁止までそれを拡張するのだが、ジュネーブ議定書が生物・化学兵器の製造と保有を全く触れなかったという欠陥があった。

 つまり、ジュネーブ議定書は、生物・化学兵器を戦術兵器として把握していたのであって、1969年のウ・タント報告は生物・化学兵器を戦術兵器から戦略兵器としての視点で把握しなければならなくなってきている現状を明らかにしていることによってその意味の重要さはあると言えるだろう。

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

一般的に、事前交渉なしの降伏を要求すれば、戦争終結の過程をいくぶん遅らせることになるのは事実である。しかし、この場合、アジア太平洋戦争を引き延ばしたのは連合国の無条件降伏政策や 「完全な勝利」政策ではなく、むしろ非現実的で、無能な日本の最高指導層である。指導層の戦意を支えた戦中の天皇制イデオロギーは、降伏のための行動をとることをおよそ不可能にしていた。客観的には敗北していることを知りながらも、戦争が同胞にもたらす苦しみに関心を払うことなく、まして、アジアや太平洋の人々、そして西洋の人々の命を奪うがままにしておきながら、天皇とその戦争指導層は、失うことなく敗北する方法、つまり降伏後の国内からの批判を鎮静化させ、その権力構造が温存できる方法を探し求めていた。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

電力とエネルギー論


 加熱するものに、石炭を使うか、石油を使うか、これらのいわゆる化石燃料を使えば火力発電になる。ガス火力では、蒸気を作らずに、ガスを燃焼した時の噴射力を直接使ってタービンを回すこともできる(後述)。ウランの核分裂エネルギーを使えば、原子力発電になる。

 つまり、これらの発電所の基本は、ただお湯を沸かす装置である。ところがこれが、大きな排熱源となって自然を破壊し、また時折停電を起こす。

 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


核兵器禁止条約

署名国と批准した国

2020年8月5日現在の署名国と批准した国。

署名国            署名日              批准日 (締約日)

ニカラグア         2017年9月22日         2018年7月19日

ナイジェリア        2017年9月20日         2020年8月6日

パラオ           2017年9月20日         2018年5月3日

パレスチナ        2017年9月20日                 2018年3月22日

パナマ                   2017年9月20日                 2019年4月11日

 


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!


















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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