2018年10月3日水曜日

細菌戦の系譜!!




●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!



●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

14歳の時に731部隊に入隊した三角さん。【731部隊元少年隊員】
匪賊は死刑囚だから実験材料として利用してよいと教えられたといいます。

三角さん こういう時代なんだからそうしなきゃ俺たちがやられるんだよと、そういった考えでしたね。だから口には出せないんです。可哀そうだとか、何だとかということは。見ても口には出せないです。出したら非国民だとやられちゃう。そういった雰囲気というか、そういった一般的な風潮がそうだったんです

ナレーション
戦争が泥沼化していった1940年代。731部隊は遂に細菌兵器の実戦使用に踏み切ります。中国中部の複数の年で少なくとも3回、細菌を散布。細菌兵器での攻撃は、国際条約で禁止されていましたが、日本は批准しないまま、密かに使用しました

裁判のテープ音声 731部隊第1部(細菌研究)部長・川島清の証言
私がおりました間のことを申しますと、昭和16年(1941年)に第1回、それから昭和17年に1回、中支において第731部隊の派遣隊は、中国の軍隊に対して細菌兵器を使用しました

ナレーション
さらに民間人にまで感染を広げる目的で、中国の集落に細菌を撒いたと証言されています

川島清の証言 使われる細菌は主としてペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌であることが決定しました。ペスト菌は主としてペスト蚤(ペスト菌に感染させた蚤)の形で使われました。その他のものはそのまま水源とか井戸とか貯水池というようなところに撒布されたのであります




北大教授が戦時中に人体実験か 講演の速記録に記述
北大教授、戦時下に人体実験 中国人から摘出の睾丸で

「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29


吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???

※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。

※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。

記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)


※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)

戸田正三

長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。


民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。

荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。

荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。

荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。

戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。



また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??

軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦

第5代伝研所長
宮川米次





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。

講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって

※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)


ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。安倍晋三の母方の祖父が岸信介だ!!
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
対米決戦準備

防疫給水部から731部隊に
[ 陸軍軍医学校防疫研究室 ]
1933年秋、防疫研究室は鉄筋2階建の独自の研究棟に移り、細菌の大量培養が行なわれました。
この研究室は軍医学校と言うより陸軍省上層部の意向で作られたもので、
通称石井機関と呼ばれ、全国から優秀な医学者が集められるようになりました。
 
[ 陸軍防疫給水部 ]
 新宿の戸山に出来た陸軍軍医学校防疫給水研究室は
陸軍軍医学校と陸軍参謀本部の両方から指揮・命令を受けていて、軍医学校から見ると防疫研究室と呼ばれ、参謀本部からみると防疫給水部となります。部隊は石井四郎軍医少将をトップに技師、技手、技術雇員、医学部の学者、研究者、医師等で組織される300人位の集団でした。
組織は1研から17研の研究室に別れていました(1943年当時)この防疫給水部(研究室)はほかにもあった多くの部隊を統括した中枢機関でした。
※「○ホ」とは細菌戦のこと




『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

第4章天理村と隣接した731部隊

3、731部隊と天理村との関わり
ある日の事、関東軍からハツカネズミを飼育せよという依頼が天理村の小学校に舞い込んだ。お小遣い目当てと“お国のため”育てたハツカネズミが大量殺戮兵器の媒介となり多くの人々の命を奪う日が来るなど、思ってもみなかった。
 ネズミにペスト菌を注入してノミをたからせる。ペスト菌に感染したノミが細菌兵器となるーそのために関東軍はネズミを必要としたのだ。軍は細菌兵器の開発のために、天理村の子どもたちを秘密裏に加担させたのである。

満蒙開拓団



「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


※石井は、本当に自分だけで欧米諸国を視察しに行ったのであろうか?軍医学校の上官の小泉親彦とか、京大の教授らの指図はなかったのか?私は、陸軍上層部が、以前から細菌戦を考えていたのではないかと思う。そのレールの上を、石井が走ったのではないか?

※「マルタ」と呼ばれた人達は、囚人ではない。色々な容疑を吹っ掛けられ、捕まえられ、裁判も無しに、人体実験に供された。

4、日本軍による人体実験より
「マルタ」にされたのは「特移扱」と呼ばれる取り扱いで中国各地の憲兵隊から送られてきた人たちでした。彼らは「諜者」(スパイ)や「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子どもも含まれていました。彼・彼女たちは七三一部隊からの要求に応じて各地の憲兵隊から汽車でハルビン駅へ護送され、ハルビン駅からは擬装された列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれました。また、ハルビンでソ連のスパイとして捕まったロシア人は特務機関へ回されて取り調べを受け、口を割らなかったり、二重スパイになるのを拒んだり、逃げようとした者が「特移扱」になりました。こうして実験材料にされ殺された人々の数は3000人以上にのぼるといわれています(ちなみにこの3000人という数字は、背陰河の施設や、七三一部隊以外の石井機関の施設における犠牲者の数を含んでいません。これらの施設や陸軍病院での犠牲者も含めると、総数はずっと多くなります)。



新聞紙法

満洲天理村

『国民精神の歌』と天理教

海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言


今の日本は、あの侵略戦争の事を忘れようとしているのではないか?
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。


日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」


小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。

Tokyo Story (1953)


(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)




『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第一章

浜松一中では五月十日に運動会が開催される。大福餅は,そのときの祝いの引き出物として全校生徒と教職員に配られるためのものであった。浜松一中は,白大福と紅大福をそれぞれ三つずつ,合計六個を竹の皮にくるんで調整するように命じていた。三好野では,大量の注文に応じるために,六・七・八・九日の四日間を製造の準備のために費やすことに決めた。そのために店頭でも白・紅大福の販売を中止して,全力を傾けて,浜松一中の注文に答えようとしていたのである。



※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていたのではないか。軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためでだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。西とは西俊英軍医大尉(当時)、後に731部隊で活躍する。

小島三郎の記述


小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。


小島三郎
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
藤野恒三郎大阪大学名誉教授は、その著『藤野・日本細菌学史』で、小島が浜松でゲルトネル菌による食中毒を実地見聞してからサルモネラ委員会を作るまでの経過を「浜松大福餅食中毒事件からはじまって・・・わが国のサルモネラ学発展の基礎ができた」と書いている。
 こうした歴史的な食中毒事件に小島が立ち会うことができたのは、彼が軍、特に石井と関係を持っていたからであろう。伝研の教授で浜松に出かけたのは小島1人である。食中毒は現在であれば厚生省の所管だが、当時は内務省が原因探求その他をすることになっていた。 内務省からも衛生課長と技師が現地に急行した。それは小島や石井が現地に到着したのと同じ日だった。ところがすでに陸軍ではその2日前の13日に、軍医学校の防疫学教室が原因がゲルトネル菌であることを突きとめていた。この事実は当時の日本の公衆衛生行政にとって、陸軍が大きな役割を果たしていたことを意味している。




『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)

小泉親彦と宮川米次の絆
厚生省をつくったのは当時首相であった近衛文麿であるがその機運をつくったのは小泉と私であります.
 1937年夏、いよいよ日中戦争(7月7日)がひどくなったある夜 一緒に酒を飲んだとき、小泉君がどうしても健民主義(健康な神民をつくる)で行かなければならない時なので、何とか近衛文麿(総理)を動かさなければならないので、 一寸骨を折ってくれるように頼まれた。
 その結果、1937年8月6日保健省の予算が通り、紆余曲折はあったが、厚生省(1938年1月11 日成立)ができた。その後1,2年たって第2次近衛内閣のとき、厚生行政はぜひ医学畑の人から出ないと伴食大臣(役に立たない大臣)になってしまうと話したら、私に厚生大臣になれといわれたが、私は同仁会のことでお国に尽くしているからと固辞した。

「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)



「テロリスト伊藤博文」の懺悔



※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。





・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!


※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。

毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言

カネミ油症事件

カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?

PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


信念に生きた人々

萩野昇の学説を最後まで支えた農学博士、吉岡金市は平成2年11月死去。イタイイタイ病の原因を突き止めた岡山大名誉教授、小林純博士は平成13年7月2日、虚血性心疾患により死去、91歳であった。
 医師である萩野昇博士、農学者である吉岡金市博士、科学者である小林純博士、彼らは学問の分野は違っていたが、イタイイタイ病という悲惨な病気の解明につくし、周囲の白眼視に耐えながら原因を突き止めた。彼らの人生は医師として、学者として尊敬するに余りある半生であった。患者を助けたいという真摯な態度、真実の追究という学問的姿勢、正しいことを正しいと主張する勇気、これらを決して忘れてはいけない。このことを彼らは教えてくれた。

※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の人体実験をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄も金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)








・細菌戦被害地(中国)の旅


●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

渡邊あきさんは満州の731部隊から無一文で引き揚げたのち、夫婦で食料品店を営みある程度繁盛したという。商売に忙殺され、子供たちを育て、戦後を必死で生きていく中で、部隊の事を思い出す間もなかったが、一方子どもたちにはそのことを隠し続けてきた。

石井四郎の戦後


●軍部は731部隊などの隠蔽を図るために、医学者などにアメリカが占領する前から積極的に原爆の威力の調査をさせた。アメリカ(GHQ)占領後は、医学者はABCC(原爆傷害調査委員会)に協力し、原爆の人体に与える影響の調査だけを行ない、治療などしなかった!!
日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料をアメリカに提供し、その見返りに、731部隊、毒ガス戦部隊などに関与した人々の戦犯免責を図った。戦後、国民には、日本軍の行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦のことについては厳しい箝口令を敷き、その事実をずっと隠し続けている。未だに日本政府は、毒ガス戦、細菌戦、人体実験等の残虐行為に対して公式に認め、謝罪をしていない!!


アメリカの原爆投下を訴える!!
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永

※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!


ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永

第1章 「美談」の眩惑
理想の科学者像に魅せられて

 確かに、1954年の第五福龍丸事件から1956年にかけて、焼津まで出かけて汚染された船体を調べ、乗組員を診断、あるいは、水産市場に自ら出向いて魚介類を汚した放射能を調査した医学者、科学者が大勢いた。全国各地で科学者個人、大学・研究機関の自発的な調査研究活動が広がり、その後の世界的な原水爆禁止運動や科学者運動の拡大に影響を与えた。福島第1原子力発電所の事故後の3月27日に亡くなった生物物理学者の西脇安博士も、第五福龍丸事件が起こると、大阪の市場で魚介類の放射能を調査し、夜行列車で焼津に駆けつけ、船内から「死の灰」を採取した。西脇は、1954年8月29日から9月1日にかけてべルギーのリエージュ大学で開催された国際放射線生物学会議で、 後にノーベル平和賞を受けるジョセフ・ロートブラット博士らにこれらのデータを提供した。ロートブラットは、このデータにもとづいて使用された核爆弾が新型の 「汚い爆弾」だということを解明し、これに反対する世界的な科学者の運動のきっかけをつくった。




放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究

731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?


宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。



●軍学共同の道

(8)「軍機」医学、歴史の闇に <731部隊軍医の博士論文>
帝国の骨

京都府精華町の国立国会図書館関西館で閲覧した731部隊の平澤正欣軍医の博士論文には不自然な点がある。当時の学術論文でも実験にサルを使う場合、通常は「タイワンザル」などと特定して書く。「特殊実験」とは人間にペストを感染させた生体実験だと、複数の研究者が指摘している。
平澤軍医は戦死したが、終戦後の1945年9月、京都帝国大医学部は博士号を授与した。医学者を派遣するだけでなく、軍医らに博士号を出す学術的権威の仕組みとして帝国大学は731部隊を支えた。軍事機密の判を押され、公開されなかった学術論文。





●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

 国家のため医学のためという大義名分の下に、何千人もの捕虜や住民を丸太(マルタ)と称して使い、血も凍るような凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の思想・精神は、脈々と後進に受け継がれているのだ。
 そして今、その何百倍、何千倍という規模の人体実験が福島を中心に行なわれているのである。
731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。
彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。



優生保護法とはより
■「不良な子孫の出生防止」は、障害者への差別
優生保護法は、優生手術の対象を「遺伝性疾患」だけでなく、「らい病」や「遺伝性以外の精神病、精神薄弱」に拡大し、本人の同意なしに優生手術を実施できるようになりました。本人の同意がない優生手術は、1949~94年の間に、統計に現れただけでも約1万6千500件も実施されたのです。その68%は女性でした。また、国民優生法にはなかった優生学的理由による中絶の規定が設けられました。


優生保護法とは

旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢



「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29



政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した。

被曝をめぐる御用学者の系譜



●原水爆禁止!!核廃絶!!
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」

アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷


核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!

日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染





2016_06_27_NNNドキュメント「汚名 ~放射線を浴びたX年後~」語り 樹木希林


放射能を浴びたX年後




ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!




原子力に悩む大国 アメリカ



●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ



小路田泰直

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

小路田泰直

■註
★1—玉木英彦宛書簡(1945年8月7日)中根良平・仁科雄一郎・
04
仁科浩二郎・矢崎裕二・江沢洋編 『仁科芳雄往復書簡集』 III、みすず書房、2007年、1142頁。
★2—仁科は1942年6月には海軍技術研究所(中佐伊藤庸二)から、1943年7月には陸軍航空本部から依頼を受けて、 核兵器開発に取り組んでいる。 そして後者の依頼をきっかけに始まったのが 「ニ」 号研究であった。
★3—菊池正士宛書簡(1941年10月4日)『仁科芳雄往復書簡集』II、1033頁。
★4—『仁科芳雄往復書簡集』III、1240頁。
★5—D.マッカーサー宛書簡(1945年12月12日)『仁科芳雄往復書簡集』III、1195頁。
★6—朝永は「仁科先生」と題した小文で「先生の見透しは時にはあまりに遠大すぎたこともある。特にわが国情においては、今少し近小の見透しであった方が実効があったと思われることもあった。 小さいサイクロトロンが出来たなら、 これをつかって小さいながらいろいろ有益な研究をすることもできただろうに、先生はそういう小成に安んずることを好まれない。…いつもさきへさきへと急がれる。」(玉木英彦・江沢洋編『仁科芳雄』みすず書房、1991年、4~5頁)と書いている。
★7—『仁科芳雄往復書簡集』III、1343~1344頁。
★8—吉川秀夫『科学は国境を越えて』三田出版会、1987年、134頁。★9—『仁科芳雄往復書簡集』III、1302頁。
★10—「原子力と平和」『仁科芳雄遺稿集 原子力と私』学風書院、1950年、104~105頁。
★11—同 前、102頁。
★12—『仁科芳雄往復書簡集』II、1450頁。
★13—日本学術会議編『日本学術会議25年史』1977年、15頁。★14—玉木英彦「科学研究所と仁科先生」朝永振一郎・玉木英彦編『仁科芳雄—伝記と回想』みすず書房、1952年、95頁。
★15—中曽根康弘『天地有情—五十年の戦後政治を語る』文芸春秋、1996年、167頁。
★16—『天地有情—五十年の戦後政治を語る』168~171頁。
★17—同 前、186頁。
★18—伏見康治『時代の証言』同文書院、1994年、271頁。
★19—門上登志夫『実録関西原子炉物語』日本輿論社、1964年。
★20—熊取町教育委員会『「京都大学研究用原子炉」の誕生』(熊取町史紀要第4号) 1996年、 17頁。

※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!それをどうするんだ?核兵器開発??

仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)



*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。


何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!


湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●世界の流れ、脱原発

教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)


溜まる使用済み燃料と放射性廃棄物
日本では六ヶ所村で再処理をしようとしていますがまだ成功していません。
そこでフランスや英国に処理を依頼して分離してプルトニウムやその他の核のゴミは日本で保管しています。
プルトニウムだけでも2010年末には9.9トン保有しています。(IAEA・国際原子力機関)
仮に現在保有している使用済み燃料を全部処理してプルトニウムを取り出せた場合
10000発の核弾頭を作れるといわれます。


どうする?これからのの日本のエネルギー

●脱原発3

原発協定、30キロ圏内に拡大 再稼働、了解権は盛らず 東海第二

アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!

・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦


地下40mを超高速で走ることへの不安

1923年の関東大震災、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と、100年の間に3回も大規模な震災を経験した日本が、なぜ地下40メートルの「大深度地下」を時速500キロで走るような鉄道を考案できるのか。危惧する声は国内のみならず海外からも挙がっています。都営地下鉄大江戸線の六本木駅が地下7階(42.3m)と地下鉄駅では最深ですが、この尋常でない深さを高速走行する鉄道が、地震の際にどのような状況に陥るかは、残念ながら地震が起きてみなければわかりません。しかし、できれば自分が乗っている時には起きてくれるな、と思ってしまいます。

トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く



●秘密国家!!情報開示!!


●医療問題
空襲・原爆・戦争・核実験が地球を破滅に導く!!
第二次大戦の空襲のエネルギー、宇宙に達していた

科学の名のもとに進められる倫理違反!!
国の指針ではヒトのiPS細胞やES細胞からできた卵子と精子で受精卵を作製することは認められていない
<京大>iPS細胞から卵子のもと 世界で初めて成功

水俣病 公害認定50年 救済運動の「闘士」 息子が語る

水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した

医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
(ごんずい53号)
宇井純
集中砲火を浴びた熊大研究班
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた一九五九年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。一九六〇年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは一九六一年であり、六四年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。水俣病は終わったとして新しい患者を出さないことも、意識的にとられた方針であろう。一九六三年当時、胎児性患者の認定は例外的なものであることがしきりに強調されていたのを覚えている。
【転載ここまで】

水俣病


抗がん剤の影響はないのか??
神の子“KID”死す 消化器系がん闘病2年…早すぎる41歳

「全身がんだらけ」の樹木希林 それでもなぜ元気なのか

<障害者雇用>省幹部「死亡職員を算入」 意図的水増し証言

●自衛隊


●サリン事件と自衛隊の関係は??




陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年


5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?



・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

中曽根元首相 活動記録を寄託 国会図書館、公開へ作業

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説


日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!


●憲法9条を守れ!!
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!






2018年10月2日火曜日

細菌戦の系譜!!

ブログ王ランキングに参加中!

※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション
沈黙(横浜)
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~



日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

驚いて口もきけなくなった人々が爆心地附近の建物の崩れかかった壁の隙間を見つけて何とか命拾いをし、瓦礫の下からはい出して最初に目にしたものは、地上にいた人々が酷い火傷を負ったまるで悪魔のような姿であった。彼らは爆発の時とっさに身を隠す遮蔽物もなく、外に晒していたので傷はとても重い、だが、何とか生き延びようと必死でもがいていた。軽度の火傷や放射熱を浴びた人々はこの地獄の中をさ迷いながら、身内を探した。彼らはこの時見た状況を一生忘れられないだろう。
火傷を負った人々がよろよろ歩き、体は真っ黒に焼け、あるいは水泡ができ、あるいは体中に焼け焦げた暗灰色になった皮膚をぶら下げていた。市の中心部を流れる3本の川は、屍で埋まり、その中には多くの幼い子どもの姿もあった。死んだ人々は川に飛び込み、体についた烈火を消そうとしたのだ」

日本鬼子のおきみやげ


初めて知った戦争(毒ガス)

瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ)
瀬戸内海に浮かぶ大久野島(広島県竹原市)は、「ウサギの島」として知られている。周囲約4キロの小島にウサギは約700羽。観光客も急増中で、2017年は40万人を超す人々が島にやってきた。しかし、ここに旧日本軍の巨大な毒ガス製造工場があったことは、ほとんど知られていない。同じ県にありながら世界に知られた「原爆禍の広島」と、多くの国民が知らない「毒ガス島の歴史」。かつての史実を懸命に伝えようとする大久野島の人々に密着した。(藤井ヨシカツ/Yahoo!ニュース 特集編集部)

岡田黎子さん。寒い時期でも暖房のない板の間でずっと作業させられたという。「ドジなんで、何の仕事をさせられても怒られ通し。それでノイローゼになったんですよ」
当時の日本では、一定年齢以上になった子どもたちは、軍需工場などでの労働が義務付けられていた。
「毒ガスをつくってるなんて知りません。島に通い始めても、初めは何も分かりませんでした。毒ガス障害による慢性気管支炎になりました。島に行った人は全員、これにかかっていると思います。私、原爆投下後の広島にも(被爆者の救護で)行ってるでしょ? よくここまで生きてこられたと思います」


京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
・第5回
自衛隊の弾薬、毒ガスの管理状況は?自分が現役の時代、事務所の机の中に催涙ガス10本位置かれていました(管理簿に載っていない毒ガス)。普通は弾薬庫の中にあるはずなのですけど?残念ながらこれが自衛隊の現状です。又、弾薬庫も完璧に警備はされていません。おそらく、自衛隊の現状を考えると警備の隊員も減らされていると思われます。実は、那覇空港の滑走路のすぐ隣も弾薬庫だらけです。
・数日前、那覇空港の中まで機関銃の音が聞こえました。空港の出口正面は訓練場です。

・第4回
「陸上自衛隊化学学校にはガス専用の訓練施設がありました(ガス訓練室)。隊員達はだれとなく「ガス室」と、呼んでいました。昔、開発中の新型防護マスク4型の実用試験に隊員達10名位がモルモットとして、この試験に参加させられました。もう…時効です。農薬(毒ガスによく似た)の充満した部屋に防護マスクを装置して部屋のなかに…隊員が我々はモルモットか?と、叫んでいました。化学学校の研究員2名が実験の担当者でした。陸将補で退官されたと記憶しています。

・第3回
数年前読んだ下里正樹さんの(オウムの黒い霧)の本にオウムにサリンの製造技術を教えた化学学校所属の自衛官(防衛大学校32期:二等陸尉)がいたことが書かれていました。しかし、自分の記憶では二等陸尉(平成七年、十数名がいた)にオウム入信していた幹部自衛官は記憶がありません。ただ、二百名の隊員のなかに自分のかすかな記憶では一人だけ、当時社会的問題を起こしていた宗教に入信していた幹部自衛官がいました。毒ガスの専門家でサリン製造の中枢にも配属されていた幹部研究員です。

・第2回
昔、陸上自衛隊化学学校では、勤務中に医薬品を作っていました。市販の医薬品は必ず成分:分量(重量%)を記入してあります。その為合成は簡単です。実験室なので薬品も無数にあります。ただ、薬品の私的流用は駄目です。この不正行為は氷山の一角です。是非、陸上自衛隊化学学校を取材してみて下さい。

・第1回
化学学校の誰かがオウムにサリンの製造技術を教えた…?地下鉄サリン事件の一年~三年前、サリン製造の中枢(装備研究科)に一人の幹部自衛官が配属されていました。この幹部自衛官は当時宗教(Tという普通の宗教ではありません)に入信していました。普通はこの様な人物は研究科に配属されることはまず(100%㌣)ありません。自分も当時この人事にビックリしました。何か特別な事情(本人の希望等)があったのかも知れません?平成五年頃、陸上自衛隊化学学校の情報はオウムに筒抜けだったと思います。

・平成14年頃の体験談(陸上自衛隊:後方部隊)です。トラック二台ぶんの廃棄物の調達要求書がきていました。中身は使用不能になった衣類(戦闘服等)です。トラックを確認すると、一台で十分積載できる量でした。一台ぶん50万は何処に?…特に年度末に見られます。又、入札を随時契約にするよう頼まれたり…自衛官もアルバイトで大変です。

●ニュース
沖縄知事選 「弔い合戦」無党派共感 大差8万票、与党に打撃

<オスプレイ>防衛相「周辺配慮前提」 横田基地5機配備

萩・「イージスアショア」配備計画で現地連絡所

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

伊方原発、差し止め可否判断=仮処分決定に四国電異議―火砕流リスク争点・広島高裁

ヒバクシャ国際署名 10月に国連本部提出へ

防衛予算5兆2986億円 概算要求 過去最大、7年連続増

<海自>護衛艦3隻、インド洋に長期派遣訓練

<精神疾患>50年以上の入院1773人 全国調査

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍

不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入

【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」


加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。

新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校

逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定

加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に

文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか

オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉


加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響

少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し


●麻原らの死刑執行の前日からの流れ
●オウム サリン事件

●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日




●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5
●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5


●情報公開裁判「衛生学校記事」

●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13


南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频  2017.12.13


マギーフィルム(字幕付き)


・南京大虐殺の証言

ベイツ
貴殿への尊敬を込めて

夫人への手紙(1938年2月1日、13日)
1938年2月1日
親愛なるきみ:
僕たち手をこまぬいて虜になっているわけではないが、軍側の命令に直接反対するわけにもいかない。直接間接あらゆる種類の願い求めが、外国政府への一大アピールとなり、東京に当地の官吏を抑制するよう要求していて(それが実際に、アリソン事件①と林査理[Riggs]や僕への危険とをもたらしたのは、それがこういう連中にとりわけ僕らを敵視させたからだ)、メディアには僕たちが前にやったのより、ずっと大胆な言論が載っている。

①アリソン事件・・・アリソン領事が日本兵にビンタを張られた一事を指す。


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)


南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

・南京大虐殺
12月14日の日本は前日の南京陥落を祝賀する大々的な行事、運動が政府・官庁、教育界の肝いりで繰り広げられ、マスコミ、ジャーナリズムが大捷気運、戦勝景気を書き立てる報道合戦を展開した。

なお南京陥落祝賀行事は、大学及び学生の精神を戦争非常時体制に組み込むために最大限利用された。その典型が12月16日に東京帝国大学で挙行された祝賀式式典と全学生の宮城遥拝と靖国神社参拝であった。その様子を「帝大生の祝賀行進 全学挙げて時局認識を高調 宮城遥拝 九段英霊に額ずく」と『読売新聞』(12月17日夕刊)は大きく報道した。


●重慶大爆撃裁判 
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。






重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録

戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか


重慶大爆撃訴訟

the battle of china 1944


重慶大爆撃(苦干より)


重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果

「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。



不当判決!!

中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。






●「天皇制」を考える
辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる
侍従日記「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露


・今夏 日本の戦争を考える!!

「テロリスト伊藤博文」の懺悔

異次元金融緩和の重大かつ深刻な弊害!出口を模索しようにもわずかな金利上昇で日本経済は大混乱!? アベノミクスの無残な最期!~6.18岩上安身によるエコノミスト田代秀敏氏インタビュー18.6.18


「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決

(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか

日本は、15年に及ぶアジア太平洋戦争で、アジアの国を侵略し、その果ては、沖縄はじめ日本本土が焦土と化し、潰滅的な状況に陥った!!
そこに至った責任は昭和天皇に無いのか?



・なぜ今でも「帝国ホテル」「帝国データバンク」「帝国劇場」「帝国書院」など、帝国という言葉を使う??

・近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
岩崎 稔
㈡ 新しい時代の到来は、憲法論議をもって始められた
① 「湘南社」の憲法論議の歴史的意義
私擬憲法草案の殆どが主権または立法権の帰属を「君民共治」の二元論においていたが、湘南社の憲法論議は、これら「君民共治」には同調せず、主権在民論を堂々と展開している点が注目される。

・明治憲法(現代語訳)

第3章 帝国議会

第52条 両議院の議員は議院において発言した意見及び表決について、院外で責任を負うことはない。但し、議員自らがその言論を演説・刊行・筆記及びその他の方法で公布したときは、一般の法律により処分される。



『日本人と天皇』より
・確かになあ、神である自分が臣下の起こした戦争の責任を取るわけないな。
・だから「独白録」で弁明したり、「戦争責任は言葉のアヤ」だなんて言ったんだ。
・今はしょうちょうてんのうせいだから大丈夫ですね。
・とんでもない。1971年の記者会見で、昭和天皇は「天皇は日本国民の統合の象徴」という憲法第1条は「日本の国体の精神に合っている」と言っている。
・ええっ!象徴天皇制は「国体」に合っているというの!
・象徴天皇の意識は敗戦後も全然変わっていなかったのね!


1975年の昭和天皇記者会見



(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・


どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党


昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??



松代大本営跡を訪ねて

松代大本営跡を訪ねて 2018年7月


沖縄戦全記録 2015 6 14


大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更

公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に




●侵略戦争!!
近現代史年表

・1922年(大正11)
2月4日  ワシントン会議において日本と中国、「山東懸案に関する条約」調印
2月6日  ワシントン会議において主力艦に関する海軍軍縮条約調印、「中国の独立・領土保全及び関税自主権拡大に
関する9ヵ国条約」調印。ワシントン会議閉幕
4月    日本農民組合結成
5月    日本軍山東撤兵
7月    日本共産党結成
10月    日本軍シベリア撤兵。ムッソリーニ、ローマ進軍
12月30日 ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)成立

重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!



昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。

強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター

731部隊展

第3回「戦争の加害」パネル展

感想より
5月1日(火)
・日本人であることが嫌になった。 (70代男性)


●731の実態
・終戦の年の約2ヶ月前ですね、私とそれから中山軍曹と2人でもって、マルタの受領に行ったんですね。40本ですから、40人ですね。今の領事館から持ってきたマルタはね。全員ロシア人です・・・・
22歳から43歳まで戦争と捕虜の生活をしてきた。一体自分の青春は何であったか??・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


731(4)



第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した

―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか

日本医学会(1902年設立)は、ほぼ4年に1回、全国の大学医学部・医科大学・医学研究機関の医学者が参集する医学会(1948年に、日本医師会の改組設立に伴い、日本医学会と日本医師会は統合。戦後は、「日本医学会総会」として)を開催しています。この医学会も戦争動員の場となりました。第9回(1934年、東大)では「石井式無菌濾過機」や陸軍の衛生車、衛生飛行機などが陳列されるなど、軍部の影響が如実に出始め、第10回(1938年、京大)は、陸軍省医務局からの強い要請を受けて、特別に「戦時体制下医学講演会」のテーマで「軍部と医学会が提携して医学報国の大旆(たいはい)」をかかげて開催され、総会招待講演ではナチス・ドイツ軍の将校が毒ガスの講演を行い、第11回(1942年、東大)の主題は、「戦場医学の確立」と「大東亜医学会」を結成する機運を助成することとされ、「戦場医学」と称された演題が次々と発表されました。


(月刊『前衛』より)
●731部隊『留守名簿』公開

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。


──なんのためにそんなことを?

丸山眞男は戦後を代表する知識人。日本に民主主義を根付かせるために、あえて福澤を誤読したとも言われています。ですが、そのためにオリジナルの主張を捻(ね)じ曲げているとしたらとんでもない。多くの人は原本を読まず、丸山氏ら学者の権威に従って福澤を偉人と思い込んでいるのです。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日  2017年1月27日号

[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……

『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より

・天皇は神聖であり、日本人はすべて天皇の臣子である。一旦戦争になったら天皇のために死ぬべきである、と主張する「教育勅語」を歓迎する福沢諭吉が「民主主義者」の訳がない。福沢諭吉は、第2次大戦に日本を引きずり込んだ「天皇制絶対主義」「皇国思想」を日本人に広く浸透させた。





●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕

・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年



(来年の即位の礼、大嘗祭反対!!)
第6章政治的君主の誕生



それから1年足らずの1928年4月19日、天皇は再度の出兵を裁可した。このときは、陸軍中将福田彦助に率いられた第6師団の5000の部隊が、日本の紡績業が集中し、かつては日本が占領していた山東省の青島に向かった。彼はこれを裁可するとき、まず侍従武官長の奈良に、干渉が1920年にロシア極東の町ニコラエフスクで起きたような、日本人の虐殺を引き起こさないだろうかと尋ねた。そうはならないだろうと奈良は答えた。



昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!全く民主主義にそぐわない!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!

※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)





寧波(ニンポー)細菌戦






麗水細菌戦





日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!


中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている




日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■ラインの黒い恥
いわゆるラインラント混血児の、人類学的調査の際に撮られた、子供たちと父親の写真で、1937年『形態学・人類学誌』に発表されたもの。不妊手術の基礎にされたのは、オイゲン・フィッシャー、ヴォルフガンク・アーベル、ハインリッヒ・シャーデの専門家意見であった。



女性差別問題に揺れる東京医科大 “初の女性学長”は「クールでバシッとものを言うタイプ」

旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢


医学界では当たり前か?女性差別!!
【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」


医者と製薬会社の関係は??
製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解

国はいつも国家犯罪を素直に謝罪しない!!
旧優生保護法の違憲性、国は見解示さぬ方針 強制不妊

強制不妊 男女3人が国提訴へ

<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る






細菌戦の系譜!!




●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!



●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

ナレーション
生きた人間を実験材料にした医学者たち。本来、人の命を守るべき医学者はなぜ一線を越えたのか。それを後押ししたと見られるのが、日本国内の世論です。1937年日中戦争が勃発。中国側の激しい抗戦で、日本側も犠牲が増えていきます。日本軍は反発する中国人らを匪賊と呼び、掃討作戦を行っていきます。政府もメディアも日本の犠牲を強調し、中国人への憎悪を駆り立てました。
「暴虐極る匪賊」。
「匪賊を徹底殲滅」。
世論は軍による処罰を強く支持。匪賊に対する敵意が高まっていたのです。そうした時代の空気と研究者は、無縁ではありませんでした。731部隊以外でも学術界では、匪賊を蔑視する感情が広がっていました。それを示す資料が、北海道大学で見つかりました。当時の厚生省が主催する研究会が発行した雑誌です。染色体を研究する大学教授の講演の記録。満州の匪賊を生きたまま研究材料とした事を公に語っていました。

<北海道大学医学部 図書館>

北海道帝国大学教授の講演録「民族衛生資料・1940年」:「匪賊が人間を殺すならば、その報復ではないが、その匪賊を材料にしてはどうかと思いついた」「死んだものは絶対にだめである。染色体の状態が著しく悪くなる」「匪賊一人を犠牲にしたことは、決して無意義ではありません。これほど立派な材料は、従来断じてないということだけはできます」




北大教授が戦時中に人体実験か 講演の速記録に記述
北大教授、戦時下に人体実験 中国人から摘出の睾丸で

「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29


吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???

※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。

※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。

記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)


※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)

戸田正三

長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。


民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。

荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。

荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。

荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。

戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。



また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??

軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦

第5代伝研所長
宮川米次





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。

講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって

※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)


ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。安倍晋三の母方の祖父が岸信介だ!!
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
対米決戦準備

防疫給水部から731部隊に
[ 陸軍軍医学校防疫研究室 ]
1932年4月1日、陸軍軍医学校内に防疫研究室(防研)が梶塚隆二を主幹として設立されましたが、これは名目上で、実際には8月に石井四郎を中心にして活動し開始したようです。
* 陸軍軍医学校50年史から (読みやすくしてあります)
・・・・ひるがえって事変(注: 満州事変の事)前における世界の情勢と
本邦医学界における現況とに鑑み、学校においては戦疫予防に関する研究の1日もおろそかにすべからずを痛感し、1部これの研究に着手していたが、たまたま今次事変の突発に際し、本予防法の研究はいよいよ切迫せる国防上の要務となりし為、遂に上司の承認する所となりて昭和7年4月防疫部建物地下室の1部を改造し応急的に防疫研究室(主幹2等軍医正・梶塚隆二)の新設を見るにいたれり・・・・
小泉親彦教官の絶大なる支援の下に上司の認むるところとなり、軍医学校内に石井軍医正を首班とする研究室の新設を見るにいたりしものなり・・・・
8月・・・・石井軍医正以下5名の軍医を新たに配属せられ防疫研究室を開設す・・・・
注: 防疫部の設立は1922年(大正11年)でワクチン生産が目的でした。
防疫研究室の目的は今までの防疫学教室や防疫部や軍医学校とは 少し異質な生物戦の研究にあったのです。
※「○ホ」とは細菌戦のこと




『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

第4章天理村と隣接した731部隊

3、731部隊と天理村との関わり
 単なる1宗教団体である天理教の満州開拓団が満州第731部隊と関わっていく過程を、風間博の話を基底として追う事にする。
 1938年に部隊建設が始められて以来、村の多くの成人男性が研究施設のレンガ積み作業に従事したことは、風間の父が証言で明らかとなっている。細菌兵器研究の部隊でありながら表向きには「防疫給水部」などと名付けられていたので、信者たちが疑いの目を向けるはずはなかった。

満蒙開拓団



「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


※石井は、本当に自分だけで欧米諸国を視察しに行ったのであろうか?軍医学校の上官の小泉親彦とか、京大の教授らの指図はなかったのか?私は、陸軍上層部が、以前から細菌戦を考えていたのではないかと思う。そのレールの上を、石井が走ったのではないか?

※「マルタ」と呼ばれた人達は、囚人ではない。色々な容疑を吹っ掛けられ、捕まえられ、裁判も無しに、人体実験に供された。

4、日本軍による人体実験より
「マルタ」にされたのは「特移扱」と呼ばれる取り扱いで中国各地の憲兵隊から送られてきた人たちでした。彼らは「諜者」(スパイ)や「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子どもも含まれていました。彼・彼女たちは七三一部隊からの要求に応じて各地の憲兵隊から汽車でハルビン駅へ護送され、ハルビン駅からは擬装された列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれました。また、ハルビンでソ連のスパイとして捕まったロシア人は特務機関へ回されて取り調べを受け、口を割らなかったり、二重スパイになるのを拒んだり、逃げようとした者が「特移扱」になりました。こうして実験材料にされ殺された人々の数は3000人以上にのぼるといわれています(ちなみにこの3000人という数字は、背陰河の施設や、七三一部隊以外の石井機関の施設における犠牲者の数を含んでいません。これらの施設や陸軍病院での犠牲者も含めると、総数はずっと多くなります)。



新聞紙法

満洲天理村

『国民精神の歌』と天理教

海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言


今の日本は、あの侵略戦争の事を忘れようとしているのではないか?
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。


日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」


小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。

Tokyo Story (1953)


(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)




『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第一章

昭和一一年五月六日の水曜日,三好野の調理場では四人の菓子職人たちがおおわらわで作業をしていた。十日の日曜日に六千個もの大福餅の注文が入ったのである。

三好野では,三種類の大福餅を製造し,販売していた。ひとつは餅が赤で,中が白い漉し餡の紅大福,ひとつは餅が白で,中が黒の漉し餡の白大福。そして白い餅に黒豆をまぶし,中が黒の潰し餡の豆大福であった。六千個もの大福餅を注文した先は,県立浜松第一中学校であった。



※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていたのではないか。軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためでだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。西とは西俊英軍医大尉(当時)、後に731部隊で活躍する。

小島三郎の記述


小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。


小島三郎
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
第11回の学会では、サルモネラその他のこれに類する報告は陸軍のものが目立ったが、その後は大学や研究所の研究者によっても数多く行われるようになった。
 石井とともに浜松に行った小島も、第11回の学会には「腸炎菌主としてゲルトネル菌免疫学的研究」を発表している。助教授時代とそれ以前の小島は、「日本細菌学会」では第4回に「抗毒血清の濃縮法に就て」を、第6回に「化学的に観たる微生物」いう報告を行っており、食中毒やサルモネラやゲルトネル菌についての発表はない。ところが第11回の学会以後、彼は日本各地の各種の食中毒とその原因となる菌について精力的に調査収集を行い、その結果を発表するようになった。そして1939年には、弟子の八田貞義と共著で『食中毒菌』(金原書店)を発表した。この本は日本でのサルモネラ学の基礎を築いたといわれる。またこの頃に小島は「日本国サルモネラ委員会」を作り、サルモネラ研究で日本と外国とを結ぶ役割を果たすようになっていた。この委員会は、コペンハーゲンの国際サルモネラ・センターから診断用血清のための株を多数贈られ、国内の研究の進展に貢献した。小島の主要業績であるサルモネラの分類も、この国際協力のひとつとして、学術振興会の援助を受けて行われた。




『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)

小泉親彦と宮川米次の絆
六高では、小泉君は、二回目、私は、四回目の卒業生である。六校会を開いて東京で酒を飲んでも、いつでも小泉君は、大将になってやってくる。酒も非常に強かった。ご承知の通り、六高という高等学校は、酒を飲んではいけない学校であった。それをその当時から飲もうと行って、たいてい牛肉屋でやった。必ず四合びんから、コップでぐいっと飲むという恰好であった。しかし気にいらないと一滴も飲まない、そういうところは年をとってからでも同じであった。

「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)



「テロリスト伊藤博文」の懺悔



※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。





・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!


※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。

毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言

カネミ油症事件

カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?

PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


信念に生きた人々

 平成2年6月26日、萩野昇博士は胆嚢癌にともなう敗血症のため富山市民病院でこの世を去った。74歳であった、イタイイタイ病の研究と治療に半生を捧げた「田舎の開業医」の反骨人生が安らかに終わったのである。萩野昇は亡くなったが、彼の努力により婦中町住民に笑顔がもどり、神通川は「毒の通る川」から再び「神の通る川」となった。
 もし萩野昇という医師が婦中町にいなかったら、もし研究を途中で諦めていたら、イタイイタイ病は解明されず、奇病、業病と忌み嫌われたまま犠牲者を増やし続けたであろう。この萩野昇の生涯はイタイイタイ病を発見し、その原因を突き止めた医師の記録と言えるが、むしろそれよりも患者のために自分を犠牲にして、白眼視の逆境の中で研究を進め、患者のために真実を明らかにした勇気ある医師の記録と呼ぶのがふさわしい。地元の人たちは、萩野昇のことを今でも富山のシュヴァイツァーと尊敬している。

※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の人体実験をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄も金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)







・細菌戦被害地(中国)の旅


●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

11月20日の石井が、アメリカ人、通訳を入れて6名ですね。日本人側は、石井ともう一人Mと称している、書かれている人等が、招聘してですね、そこで会っているという、これが、非常に今まで分からなかったこと、新事実ですね。

石井四郎の戦後


●軍部は731部隊などの隠蔽を図るために、医学者などにアメリカが占領する前から積極的に原爆の威力の調査をさせた。アメリカ(GHQ)占領後は、医学者はABCC(原爆傷害調査委員会)に協力し、原爆の人体に与える影響の調査だけを行ない、治療などしなかった!!
日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料をアメリカに提供し、その見返りに、731部隊、毒ガス戦部隊などに関与した人々の戦犯免責を図った。戦後、国民には、日本軍の行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦のことについては厳しい箝口令を敷き、その事実をずっと隠し続けている。未だに日本政府は、毒ガス戦、細菌戦、人体実験等の残虐行為に対して公式に認め、謝罪をしていない!!


アメリカの原爆投下を訴える!!
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永

※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!


ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永

第1章 「美談」の眩惑
理想の科学者像に魅せられて

 福島第1原子力発電所の事故で放射能による汚染が心配されはじめていた頃、 1954年の第五福龍丸事件から1956年にかけての科学者の放射能汚染や放射線による人体への影響の調査研究活動のことがインターネット上でしきリに語られるようになった。ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」(2011年5月15日放送、NHK教育テレビ)の中では、第五福龍丸事件の直後に核実験の海域近くまで航海を続けて放射能の測定を実施した「俊鶻丸」の調査活動も紹介された。汚染の広がる地域や海域に自ら駆け付けて放射能を検査し、放射線量を測定したうえで事態を評価するという科学者本来のあリ方が見えてくるのだろう。フクシマの事態を安全だとコメントする今日の科学者との対照のなかで、理想とされる科学者群像として捉えられているようだ。



放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究

731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?


宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。



●軍学共同の道

(7)特殊実験「サル」が頭痛? <731部隊軍医の博士論文>
帝国の骨

※写真には、「第731部隊 教育隊幹部訓練 南方作戦出発直前 S16.10」と書いてある。
1940年10月には、衢州、寧波、金華で細菌戦を行っている!!

記者は日本モンキーセンターと京大霊長類研究所に「サルの平熱は何度ですか?」と尋ねた。サルの種類を特定しないと体温が違う上、睡眠中は朝方に低いなど1日でも変動する。霊長類研は「ブタオザルとニホンザルの場合、昼に38~39度くらいが、人間の平熱に相当するのでは」という。素人の目でも医学博士の論文にしては、ずさんにみえる。




●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

本来ならきちんと裁判を行ない、731部隊の行なった残酷な人体実験の責任を明確にし、関係者を処罰し、医学界から追放すべきだった。
しかし米国と闇取引をして、実験の成果を渡す代わりに全員が無罪放免になった。米国も共犯である。
731関係者は何一つ罪を問われなかったために、人命を軽視し、人間を当たり前のように実験台に使い、成果を自分の昇進や金儲けに使うおぞましい伝統が日本の医学界に生き残り、はびこってしまった。



優生保護法とはより
■「不良な子孫の出生防止」は、障害者への差別
(*)優生保護法も国民優生法も、不妊手術を優生手術と言い表しています。単に妊娠をしないようにするだけではなく、優生学の目的に沿って行う手術だからです。

 優生保護法は、第二次大戦に敗れた日本が、戦前とは逆に人口の増加をくい止めるため、国民優生法をもとにして、中絶を許す条件と避妊の指導をつけ加えた法律です。しかし、優生政策は国民優生法でよりも、むしろ優生保護法の方で強くなりました。


優生保護法は女性にも障害者にも、こんなに不当な法律だったのでした!!
優生保護法とは

旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢



「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29



政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した。

被曝をめぐる御用学者の系譜



●原水爆禁止!!核廃絶!!
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」

アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷


核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!

日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染





2016_06_27_NNNドキュメント「汚名 ~放射線を浴びたX年後~」語り 樹木希林


放射能を浴びたX年後




ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!




原子力に悩む大国 アメリカ



●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ



小路田泰直

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

小路田泰直

そしてもう一つは、立地自治体の貧困・困難をみすかし、利益誘導をテコに立地促進をはかるという方法であった。国鉄(現 JR) 阪和線熊取駅に快速電車を止めることを条件に、市町村合併をめぐり当時町内が貝塚派と泉佐野派に激しく引き裂かれていた大阪府泉南郡熊取町に、最後は立地を決めたのである。
しかしこうしたやり方には当然副作用が伴った。その結果、原子炉や原発の立地に、科学的で客観的な安全基準がいらなくなってしまったからである。「大学が、原子炉を設置するという観点より、どのような技術的考慮をすれば、地元住民が問題としている点について、その納得を得られるかという事等を配慮しながら精密な調査を行う」[★20]ことが立地の前に行なう「精密調査」の中身になってしまった。所詮は原子力に対しては素人にすぎない住民の主観的「納得」が、最大の安全基準になってしまったからである。
 かくて、「想定外」が想定されない、根拠なき安全神話が生まれ、それが一人歩きする土壌が生まれたのである。


※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!それをどうするんだ?核兵器開発??

仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)



*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。


何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!


湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●世界の流れ、脱原発

教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)


溜まる使用済み燃料と放射性廃棄物
直接地中に埋める直接処分をするか、もう一度再加工してプルトニウムを取り出してそれを再利用するか・・・です。
再利用のためにプルトニウムを取り出しても、残りはやはり地中に埋めるしかないのです。
使用済み燃料を再加工してプルトニウムを取り出すことを核燃料サイクルと言います。
取り出したプルトニウムを利用するために核燃料サイクルは存在しますから、
もし核燃料サイクルが上手く進まず破綻すると使用済み燃料は一瞬にして「ゴミ」扱いになります。
いわゆる核のゴミです。
しかも非常に危険なゴミです。


どうする?これからのの日本のエネルギー

●脱原発2

原発協定、30キロ圏内に拡大 再稼働、了解権は盛らず 東海第二

アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!

・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦


回収の見込みなしのプロジェクト、商品価値は?

しかし問題は売れるかどうかです。安全だと認められるまでに何年を要するか。また他国が、営業速度500キロというスピードに魅力を感じてくれるのかどうか。もし売れなければペイできず、行く末は血税が注ぎ込まれる赤字路線になる可能性も。
真っ暗闇の中を時速500キロで走る、移動手段としての役割以外に何の楽しみもないようなリニア新幹線。「いかにも合理主義的な日本人らしい」と言われるだけで終わるような気もします。

トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く



●秘密国家!!情報開示!!


●医療問題
空襲・原爆・戦争・核実験が地球を破滅に導く!!
第二次大戦の空襲のエネルギー、宇宙に達していた

科学の名のもとに進められる倫理違反!!
国の指針ではヒトのiPS細胞やES細胞からできた卵子と精子で受精卵を作製することは認められていない
<京大>iPS細胞から卵子のもと 世界で初めて成功

水俣病 公害認定50年 救済運動の「闘士」 息子が語る

水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した

医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
(ごんずい53号)
宇井純
集中砲火を浴びた熊大研究班
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた一九五九年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。一九六〇年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは一九六一年であり、六四年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。水俣病は終わったとして新しい患者を出さないことも、意識的にとられた方針であろう。一九六三年当時、胎児性患者の認定は例外的なものであることがしきりに強調されていたのを覚えている。
【転載ここまで】

水俣病


抗がん剤の影響はないのか??
神の子“KID”死す 消化器系がん闘病2年…早すぎる41歳

「全身がんだらけ」の樹木希林 それでもなぜ元気なのか

<障害者雇用>省幹部「死亡職員を算入」 意図的水増し証言

高血圧薬論文、科学誌が撤回=データ改ざん事件―名古屋大

京大、iPS論文不正の助教解雇=山中教授も処分


●自衛隊


●サリン事件と自衛隊の関係は??




陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年


5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?



・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

中曽根元首相 活動記録を寄託 国会図書館、公開へ作業

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説


日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!


●憲法9条を守れ!!
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!












フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中