2022年4月7日木曜日

細菌戦の系譜!!














No War!!Stop War!!

Русские солдаты! !! Вернемся скорее в Россию! !! 
Russkiye soldaty! !! Vernemsya skoreye v Rossiyu! !!
Russian soldiers! !! Let's go back to Russia soon! !!
ロシア兵の皆さん!!早くロシアに帰りましょう!!  

Article 9 of the Constitution to the World Constitution! !!

Article 9 The world sincerely seeks international peace based on justice and order, and the war in which national rights are exercised and the threat or use of force by force are forever used as a means of resolving international conflicts. Abandon.
②, In order to achieve the purpose of the preceding paragraph, the Army, Navy, Air Force and other forces, will not hold this. The state's right to engage does not recognize this.

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину! !!


Статья 9 Конституции в Конституцию Мира! !!

Статья 9. Мир искренне стремится к международному миру, основанному на справедливости и порядке, а война, в которой осуществляются национальные права, а угроза силой или ее применение навсегда используются как средство разрешения международных конфликтов.
② Для достижения цели предыдущего абзаца армия, флот, военно-воздушные силы и другие силы не будут его удерживать. Право государства заниматься этим не признает.




国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!


憲法9条を世界憲法へ!!
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

Русские солдаты! !! Часть 2 Russkiye soldaty! !! Chast' 2(ロシアの兵士の皆さん!!パート2)

ロシア軍兵士の皆さん!!
直ちにウクライナから
撤退してロシアに戻りましょう!!

Русские солдаты! !!
Сразу из Украины
Отходим и возвращаемся в Россию! !! 
Russkiye soldaty! !!
Srazu iz Ukrainy
Otkhodim i vozvrashchayemsya v Rossiyu! !!

NO WAR!! STOP PUTIN!!
ロシアはウクライナ侵攻をやめろ!!

ウクライナにバラの花を!!



「ロシア兵、眼前で男性銃撃」 集団殺害のブチャ 住民、恐怖の証言・ウクライナ




ソニアの日記


コタバル 伝えられなかった戦争(2011)


セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)


開戦ー前編ー


なぜ医学界は、核被害を訴えないのか?

佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない



反原発!!


佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945) 

大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

          重慶無差別爆撃









もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・


遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


マギーフィルム(字幕付き)



政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

1116日(火)

(加藤哲郎講演)

・貴重なパネル、資料により、日本軍の戦争犯罪がよく分かりました。ありがとうございました。

(30代、市外)



















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第8

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

メチル水銀中毒(「水俣病」)
「水俣病」は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患としてあつかわれていました。その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。
水俣湾周辺の水俣病については、昭和31年(1956)5月、初めて患者の発生が報告され、その年の末には、52人の患者が確認されました。 この疾患は昭和32年(1957)以降「水俣病」と呼ばれるようになりました。
阿賀野川流域の水俣病については、昭和40年(1965)5月に患者発生が報告され、その年の7月には26人の患者とそのうち5名の死亡が確認されました。 水俣病患者の認定は、公害健康被害の補償等に関する法律に基づき関係各県の知事および国によって行われます。

『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 津田敏秀著

平成2(1990)年の政府見解

次に「有害な魚種、その漁獲場所等も特定されていなかったので、販売禁止等の強制的な処分は不可能であった」と述べられている。これは1957年の回答に近い主張である。しかし既に当時から「水俣湾産」という特定はなされていた。もっと厳密な特定が必要であるとするのであれば、そのような厳密な特定がなされた例をあげるべきである。そもそもどの魚が有害であるかは、当時はネコ等の実験動物に食べさせて見るしか方法がなく、実験動物に食べさせると、もう人間が食べることは出来ないので、その特定の魚が汚染されているか否かは判明しようがない。そもそも人間を使って実験はできない。食中毒事件処理の現場を知らない官僚が書くと、このような文章になってしまうのだろうか。








隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか? 


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置










戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 
  捜査資料には、捜査の途中(7月頃)から、米軍と約束したから話せない、と言った関係者の言葉が記録されている。
 この口止め工作には、米軍と結びついた有末清三(元中将)などの旧軍関係者も深く関与していたことも分かる。有末は、捜査官に、旧軍関係を探るのはGHQとの関係でやめた方が良い、といったことを忠告している。また、捜査当局に、秘密を話させないということだけでなく、証言を変えさせるということまで行われた。
 それは、操作初期の4月の段階で、使用された毒物は旧軍が開発した「青酸ニトリール」という特殊なものだと捜査官に断言していた人物が、毒物に関する知識がない平沢が逮捕されたのち(9月)に、「誰でも入手できる青酸カリだ」と証言を変え、毒物の専門家として鑑定書まで捜査本部に提出し、裁判でも同様の証言をしていることからも分かる。

 





黒い太陽731(1)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??


実験医学雑誌第18巻雑報


1812号(1934年)

実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)

総説

満洲国に於ける見聞

    宮川米次

満洲国工業投資の一般


新興事業の一覧

満鉄         8億円増資

満洲航空会社     385万円

建国公債       3000万円

電信電話会社     122万円

満洲採金会社     1200万円(合弁)

満洲炭鉱会社     1500万円(合弁、未設)

満洲計器股份公司   150万円

満洲中央銀行    

大興股份有限公司

日満アルミニウム会社 500万円(富山県東磐瀬)

日満製粉会社     200万円

満洲皮革工業会社   (創立中)


その他、セメント、羊毛、砂糖、製材、化学繊維、パルプ、人絹、製粉等々新会社訳166、以上は医学以外の満洲国現時におきまする全貌とでも申してよいものであります。

素よりほんの見聞に過ぎませぬし、又専門以の事でもありますから、誤っておるやも計られませぬが、しかしそれでもその大体はこれによっても知り得ると存じます。如何にも活発に、誠に前途洋々たるものがありますので、これを北支の青嶋、済南、北京等々に較べて見ますと、驚くべき相違があります。




  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第5 井本熊男業務日誌による細菌戦の自認

3 昭和16年(1941年)の細菌戦に関する井本日誌

(3)昭和16(1941)年12月22日の井本日誌

同日の部分は、井本が増田美保から受けた細菌戦に関する報告の内容を記載したものである(甲1・15頁)。井本は、増田から、常徳での作戦が成功したことにより細菌戦部隊の士気が上がったこと、そのためペスト感染ノミ使用の効果に対して自信がついたことなどの報告を受けた。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


1月1日

1930年12月31日 遼陽分遣隊上番

1931年 昭和6年の正月は無事遼陽の露西亜兵舎で迎える。

清めの雪とも言うのかもしれないが一面白くなった駅の方から高足ヲドリらしい囃子が聞こえて来る。前方の工兵大隊表門には早くも日章旗。降る意志もないような降り方で楽しい 

地上に降ったり止んだり積もらない 積もったり止んだり降ったり ああ忙しい―雪の空見ていては中々書ききれない。

昭和6年と云ふよりも私の満期年と言った方が心持ちよい 2ヶ年の軍隊生活が無意義であってはならないのだ。

昔の様に暗の中で理想を追ふ様な少年的な生活をしてはならない。堅実な理性はよく私を幸福にみびいてくれる.

私には友が待っている 親が待っている 私は未だお坊ちゃんだ

私が此の生を受けて以来の初めて歴史を飾る記念の年だ 1931年     満期・・・⋮満期

こんなに書いてもいまだに1ヶ年あるんだな 困ったな            あ・・・・帰りたい・・・・・・・・・親がある・・・・。



「ずっと父が嫌いだった」




軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。




 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺



「天地無用」と書かれたドラム缶

防疫研究室の屋上に甕とドラム缶があった


伊藤栄三

防疫研究室


〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 防疫研究室に軍属として勤務

1942年 近衛歩兵第1連隊に入隊

1945年 上海で終戦

◆この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備した“陳述書まとめたもの。


防疫研究室

防疫研究室の人員ですが、私が入った昭和13年当時は150人ほどいました。それが私が辞めた昭和17(1942)年には600人にまで膨れ上がっていたのです。石井四郎は私をとても可愛がってくれました。その頃、石井は、所沢の飛行機を使って、頻繁にハルピンを往来していました。ハルピン郊外の平房にある731部隊に行くためです。



 

 


戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)

日本軍政下香港(1997.7.27)







●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳


解説


2 旧日本陸軍とその衛生機関について

衛生機関の組織と運用

このうち、陸軍病院が衛生機関編成のための基幹組織であり、人員の派遣や教育などにもあたることになっていた(例えば前掲の済南陸軍病院における生体解剖も、衛生新兵の「教育」のため行われている)。なお、1944年8月頃、日本内地・樺太・朝鮮・台湾にあった陸軍病院数を等級別に示すと、

(1)直轄病院(5)

(2)一等病院(4)

(3)2等病院(38)

(4)3等病院(甲)(81)

(5)3等病院(乙)(8)

となり、このほか航空隊病院(19)とその分院(75)が設置されていた。その収容能力は81819床、患者数72463名であった。このほか、敗戦の時点で、満洲に92院、中国大陸に38院、南方に17院存在した。中国、南方が占領領域に比べて少ないのは兵站病院があったためと考えられる。この兵站病院の任務は、衛生面での後方兵站というものであり、陸軍病院に比べてより直接的な野戦での医療支援を行うとともに、後方への患者輸送の拠点という性格を持っていた。



                     















●毒ガス戦


・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題



2、遺棄毒ガス兵器の発見と被災


 

化学兵器禁止条約の規定

 さらにこの条約には、1925(大正14)年以後に同意を得ることなく他国の領域内に遺棄した化学兵器については遺棄した国に廃棄の義務が存在すると定めており、遺棄化学兵器は原則として10年以内に廃棄を完了しなければならない(但し、5年の延長が認められている)。
 このため、日本政府は中国の遺棄毒ガス兵器の処理に向けた取り組みを行っているが、その廃棄作業は非常に困難である。ガス弾の中には信管が残されているものもあるので爆発する恐れがあるし、長い期間埋設されていたことから砲弾の腐食が進み、化学剤が漏洩しているものもあるなど、非常に危険な状態にある。また、砲弾や爆弾の炸薬などに使われているピクリン酸が、ピクリン酸塩を生成している可能性が高く、衝撃を与えると爆発する危険性もある。さらに、ガス弾のマーキングが腐食によって識別できなくなっているので、1発ごとに内容物を特定したうえで処理しなければならないという大変時間と手間のかかる難しい作業を強いられる。



第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

科学に対する冒涜

実験の結果については、以下のような記載がある。

3 毒ガス使用について

「吹き付ける方法は効果がない。発射する方法で短時間に大量に発射しなければならない」

4 将来に対する提言

「ちゃ1号は所期の成果をあげた」

 

上記に引用した報告内容は、人体実験が行われたことを明白に物語っている。

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部


「チャンコロ、まだくるか」
桐原軍曹が、ささくれ立った竹刀(しない)で力まかせに、パシーッとなぐりつけた。竹刀が弓なりになって青年の体の中へ食い込んだ。青年の頬にはたちまち紫色の線が、グーッと浮き出て、口元から首筋にずるずると血が流れた。青年は歯をぎりぎりさせ、「ペッ」と血を吐き捨てると、怒りに体をふるわせ起き上がろうとしている。じっとしておれなくなった小美野は、ずいと近づき、青年が見上げるその鼻先を、へし折れんばかり蹴り上げた。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 


 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第2章 日米共同作戦

1 平時機構と軍事協定

秘密協定のカラクリ

 これらの合意書を含む日米間の軍事協定の多くは、政府間協定として国際条約的拘束力をもつのであるが、なかにはたんなる事務レベル、ないし幕僚間の話合いにすぎないとされているものもある。だが、それは手のこんだ欺瞞であり、実質的にはすべて政府間合意となっているのである。一例を久保・カーチス協定(日本国による沖縄局地防衛責務の引受けに関する取極、71・6・29)についてみておこう。政府はこれについて、たんなる「連絡事項」であって、「国際的な法規の性格を持つものではない」(衆院沖特委71・11・13ほか) と強弁してきた。だが、協定文に書かれているように、それは日米安保協議委員会の承認を得て締結されたのであった。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

3,自衛隊における人体実験の疑念 

自衛隊の赤痢菌検査の疑惑

現に石井部隊では現実にそういう実験が行われていたからである。もとより、園口、時岡の2隊員の名誉のためにも、そういう事実はなかったであろうと考えてはいる。しかし、この論文を読む限り、そういう疑問が疑問として残ることは否定できない。これが第3の疑問である。ちなみに、隊内における赤痢患者の発生の事実は、法定伝染病の届け出義務があるにも関わらず、なぜか自衛隊はこの事実を秘匿して届け出ていない。不思議である。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



第1部 皇太子の教育

1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第一章少年と家族と明治の遺産

 

迪宮が7歳になった1908年、政府は欧米諸国が相変わらず続けている領土分割の枠組みのなかで、アジア大陸における日本の植民地支配を拡大してゆく外交政策を再確認した。同年、文部省は教科書を改訂し、日本を、すべての国民が天皇に結ばれた、有機的で親愛に満ち、道義に基づいた家父長制の「家族国家」として描いた。社会が激しく変化し、擬古的な用語で書かれた明治天皇の教育勅語にも解釈の統一が必要になって、この改訂が行われた。勅語はいまや、 1890年代にはなかった意味を獲得した。子どもたちは引き続き、彼ら天皇の臣民であり、父母に対すると同様に天皇に従順でなけれならないという建国神話を教えられた。しかし、非人格的な天皇制国家自体が、ほかのすべての価値に優先する至高の存在とされたのはこのときが初めてだった。皇室と国民の関係は、創始者による「本家」の一族と、そこから分かれた枝葉の「分家」の関係として説明されるようになった。教科書の改訂が1911年に完了すると、君主の絶対権力の概念は公教育に定着し、国家は、理論上家族の親愛関係に基礎を置くものとされた。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え


●地球を破壊する核実験


核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。


署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。


署名国            署名日      批准日 (締約日)

グレナダ         2019年9月26日

グアテマラ       2017年9月20日

ギニアビサウ       2018年9月26日                 2021年12月15日

ガイアナ         2017年9月20日       2017年9月20日

バチカン         2017年9月20日       2017年9月20日




メアリーが伝えるヒロシマ


 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。












           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


























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