虐殺は、その前後で行われた!!
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●2021 9 17 浅井基文講演
●細菌(生物)戦争
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月18日(木)
・断片的に知り得ていた事が少し繋がってきた。知らなかったことが多すぎる事がわかった。45分間の見る時間を予定していたが足りない。再度の見学で続けたい。
(70代、市内)
11月18日(木)
・断片的に知り得ていた事が少し繋がってきた。知らなかったことが多すぎる事がわかった。45分間の見る時間を予定していたが足りない。再度の見学で続けたい。
(70代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻11号(1934年)
中島壽博士送別会
中島壽博士は今回東京市衛生試験所の技師に就任され医学的検査部の部長として市の保健衛生の為に尽力せらるることになったのでその送別会が去る10月9日午後6時半中央亭に於いて開かれた。
学術集談会開催
去る10月18日午後1時より所内講堂に於いて学術集談会が開催された。
演題は次の通りである。
1、ビタミンB欠乏食並びに精白度を異にせる各種米飼養家鶏血液ブドウ糖分解作用について
江良一雄君
2、鳥類及び哺乳動物血液ブドウ糖分解作用の1,2比較実験 江良一雄君
3、Xanthon色素の2,3に就いて 大山西一君
4、野兎病病原体菌の鞭毛染色のデモンストラチオン 西澤行蔵君
金子勘太君
5、飼養を異にせる動物の運動による諸変化に就いて(総説) 河本禎助君
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
当事者目録(別紙1)
原告ら訴訟代理人
弁護士 海渡雄一
同 北澤義博
同 坂入高雄
同 笹本潤
同 佐藤光則
同 椎名茂
同 幣原廣
同 秦雅子
同 鈴木武志
同 田鎖麻衣子
同 田村公一
同 中川瑞代
同 長野源信
同 林和男
同 葉山兵夫
同 古田典子
同 穂積剛
同 前田知克
同 三上宏明
同 水野英樹
同 南典男
同 山口廣
同 渡邊博
同 山田博
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
四月二四日
小供たちと遊んだ 小供に帰ったような朗らかな一日 晴 今日は雑役であった
御勝手仕事が非常に上手になったように自分ながら思はれる。
「兵隊さん、わたしは公主令よ もっと寒くて遠いのよ」「かよちゃんは ここで生まれたんでしょう」
「いいえ、わたし撫順よ ほんとうに美しいにぎやかな町だわ」「今度は皆と一緒に奉天や公主令を遊びに行かない 兵隊さんが連れてってあげるから」「いや」「いや」「私好くは」「いやいや」のない人達よ。春ですね。私にも又懐かしい小供の世界が生まれた 春なればこそ庭のアンズの花が咲き始めた。大きなタンスと花見の姿・・・まだ見ぬ小さい天使たちの桜の国が いかに小供に懐かしまれる事か 海外に働く人達はまだ多少幸せな希望があるのだろう。
国の為と思えば自然に微笑まれる自分の姿を見ることが可能であろうもの
美しい撫順の心に画いたり 桜の国を夢見たり 然し之も父母の為のみ左右される生活ではないのですよ 天使たちよ 幸せに暮らしてください 春は必ず眼の前に実現いたしますからね 私はこんな事を心で叫びながら楽しい一日を終わった これが理解できる位まで彼女たちがなって 未だにこんなこと云ふたら私は喜んで話すであろう。
「ずっと父が嫌いだった」
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
香港難民の大量虐殺
ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・
丸山茂
8604部隊
(経歴)
1917年生まれ
1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集
1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属
1943年3月 除隊。帰国
1945年 再召集
1945年8月 朝鮮で除隊
1945年10月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
4 山西
遠山哲夫自筆供述書(1954年11月18日)
1944年11月中旬、私は山西省臨汾県城内北支派遣114兵站病院放射線科に勤務していた。この頃、庶務科長〇原壽人の命令を受け、私と大橋庄吉衛生軍曹等4人は救急車で臨汾城内の憲兵隊へ行き、3名の中国人犯人を連行し、外科治療室付きの上谷内衛生兵長に引き渡した。最後の結末は知らないが、古参兵たちに聞くと「採血し、生理実験の材料としたり、生体解剖等も行った」ということであった。私の当時の階級は衛生上等兵だった。憲兵隊から連行した中国人は約40歳、約30歳と約27歳の3名であった。
(1)119-2、405、1,第6号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦
日中戦争の勃発と不拡大方針の設定
既に見たように、日中戦争勃発直後の1937年7月28日に催涙性ガスの使用を許可する参謀総長指示(「臨命第421号」)が出され、現地の日本軍はこれを使用した。また、上海から南京攻略へと侵攻する過程で毒ガス戦の実施が検討されたが、南京に対する大規模毒ガス戦計画は昭和天皇の反対で中止された。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
山西省沁水県西山村は県城の東南に当たる山の中腹に位置し、県城から約20華里(約10㎞)、1つの中庭の40余の家が軒を並べる小さな部落である。辺鄙な場所だったため、日本軍の進攻後は、周囲の民衆がよくこの村に避難していた。
1940年4月12日、日本軍の第41師団は沁水を占領すると、その魔の手を西山村に伸ばした。同年7月9日午前8時頃、飴が降る中、県城に駐屯していた日本軍の5部隊は、内通者の私服の案内で、毒ガス弾、防毒マスク、銃器を携え、殺気立った様子で西山村に乱入した。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
ちょうどその時、東村落はずれの方向でダダダダ・・・・・けたたましい重機関銃の音とともに、「ワーッ。ワーッ」という喚声が、押しかぶさるような入道雲に跳ね返って響いてきた。「ワッハハハハ・・・機関銃中隊でもやりおったか」チョビ髭が言った。兵隊たちもハッとしてその方向を振り向いた。農民はつと立ち上がりざまに煙管を左手に持ち直し、右のこぶしを固く握りしめ、大きな足を一歩前に踏み出して喚声の方向に視線を投げ、涙をふるった。その眼はランランと輝き、踏みしめた足はかすかに震えていた。この様子を見ていた分隊長はやにわに飛びかかり、農民の煙管をもぎ取って地べたに叩きつけた。折れたがん首がチョビ髭教官の鼻先をかすめ、火の粉が飛んだ。
「アッチチチ・・・馬鹿野郎」青筋を立て、足をバタバタさせて当たり散らした。
「なんだ、その面」分隊長が恐ろしくなって農民の前に立ちはだかり、3つ4つ続けざまに殴りつけた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
1 軍令事項
軍政と軍令
参謀本部条例(明治41年軍令陸第19号)の第1条は、「参謀本部は、国防及び用兵の事を掌る所とす」と定めていた。軍令部令も同文であった。ここにいう国防とは兵力をもって国家を防衛することをいい、用兵とは外敵もしくは内敵にたいし、または治安維持のために軍隊を運用することを意味していた(日高巳雄『軍機保護法』152ページ)。軍令事項とはこのように広範囲のものであったが、具体的になにが含まれるかについては多くの問題があった。陸軍と海軍では相当の差異があり、また軍部の台頭にともなって軍令事項の範囲が拡大されていった。本来は軍政事項であった兵力量の決定が、昭和初年以降は軍令に含められたのが、その一例であろう。1922(大正11)年、陸軍当局は軍令事項として次の11項目を例示している。
①作戦計画に関する事項
②外国への軍隊派遣に関する事項
③地方の安寧秩序維持のため兵力使用に関する事項
④特別大演習に関する事項
⑤動員に関する事項
⑥平戦時編制
⑦戦時諸規則
③軍隊の配置に関する事項
⑨軍令(法形式としての)に関する事項
⑩特命検閲に関する事項
⑪将校及び同相当官の平戦時職務の命免及び転役
⑫其他軍機軍令に関し、臨時允裁を仰ぐを要する事項(防衛研修所『自衛隊と基本法理論』78~9ページによる)
軍令事項の具体的内容は、大正末期には右のようであった。軍の内部規定としては、 「陸軍省・参謀本部・教育総監部関係業務担任規定」、「海軍省・軍令部業務互渉規程」に定められていた。いずれも天皇に上奏して允裁を得たものである
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅰ 生物・化学兵器を告発する
4、日本本土も汚されている
何のためのヒツジ飼育
68年3月14日、米国ユタ州のスカル峡谷で、ヒツジ4300頭を狂死させたというのがその事件だが、死因が新しい神経ガスVX320ガロンの空中散布による演習の結果とわかり大騒ぎとなった。第406部隊の基地近くに住む人たちは、このニュースを聞いて身の毛のよだつ思いをしたという。無心に草を食うヒツジの群れが、米軍基地とどのような関係があるのか理解しかねている周辺の住民にしてみれば「まさか生物・化学兵器の実験用に飼っているのでは―」という不安に襲われてもさほど異常とは思えない。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
監修者あとがき 2002年10月 吉田裕
さらに、印象的だったのは、2001年8月15日付の『朝日新聞』の社説である。この社説では、「戦後の原点に立ち返るとき、どうしても避けては通れないのは、昭和天皇の戦争責任をめぐる問題である」としながら、「陸海軍を統帥し、全て天皇の名において『皇軍』への命令が下されたことを考えてもやはり天皇の戦争責任は免れない、というほかあるまい」と結論付けている。主要全国紙の終戦記念日の社説の中で。昭和天皇の戦争責任の問題が正面から論じらたのは、これが初めてである。
日本社会自体が、こうした変化の途上にある中で、本書は発行された。そうした変化によって、日本での本書の刊行が可能になったともいえるし、本書の刊行が変化をされに加速させることになればと思う。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリス
イギリス初の核実験を伝える西オーストラリア新聞
モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁(オーストラリア)での核実験。
核実験の人体実験
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=yVlnVNSgHJA">水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)</a>
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=f_2ps6RIR9U">「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】</a>
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!