2022年1月5日水曜日

細菌戦の系譜!!

                 







































首相の伊勢神宮参拝反対!!
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

1217日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会


20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―



敗戦国日本はアメリカとの取引に使った原爆調査。
日本政府は被爆者を救うためではなく、原爆の威力がいかにすさまじいか、放射能が人体にどのような影響を与えるのかを克明に調べ181冊の本に英訳してアメリカに渡した。
それは、天皇や731部隊員の戦犯免責を得る1つの有力なカードだった。

日米両政府は原爆による放射能の人体に対する影響を隠ぺいし続けた!!




 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置









 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第18巻雑報

18巻6号(1934年)


長與博士寿像除幕式における式辞と答辞

長與博士の答辞

のみならず私は在職中、度々外国に出張して留守を致して居りまするし、殊に近年は長い間病気の為に休養を余儀なくせられたのであります。普通ならば退職の機会は既にその時にあったのであります。それにも拘らず、皆様の私の欠点と怠慢とを大目に見て下さって、本年迄その職に止まることを得たのはこれ偏に伝研幹部諸君及び所外の多数の先輩、同僚各位のご同情の賜物でありまして、この機会に於いて多年のご厚情に対して、万腔の謝意を表します。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

当事者目録(別紙1)

浙江省崇山村

第1事件原告 王仕化

第1事件原告 王松良

第1事件原告 王錦悌

第1事件原告 王希存

第1事件原告 王基良

第1事件原告 亡王煥潮訴訟承継人

       王衛龍

第1事件原告 王新林

第1事件原告 亡王旌昌訴訟承継人

       王興国

第1事件原告 亡王栄理訴訟承継人

       王小龍

第1事件原告 王基月

第1事件原告 王興銭

第1事件原告 亡王炳樟訴訟承継人

       王基松

第1事件原告 王明光





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

四月十三日


衛兵勤務 曇り 風あり 零下三度。

平凡のうちに下番の日が来た。昨日が下番である。今度の分遣は本当に始末の悪いガン口ばかりであった。雑役の萩野はご飯を炊きつつ 唄と共に木曽節に飛び跳ねてメッコの飯を作ったり。

数えきれない位に残るエピソード式の話題を残して珍しい顔ぶれの分遣も終わった。

菅野の野郎、初年兵の教育の名を借りて分遣ばかり来やがって仕様がない。うるさい事おびただしい。


何もわざわざ来なくてもよさそうな 学科をやらして自分は手紙を書いている矛盾も甚だしい。

今日は衛生勤務だ。佐々木の花王石鹸(社内電話)ばかり作ってはいたずらして困ったものだ。最も今日の電話交換手 余程歌が好きと見えてわざわざ分遣隊に電話をかけてきた。こんな女もまた困ったものだが佐々木のかけ方が僕に迷惑をかける事おびただしい。




軍都広島での物語

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
                                              

としとったお母さん


この冬近いあかるみのなか
あなたはまた
かわいい息子と嫁と
孫との乾いた面輪おもわをこちらに向かせ
話しつづけているのではないだろうか
仏壇のいろあせた写真が
かすかにひわって
ほほえんで



  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・


丸山茂

8604部隊


(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。


難民収容所
次に昭和16年(1941年)12月25日の香港陥落のあとの香港難民の細菌による大量殺害ついて、私が知っていることをお話します。
 香港陥落後、香港には総督府が置かれ磯谷中将が総督でした。その時点で総督が一番先にやったことは、食糧という食糧を全部押さえる事でした。軍政当局は、中国本土の郷里に帰れる者にはお米をやるぞという布告を出したわけです。と言うのは香港島には当時100万人の人間がいて、そのうち30万人を兎に角減らしたかったわけです。そうすれば日本軍の為、何とか食糧の調達もできるだろうと考えたんです。





●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北


2 華北

4 山西


張三多証言(1954年12月25日)

私は張三多といい、現在39歳、職業は農民で、山西省惇(忄が山偏)県柳巷郷班村に住んでいる。1944年7月、村の東の兵営に日本軍の陸軍病院があり、日本人犯人吉沢行雄は私の村から15里(7.5km)離れた神山村の住民、賈招来を解剖し、兵営西塀外に捨てた。彼の兄賈招義は弟が日本軍によって殺害されたのを知り、遺体を探したが見つからず、私の村を訪ね、人を雇って探した。私と張成官、張同同らの3人が手伝い、銀貨で6元の報酬を受け取った。まもなく夜が明ける頃、私たち3人は兵営西塀外に来てようやく遺体を見つけた。遺体は土に埋められ、掘り出してみると着衣はなく胴体は切り開かれて、その中には心臓、肝臓、腸は総てなく、たくさんの薬布が詰め込んであった。下半身では、足が1本切り取られていた。私たちは遺体を村の古い用水路迄担いで運び、神山村のの賈招義は、布団で遺体をくるんで持ち帰った。以上の事実は確かなもので、もし虚偽があれば政府の法律的処分を希望する。

(1)119ー2、732、3、第49号



 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相

日本軍と毒ガス兵器④ 砲兵力の低さの問題

日本の砲弾生産能力は、第1次世界大戦当時の、第1世界大戦当時の列強にも遠く及ばなかったのである。砲弾生産の低さは、砲兵の戦闘能力を大きく制約し、重火器で固められた堅固な陣地を砲兵で充分に制圧することができないという問題に直結する。その結果、第1線の歩兵部隊は、夥しい犠牲が出ることを覚悟の上で、堅固な陣地を白兵突撃によって攻略せざるを得なくなる。

 更に南方への侵攻を検討した大本営は、原則として対ソ戦用に集積された軍需品は使わず、中国戦線への補給を最大限に削減して余裕を作り、それでもなお必要が生じたら中国方面から引き抜いて南方作戦用の資材を充足するとしている(防衛庁防衛研究所戦史室編『戦史叢書 マレー進攻作戦』)。





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第8章 無辜の被害者

河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件


九死に一生を得た生存者、范羊羔の回想

そのとき、1人の日本兵に足蹴りにされた。見ると、人々が中に入っていく。私もそれに続くしかなかった。そうしながらも、心の中では『連行もせず、殺しもせず、洞の中に押し込むとはどういうことか?』と考えた。日本兵は臭い大砲で人を燻すと聞くが、今度は我々が燻される番なのか?・・・そう考えた途端、私は内洞から外洞まで這い出し、大きな石の割れ目にもぐり込んだ。そこには先客がいたが、構わず奥へ奥へともぐり込み。一段と高くなっているところに出た。



SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)


三神高(みかみたかし)
教育助手 伍長
〈旧部隊名〉独立歩兵第42大隊歩兵砲中隊



「ヤイヤイ、てめえは教官のところまで行くんだ」三神は男の肩を銃尾で小突きまわした。
「我不去!為甚麼(俺は行かない!何をするんだ)」抗議する男は身動きもしなかった。
「この野郎!殺されてえのか!」
憤りに顔をグッとねじ向けた男を、3本の銃剣が小突きまわした。・・・・・・重く足を運ばす夫に、妻は
遮二無二足にかじりつき、行かせまいと取りすがった。そして大声で泣き出した。
「うるせえ、このアマめ」兵隊の銃剣は情け容赦なく、追いすがる妻子に銃口を向けた。
「クソッ、ついてきやがるとぶっ殺すぞ!」三神は怒鳴り上げると、大林と一緒に銃口を胸元に向けた。農民の男は静かに妻を振り返った。死んでも離すものかと、銃口が胸元に向かっているのも恐れないで、抱きかかえる妻の腕にソッと手を置いた男は、二言、三言何か言った。そして子どもの頭を撫でて何かささやいたが、名残惜しそうに何度も何度も振り返り、歩き出した。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 


 

(来年1月も証人調べが続きます)   

第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定

第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第4章 機密国家の復活

3 刑法改正による機密保護

復活するスパイ罪

この発言は、準備草案の内乱・外患の教唆にたいする罰則が破防法より強化されていることに関連してのものである。だが、それはスパイ罪規定の背景にあるものがなんであったかをも、しめしているのである。このように準備草案は昭和35年を直接、昭和15年に接合するものであった。スパイ罪の罰則は、刑特法やMSA秘密保護法よりも重い。それは、内乱・外患教唆の罰則を「破防法の刑よりも重くすることについてはもちろん反対があったのですが、破防法は制定当時の政治情勢から遠慮しすぎた刑をもっているという意見もありましてね」(前掲書86ページ)と吉川教授が説明しているような理由によるのである。準備会主流の思想からすれば、「政治情勢」さえ許すなら軍機保護法、国防保安法、治安維持法と同じく死刑をもってのぞみたいところであろう。

  


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

4、日本本土も汚されている

防衛庁長官の珍答弁


米軍相模原補給廠での塩素ガス流出事件は更に問題が大きくなった。というのは、同補給廠に塩素ガスボンベは運び込まれる以前に、横浜港で人身事故を起こしていた事実がその後の調査で明らかになったのからである。

 事件は相模原市での農作物への毒ガス流出事件の1年前に起こっていた。1963年9月1日、横浜港内で作業中の清掃船「新和丸」(新和海運所属)の乗組員が、現場から100m離れた米軍基地から流出した塩素ガスによって中毒症状を起こして倒れた。ガスの被害を受けた6人の乗組員の内4人は、1週間の入院加療を行うほどの重症であったが、この事件も全駐労の調査が無ければ表面に出ることなく闇から闇に葬られて行く運命のもとにあった。


 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

 晩年を迎えた天皇は、中曽根を、日本が大国の地位を回復した新時代に、君主制を活用する明確な姿勢を持った指導者と見ていた。中曽根は、日本では古代から権力と権威が分かれており、天皇の本質は憲法に明記されているような「象徴」だったと強調した。しかし中曽根は天皇の地位を高めてその権威を強化し、1960年代以後そうだった高度経済成長の象徴から、「国家」の象徴にすることを望んでいた。中曽根はそれを成し遂ることはできなかった。国家と天皇をテーマとする数々の演説で彼が成功したのは右派ナショナリストのあいだで長い間くすぶってきた、東京裁判の判決に対する恨みの念をよみがえらせたことだけだった。彼は憲法改正論者の以前からの裁判批判に迎合し、「東京裁判史観」を若い世代に押しつけていると左派を非難した。中距離核ミサイル問題で米ソが合意した中曽根の在任期間の末期に、彼はそのイデオロギー的立場を、「戦後政治の総決算」と総理大臣の権限強化にしぼって繰り返し強調した。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?



核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


地球を破壊する核爆発・核実験


年月日          名称(実験名)            核出力 (kt)     実施国 重要性

1945年7月16日 ガジェット(トリニティ実験) 19 アメリカ合衆国 人類史上初の原子爆弾実験

1945年8月6日 リトルボーイ 15 アメリカ合衆国 人類史上最初の実戦使用(広島市への原子爆弾投下)

1945年8月9日 ファットマン 21 アメリカ合衆国 直近の実戦使用(長崎市への原子爆弾投下)

1949年8月29日 RDS-1(ジョー1) 22 ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の原子爆弾

1952年10月3日 ハリケーン 25 イギリス イギリスによる初の原子爆弾

1952年11月1日 アイビー マイク 10,400 アメリカ合衆国 人類史上初の多段階熱核反応兵器実験(非実用兵器)

1953年8月12日 RDS-6(ジョー4) 400 ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の水爆(非多段階、実用兵器)






 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。










           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!























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