虐殺は、その前後で行われた!!
●映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
●2021 9 25加藤講演第1回目
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・中学の時の学校図書で“海と毒薬”(遠藤周作著)を読みました。授業でも関わる箇所に話が出たりしたので。今回のチラシを目にし、見学に伺いました。開発理由は当初は良いものだったかもしれませんが、利益等と結びつくと変な方向に行ってしまうのではないかと思いました。
(40代、市内)
14日(日)
・中学の時の学校図書で“海と毒薬”(遠藤周作著)を読みました。授業でも関わる箇所に話が出たりしたので。今回のチラシを目にし、見学に伺いました。開発理由は当初は良いものだったかもしれませんが、利益等と結びつくと変な方向に行ってしまうのではないかと思いました。
(40代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻6号(1934年)
長與博士寿像除幕式における式辞と答辞
宮川所長の式辞
先生は常に研究に従事せられる際も、あたゆる方面より徹底的に探究して行かれるという方針であられます。ご自身が病理学者なるが故に病理学にのみ限局するという様な窮屈なところはありません。例えばツツガムシ病の御研究に於いてもまず虫の御研究に数か年間没頭せられたのでもその一端は伺われると思います。特に、多くの特徴ある人をその得意の方面に向かわせて、研究の歩を進めて行かれましたことは敬服の外はありません。例えば、インフルエンザの世界的流行のありました時にはほとんど全所員を挙げてあらゆる方面より探究して、終にその予防ワクチンをさだめられました。近時本邦に於ける癌腫の状況を知る為には全国の同好研究者よりその知見を集められまして、精確なる所見を得られました如きも1例と思います。学問に対する先生のかくの如き態度は我々が今後至難の問題の研究に当たって取って以て範とすべきであると信ずるものであります。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
7 被害の細菌戦隠蔽による損害賠償請求について(争点7)
(2)そこで、原告らの上記主張の当否について検討する。
ア 国家賠償法施工前の行為ついて
国家賠償法が施工された昭和22年10月27日よりも前の行為については、同法付則6項の規定に基づき従前の法が適用されるところ、前示の通り、同法施工前に於いては国家無答責の法理が確立していたから、公権力の行使による損害についてはそれが違法なものであっても被告は損害賠償責任を負わないと言わざるを得ない。
したがって、原告らが主張する隠蔽行為のうち国家賠償法施工前のもの(第1期及び第2期の一部)については、その他の点を検討するまでもなく、原告らの請求は理由がない。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
四月七日
丁度中隊の惨敗を憐れむかの如き 実に涙が出る様な吹雪だ ゴルフ山の中腹に来た時分であった突如でもないが東北から流れて来た一塊の雪が頭の上に来たと思うと恐ろしい。風と共に花泣かせの雪が五尺三寸八分の体と一七貫の体が四十度ぐらい横に吹き飛ばされて 其の冷たさというより痛さのほうが百倍。中隊に帰るまでには雪だるまのごとく 泣き出して帰った。
どーしても腹の虫がおさまらない。こんなには腹が立ったのは初めてだ。あらゆる罵言を以って軽機をののしった。夜であった。午後八時十分 敗れた悲しみを胸に 其の日三中隊事実上のヒロイン林軍曹の希望で 事務室横に集まった。なんという悲しき集合であろう。僕は幾多の地方に演ぜられる 青少年たちの涙ぐましい色々な競争に生まれる 悲喜劇を見たことがある。勝敗を決する男らしい心持ではあるが また之を行わねばならない社会の趨勢を考えねばならない。
倉庫の記録
三日め
K夫人の容態、呼吸三〇、脈搏一〇〇、火傷部位、顔面半ば、背面全面、腰少し、両踵、発熱あり、食慾皆無、みんなの狂声を黙って視ていた午前中のしろい眼に熱気が浮いて、糞尿桶にまたがりすがる手の慄え。水のまして、お茶のまして、胡瓜もみがたべたい、とゆうがた錯乱してゆくことば。
硫黄島に死んだ夫の記憶は腕から、近所に預けて勤労奉仕に出てきた幼児の姿は眼の中からくずれ落ちて、爛れた肉体からはずれてゆく本能の悶え。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
香港難民の大量虐殺
ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・
丸山茂
8604部隊
(経歴)
1917年生まれ
1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集
1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属
1943年3月 除隊。帰国
1945年 再召集
1945年8月 朝鮮で除隊
1945年10月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。
プールに死体が
部隊が編成された昭和14(1939)年5月頃のことですが、「なんか珍しいことやってるよ」って兵隊隊が言うんです。「なんだ、なんだ」と部隊北側にあったプールに行きました。その建物はレンガ建てで、プールのある所は地下で高くなっていて、階段を昇って行かなくてはならなかったのです。
プールにはホルマリンが入っていたのでしょか、その中に死体が漬けてありました。プールの中に死体が浮いていたんです。女の死体もありました。渡辺という中佐が、死体を兵隊に上げさせて、そして執刀しました。そして頭をノコギリで切ったりしていました。「おお、うまいことやるもんだな」と言って私たちは見てたんです。渡辺中佐は「これが肝臓だ」とか言っておりました。渡辺という人は、終戦時に朝鮮軍の軍医部長をやっていた人です。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
4 山西
湯浅謙自筆供述書(1955年)
捕虜は痛みのあまり形相が一変し、低いうめき声をたてて頭を左右にゆすった。「力を入れるんだ。食道であろうと何であろうと、かまわず中へ刺せ」。西村に励まされ、私は全身の力を込めて突き刺すと、「ブスッ」という音と共に突き抜けた。呼吸とともに血の泡が吹き出し、顔には全く血の気がなかった。呼吸困難にでただ小鼻だけがせわしく開いたり閉じたりしていた。喉に穴が開けられたため、苦悶の喘ぎ声さえ出せないのだった。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相
日本軍と毒ガス兵器③ 歩兵の銃剣突撃と「あか筒」
そして、くしゃみ性・嘔吐性ガスを使用した経験に基づいて第1線の高級司令部は「堅固なる陣地に拠り頑強に抵抗せる敵を制圧し軽微なる我(われ)損害を以て敵地奪取を可能ならしめ作戦の進捗に資する所少なからず」と評価している(中支那派遣軍司令部「武漢攻略戦間における化学戦実施報告」前掲『資料集』資料9)。また、ある軍司令部は次の様に記している。
あか剤の特性は・・・堅固なる陣地特に掩蓋銃眼等に拠れる敵を攻撃する場合に於いて発揮せられるものと謂うべし・・・訓練精到なる軍隊はあか剤を以て敵を制圧せる好機を直ちに捉え装面突撃を敢行しその成果を利用し得るを以てあか剤は有利なる突撃支援兵器なり。(第2軍司令部「武漢攻略戦間に於ける化学戦実施報告」同前所収)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第8章 無辜の被害者
河北叩崗(コウカン)毒殺事件
小屋の中の煙が少しずつ消えていくにつれ、広場は凄惨な、怒りと悲しみの泣き声に覆われた。日本兵は小屋の中の倒れた人々を1人ずつ引き出し、地面に放り出した。小屋の前は黄色の泡沫を口から吹き出した被毒者でいっぱいになった。人々の中から、悲痛な泣き声、叫び声があがった。
小1時間ほど過ぎると、小屋の中でいぶされた人々が少しずつ意識を取り戻した。だがこの時、中の1人、趙文起(39)は被毒症状が重く死亡した。その他の41人は頭が重く、四肢に力が入らない状態だったが、日本兵は情け容赦なく彼らを脅して立ち上がらせ、銃床と棍棒で小突きながら、彼らを徐黄甫の偽拠点まで追い立てた。その途中、40過ぎの李吉と胡文の2人が倒れて死亡。残った39人は徐黄甫で3日間監禁されている間に18人が黄色の泡と血を吐いて死んだ。生き残った21人も皆一様に、症状はかなり重く、曇りの日には呼吸が苦しくなった。叩崗事件は日本帝国主義が毒ガスによって中国の一般市民を殺した動かぬ証拠である。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
「クソ、びっくりさせやがる」ドキッと後ろに1歩退いた三神は、小銃を取り直し、水がめの中に2人は代わる代わる首を突っ込み、水を飲み込むと、その家の打穀場になっている庭の方に駆け出した。慌てて避難したのか、土造りの家屋と並んだ小さな小屋に、取り残されたロバが目隠しされたまま、何事も知らないようにせっせと石臼を引いていた。その石臼から黄色みがかった栗の粉がパラパラ引き出されていた。
「チェッ、のんびりしたやがら!」殺気だった三神の銃剣が前足にとんだ。膝を折ったロバは立ち上がろうともがいたが、引き臼はぴったり止まってしまった。
「ワッハッ・・・こいつも戦果だ!伊藤、お前、頼むぞ!」「よしきた」むき出した獅子鼻をこすりながら、伊藤がロバに近寄った時、東側の畑の方で牛の鳴き声が聞こえてきた。
「オイ、人がいるぞ・・・あちらに・・・」大林のすっとん狂な声に、“それっ”とばかりに3人の乱れ足がドタドタ飛び出していった。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第4章 機密国家の復活
2 機密保護立法の動向
50年代の立法蠢動
マスコミ企業側の意思表明ではあるが、今日もなお、鮮明な印象を与える。声明の危惧は現実のものとなっている。だが、政府はこれに全くを耳をかさなかったばかりか、緒方竹虎副総理などは、「さきに成立した防衛秘密保護法とは別個に国家機密を保護するための新たな立法措置を早急に講じなければ、日本は滅亡するといっても過言ではない」と述べたのである。機密保護立法が宣伝の段階を過ぎ、実行に着手されはじめたのは50代後半であった。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅰ 生物・化学兵器を告発する
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
よそ事ではない沖縄
しかも、本土の民衆に対しては、外務省の申し入れに対する米国からの回答が、「米軍は日本本土には化学兵器を置いてないし、貯蔵する意図も全くない」と発表されることは意図的なものを感じさせないではおかないものがある。そこには、平和条約第3条によって、沖縄を人質とすることによって独占体制の経済的繁栄を得てきた基本的な考えがその基底にあるだけでなく、その繁栄の分け前にあずかってきた本土民衆のエゴイズムに、その言葉が与えられていることが必ずしも否定できないからである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅴ
天皇が 数十年前の1946年に語った戦時期の解説を精力的に改訂しているとき、ほかの人々は昭和後の日本について考え始めていた。神社本庁、旧軍人と遺族の団体、保守派の国会議員や地方議員などは、君主制の権威を強化する運動に乗り出した。彼らの目標のひとつは 公文書の記年法として元号の使用を法制化することだった。数年続いた論争では反対論も多かったが、国会は1979年、天皇の治世の名をその時代の指標にする、復古的な「元号法」を成立させた。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1945年7月16日に行われた人類初の核実験。詳細はトリニティ実験を参照。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!