●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回
「731部隊被害者遺族を訪ねて」
日 時:2021年3月22日(月)18:30~
お話:大谷 猛夫さん
オンライン中継(zoomによる)
主催:731ネットワーク
731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。
2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。
大谷猛夫さん
中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。
※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。
18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)
19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)
連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
(以下、パネル展の内容)
水俣病
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
(ごんずい53号)宇井純
集中砲火を浴びた熊大研究班
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。(略)熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは1961年であり、64年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。(略)この間医学界主流にあった東京大学医学部を中心として作られた田宮委員会は、水俣病つぶしの有力な手段であり、日本化学工業協会とチッソから研究費をもらっていたが、表に出ないもくろみは、米国の公衆衛生院(NIH)から熊大へ支給された三万ドルの研究費をねらったらしいことが、複数の関係者の証言で裏づけられる。もみ消しだけで十分犯罪的である上に、横取りまで考えていたとなるとおそろしい話である。(略)日本医学会会頭、東大名誉教授田宮猛雄を委員長とし、公衆衛生学教授勝沼晴雄を幹事長とした田宮委員会と対立するということは、いわば日本医学界全体を敵とすることを意味する。こうして孤立した熊大医学部としては、水俣病の病像をすでに文献記載があって誰も文句のつけられないハンター・ラッセル症候群に限定しておくことが有利であった。新しい症状などをつけ加えたら、ますます学会から袋だたきにあうであろう。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
◎11月職員異動調べ
月日 異動事項 官職 氏名
10.29 青森岩手の2県下へ
出張を命ず 技手 菊池常雄
10.31 依願免本官 同 島田實一
.31 伝染病研究所技手 赤塚京治
.31 同 井村哮全
.31 昭和4年10月24日付
願研究生退学の件許可 平野寛一
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
3章 浙江省支援者から
東京紀行~細菌戦訴訟の一審判決~
何必会(義烏市、原告団事務局)
原告団代表の王選さんが、わざわざ成田空港まで迎えに来て下さり、共に日中友好会館の後楽賓館に泊まった。中国被害者を率いて日本政府を訴えたこの女性は、既に国際的に注目される人になった。後楽賓館のロビーで、臨機応変に活動を調整し、そしてデモ行進、記者会見、国会集会などの内容について手配した。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
四月二三日
Ⅲ モラリストの広島
≪昭和21年2月の末、急に激しく目が痛み出しましたので市内のA病院へ行ったがもう目は次第に見えなくなっていた。市の周辺にある色々な医者に通ってみたが既に駄目だった≫
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
部隊の破壊と証拠隠滅作業
監獄は1号~12号まであり、私は12号室の壁に爆薬を仕掛けるために入って行きました。その時私は、白い壁に書かれていた血書を見たのです。まだ血は黒くなっていませんでしたから、書いてからそう時間が経っていなかったと思います。「日本帝国主義打倒 必勝 蒋主席万歳!」と達者な字で書いてあったのです。死ぬ間際に指を噛み切って書いたのでしょうか。あの時の壁に書かれた血文字を、私は一生忘れられません。今でも心に刻みついています。今にして思うと12号室にいた中国人は、蒋介石の直属の要人ではなかったかと思っております。この字を書いた人の顔を一目見たいと思い外に飛び出したのですが、もう薪(まき)に積み上げられていてわかりませんでした。手が血で汚れている“マルタ”はいないかと思って探したのですが、やはり見つかりませんでした。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
1 関東軍第100部隊
問:100部隊は細菌戦の研究と準備の目的で設立されたことを知っていたか。
答:知っていた。もし細菌戦の研究と準備の為でなければ、このように秘密の100部隊を設立させるはずはないからである。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度
陸軍省、関東軍の毒ガス交付申請を拒否
1932(昭和7)年1月23日、三宅光治関東軍参謀長は、催涙弾と「嚏(くしゃみ)弾}(くしゃみ性ガス弾)を合計2500発交付して欲しいと陸軍省に求めてきたが、杉山元(はじめ)陸軍次官は「対内対外関係上」の問題があるとしてこれを却下した(関東軍起案「催涙弾及嚏弾支給の件)。陸軍省は、関東軍が毒ガスを求めた理由と、なぜそれに反対したのかについての次のように説明している(同前)。
毒瓦斯の使用は之れが禁止を国際的に約束せられあり。縦令(たとえ)土匪(どい・・・抗日ゲリラ)の掃蕩と雖も正義を誇る日本軍隊が帝国外の地に於いて支那〔中国〕土匪に対して用ふるは国際法無視の誹りを免れず。殊に列国の同情を得んとする支那側に於いては大々的に宣伝に利用すべく列国の反感を増長するの害あり。毒瓦斯の使用は単にの土匪に対してのみならず良民に対しても一様に被害を与ふるものにして帝国軍隊の標語とせる良民の保護、土匪膺懲の主義に反すること大なり。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
「被害者」はまた「加害者」でもある
付記・「毒ガス島」を訪れる
記録2 村上初一館長と「毒ガス資料館」
が、先生は急に話題を転じて、
「日本人は皆広島の原爆のことを知っているし、多くの日本人が被害を受けた事も知っている。だが、残念ながらこの広島が戦争中に毒ガスを製造していたということは極めて少数の人が知っているだけだ。日本の若い人にしてみれば、これは目新しい問題なのだ」。先生はさらに続けて「私は戦争の体験者だから、長い間戦争反対、恒久平和を願って仕事をしてきた。これも日本の人々に、日本が戦争中に国際条約に違反して化学兵器を製造したことを伝えたいからだ。しかし、よく考えてみれば、私にしても被害者の立場でものを考え、この資料館も被害者の角度から展示の内容を考えた。私も日本人が加害者であるという事を考えはしたが、私自身の体験と身の回りの人達の経歴を見た時、私はいつも被害者としての感情から抜け出せないでいた。私は今日の午後、歩平先生が日本の化学兵器が中国で未だに被害を与えていることを紹介されて、それらの被害者の様子が頭から離れない。私はとても不安だ。これこそが、私達も加害者であるという証明ではないか?日本人もこの角度から反省しなければならない。私もこの立場から資料館を充実させなければならない」と、心の内を語られた。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
汚された泉
井戸へ放り込み惨殺
杉本千代吉(すぎもとちよきち)
大尉
〈略歴〉
学歴 中学高卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊
出身県 静岡県
年齢 38歳(1919年生まれ)
「ウウッ・・・」うめき声をあげて横に倒れる農民を横目で見ながら、うまくいって内心得意になった私は煙草に火を付けた。
昨日、泰安よりの帰りに、六郎坂の村落で、農民親子2人を斬殺してケロリとしていたこの人斬り山野が、今日はどんな方法でやるのか。まるで見世物でも見る様な軽い気持ちになって、私は次に現れるものを興味深く見守っていた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)
3月3日(水)11時~
「703法廷」東京地裁民事3部
これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。
周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。
政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。
全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。
●「衛生学校記事」情報公開裁判 4月23日(金)14:00~103号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
(2)化学兵器関係資料
「第2節 化学火力計画」では、「化学火力計画は次の事項を含む連続的手続きである」と述べ、化学担当幕僚が準備すべき事項を上げている。それは以下の通りである。
(1)目標に対する情報の蓄積
(2)部隊任務達成に最良の援助を与え得るための化学目標の見積もり
(3)所望の効果を得るための化学弾の所要の見積もり
(4)所望の目標に所望の効果を得るための投射手段の選定
(5)選定目標に対し化学剤を持ち用いる上申の準備
そしてその他考慮すべき、あるいは準備すべき事項が列挙されている。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
2、研究開発と自衛官の入学拒否
自衛官の入学研究発表の拒否
防衛庁は、新兵器や新しい軍事技術の研究開発を目指して医官、技官、研究員の養成に努めていた矢先だけに、隊員特に専門分野の隊員に動揺が起こることを心配した。隊員向けに学界のこの処置についての弁明を矢継ぎ早に出していることを見ても、その慌てぶりがうかがえる。防衛庁衛生局長瀬十一太衛生課長の「学会における研究発表の中止事件について」と題する声明が、自衛隊幹部向けの広報誌『広報アンテナ』(67年12月号)に掲載されている。同声明は、学会の取った処置を遺憾としながら、隊員の研究、発表に及ぼす影響を心配して次のように述べている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅵ
このような重大局面にあって、天皇は、社会の根本的な変革のために臣民たちが何を望んでいるか、推し量ることができなかった。例えば、1946年2月12日、天皇は侍従次長の木下道雄に対して、「松本は自己の在任中に憲法改正を終了したき意思の如し。これは幣原にも云おうと思うが、左程急がずとも改正の意思を表示し置けば足る」と述べている。
2月13日に外務省でアメリカ側のモデル憲法を受け取った吉田外相と松本国務相は衝撃を受けた。彼らは明治憲法下での「国体」を護持しようと努め、天皇が権力と権威を兼ね備えて君臨し統治することが許されないかぎり、天皇を利用することはできないだろうと考えていた。続く数週間の間に、幣原内閣の大部分の閣僚たちは、この重大な点について考えを改めた。進歩的なアメリカ草案が、少なくとも皇位の世襲原則を従前のままとしており、その継承についても保障していたからである。このような君主制にとって危機的な状況にあって、裕仁だけが躊躇していた。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
· 爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
· 実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!