2021年1月14日木曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

WHO 新型コロナの調査チーム 14日に中国入国へ 中国政府発表

「国や医師会に憤りを感じる。このままでは医療崩壊だけでなく“居酒屋崩壊”だ」緊急事態宣言の再発出を前に、厚労省の元医系技官が訴え


謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―



「主権免除」も通用しない!!






731細菌部隊と帝銀事件との真相1


犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答


(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん


安倍は起訴だ!!

蓮舫氏、領収書再び提示拒否の安倍前首相に「小さい判断ですね。やましいのですか?」

リニア反対!!


自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。







終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館




・多様性をどのように日本に取り入れる?





パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)


なぜ、国立感染症研究所の近くに長崎大学の出先機関があるのか??



==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====

山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。
少なくとも次の4人が関係者だと言われている。

林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長

福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。

長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。

そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶
然然ではない。 

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 







隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

10月20日午後1時より当所内講堂に於いて学術集談会を開催した演題下の如し

1.コレラバクテリオファージに関する研究

        吉積泰君

2.人体に於ける寄生虫の原虫病に於ける

興味ある2.3の近業  宮川米次君

(宮川君の講演の内容は総説蘭に掲出せり)

吉積君のコレラファージに関する実験成績を左の如く総括す

 

7、4株コレラファージを40株コレラ菌に作用せしむるとき其の作用範囲より見て二大別することを得。即ち作用を受くるもの30株(75%)と作用を受けざるもの10株(25%)とあり。而して作用を受くる菌株にも程度に自ら差異あり。又ファージより作用を受くるものは悉くファージ非産生菌なるも抵抗性コレラ菌の中にはファージ産生菌(4株10%)と非産生菌(6株15%)の2種あり。故に余は野辺地の非抵抗非産生、抵抗産生及び抵抗非産生の3菌型を認む。

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

 

1章 中国の弁護士から

8・27判決の意義と限界性

楼献(中国浙江省属弁護士協会副会長、弁護士)

 細菌戦訴訟の第1審判決は、1940年から1942年にかけて、731部隊や1644部隊等によって、中国各地に対し細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われたことを認定した。

 この認定は、日本だけではなく全世界的に見ても初めて細菌戦の犯罪行為を司法的に確認したものである。 

 ところが、原告の損害賠償請求について、判決は、1972年9月の中日共同声明と、1978年8月署名され同年10月に批准書が交換された中日友好条約において、中国政府が既に日本に対する戦争賠償請求を放棄したとして、国際法上は被告日本国の国家責任については決着したと判示する。この点は、この判決の限界であり、「狡猾、狡猾(ずるい、ずるい)」ところである。賠償のドアが開かれたように見えたが、突然閉ざされてしまった。

 

  



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月三〇日

朝食の検食に中隊長先ず土井御用商人ひどくたこをつれば?先ず商人平謝りに事を済む 然し―昼食が腐敗していたとの事で 作った夕食百六十名分がふいになる。気の毒ながら 身から出たさびだ。

忙しいような暇なような一日が終わった 夜の七時半に思いがけなく大隊の非常演習がある。第二六四の無蓋列車に乗って遼陽に行く 此の時の気分は実際演習とは云ふものの 中々悲壮な感じがする。中隊から駅までの内に重機の為に一汗かいた 四拾分みぞれの降る中に風を切った故に非常に寒く震えてしまう 帰りは第十八列車なれども非常に眠くてやりきれない。勤めは辛いね。名月煌々として。

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 法律、あるいは国家の確実な保護の窓を開いておく、というのが重藤院長の現実的な思考法の基本的な態度である、金井論説委員のいわゆる≪平和運動家の宗教戦争≫の間、具体的な施設や資金に関わっていえば、曲がりなりにも次第に被爆者の援護のプランを進めて来たのは保守党の政府であり、今も現に実績を上げようとしているのは保守派の議員たちである。僕は広島で、一人の保守派の地方政治家の、戦中・戦後を通じての、些かいかがわしい噂を度々聞いたものだ。しかし客観的に見て、この夏、彼が援護強化の政治的折衝に最も効果的な役割を果たした一人であることも又否定できない。 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

標本室

 その年(1943)の6月の末、確か部隊創立記念日の為の掃除がありました。部隊本部棟2階の部隊長室近くにあった標本室に、私を含めて3人の者が呼ばれて掃除をするように言われました。標本室に入る前に憲兵曹長の高取と言う人が来て「今日ここで見たものは、内務班に帰ってからも、またハルピンに友達がおって話す機会があっても、絶対に話してはならない。秘密を守らなかったらとんでもないことになるぞ!」と言いました。

 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

鑑定書(1956年528日)

 1の問題点榊原秀夫の指揮した162支隊(林口支隊)の行なった活動は、どんな目的のためだったのか。

 鑑定の結果、我々は、162支隊の活動はその専門的性格と内容から見て、細菌兵器の製造と細菌戦の準備のためであったと考える。この結論は以下の事実に基づくものである。

1、162支隊は、旧日本関東軍第731部隊に所属した最大の支隊であった。731部隊及びこれに所属する各支隊の業務はもっぱら細菌戦実施のためであり、この事実は既にソ連沿海州軍管区軍事法廷における旧日本陸軍軍人による細菌兵器の準備、使用に関する件の裁判資料で証明されている。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

2 国内民間人の防毒訓練

 

市民用ガスマスクの生産

 

 1938年に関東地方の防衛を担当する東部防衛司令官から、ガスマスクが無い場合の個人応急防護の研究依頼がなされた時、陸軍科学研究所のガスマスク研究員が出したプランは、底を切った瓶や竹筒などに毛布や炭を詰めてこれを口に当てて呼吸し、鼻は洗濯ばさみで閉じ、目には水中メガネを付けるといった原始的な方法であった。これを研究した当人は、「当時の国民防毒面の普及状態からこの種の応急策もやむを得ない状況であった」と回想している(山田桜「軍用防毒面類の研究」防衛庁技術研究所編『本邦化学兵器技術史』。このように、一般国民は、毒ガスに対して事実上無防備状態におかれていたのである。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「毒ガスの王」と「死の露」

 

 A2工室はドイツ方式でイペリットガス(きい1号甲)を製造し、1937年に生産を始めてからは昼夜を分かたず作業が続けられた。作業場は通風が悪いのでいつも湿っぽかったという。作業員は一日中毒ガスと付き合っているので、皮膚は黒褐色になり、潰瘍ができた。イペリットは製造した後は黒褐色の液体で、油に溶ける性質を持っているので、いったん人体に付着すると皮膚や粘膜の表層を透して細胞に達し、破壊する。触れるとまず皮膚に赤い斑点ができ、その後火傷のように水泡になり、さらに進めば破裂して潰瘍となる感染する。この種の潰瘍と糜爛は治療がとても難しい。たとえそれが治っても皮膚には痕跡が残り「毒ガス斑」を形成する。これらの毒剤が発した気体を吸い込むと、呼吸器と消化系統に出血と潰瘍が起こり命は危なくなる。人間の致死濃度は0.1ppmで、30分ほどで死亡することから、「毒ガスの王」といわれる。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

強姦

赤ん坊を殺し母親を犯す

 

石田幹雄

兵長

〈略歴〉

1913年 山梨県の中農の家に生まれ、

1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、

1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。

1942年5月末 中国に侵略し、

1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。

 

「よし、あそこだ」思わず口に出た言葉を呑み込んで、釜に近寄る私の足にしがみついてきた母親を蹴飛ばし、つきたての餅の様にフワフワした赤ん坊の足首を握り返して、頭を逆さまにしたまま釜を目掛けて投げ込んだ。ギャーッ・・・釜の湯を吹き上げ、ひときわ高い赤ん坊の悲鳴が、私の耳に錐(きり)を揉み込まれる様に鋭く食い込んできた。そして、一瞬静寂に返った空気の中に、キーッと絹を裂くように我が子を奪われた母親の叫びが壁を揺すぶった。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


2020年12月16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(3)教範から見えるCBRN対応

 「化学科運用」とほぼ同じ時期、CBRN全般を対象とする「陸自教範21-101特殊武器防護」が刊行されている。これは「案32-119 化学防護:に替わるものであり、特殊武器の定義を明確にするなど、陸自内部ではCBRN対応が整理されてきたことを示している。こちらは以下に紹介する通り、核兵器、化学兵器、生物兵器を特殊武器として一括し、それへの対応を示すものとなっている。「化学防護」の内容は未見であるが、1950年代の米軍の方針が、核戦争下で化学科部隊が重要な任務を負っていたことを考えれば、その内容に核兵器が含まれたと考えられる。それを受けたものである。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

(前略)

〇楢崎委員 佐世保で使われました例のCN、クロルアセトフェノンでありますが、これは自衛隊も催涙ガスとして用意されておりますね。自衛隊はどこからそれを買っておられるのですが。

〇増田国務大臣 催涙ガス等の研究はいたしておりましたし、また水に混ぜてやるということの研究もいたしておりますが、私の調べたところでは、必ずしも、警視庁で使用されたものとは違うということを申し上げておきます。

〇蒲谷政府委員 関東化学株式会社から買っております。催涙剤の方は関東化学でございますけれども、筒の方については細矢火口から入っております。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

GHQは1022日に教育改革と、軍国主義を主張し占領政策に敵意を示すすべての教師の追放を命ずる指令を発した。以後も、各方面の戦時指導者たちは危機にさらされた。19451030日、GHQは、宮内省提供の大幅に低く見積もられた数字に基づいて皇室の総資産を公表した。天皇の臣民はこのとき、彼が159000万円の資産を有していることを知った。豊かな森林、牧場、株式、国債・都道府県債・地方債など莫大な保有物からの収入、さらに巨額の金塊や通貨を所有していたことからも明らかなように、天皇は他の追随を許さぬ大地主であり、もっとも裕福な人間であった。幣原内閣と帝国議会の政治家たちは、民衆が天皇の有する巨額の富の問題に飛びつき、もつとも高名な戦争指導者たちに対する批判が日々、紙面をにぎわし、さらには共産党が「天皇制」の廃止を要求するのを目の当たりにして、「国体」ばかりか、自分たち自身の地位すら維持できるかどか確信が持てなくなっていた。




 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)


奇々怪々の現代

「時こそ最後の審判者である」と鷹揚に構えていると、私達自身がとんでもない被害を受ける。今このことに、疑問を差し挟む余地はない。私の目には、その日の人類滅亡の姿まで見えるので、一筆取らざるを得ない。人類の思考力がここまで退化するのは、文化人類学的に興味深い現象でもある。





※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

中華人民共和国

 



中国初の核爆弾(模型)

· 1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。

· 1967年6月17日 初の水爆実験。

詳細は「中国の核実験」を参照






月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子





 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!








 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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